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竜星の流れ人  作者: null
四部 一章 帝国特師団
129/187

狂気との再開

再び朱夏の登場です。


サイコなキャラクターが好みなので、

ついつい贔屓しそうになっちゃいます。


それでは、お楽しみください。

 燐子の意識は、水底から引きずり上げられたかのように覚醒した。つまり、鈍重で、曖昧だったというわけだ。


 差し込んで来る陽の光が顔に当たっていて、徐々に頭が冴えてくる。それでも、自分の体温で温もりを宿した布団にしがみついていると、不意に名前を呼ばれた。


「燐子ちゃん」


 びくん、と燐子の体が跳ねる。全く誰の気配も感じられないにも関わらず、ほんのすぐ隣から声が聞こえたからだ。


 反射的に飛び起きながら、いつも枕元に置いている小太刀を探すも、その場所には何もなかった。だが、それを不思議がる暇もなく、再びかけられた声に驚いて首の向きを変える。


「太刀なら無いよぅ」甘ったるい、舌っ足らずの声の持ち主は朱夏であった。「燐子ちゃん、アレがあると狂暴になるからぁ、没収です」

「お前――」と燐子はそこで言葉を詰まらせた。


 ぐるり、と辺りを見回す。それから、自分が包まっていた布団を見つめた。


「ここは…、まさか、いや…」


 白が眩しい襖に、落ち着く畳の香り。

 少し離れた縁側の向こうに広がるのは、青々しい葉桜だ。

 絶え間ない水の流れを象徴するような鹿威しからは、澄んだ響きが聞こえてくる。


 そっと、畳に触れる。ざらり、とした感触に肌がぞわりと粟立った。


 あぁ、間違いない。ここは、武家屋敷だ。

 私が長年暮してきた生家と、建物の形式が非常に似通っている。


 夢でも見ているのか、と疑いたくなるが、完全に覚醒した五感がそうではないことを物語っていた。


 質問攻めしたい衝動を抑え、にやついた面をしている朱夏を見据えた。


「朱夏…、お前、生きていたのか」

「うん。おかげさまで」


 にんまりと上機嫌に笑った朱夏だったが、どうやら嫌味ではないようだ。


「…運が良かったな」


 どうやって生き残ったのかは、もう聞かなかった。おおかた、誰かに鉄竜炉の底から引き揚げてもらったのだろう。


「そだねぇー。六文銭、持ってなかったからかもぉ」これは嫌味だろう。揶揄するような口調だったからだ。


 コイツの相手を真面目にするのは、疲れるだけだ。得る物など何もない。


 そう判断した燐子は、早々に思考を戻し、「ここはどこなのだ?」と朱夏に尋ねた。しかし、肝心の朱夏はまともに答えようとはせず、「さぁ?どこだと思う?」と小馬鹿にするみたいに笑うばかりだった。


 袖のない、白のジャケットから覗く腕が、すっとこちらに伸びてきた。慌てて身を引いてそれを躱すと、不機嫌さを隠さずに燐子が言った。


「ふざけるのもいい加減にしろ。一体、私をどこに連れてきた」

「んー…、っていうかさぁ、『どこですか?』じゃないかなぁ?」


「何?」

「だって、燐子ちゃん捕まってるんだよ?捕虜なのに、拘束も尋問もされずに、あったかぁい布団で眠っていられたのは、私のおかげなんだよ?まぁ、これからぁ、私がたっぷり尋問してもいいんだけどぉ」


 朱夏がべらべらと話続けているのを無視して、燐子は頭を回転させた。


(捕虜…ということは、ここは帝国の所領か。あのまま船で私を運んだのだろう)


 燐子は、海風の匂いを思い出すと同時に、船の上で自分を叩きのめした剣士のことを思い出した。


 同じ日の本の剣士とは思えない腕前だった。父を凌駕する、一線を画する強さ。


 燐子は武芸を磨き始めて、久しく感じていない感覚に拳を握った。


(…歯が立たない、と思える相手と戦ったのは、いつぶりだろうか)


 確かに、連戦の疲労はあった。しかしながら、太刀も振るえないほど追い込まれていたわけではない。おそらく、万全の体勢で挑んでも同様の結果になったことだろう。


 赤子のように扱われ、ねじ伏せられた瞬間を思い返し、燐子の口元が歪む。


 本当に、生きていて良かった。


 あのとき、城を包む業火と共に死んでいたら。

 あのとき、宿命という糸に操られ、腹を切っていたら。

 あのとき、王女が助けてくれていなかったら。

 あのとき、ミルフィが骸骨を粉々にしてくれなかったら。


 私は、あの男に会えなかったことだろう。


 絶対的な強者との出会いは、燐子の乾いた心に澄んだ清水を注ぎ込んだ。


「あの男はどこにいる」気づけば、そう口にしていた。「あの男?」

「そうだ。私を打ちのめした男だ」

「あー…、もしかして、パパのこと?」


「ぱ、パパ?」パパ、という言葉は、父という意味ではなかったか。「まさかお前、あの男の娘なのか?」

「うん、そうだよ」

「将軍の娘?」

「うん」

「お前が?」

「なに、さっきから。そうだって言ってるじゃん」


(ありえん、こんな狂人が将軍の娘などと…)


