表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜星の流れ人  作者: null
四部 一章 帝国特師団
132/187

帝国特師団

 次の日、燐子と朱夏はグラドバラン領のメインストリートを並んで歩いていた。日の本の様式と、こちらの世界の様式とを折衷したような造りの町に感慨深いものを感じる。


 自分の過去と現在が織り交ぜられた風景に目を細めつつ、目的地目指す。行く先は帝国軍の本拠地とも言える場所、グラドバラン城だ。


 燐子は朱夏を伴うことを条件に、客としてグラドバラン城への入城を許可された。もちろん、そう伝え聞いているだけなので、真実かどうかは分からない。


 シュレトールでの朱夏との私闘を数に含めれば、カランツの村での防衛戦、船上での戦闘と、燐子が帝国と刃を交えたのは三回だ。敵として認識されるのには、十分すぎる数である。


(最悪、朱夏の言葉添えがあっても、何らかの処罰があるかもしれん。私を憎むものがいても、おかしくはないのだからな…)


 眉間に皺を寄せ、深く考え込みながら道を行く。朱夏の鼻歌と、溢れかえる人々で賑わう大通りであっても、燐子が興味を刺激されて視線をさまよわせるようなことはなかった。


 普段の彼女なら、顔こそ落ち着き払ったままで興奮に身を震わせていたはずだ。


 通りに並べて売ってある和傘、提灯、着物。その隣の店には、すっかり見慣れてしまった異国の果実の類、ランプ、シャツ。


 郷愁に浸るも良し、まだ見ぬ興味と発見の欠片を探し求めるも良し、という状況だ。それにも関わらず、燐子の思考の切っ先は、ただひたすら自分の内面に向けられていた。そうしなければミルフィの事を思い出すと、この数日で学習していたのだ。


(一晩寝て考えてみた。今、私がするべきことを)


 カチャリ、と右に佩いた白の太刀が、燐子の手に触れられて音を立てる。


 左に佩いていた黒の太刀はもうない。昨日朱夏に確認を取ったところ、天地鏡右衛門との一戦で破損していたため、勝手に鍛冶屋に捨てたとのことだ。


 自分勝手な朱夏を叱りつけてやりたい気持ちもあったが、確かに、あの太刀はもう駄目だったろう。

 硬度が高ければ高いほど、一つのヒビや傷が蟻の一穴となる。それが同じように太刀を扱う朱夏には分かっていたのかもしれない。そうだと信じて、燐子は何も指摘しなかった。


 視線は真っ直ぐ、道の先に注ぎながらも、燐子は頭の奥深くで考え続ける。


(アストレアが言うには、ライキンスの所業は帝国側にも知れている、ということであった。ならば、奴の居所や目的について、もっと詳細に把握しているかもしれん。まずは、それを確認しなければ…)


 小難しい顔で結論づけた燐子の横顔に、ふと、鼻歌を響かせていた朱夏が声をかけた。


「ねぇ、燐子ちゃん。一つ聞いていい?」

「何だ」

「どうして、あのとき私を殺さなかったの?」


 何でもないことのように、朱夏は聞いた。空に浮かぶ雲の行方を尋ねるように軽い調子だった。それほどまでに、彼女の命は軽いのだろうか。


「…お前の望みを叶えずに葬ることが、お前に相応しい罰になると思ったからだ」

「へぇー」すれ違った若い女性に目を奪われながら、朱夏が続ける。「私はてっきり、子どもは殺せない、とか考えたのかと思ったけど」


 ぴくり、と燐子の眉が反応する。確かにそれも、燐子が刃にまとわせていた迷いの一部だったからだ。そして、今は彼女の肩に重くのしかかっている陰りの一つとも成り果てている。


「ちが――」

「違わないでしょ」


 否定の言葉を口にしかけた刹那、それを予測していたように上から蓋をされる。


「昨日だってそうじゃん。少なくとも殺る前は、躊躇したでしょ」


 図星を突かれ、燐子は口を閉ざす。言葉にするべきものが、もう見当たらなかった。


「ま、別にいいけどさぁ?途中からは殺る気だったみたいだしぃ。でも…」


 言葉を区切ると、朱夏は立ち止まった。少女の白い整った顔立ちが、真昼の陽光に照らされて美しく輝いている。もうじき秋の風が吹くのだと、教えてくれているような気がした。


