再び、斬り結んで
物語は完結していませんが、
今回のアップで三部は終わりとなります。
続きがあるなら見てみたい、という方がいらっしゃれば、
続編も作成しようかなと思っている次第です…。
まぁ、どのみち尻切れトンボに耐えられず、書き始めるとは思いますが。
何はともあれ、ご覧下さい。
燐子は、放たれた矢のように真っ直ぐ、港を目指していた。ものの数分で潮の匂いがし始めたかと思うと、すぐに大きな海と、岸を離れていく何艘かの船が見えた。
(くそっ、間に合わなかったのか?)
息を切らしながら、辺りを見渡す。すると、今まさに錨を上げている船が一艘だけあることに気付いた。
帆を張り、遠のいていく船に比べると、些か大きいような気がしたものの、そんなことに構っている場合ではなかった。
一目散に駆け出し、近くの小船に飛び乗る。何艘か飛び移っているうちに、目的の船のすぐそばまで到達することができた。
やがて、船がゆっくりと波を切り裂き始める。もはや、一刻の猶予もなかった。
窓のない船窓目掛け、強く飛翔する。ぎりぎりのところで指がかかり、渾身の力でよじ登る。
「はぁ、はぁ…。くそ…」と悪態を吐いてから、自分が何に対して文句を言いかけたのかが分からなくなる。
そのまま、わけの分からない衝動に突き動かされて、城のほうを振り返った。
遠のく、火炎の都。
沈みかけている夕日に照らされて、城が赤い月のように輝いて見えた。
「ミルフィ…!」
燐子は、無意識のうちにその名を呼んでようやく、自分が何に対して焦りや戸惑いを覚えているのかを実感する。
「どうして、共に来てはくれなかったのだ…」
分かっている。自分が、彼女と同じではないからだ。
もしも、同じ痛みを感じて、同じ悲しみに打ちひしがれることが出来たなら…。
私たちは、あの約束を果たせたのだろうか?
(陸が、遠くなっていく…)
揺れる船の中で、燐子は上の空でそう考えた。ズボンのポケットの中の、確かな感触を握り締めながら。
胸いっぱいに、息ができなくなるほどの鬱屈とした想いが広まる。それでもカラカラに乾いた瞳が、忌々しくて仕方ない。
突然、「誰だ、お前は!どこから入った」と背後から声をかけられた。
振り向けば、数人の男が立っていた。燐子と目が合うと、慌てたように腰の剣の柄へと手をかけていた。
ちょうどいい、と頭の中の自分が呟いた。
いつも、戦いの最中で輝いている自分だ。
「お前たちの主君に会わせろ。そうすれば、命までは奪わん」
「何をっ!」
先頭の男が、剣を抜きかけたのを見て、素早く相手を制するため言葉を発する。
「抜けば、斬る」
「馬鹿にしやがって――」
男たちが、一斉に剣を抜いた。
それを待っている自分が、確かにこの胸のどこかにいたのも、また事実だ。
瞬く間に、先頭の男を切り伏せる。燐子が放った抜きつけの軌道も追えないまま、迎えた死だった。
白の剣閃がもう一度、キラリと輝く。
次に、後ろに立っていた男の右腕を斬り裂く。
剣を取りこぼし、床に転がる男を踏み越え、一人、また一人と燐子と間合いを詰めるが、力量の差は明白。達磨落としのように、順番に床に転がった。
「何だ、敵襲か!?」燐子の後ろの扉からも、兵隊が出て来た。
自分が囲まれていることに気づくや否や、燐子は右手で黒の太刀を抜いた。
振り向きざまに、一人斬りつける。胸の辺りを浅く斬られ、情けのない声を上げながら、男が壁になだれかかる。
そのまま、すっと、二刀の構えを取る。
見慣れない構えに、浮足立つ兵士たちだったが、徐々に落ち着きを取り戻すと、再び燐子を囲んだ。
(騎士団よりも、統率が取れている。きちんとした兵法らしい布陣といい、素人ではないな)
だが、と燐子は振り下ろされる剣を、ぎりぎりで回避しながら考えた。
力いっぱい空振った兵士は、そのまま前のめりに姿勢を崩していた。すれ違う流れで、背中を斬りつける。
続けざまに背後から繰り出される突きを、器用に右手の太刀で受け流し、左手の白の太刀で斬り上げる。
半分ほどが床でバタバタ、魚のようにのたうち回っている姿を見下ろしながら、ふぅ、と息を吐く。
