剣撃の挨拶
暑い日が続いていますね…。みなさん、熱中症にはお気をつけて。
眼前の茶色い瞳が、怒りと苛立ちで一気に燃え上がったのを確認して、燐子は素早く身を引いた。
チリッ、とした感触が鳴らす警告に従い、頭を下げると、頭上を勢いよく鋼鉄の刃が通り過ぎていった。
随分と躊躇いなく殺しにくるものだ、と燐子はガラムの顔を見て、無意識的に口元を綻ばせる。
驚いたことに追撃にも容赦がない。姿勢を低くして躱していた燐子の脳天目掛けて、ガラムは唐竹割りを繰り出していた。
これも、ひらりと後退して回避する。怒髪天でこちらを睨むガラムから視線を外さずにいると、ドン、と背中が何かにぶつかった。
ほんの少しだけ首を回して、背後を確認する。とは言っても、何となく予想はついていた。
「あら、ごめんなさい」
一人だけだんまりを決め込んでいた女性だ。燐子は、彼女が朱夏を止めに動いたのが見えたため、ガラムのほうを止めに入っていた。
横に流した紫の長髪は、上質な反物のように美しい。口元の黒子が酷く妖艶に見える女性だが、近くで顔を見てみると、そう自分と年齢は変わらないようだった。
彼女の両手には、黒曜石のような刃を付けた大鎌が握られていた。
こんなものが得物だとは信じ難かったが、彼女が斬られていないところを見るに、アレで朱夏の大太刀を受け止めるか、受け流したのだろう。とても興味深い。
燐子が返事をしないままでいると、彼女は正面の朱夏に視線を戻して続けた。
「お客様に迷惑をかけてしまって、ごめんなさいね」
「…全くだ」燐子も、視線をガラムのほうに戻す。「まさか、言葉より先に刃を交えるとは思わなかったぞ」
「うふふ、本当よね」
背中越しから聞こえてくる女性の声は、先程の桜狼という少年よりも、ずっと澄んで、適切なアクセントで言葉を紡いでいた。
「迷惑ついでに、そっちのワンコの相手をお願いしていいかしら?」
ワンコ、と言うのは、目の前のガラムのことだろう。
「いいのか?私は、剣を振るう相手に手加減が出来るほど、器用ではないぞ」
「大丈夫よ。彼も簡単には死なないから」
「ふん。そういうことなら承知した」
どちらからともなく、くっついていた背中を離し、襲い来る相手に突進した。
畳が擦れる音が、広間に短く鳴った。
「このっ!アバズレ!燐子ちゃんに近づくなぁ!」
朱夏の罵声の直後、背後から鉄と鉄がぶつかり合う音が聞こえてくるが、すぐに意識を切り替えて、目の前の相手に集中する。
ガラムの袈裟斬りを霞に構えた刃で受け止める。押し込まれることはないが、余裕もない。
「邪魔すんな!ってか、誰なんだよテメェ!」
刃越しにガラムがそう問いかけた。聞き方は粗暴極まりないが、聞きたいことはもっともだ。
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗ったらどうだ…!」
「あぁん!?何様だ、女!余所者のくせに、礼儀がなってねえぞ!」
「名乗る前に斬り合いを始めたのは、お前と朱夏のほうだ」
互いに弾かれるように刃を離す。相手の出方を見たかったが、ガラムのほうは猪突猛進の如き勢いで再び斬りかかってきた。
「おらぁっ!」
両手で剣を握っての、渾身の逆袈裟。
霞の構えのままで太刀を縦に構えて、体の側面で受け止めたつもりだったが、想像以上の威力に体勢を崩される。
――こいつ、なかなかやる。
ふらつく燐子の脇腹に向けて、ガラムが一閃、煌めかせる。
(防御は間に合わない。ならば)
もう一度、太刀を縦に構える。だが、ほとんど力は入れない。
そのまま、振り抜かれる横薙ぎに押してもらうような動きで、体を一回転させる。
「うおっ!?」
ガラムは防御を打ち抜くつもりで剣を薙いでいたため、あまりの手応えのなさに、ほとんど空振った勢いのまま、前方向につんのめった。
相手の力を利用したまま、回転斬りを叩きつける。背中から斬る形になっているが、この場合は問題ない。
「――斬る」
だが、殺意漲る一刀は彼に届かなかった。ガラムの背中と、自分の太刀の間に乱入してくる者がいたのだ。
「――…そこまでです」燐子と同じ、日本刀。桜狼と呼ばれていた少年が、ガラムを守るように切っ先を伸ばしていた。「あの、勘弁してもらえますか?ガラムさんも、頭に血が昇ってるだけで…」
「誰の頭に血が昇ってんだ!余計なことすんな、桜狼!」
燐子も、桜狼も、怒鳴りながらも姿勢を整えているガラムのことは気にも留めず、互いに見つめ合っていた。
(この少年…。いつ、太刀を抜いた?まるで気づかなかったが…)
じっと、桜狼を観察していると、彼が曖昧に微笑んだ。穏やかで、か弱い笑顔だ。中性的と言うよりも、もはや女性的にも思える。
