悪しき者
今回、序盤は会話文が少なくなっています…。
途中からしっかり会話もしますので、よろしくお願いします。
桜狼が語ったことをまとめると、以下のようになる。
一年ほど前から、辺境の村で人が突然魔物に変わってしまう事件が多発しており、その調査で桜狼は村を巡っていた。
辺境であることを除けば事件が発生する場所は不規則で、未然に防ぐことは困難を極めており、民衆はすっかり恐れ慄いて仕事どころではなくなっていたそうだ。
水源に問題があるわけでも、流行病でもない。そもそも、過去に同様の事件が起こったことなど一度もなかった。
そんなとき、手の打ちようを失くした桜狼の前に現れたのがアストレアだった。彼女は、卓越した剣術で魔物を屠っただけでなく、すぐに何かしらの薬物が原因で人が魔物に変えられているということを探り当てた。
あまりにも良すぎる手際に、一時は彼女自身が疑われたようだが、グラドバラン本領に連れて行かれた彼女が身分を明かしたことで、その身の潔白が証明されることとなった。
加えて、王国の蔵書室に保管してある本に、似たような症状が記述されていた…そうアストレアが告げたからだ。
すぐに、ドラゴンを使役していた時代と結びつけたアストレアは、悪しき者が、帝国領内で何か恐ろしい目論見を企てているのではないかと提言し、その解決に力を貸すことを申し出たそうだ。
彼女が何故、敵国でもある帝国の危機に手を貸そうと考えたのかは分からない。あくまで予測ではあるが、セレーネと離れ離れになった彼女なりに、自分の生き方を模索していたのかもしれない。
アストレアは、特師団の一人として、問題の解決に尽力していた。どうやらその過程で、鏡右衛門から居合を教わったようだ。達人から本場の技を学んだとあれば、あの鋭さも頷ける。
調査から半年ほどして、解決の糸口は思わぬところから現れた。国境を越えてやって来た商人が、竜神教なる新興宗教の話を口にしたのだ。
竜の存在こそを至上とした教え、そして、それを流布する教主、ライキンス。出自不明の彼が王国のオブザーバーの地位に収まっている上、竜王祭の時期が早められると聞いたアストレアは、迷いに迷った末に、帰郷を決意したとのことだった。
話を最後まで聞いてから、燐子は深く息を吐いた。
(アストレアめ、肝心なことは言わぬままにしおって)
そのような、恨みがましい考えを持ったものの、よくよく考えれば、逃げるようにして立ち去ったのは自分だったと思い返して、燐子は肩を落とした。
「…そのような事情があったのであれば、何も逃げるように出港せずとも良かったのでは?」
暗くなった声のまま、燐子が口を開く。
「いやぁ、そういうわけにもいかんでしょ。敵国で活動していたとなれば、王族として、アストレアの立場も危ぶまれるし、俺たちだって、手放しで帰してもらえはしないだろうしな」
確かに、ジルバーの言う通りだ。あの状況では、捕まればどうなったか、分かったものではない。
そこで燐子は腕を組み、目を閉じた。目蓋の裏側に宿る薄闇に心を預け、考えに没頭しようと思ったのだ。しかし、それを見た紫陽花がくすり、と笑ったことで集中が途切れる。
「あら、ごめんなさいね。でも、やっぱり、貴方と鏡右衛門様は似ているわ、燐子」
急に名前を呼ばれて、少したじろぐ。その響きに、予期せぬ親しみが込められていたからだ。
「そうだろうか…」
不服ではないが、返答に困った。すると、ずっと口を閉ざしていた朱夏が口を挟んだ。
「…燐子ちゃんに馴れ馴れしくするな、アバズレ」
「こら、朱夏」と紫陽花が変に嬉しそうに笑った。「ぶぅ、気持ち悪いよぉ、アイツぅ。何で今ので嬉しそうなのさ…」
不気味さにおいては、右に出る者がいない朱夏がそう言うのを聞いて、一同は呆れたような面持ちになっていたが、燐子や鏡右衛門は顔色を変えず、話の主軸を失うことはなかった。
「それで、帝国としてはどう動かれるおつもりですか」
「どう、とは?」
鏡右衛門に分かりきったことを聞き返されて、燐子は少しムッとした顔で説明する。
「もちろん、ライキンスの企てについてです。よもや、このままにしておくわけにはいきますまい」
「そうだとして、それがお前に関係あるのか?」
「それは…」
言い淀んだ燐子の髪が、秋風に揺れた。
どうしてか、上手く言葉が紡げなかった。
普段の自分なら、怒りの発露と共に異を唱えたはずだ。