「私は本気じゃなかったよ」ぞっとするような微笑だった。嘲笑かもしれない。「なに、戯言を言うな」

「嘘だと思う?」


 からかうように告げられた朱夏の言葉を振り切り、燐子は前に進み続ける。くだらない、と思って無視しているわけではない。言われてみれば、真実である気もしたからだ。


 朱夏は燐子の隣に駆け寄ってくると、唐突に燐子の腕に自分の腕を絡めた。刺すような甘い匂いと、左腕に感じる柔らかな感触にほんの少し胸が高鳴る。


 離れるよう文句を言う前に、朱夏の桜色の唇が動いた。


「このままじゃ死んじゃうよ?燐子ちゃん」

「何?」

「甘くて、弱っちいままの燐子ちゃんじゃ」


 さすがの燐子もこれには頭にきて、激しく朱夏の腕を振り払おうとした。しかし、頑強な鉄の輪のようにガッチリ固定されてしまっていて、振りほどけない。


「黙れ、お前に弱いなどと言われたくはない。私に勝つことも出来ないお前に」

「そうかなぁ?」ギリリ、と腕に力が込められる。「このままぶん投げて、燐子ちゃんの利き腕をへし折ってもいいんだよ?そしたらさ、私の勝ちだよね?」

「…っ!」


 確かな殺意と危うさを覚えて、朱夏の瞳を威嚇するように睨みつけるも、同様に朱夏もこちらを見返していて、青空を映したような瞳と視線がぶつかった。


 菫青石の瞳は、それ以上、何も語らなかった。絡めた腕も、何も言わないうちに自分から解いてくれた。


 ただ、燐子の胸に一抹の不安を残したのは言うまでもあるまい。


「朱夏、私からも一つ聞いていいか?」

「んー?なぁに?」

「お前、この町でまで事件を起こしてはいないだろうな」

「ふふ、当たり前じゃん。そんなことしたらパパに斬られちゃうよぉ。それにママだって、死ぬまで殴ってきそう。ママってば、馬鹿力だらかさぁ」


 なるほど、そのくらいの分別はあるらしい。それにしても、朱夏の剛力はエレノア譲りとは驚いた。


 それから小一時間ほど歩き続けていると、思わず感嘆の声が漏れるほどに立派な城が見えてきた。プラムベール城のように、見慣れぬものではない。燐子が終生の場所として選んだ自国の城と、同じ種類のものだった。


「これは、凄いな」無意識的に立ち止まり、そう呟く。「へへぇ、そうでしょー?」

「…どうして、お前が誇らしげなのだ。お前は何もしていないだろう」


 そう燐子が言うと、朱夏は途端に満足そうに口角を上げた。それから少し先を歩き、くるりと一回転して見せると、こちらを振り向き、笑って応じた。


「私ぃ、あそこのお姫様だから」


 とても嬉しそうな様子に、呆気に取られてしまった燐子だったが、再び鼻歌混じりで朱夏が城に向かって行くのを見て、深い溜め息を吐いた。


「…姫が聞いて呆れるな」






 門衛に重厚な木の城門を開けてもらうと、中には、夜になれば灯されるだろう篝火台が規則正しく両脇に並んでいた。


 これも半年ほど前までは見慣れた光景だったが、今となっては、酷く郷愁的な気持ちにさせられるものだ。


 じろじろと衛兵がこちらを見ているのを感じ、燐子は横目で周囲の様子を窺う。


 堀と生け垣の向こうには白亜の城壁が設えられており、陽光を浴びて眩しく光っているのが見える。


 衛兵たちは朱夏にぺこりと頭を下げると、燐子のほうを好奇に満ちた瞳で見やった。


「きっと、燐子ちゃんが珍しいんだね」と朱夏が愉快そうに言う。「ふん、見世物は御免だ」

「でもぉ、もしかすると、燐子ちゃんが綺麗だからかもね」


「…そんなわけがあるか」

「分かんないよぉ?顔も整ってるし、スタイルも良い。あー…ちょっと、おっぱいだけは残念だけど」

「だ、黙れ、この色情魔め」


 気にしていないわけではないことを指摘され、顔を赤くして言葉を詰まらせている燐子だったが、中に入り、木製の階段を上がっていくうちに、段々と真剣な面持ちに戻っていった。