 自分のことを半分棚に上げてショックを受けていた燐子は、朱夏の顔が不服さに染まっていることに気付かないまま、質問を重ねた。


「くそ、とにかく、ここはどこだ。あの男に会わせてもらいたい」


 吐き捨てるよう口にしながら、素早く立ち上がろうとした。どこに行けばいいのかも分からないのに、衝動的な行動に出ようとしたのは、全くもって彼女らしくもない行動であった。


 だが、気配なく伸ばされた朱夏の腕が、それを許さない。


 ぎゅっ、と燐子の左腕が掴まれる。朱夏の小さく、柔らかな掌からは想像できない力強さで行動を制限される。


「っていうかさぁ、私の話は無視して自分の話を勝手に進めてるのって、どうなのかなぁ」

「は、放せ」


 強く体を引かれたことに驚き、燐子は反射で抵抗した。朱夏から離れるように動くが、腕を掴まれていては、あまり意味はなかった。


 しかし、朱夏にとって、燐子のその行動は癪に障るものだったようで、自分から逃れようとした燐子の顔を冷たい顔をして睨みつけると、歪な笑みを浮かべた。


「ふぅん、逃げるんだ」菫青石の瞳が、すっと細められる。「あのさぁ、燐子ちゃん。自分の立場分かってる?」


 そのまま朱夏に体を突き飛ばされ、馬乗りになられた燐子は、短い苦悶の声を漏らすと、彼女の体をどかすべく、懸命に両手を動かした。だが、朱夏の右手に両手をひょいと簡単に絡め取られ、なす術がなくなる。


「やめろ!おい、何のつもりだ!」

「はは、何のつもりって、別におかしくないでしょ?無賃乗船した上に、船内で暴れ回った燐子ちゃんに、軽いお仕置きをしようとしてるだけだし」


 朱夏は、愉快そうに笑って言葉を発すると、馬乗りになったままの体勢で上体を倒し、一気に顔を燐子に近付けた。


 眼前に迫った、飴玉みたいに綺麗な瞳に、言葉を失う。数カ月前の一戦が脳裏に蘇った。戦いの内容というより、朱夏が自分にしてきた所業を思い出したのだ。


 奪われた、という表現が的確に思える、朱夏の接吻。

 ねじ込まれた舌の、ざらりとした感触や熱の記憶は、燐子の顔を熱くさせるのに十分なものであった。


「あー、何を想像したの?」鳥の囀りみたいな声で嘲ってくる朱夏を、真下から睨みつける。


 少しでも怯んでくれればと思っての行動だったが、むしろ、朱夏はぺろりと舌なめずりして、頬を上気させて燐子を見下ろした。彼女の興奮が手に取るように分かる表情だった。


「もう、そんなに期待されても困るんだけどぉ」

「期待などしていない!この狂人め。いいから、さっさと私の上からどけ!」

「はいはーい。狂人でぇーす」


 とことん馬鹿にしたような口ぶりの朱夏からは、甘い、良い匂いがした。だけど、くらくらするような香りで、ミルフィの香りと違い、どこか毒々しいような気がした。


「く、そ…!どけと言っているのが、聞こえんのか…朱夏っ!」


 渾身の力を込めて、朱夏を押しのけようとする。だが、彼女の体どころか、両手の拘束すら緩まない。


「えー?それって抵抗のつもりぃ?燐子ちゃんってば、か弱いんだからぁ」

「き、貴様――」


 どこまでも人を馬鹿にした態度に、燐子が怒りの言葉をぶつけようとした刹那、朱夏が唐突に燐子の両手を縛る腕に力を込めた。


「っ…!」


 ギリリと締め上げられた腕が、全く動かないことに燐子は驚愕した。


 華奢な外見に反し、身の丈以上の大太刀を軽々と振り回す剛腕を持っていることは知っていたが、まさか、ここまで一方的に組み伏せられるとは思わなかった。


 こちらを見下ろすアイオライトの瞳に、妖しい煌めきが瞬いたのが分かって、ふと、朱夏が女性を嬲ることを楽しみとする、異常加虐者だったことを思い出す。


 今更になって、自分の置かれている状況が絶体絶命の極地であることを理解し、燐子は、ぞわりとした感覚と共に焦燥の念を覚えた。


 戦場で死の影に覆われた時とはまた違う、異様な恐怖。


 朱夏と命のやり取りをしたときも似たような状況になったが、あのときは殺し合いの最中にあって、嬲られることの恐ろしさなど想像もしていなかった。しかし、今となっては、その怖さが分かる。


 喉の奥からせり上がってくるのは、悲鳴を上げたいという衝動だった。


(侍の娘が、女子供がするように悲鳴を上げるなどと…!)