ぎゅっと、膝の上で両手の拳を握り、唇を噛みしめる。
何かが燐子の心の歯車につっかえて、残りの一歩を踏み出せずにいた。
「燐子ちゃん、どうしたの?」朱夏が、不思議そうに聞いた。
自分で想像している以上に固まってしまっていたのかもしれない。帝国特師団の面々は、すっかりこちらを訝しがるように凝視していた。
「なんでもない」
燐子が軽く首を振って誤魔化すと、再び、沈黙の帳が下りた。そんな燐子を見かねたのか、ため息混じりで鏡右衛門が口を開いた。
「無論、これ以上、私たちの領地で好き勝手させるつもりはない」
鏡右衛門はそう言うと、猛禽類を思わせる鋭い瞳で桜狼のほうを捉えた。
「帝は何と?」
「はい。鏡右衛門様の思うがままにせよと」
苦笑いで答えた桜狼の言葉に、鏡右衛門は忌々しそうに舌を打った。
「またそれか。全く、自分の国のことだと言うのに、どうしてこうも人任せなのだ」
「仰る通りです。ただ、王子のほうは早急にライキンスを見つけ出すため、特師団の全権を鏡右衛門様に委ねると言っていました」
「ほう。まことか」肩眉を上げて、彼が確認する。
自分には分からない話だが、他の面々も多少なりと反応しているので、前例があまりないのかもしれない。少なくとも、ライキンスの捜索自体は行うようだ。
「それならば、話は早い。帝は腰が重くてならんが、王子は柔軟に動いてくれるからありがたいな」
後で確認したことだが、ここでいう帝は、王国で言うところの女王らしい。まあ、細かいところはピンと来ない。
鏡右衛門の口元が綻んだのを見て、桜狼は明るい声で、「そうですね」と呟いた。
桜狼のその呟きは、鏡右衛門ではなく、まるで自分の内面、あるいは、どこか遠くの人物に向けて放たれたような印象を受けた。その奇妙な感覚には理由があったようで、すぐに朱夏が揶揄する。
「良かったねぇ、お気に入りが褒められて」
あからさまにからかうような声音だったためか、桜狼はわずかに目元を吊り上げて朱夏を見据えた。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、「朱夏、言葉が悪いですよ。王子のことをお気に入りなどと」と諫める。
「ちぇ、大人ぶっちゃって」精神的に幼い朱夏は、相手が取り乱すか、激昂するのを望んでいたようだ。全く彼女らしい。「男なんかのどこがいいかなぁ、固いところばっかだし、美味しそうな匂いもしないし、目だって宝石みたいにキラキラしてないのに」
朱夏の独特な言い回しに、一同は何の反応も示さない。無視している、と言ったほうが正確だろうか。
燐子の位置からは、大きくめくれ上がったスカートの裾から朱夏の太腿が見えていた。白く、蠱惑的でハリのある質感に、燐子も朱夏の言葉の一部には頷ける気がしていた。
そうしていると、沈黙を打ち破るようにガラムが鼻を鳴らした。
「ま、そこだけはお前と意見が合うな」
「へぇ、ガラムと一緒なんて死ぬほど嬉しくなぁい」
間髪入れずに皮肉で返され、じろり、とガラムが睨み返すも、鏡右衛門に短く叱責されて、二人とも口を閉ざし合う。それを確認してから、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。
「飛び回って良いと言うのであれば、特師団で情報収集を行う」
太い柱が一本伸びているように、真っすぐしゃんと背筋を伸ばしている燐子。その向かいで正座している鏡右衛門は、特師団の面々に素早くそれぞれの役割について通達する。
「ガラムは、グラドバラン領のスラム街を。桜狼は引き続き帝たちとの連携を図れ。いいか、くれぐれも足踏みさせるな。王子を中心に話を進めろ。木偶は放っておけ」
「了解!」ガラムは自分の左の掌を右手で打ち鳴らしながら、大きな声で返事をした。対する桜狼は苦笑いを浮かべて、「承知しました」と紳士然として答える。
ここまで帝を軽んじた発言をしていいのだろうか、と不思議に思う燐子だったが、国の大事の前に動き出そうとしないなど、正に木偶の坊でしかないか、と考えを改める。
「ジルバーは兵隊を連れて国境際、王国領との境を徹底的に洗い出せ。朱夏は単独でもう一度、グラドバラン領内を探せ」
「えぇー、私だけ一人ぃ?」
「お前は気に食わないと味方でも斬るだろう。兵卒たちは、もう誰もお前の下につきたくないそうだ」