ただ、あれこれと言うガラムと燐子の間に入った彼の素振りは、非常に男らしいものだった。これ以上、手出しはさせない――という意思をハッキリと感じる。
元より、こちらもガラムを殺したいわけではない。燐子はゆっくりと太刀を引き、二人の一挙手一投足を見つめながら、静かに太刀を鞘に納めた。
それを見て、ホッとしたように息を吐いた桜狼は、鮮やかな動きで太刀を納刀した。あまりにも滑らかな仕草に、もしかすると、彼も居合の使い手なのかもしれないと燐子は想像した。
「あぁんもう!アバズレ女!離せ!離してよぉ、殺してやるから、もうぅ!」
大声で喚き立てている声にハッとして、燐子は体の向きを変えた。視線の先には、うつ伏せにされ、大鎌の刃の部分を首に当てられた状態で、女性に馬乗りにされている朱夏の姿があった。
「朱夏。そういう言葉遣いをしないって、何度言ったら分かるのかしら」
のんびりとした微笑みを浮かべた彼女は、朱夏を叱りながらも、じっとこちらを見据えていた。しばらく前からそうしていたような感じだ。
実際、燐子がガラムを抑えるよりも早く、彼女は朱夏を組み伏せていたのだが、それを知る術は燐子にはない。
「ありがとう、黒髪のお嬢さん」
「…礼を言われるようなことはしていない」
女性に下敷きにされたまま、きゃんきゃんと喚き散らす朱夏を一瞥し、小馬鹿にするように鼻を鳴らした燐子は、これ見よがしにため息を吐いてから、依然として黙りこくっている彼女らのリーダーに目を向けた。
「こんなものを見せるために、私を呼んだのですか?」
最高の皮肉のつもりで言葉をぶつけた燐子だったが、視線の先、じっと微動だにしていない鏡右衛門は、どこか嬉しそうに一瞬だけ口元を緩めた。
(…どうやら、皮肉は嫌いではないらしいな)
燐子は、用意された座布団に膝をつき鏡右衛門ら、帝国特師団と相対した。さすがに一悶着あった後なので、緊迫した雰囲気は拭えなかったものの、鏡右衛門が朱夏とガラムを一喝して以降は、多少マシにはなっていた。
「改めてご挨拶申し上げます。私は燐子、侍の娘です」両手を床について、そう告げる。
あえて侍の娘と語ったのは、鏡右衛門が本当に日の本から来た流れ人ならば、必ず何かしらの反応を示すと考えたからである。
燐子が想像していたとおり、鏡右衛門は侍という言葉を耳にして、わずかに目を丸くした。ジルバーには伝え聞いていたはずだが、やはり、驚きは隠せないようだ。
「…本当に、日本から来たのだな」
「日本?」
「日の本だ。私の時代では、少しだけ呼び名が変わっている」
「左様ですか」
どうやら、彼は自分よりも後の時代から流れ着いた人間らしい。それが分かった瞬間、燐子の中に、どうしても聞いてみたい疑問が生まれた。
「あの――」
後の世は、一体どんなふうになっていたのか。
侍は、どこまで気高く、領土を広げたのか。もしや、異国までその名を轟かせたのかもしれない。いや、そうに違いない。
だが、鏡右衛門は燐子の言葉を遮ったかと思うと、淡白に告げた。
「未来のことなら、聞かないほうがいい」
「え?」心を読まれたことにも驚いたが、どこか憐れむような声音にも言葉を失う。
「今更お前が気にしても、詮無いことだ」冷たい瞳が、ぎらりとこちらを捉える。「それに、聞かないほうが幸せなこともある」
井戸の底を映したように冷たく、暗い瞳。そんな瞳をした彼がそう呟いただけで、燐子は、どこかぞっとする思いに駆られ、口を真一文字に閉ざした。
(知らないほうがいい…。まさか…)
嫌に陰鬱な雰囲気が畳の隙間にまで広がるようだった。外に見える青空が、酷く他人事のように見えるほどには。
その後は、どうして燐子が帝国の船に侵入していたのか、という話になった。それについて燐子は正直に答えた。
王国で起きた惨事、ライキンスの思惑…。そして、彼を追うために、陸から離れる船に狙いを絞って乗船したのだということを。
鏡右衛門は事情を聞いても、顔色一つ変えなかった。すでに予測の範囲だったのかもしれない。ただ、代わりと言っては何だが、ジルバーや朱夏が感心したように声を上げていた。
「私のほうは、そのような次第です」燐子は鏡右衛門以外には目もくれず、話を進めた。「そちらは、どうして敵国である王国に?」
燐子の問いを受けて、鏡右衛門は腕を組み、目を閉じた。思案げにも見えるが、無視しているように見えないこともない。
黙って彼の様子を注視しているうちに、段々と苛立ちが募ってきた。
どうして何も言わないのか、まさか、これで誤魔化せると考えているのか。
これ以上、無為な沈黙を作るつもりならば…、と燐子が腰を浮かしかけていたとき、脇に座っていた件の女性が燐子に声をかけた。
「ごめんなさい。鏡右衛門様は考え事をするとき、よくお黙りになられるの」
大鎌を揃えた膝の正面に置いて、彼女はそう言った。