戦える人間も減り、もはや囲いは機能していなかった。
「雑兵め、死に急ぐな」燐子はそう口にすると、目の前の扉に向けて走った。
慌てて止めようとする敵の剣閃をくぐり、必要なときだけ太刀で受け流す。
そうして、人間二人分ほどの狭さの廊下に出た。この狭さでは、躱して突破するのは現実的ではない。
それでも、燐子には関係なかった。避けて進めないのであれば、斬り伏せるだけだったからだ。
後方から敵が追ってきているのを感じつつ、進み続けていると、やがて、甲板に出るらしい階段に突き当たった。
「指揮を執っている者は、この先か」
待ち伏せされている可能性を頭に入れながら、外に出る。
直後、潮の匂いと共に、ひゅん、という空を裂く音が聞こえてきた。
ほとんど反射で、その一撃を頭を下げて躱す。そのまま、上体を起こす勢いを利用し、下から斬り上げを放つと、眩い閃光と共に受け止められた。
「やるなっ!」
顔を上げた燐子は、ハッと、目を丸くした。自分の一撃を防ぎ、鍔迫り合いの形で見つめ合っていたのが、見知った顔だったからだ。
「じ、ジルバーッ!?」
「ん?おい、燐子か?」
互いに弾き合うようにして、体を離す。
精悍な顔つきに、重厚そうな銀の鎧。
目の前にいたのは、間違いなく、帝国特師団所属のジルバーだった。
あの夜、私を打ち負かし、命を取らずに去って行った強者だ。
彼は、突然の再開にも関わらず、相変わらず飄々とした面持ちをこちらに向けていた。
「全く、曲者だと聞いて出て来てみたら、まさかお前だったとはなぁ。驚いたよ」
「それはこちらの台詞だ。ここは王国領内だろう。お前たち帝国の人間が、ここで何をしている」
そう燐子が問いかけると、ジルバーが大きくため息を吐いて、いつかやってみせたみたいに、間合いの少し外で腰を下ろした。
「はぁ、本当だよなぁ。僕もそれを聞きたいんだが、先生は教えてくれないんだ」
ジルバーの声は、獣のように低い声だったが、やはり、大人の色香を感じさせる響きがあった。
燐子はあの夜、腕も頭も良く、人心の掌握に長けている、と評したことを思い出しながら、また別のこともはっきりと思い出していた。
ぴくり、と眉を曲げつつ、問いかける。
「先生、とは…。まさか」にやり、とジルバーが笑った。海風を受けて揺れる髪が、どこか爽やかだった。「そのまさかだ、燐子」
微笑を浮かべたジルバーは、燐子を追いかけて来ていた兵士たちを片手で制しながら、「会ってみるか?」と愉快そうに言った。
ジルバーが言っている『先生』とは、自分と同じで、日の本からこちらの世界に流れ着いた流れ人のことだ。
帝国の総大将をしている、と聞いた。つまり、腕も立つということだ。
この世界に二十年ほど滞在しているらしく、娘までいると伝え聞いている。
そのため、会わない、という選択は、燐子の頭の中にはなかった。
問題は、会うための手段についてどう考えているかにある。
「そうさせてもらう――というのは、数ヶ月前もお前に言ったな」
「ん?あぁ、そうだったかなぁ」とわざとらしく返事をしたジルバーは、燐子がおもむろに、八双に構え直したのを見て、苦笑を浮かべた。「全く…。そこまでなると、もう立派な病気だなぁ」
じり、とジルバーとの間合いを測る。
「見くびるなよ。あの日とは、状況も技量も違う」
「そうか」ジルバーも剣を構え直し、首をポキポキと鳴らした。「それは楽しみだ」
一瞬の間の後、どちらからともなくぶつかりあった。
弾ける火花が、二度、三度、甲板の上で踊った。
他の兵士が遠巻きに二人の戦いを見守る中、そうして何度も、切り結んでは離れてを繰り返した。
(やはり、強い)
相手の技量の高さに舌を巻きつつも、負けじと太刀を振るう。
力では圧倒的なまでにジルバーのほうに分があるが、速度、そして、技の冴えは劣っていないという自負がある。
渾身の力で繰り出される横薙ぎを、ひらりと宙に飛んで避ける。狙い澄ましたように、下から追撃の一閃が輝くが、太刀で軌道を逸らしつつ、体をねじって懐に飛び込む。
「チッ!」ジルバーが焦ったように舌を打つ。