「ぶぅ、私の邪魔するのが悪いんじゃん」鏡右衛門がじろりと睨みつけても、朱夏は不貞腐れたままだったが、隣に座っていたシルヴィアが、「自業自得」と呟いたことで、唇を尖らせて黙り込んでしまった。
「シルヴィアは後に密命を下す。重要な役割だ、しくじるでないぞ」
「御意のままに」ぺこり、と彼女が頭を下げた。
なるほど、人形、という言葉の響きが色んな意味で合っている少女だ。
端正な顔立ち、小柄な体に無感情な声音。
人間離れした肌の白さに、魔物のような瞳の色…。
ガラムが口にした嘲りとしての言葉ではなく、ただ純粋に、シルヴィアの闇夜に浮かぶ月の如き美しさを形容するにあたって、頭に浮かんだ言葉だった。
「それでは、紫陽花とシルヴィア以外は各自解散。それぞれの仕事にかかれ」
鏡右衛門の言葉に、面々は統率された蟻の群れのように散開する。襖の向こうに消えていく特師団員たちの背中は凛々しく、手練が放つ無意識の剛気のようなものが感じられた。
一方、たった一人だけ鏡右衛門の指示に従おうとしないのは、彼女の娘、朱夏である。
「ねぇ、パパ。燐子ちゃんも私が連れて行っていい?」
酷く甘えた声。朱夏の凶暴さを知らない人間が聞けば、可愛らしい少女の声に癒やされる者すらいるかもしれない。
「ならん」
「え!なんで!?グラドバラン領って、広いんだよぉ」
「本領は私も周る」
「ぶぅー!パパと一緒なんて嫌!燐子ちゃんみたいに可愛い女の子がいいのぉ!」
「ならんと言っている。はぁ、お前は全く、煩悩にまみれ過ぎている…。男を連れて行かせれば斬り捨て、女を連れて行かせればロクに仕事はせん。お前は誰に似たのだ、朱夏」
「あーもう、ママもパパもそればっかり!ふん、少なくとも、パパじゃないね」
不服さ全開の表情で、畳に後ろ向きに倒れ込んだ朱夏は、どれだけ鏡右衛門に退室を促されても、動き出そうとはしなかった。
彼もやはり父親としての甘さが残っているのか、小さくため息を吐いた後、結局、彼女がその場に残ることを容認して話を続ける。
「シルヴィア。お前は王国の首都プリムベールへと向かい、アストレアにこの文を届けて欲しい」
鏡右衛門が懐から三つ折りにされた手紙を取り出すのを見ながら、燐子の心臓はきゅっと縮み上がっていた。
「プリムベール、ですか?」奇しくも、燐子の脳内に浮かび上がった言葉と同じものをシルヴィアが口にした。「左様。アストレアであれば、我々の言い分にも理解を示すことだろう」
すっかり聞き慣れてしまった単語を耳にして、燐子は口を挟まずにはいられなくなる。
「王国と同盟を結ぶのですか?」
急に声を発したことで驚かれたらしい。一同の視線が彼女に注がれる。
「相手の出方次第だ。ただ、私としては、ライキンスの問題が片付くまではそのほうが都合は良いと考えている」
そう言うと、彼は立ち上がり、外が見える位置まで移動した。
こちらに対して背を向けているにも関わらず、一切の隙がない。斬りかかれば、瞬く間に命を失うだろうことが予測できる佇まいだ。
「承知しました。今夜にでも出立致します」ぺこり、とまたシルヴィアが頭を下げる。「待て、そう急くな」
背中を向けたままでシルヴィアを制した鏡右衛門は、木の柵に舞い降りた白と黒の小鳥を一瞥すると、静かに指先を伸ばした。だが、小鳥は怯えて飛び去ってしまう。
鏡右衛門は、名残惜しそうに小鳥の後ろ姿を見送ると、半身になって燐子たちを視界に捉えた。
「燐子、でいいか」唐突に名前を呼ばれて驚きつつも、ほぼ反射的に、「構いません」と答えていた。
故郷の暮らしで習慣化された反応が、ここにいても出てしまうことに、どこか嬉しさすらも覚える。
「では、燐子。お前にその気があるならば、シルヴィアと共に王国へと出向き、話が円満に進むよう、手伝ってやってほしい」
「わ、私がですか…!?」
「そう驚くことはあるまい。お前は元々王国側に加勢し、帝国と刃を交えていた流れ人なのだ。帝国と王国が手を取り合うことになれば、お前が間に入るとなっても不思議ではない」
何が面白かったのか、鏡右衛門は少しだけ口元を斜めにした。ただ、燐子にはそんなものを視界に入れている余裕はなく、俯きがちになって、頭に重くのしかかる記憶を引きずり出していた。
矢を撃たれ、崩れ落ちる少女。
失意に満ちた瞳を向ける二人の王女。
そして…。
――どこへなりと、消えなさいよっ!