 人の気配が薄い。本丸なのだから、衛兵がいないこともないはずだが…。


 階段を上りきると、長い廊下に出た。どれだけ上に来たかは分からないが、かなりの高さではあると思う。


 廊下を真っ直ぐ進む。両脇には襖がずらりと並んでおり、その向こう側からは、わずかだが人の気配がした。


 なるほど、帝国軍の本拠地ともなれば、得体の知れない相手の前に気配を垂れ流すような若輩者はいない、ということか。


 程なくして、身の丈以上の高さで出来た襖の前にやって来た。粛々とした静けさが広がっている中、立ち止まった朱夏が声を発する。


「天地朱夏でーす。燐子ちゃんを連れて来ましたぁ」


 甘ったるいふざけた声だが、中からは真面目なトーンで声が返ってくる。


「朱夏か。入れ」

「はぁい」


 ちらり、と朱夏がこちらを見た。心の準備は良いか、とでも言いたそうな顔だ。こくりと頷き、扉が開かれるのを待つ。


 朱夏の白魚のような指先が襖を開けた。


 そこは、畳の数を数えるのも面倒になるような大広間だった。

 縦長の和室で、左右には縁側が広がっている。その先には青々とした空と真っ白い雲が見えるのだが、燐子の注意を引いたのはそうしたものではなかった。


 真正面には、天地鏡右衛門。そして、左右に均等に並べられた座布団の上に、複数の男女が座している。年齢や座り方は様々だったが、共通して言えることは誰もが手練である、ということだろう。


 右の三人は全く見覚えもなかったのだが、左の一人は見覚えがあった。


「よ、燐子」はにかんで見せたのは、ジルバーだった。「元気だったか?」


 いつもの鎧を着ていたが、その下は包帯を巻いていることだろう。自分が振るった一斬は、致命傷ではなかっただろうが、だからといって軽傷でもなかったはずだ。


「ああ。多分、お前よりもな」


 苦笑と共に燐子がそう言うと、ジルバーの隣に座っていた少女から殺気が立った。


 朱夏以上に真っ白な肌と、新雪のような髪。それらも印象的だったが、それ以上に、怒れる赤い両目のほうが物珍しかった。


 容姿と、あまりに純粋な敵意に燐子が目を丸くしていると、正面に座していた鏡右衛門が低い声で朱夏に座るよう告げた。返事をした彼女は、いそいそと早足で少女の隣の座布団に座る。


「やっほぉ、シルヴィア。顔、怖いよ?」

「…朱夏、ちょっと黙ってて」

「きひひ」


 不気味な笑い声を上げた朱夏は、シルヴィアと呼んだ少女の顔を覗き込むと、もう一度声を上げて笑った後、背筋を伸ばして目を閉じた。


「んー…?どうした、シルヴィア。腹でも痛いのか?」

「ち、違います。ただ…」


 言葉を濁したシルヴィアは、口を閉ざすと、一人取り残されている燐子のほうを見やった。睨みつけた、という表現のほうが正しい。


 それは、燐子から見て右側に座っている男性も同じだった。側頭部を短く刈り上げた彼は、苛立たしげにこちらを睨みつけており、敵対心の表れのようにこめかみに青筋が出来ている。


(私を良く思わぬ者がいることは予想出来たが…まさか、ここまで分かりやすいとはな)


 うっかり太刀に手を伸ばしそうになるのを、どうにかこらえる。そうこうしているうちに、ジルバーが大きな声を発し、手を打った。


「あぁ!シルヴィア、お前アレか、父さんや朱夏を斬ったのが燐子だから怒ってるのか!」

「…声が大きいです。お父様」


 声量の大きさと、父さん、という言葉に驚き、視線を彼らのほうに戻す。


 なんともダラシのない顔つきでシルヴィアの頭を撫でるジルバーと、撫でられている少女の顔を見比べる。言われてみれば、似ていないこともない。


「気にするなよ、シルヴィア。父さんも朱夏も、本気でやって負けたんだ。文句を言うのは筋違いだろ?それに、十分楽しめたしなぁ。な、朱夏」

「うん!最高に楽しかったよ!」


 急に話を振られたのに、朱夏は待っていたようにおしゃべりに加わった。


 二人揃って、頼んでもいないのにこちらに非はないことをシルヴィアに伝えていた。父親であるジルバーはまだしも、他人の感情に興味などなさそうな朱夏でさえ、シルヴィアに言葉を紡いでいるのが、どこか不思議だった。


 左側の三人(実際は朱夏とジルバーだけだが)が姦しいのに対し、右側の三人は物静かだった。ただ、ジルバーが発した、『負けた』という単語を聞いてからは、そうもいかなくなる。