彼は間合いを取るため、後退しようとしていたが、そう思い通りにさせるつもりはない燐子は、深く、間合いを詰めた。
剣で防ぐ余裕がないうちに一閃叩き込もうと、白の太刀を逆袈裟に鋭く振るう。しかし、間一髪のところで防がれた。
「い、今のは…さすがに肝が冷えたなぁ」
「驚くのはまだ早いぞ」
そう言うと、燐子は自分から後ろに飛び退き、間合いを取った。
「おっと、仕切り直しか?僕は、二度も同じ手にはかからないよ」
「ふん、そんなことは承知の上だ」
ゆったりと、八双から霞の構えに太刀を持ち直す。それを目の当たりにして、ジルバーは怪訝な顔つきになった。
「今度は、余すこと無く、お前の期待に応えられるだろう。ジルバー」
ほお、と相槌を打ったジルバーは、自分にしか聞こえない声で、「打って来い」と呟いた。
声は聞こえずとも、相手の構え方でその意図を読み取り、燐子は迅雷の如く地を蹴った。
互いの間合いが重なる。死が囁く、至高の時間だ。
ジルバーの両刃剣が唐竹に振り下ろされる。真っ向勝負のつもりなのだろうが、私は、私の戦い方を変えるつもりはない。力勝負は不毛だ。
相手の攻撃をぎりぎりで躱す、あるいは、受け流して後の先を取る剣術――身躱し斬り。
この戦法を最大効率で行うために、必要なものがいくつかある。
一つは、当たる寸前で攻撃を躱すことができる、類稀な動体視力。そして、もう一つは…。
振り下ろされる剣閃に呼吸を合わせ、白の太刀の切っ先で横に軌道を逸らす。
受け流されることを予測していたのか、あるいは、あえて流させて、身躱し斬りを防御してから反撃するつもりなのか、ジルバーは無駄のない動きで防御の構えを取った。
それとほぼ同時に、袈裟斬りの構えを取る。
肩に担ぐようにして切っ先をしならせ、一歩、前進しながら太刀を閃かせる。
――もう一つは、熟達した者が扱えば、鉄すらも両断することができる、日本刀を用いることだ。
そう、鉄すらも。
研ぎ澄まされた一閃が、ジルバーと燐子の間で瞬いた。
中程から綺麗に真っ二つになった剣へ、不思議そうな視線を落としたジルバーは、やがて、吊られていた糸でも切られたみたいに、がくりと膝を着いた。
彼の銀の鎧には、胸の辺りから腰にかけて大きな傷が刻まれていた。その鎧の傷からは、ゆっくりと赤い血液が漏れ始めていた。
鎧ごとジルバーに太刀傷を負わせた燐子は、無表情のままで彼の首元に太刀を添えた。
「私は、情けなどかけぬ」青い顔で苦笑いしたジルバーが顔を上げる。「参ったな…」
「死合った相手には、敬意を表する。それが強者であれば、なおさらだ」
薄っすらとした月が、宵の空に浮かび上がる。それとは別の三日月が、一際強く輝いた。
初めは、何が起こったのか分からなかった。
確かに、自分が振るった刃は、ジルバーの首をはねる軌道を描いていたはずだった。
「どうした、ジルバーらしくもない」低く、落ち着いた声が耳朶を打つ。「え、あ、はは…いやぁ、面目ない。大将」
本来、ジルバーの首をはねるはずだった刃が、同じような反り返った片刃の剣に止められていた。
膝を着いていたジルバーが、どすん、と尻もちをついて座り込む。苦笑を浮かべた顔には、安心したような色が広がっていた。
燐子の一撃を止めた男は、精悍な顔つきで燐子を見やった。
「ジルバー…。例の女か」
「ああ、そうだ。彼女が燐子だよ」
キリッとした黒い眉に、澄んだ黒曜石、それから、結い上げられた黒髪。
夜を吸い込んだような黒に、懐かしさを覚えていた燐子だったが、すぐさま、後ろ飛びに後退した。
斬られる、と粟立った肌が囁いていた。
案の定、飛び退いた燐子目掛け、刺突が繰り出された。技のキレに、冷や汗が宙を彗星みたいに舞った。
男の持った剣の切っ先を太刀の腹で逸らすも、ワケも分からないうちに、手にしていた白の太刀を弾き飛ばされた。
力負けしたという感覚はない。気付いたら、手元から刀が消えていた、という感覚に近い。
「思ったよりも、弱いな」侮辱の言葉に、ハッとする。「ジルバー。後で鍛錬をつけてやろう」
勘弁してくれ、と呟くジルバーの声を頭の奥で聞きながら、迫り来る一撃に応じるため、ほぼ反射的に黒の太刀を抜いた。