腰ほどまで伸ばしてある紫の髪が艶やかで、さらに、着物姿がとても似合う女だ。紅、紺、黒の三色で織りなされる布地の美しさにも、その異国情緒溢れる顔立ちは負けてはいない。
黙って彼女の風貌を観察しているうちに、どうやら何かを勘違いされたらしく、女性がハッとした表情で言葉を紡ぐ。
「あぁ、ごめんなさい。私は紫陽花。帝国特師団のリーダーを務めているわ」
さっきはありがとう、と上品な口調で紫陽花は付け足した。
「さっきも言ったが、お礼を言われる筋合いはない」
「あら?そうかしら」
「勝手に飛び込んだのはこちらだ」淡白にそう返すと、彼女はふわりと微笑み、「貴方、どこか鏡右衛門様に似ているわ」と言った。
どこを見たらそんなふうに考えるのだろうか、と不思議に思ったが、深掘りしても得られるものは少なそうだったし、何となく話が長くなる気がしたので、適当な相槌を返す。
特師団の面々は、鏡右衛門がこうして長考することが珍しくもないのか、紫陽花にならって自己紹介を始めた。
左側に座っている者から順に、銀の鎧に身を包んだ、実働隊のジルバー。娘を侮辱されたときは鉄をも斬れるような鋭い雰囲気を放っていたが、今はすっかり飄々とした佇まいに戻っている。
ジルバーの娘で、いわゆる隠密役を担っているシルヴィア。闇夜に紛れる黒い着物と病的に白い肌のコントラストが美しい。喋っている間も、赤い瞳は伏せられていた。
次に、最も見知った顔である朱夏。彼女は、独立部隊として活動しているらしい。ただ、そんなものは名ばかりで、好き勝手するための建前だろう。
普段はへらへらしているくせに、今はとても不機嫌そうだった。その視線の先は、紫陽花に向けられている。先程の件を根に持っているに違いない。
右側に移り、大鎌を得物にしている紫陽花。彼女は国境警備を担っているらしいが、話を聞いた感じ、侵略部隊としての意味合いが強そうだった。
朱夏をもねじ伏せる強さは、確かに最前線を担うに相応しい腕前だろう。
その隣が、桜狼。狼の名を冠する少年ではあるが、むしろその見た目は優しく、穏やかそうな上に愛らしい。女の子と言われたほうがしっくりくる印象だ。薄桃色の髪色と着物は、桜を彷彿とさせる。彼は、帝国王族との折衝、政治関連を担っているらしい。
最後が、ガラム。軽鎧を身に付けた彼は、自分の名前以外口にしなかった。桜狼が補足した話だと、彼はならず者のまとめ役として日々動き回っているとのことだ。
全員分の自己紹介が終わったところで、鏡右衛門がため息混じりに、「終わったか?」と言った。「待たせたのは大将だろう」とジルバーが笑うと、不服そうに鼻を鳴らす。
袴姿に黒髪を結い上げた鏡右衛門は、一同がお喋りを止めたのを確認すると、本題に戻った。
「私たちが王国に船を着けていたのは、ただ客人を送り届けただけだ」
「客人?」燐子が眉をひそめて繰り返す。「そうだ」
「わざわざ、将軍自らが送り届けるまでの人物なのですか?」
「そうなるな」
「誰なのですか、その人物とは」
こちらの意図が分かっていないこともないだろうに、言葉を濁し続ける鏡右衛門に向け、語気を強めて問う。彼は数拍の間を置いてから、ゆっくりと答えた。
「お前も良く知っている人物だ。刃すら交えたのだからな」
「刃を交えた…?――まさか!」
こくり、と鏡右衛門が頷く。それで確信を持ち、燐子はその人物の名を口にした。
「アストレア、王女なのですか?」
「王女?」と呟いたのは桜狼だった。「あ、口を挟んですみません。ですが、彼は王子ですよね?」
どうやら、アストレアは彼らに対し、真実を晒していないようだった。燐子は適当な相槌で誤魔化し、どうして彼女がここにいたのかを問いかけた。アストレアについての質問は、何故か、桜狼が中心になって答えた。
「王子は、武者修行の旅をしていたそうです。その途中で、厄介事に巻き込まれて…」
「厄介事とは?」
「ここしばらく、帝国領内を賑わせている怪事件です」
そこで彼は、言葉をもったいぶるような間と共に目を細めた。だが、それもほんの数秒のことで、すぐに桜狼は続きを語り始める。
「ある日突然、人が、魔物に変わってしまう…」
目を見開き、桜狼の顔を見つめる。見た目にそぐわぬ低く落ち着いた声が、どこか不気味にも感じられた。
秋の口に差し掛かっている、涼しく、晴れた日だった。
畳に落ちた日差しは、穏やかな陽だまりを作っている。だというのに、燐子の体には鳥肌が立っていた。
「…ライキンスめ」
出遅れたような心地になって、燐子はそう忌々しそうに呟いた。
読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!
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