「ジルバーさんが負けた…?」


 ぼそり、と丁寧なアクセントで呟いた少年は、かなり中性的な顔立ちをしていた。声が低くなければ、アストレア同様、勘違いをしていたかもしれない。おかっぱで薄桃色の髪をしているのも、その印象を強める。


「何だい、桜狼(おうろう)。僕はそう説明していただろう?」

「聞いていませんよ…。もう…」


 困ったような、呆れたような口調で返事をした少年――桜狼は、ちらりと燐子を一瞥すると、軽く頭を下げた。


 礼節を知っている者がいるようだ、と感心していると、すぐに隣の男が粗野な口調で愚痴を垂れた。


「ったく、おっさんはいつも適当過ぎるんだよ。尻拭いさせられる若者たちのことを考えてほしいね」

「はは、悪い悪い」


 当の本人は笑って受け流したものの、ジルバーの隣で膝を揃えているシルヴィアはそうではなかった。


 ジロリ、と声もなく、ただ男を睨みつけている。真紅の眼光は、その鋭さだけで相手を射殺せるのではないかとさえ思えた。


「なんだよ、シルヴィア」目敏くその視線に気付いた男が眉間に皺を寄せて問うが、シルヴィアは口を閉ざしたまま睨みつけるだけだ。「チッ、不気味な赤目人形が」


 この言葉に、さすがのジルバーも笑みを消した。燐子に斬られたときでさえ苦笑を浮かべるほど、飄々とした態度を崩さない彼だったが、自分の娘が愚弄されるとなれば話は別らしい。


 ぞっとするほどの殺気を漲らせ、口を真一文字にして男を見据えている。睨みつける、というより、ただ見ている、という感じだ。


(赤目人形、というのは、彼女のことだろうな…)


 燐子は、俯いてしまったシルヴィアを一瞥しながらそう考えた。侮辱の言葉を受けても尚、沈黙を守る彼女の精神が燐子には理解し難かった。


 自らの尊厳を傷つけられても、彼女には口を閉ざす理由があるのだろうか…?


(しかし、そんなもの、斬って捨てるべきではないのか)


 誇りや尊厳は、自分が自分でいるための唯一の証明だと、燐子は信じていた。


「ねぇ、ガラムぅ」不意に、甘えた声で朱夏が言った。ガラムとは、男の名前のことか。「アホ面下げて、死にたいのぉ?」

「あぁ?」


 眉間の皺を濃くしたガラムは、座布団の横に置いていた剣に触れた。それに呼応してか、朱夏も大太刀に触れる。


「朱夏、やめて」シルヴィアがぼそりと囁くも、朱夏はまるで無視して立ち上がる。


「殺る気か、サイコ野郎」ガラムもすぐさま立ち上がり、抜刀する準備をした。


 今にも仲間が斬り合いを始めそうなのに、誰も何も言わない。将軍である鏡右衛門さえ、腕を組んだまま口を閉ざし、目蓋すらも下ろしている。


「ガラムさん、ちょっと…」桜狼が横目で見上げながらたしなめるも、ガラムは鬱陶しそうに、「黙ってろ、腰抜け」と言い放つだけだ。


 一触即発の空気の中、シルヴィアだけが不安そうに朱夏の足に触れていた。ジルバーは何も言わない。桜狼の隣に座っている若い女性も、無言に徹している。


「…ガラム。私、スラムの野良犬どもの首を落とすのに躊躇なんてしないけど、いいの?」

「てめぇ、今何て言った!」

「はは、こう言ったら分かる?――アンタも、アンタが囲ってるスラム連中も、私、バラバラにして殺しちゃうよぉ!?」


「殺すぞ!朱夏ぁ!」挑発を越えた朱夏の言葉に、ガラムが怒鳴り声を上げて剣を抜いた。


 ――本気だ。


 そう察した瞬間には、体が動いていた。前進しながら、視界の中の三つの人影の動きを追い、自分が止めるべき相手を見極める。


 刹那、痺れるような衝撃が走る。


 思っていたよりも、重い一撃だ、と場違いながらも感心する燐子の瞳の向こうで、ガラムが驚愕に満ちた顔で彼女を見据えていた。

明日も定時の更新を予定しています。


絶えず更新していますので、毎日見る暇などないよ!という方は、

週末にまとめて読んで頂けたらな…なんて考えています。


時間という対価に見合うだけのクオリティを生み出せるように、日々精進して参ります。


よろしければ、ブックマークや感想、評価など頂けると、励みになります…。

当然、目を通して頂けるだけでも十分ですよ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