叩きつけられた拒絶の言葉。
自分と彼女らの間に引かれた、明確な境界線。
「出来ません」
気が付くと、燐子はそう答えていた。
「何故だ。国家の問題であって、流れ人であるお前には関係ないか?」
「違います。ただ、その…」わざわざ自分の罪の言葉で口を動かすのは億劫だったが、どうにか顔を上げて、続きを口にする。「アストレアたちとは、袂を分かちました」
「…まことか」
「はい。お役に立てず、申し訳ございません」
いつの間にか、鏡右衛門に対して敬意のようなものが生まれているのを感じた燐子は、少しの戸惑いを覚えながらも、彼から許しの言葉が出るのを待っていた。
「そうか。それは仕方がない。シルヴィアには予定通り、一人で向かってもらうことにしよう」
「私は、元々そのつもりでございます」
シルヴィアが淡白に告げたのを確認すると、次に彼は、もう一人の特使団員に声をかけた。
「おい、紫陽花」
「はい、何でございましょうか?」
「お前に任している件の任務、燐子と共に取りかかれ」紫陽花が反応するよりも速く、燐子は口を挟んだ。「お待ちになられて下さい!どういうことですか」
自分はただ、ライキンスを止めるべく帝国まで来ているのだ。決して、帝国の手駒のように扱われるためではない。
だというのに、鏡右衛門はすでに自分を手駒の一つとして捉えているように思えてならない。
「そうだよぉ!そのクソアバズレと一緒なんて、燐子ちゃんが何されるか分かんないじゃん!」
「朱夏!何度言ったら分かるのかしら、言葉遣いは丁寧にしなさい」
「もう、うるさいっ!燐子ちゃんは私と一緒に――」
再度、朱夏が駄々をこねかけていた、そのとき、先程以上の鋭さで鏡右衛門が朱夏を叱りつけた。
「いい加減にしないか、朱夏。これ以上話の邪魔をするのであれば、座敷牢にでも閉じ込めるぞ」
「う…」
朱夏はすぐに大人しくなった。菫青石の瞳が明らかに怯んでいた。もしかすると、鏡右衛門は本当に彼女を座敷牢に入れたことがあるのかもしれない。
自らの言葉を受け流されてしまっていた燐子は、憤然として、もう一度問い質す。
「私は貴方たちの手先ではありません。もう私は、主君を持って人を斬るつもりなどないのです!」
立ち上がり、ぴしゃり、と言い放った燐子。理不尽と戦ってきたのであろう鋼の意思が、彼女の言葉の端々や、立ち居振る舞いに表れていた。
「それなら、心配はいらないわ。私の任務は人殺しではないもの」
紫陽花が、体の正面に置いていた大鎌にそっと触れながら、瞳を閉じた。かと思うと、閉ざされた唇に三日月を描くと同時に、藤の花にも似た瞳を再び開いた。
「私の任務は、弱者のために獰猛な怪物を狩るだけなの。まぁ、それが昔は人だったかどうかなんて、考えてはいないけれど。ふふ」
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
読んでいて疑問に思った点、もっとこうしたほうが読みやすい、などありましたら
是非、お申し付けください!
評価やブックマーク、感想をくださっている皆さんに力を貰っております。
いつも本当にありがとうございます。
また、そうではない方々も貴重なお時間を使っていただいて、ありがとうございます。