 誇りだけで恐怖を抑え込み、朱夏のほうを睨み返す。彼女は、どこか嬉しそうに微笑んだ。


「はぁ…、燐子ちゃんってば、やっぱり最高に綺麗…」


 何の前触れもなく、朱夏の桜色の唇が燐子の目蓋に落ちた。反射的に目をつむっていなければ、眼球にキスされるところであった。


「ブラックダイヤ、ブラックダイヤ。私、黒は持ってないんだぁ」


 その言葉で、自分の眼球の色のことを口にされているのだと気付き、思わず身震いする。


「い、異常者め…!」

「ふふ、どういたしまして」片手に力を込めたままの彼女は、空いているほうの手を頬に添えると、「じゃあ、頂きます」と別人のように冷えた声音で告げた。


 寝ている間に着せられていたらしいシャツのボタンに、朱夏の白く細い指がかかる。そのまま、ぷつん、ぷつん、とボタンを外される。


 はだけたシャツの隙間から、燐子の愛用しているサラシが覗いていた。激戦を共にしてきた布地は、ところどころ赤黒く滲んでいた。


「ま、待て、朱夏、考え直せ」

「はは、ごめんねぇ、私って、『待て』ができないタイプなんだよねー」


 ばさり、とシャツの左半分がめくられる。

 普段は恥ずかしいと感じたことのない姿だが、脱がされるとなっては話は別だ。


「わ、私のように女っ気のない者を嬲ってどうする!面白くもなんとも――」

「綺麗だよ。燐子ちゃんは」燐子の言葉を遮って、朱夏がぼそりと言う。「強くて、綺麗で、可愛い。文句無しの逸材だよ」

「か…」


 可愛い、という言葉に、今の状況も忘れて燐子は動揺した。ただ、それもほんの束の間のことで、すぐに朱夏が手を動かし始めたので、慌てて燐子は制止の言葉を重ねた。


「朱夏!おい、やめろ、やめないか!」

「やーだ」

「くそっ、異常者め、おい!あ、ど、どこを触っている!」

「へへー、その反応…。絶対に燐子ちゃんって処女だよねぇ」

「な…、き、貴様ッ!私を侮辱するなと――おいッ!触るのを、やめろっ!」


 朱夏の雪のように白い手が体のラインをなぞった。しかも、そのうえ彼女は、真っ赤な舌で燐子の首筋までなぞり始めた。


 それでとうとう我慢できなくなった燐子は、なりふり構わない、という気持ちで声を大きくした。


「分かった!分かったから!お前の望みを叶えてやる!おい、死合でもなんでもしてやるから!その手をどけろ!」

「え…?本当!?」


 バッと上体を起こした朱夏は、燐子を拘束していた手を離し、両の手のひらを自分の頬に当てて驚いてみせた。


「あぁ、本当だ。本当だから、さっさとどけ!」

「…なぁんか、怪しいなぁ。ねぇ、処女を奪われたくないだけなんじゃない?」

「生娘で何が悪いかっ!いや、違う!どかんと殺せんだろうが!」


 今なら、心の底から朱夏を叩き斬ってやりたいと思えた燐子は、殺気に満ちた目をして、朱夏に再三どくように要求した。


 しばらく朱夏は、燐子の提案を信じかねていたようだったが、やがて、満面の笑みを浮かべると、跳ね起きるようにして燐子の上から移動する。


「やったぁ!じゃ、早速しよ!」

「おい、待て、私の太刀は…」と尋ねると、「持って来るよ、今すぐに」と言い残し、襖の向こうに消えた。


 一分もしないうちに戻って来た朱夏の手には、燐子の太刀が握られていた。だが、白の太刀と脇差しだけだった。


 まぁ、おそらく、黒の太刀のほうはもう使い物にならないだろう。へし折れる寸前までヒビが入っていたようだったから。


(あの太刀もよく戦ってくれた。後ほど供養してやらねば)


 しみじみと考えつつも、燐子は、『こいつを斬ってからだが』と心の中で唱えて、朱夏の後ろ姿を見据えた。


「あぁん、楽しみだなぁ」


 ぴょんと、スキップしながら縁側のほうへ移動していた朱夏は、途中、くるりと振り向くと、底冷えのした面持ちで警告した。


「あ、逃げたり、嘘吐いたりしたら、燐子ちゃんのこと壊しちゃうから。…使い物にならなくなるまで、ね」


 十代も半ばぐらいの少女が纏う狂気ではない。


 燐子は、再び歩き出した朱夏の小さな背中を見つめながら、思わずため息を吐いた。

今後は、四部が終わるまで毎日更新する予定です。


基本的には20時頃に更新いたしますので、

ご興味のある方は、よろしくお願いします!

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