宵が忍び寄る海の上に、オレンジ色の火花が飛び散る。一瞬の輝きに照らされた燐子の顔は、圧倒的な力量差への驚愕に満ちていた。
重く鋭い袈裟斬りを太刀で受け止めたかと思うと、すぐに逆袈裟に斬られる。頑強な太刀をもってしても、打ち込まれた衝撃で一歩、また一歩と後退を強いられる。
(つ、強い)
手が出せない状況が続き、焦燥が燐子の中に生まれる。たった数回切り結んだだけなのに、額に汗の珠が浮かんだ。
流麗な動きで、最上段の構えを取られた。強烈な唐竹割りが来ると察した燐子は、切り返すならここだ、と身躱し斬りのタイミングを測った。
常人であれば、目にも止まらぬ縦一閃。しかしながら、アストレアの居合ほどではない。
かろうじて、太刀の柄で唐竹を弾く。燐子との戦いで唯一、男が表情を変えた瞬間だった。
すかさず、腰を入れながら斬り上げを返す。
やぁ、と渾身の気合と共に放った一閃は、馬鹿みたいな勢いで空を薙いだ。そのため、燐子の姿勢も大きく崩れる。
男は、ほんの半歩ほどの距離、間合いの外に出ていた。
(身躱し斬り…!?たった一度、一度見られただけで、技を盗まれたのか)
そのときの燐子は、分泌され続けていたアドレナリンの影響で気付いていなかったが、すでに体力は限界を迎えていた。
アストレアとの戦いで、気力と体力、そして、血も失った。さらに、ドラゴンとの連戦、ジルバーとの、短くも密度の濃い戦いもあったのだから、無理もない。
ガクン、と膝が折れる。その拍子に、ぺたんと尻もちをつく形になった。
全身から力が抜けていた。文字通り、限界が来ていた。
体が動かない。蛇に睨まれた蛙みたいに。
これほど、容易く敗れるのか?
強くなったと思ったのに。
…ミルフィとの絆を断ち切ってまで、戦地に飛び込んだのに。
――どこへなりと、消えなさいよ!
脳裏に蘇る相棒の拒絶の声。
「案ずるな。俺も、容赦はしない」
ぐっと、最上段に剣が振りかぶられる。
「お、おい、大将!」
「黙っていろ、ジルバー。邪魔立てすれば、斬るぞ」
(このままでは、死に切れるものかっ…!)
泣き顔のミルフィが思い浮かばれ、とっさに燐子は太刀を眼前に横に構えた。
凄まじい衝撃と金属音。命を弾け飛ばす一撃に、苦悶の声が漏れる。
「くっ」
さらに、もう一撃。ピシッと、黒の太刀の刃にヒビが入った。
再び、剣が振りかぶられる。私の矜持を叩き潰すみたく、執拗に同じ攻撃を繰り返す男に、ぞっとする。
この一閃は、止められない。
何とかしなければならない、そうでなければ、討ち取られる。
それが分かっているのに、意識は朦朧とするばかりだった。
網膜の奥に焼き付いた、臙脂色。
不思議と、その彩りを死んでも忘れない自信があった。
そっと、目を閉じる。目蓋の裏に宿る暗闇が、ほのかに優しい。
恐怖のためではない。
最後の光景は、彼女がいる場所が良かっただけだ。
「すまん、ミルフィ」
誰にも聞こえない声でぼそりと呟くが、その声は、直後に響き渡った甲高い金属音でかき消されていた。
自分の命を葬るはずだった一撃。その訪れが、いつまで経ってもやって来なかったため、燐子はゆっくりと目を開いた。
きらり、と光る、菫青石。
青く瞬く眼差しが、私の瞳に落ちてくる。
私のぽかんとした顔を見て、その青い眼が細められた。
いつか、彼女が砕いたキャンディに似ていた。
「うふふ、ねぇ?これって運命かなぁ。燐子ちゃん」
男の一撃を背面で防ぎ、狂気的に笑っていたのは、いつか、私がこの手で斬りつけた少女――朱夏であった。
読者の皆様へ
前書きでもご説明したように、これにて三部は終わりとなります。
思った以上に長い作品になりつつある、『竜星の流れ人』ですが、
少しでも皆さんのお暇を潰せているのであれば、幸いです。
ブックマークや評価をつけて下さっている方、
絶えず『いいね』をつけて下さる方、
わざわざ感想を書いてくれる方、
皆さん、本当にありがとうございます。
少しでもこの物語が望まれるのであれば、
文字を通して、再び会うことも出来るかと思われます。
それでは、またいつの日か。
an-coromochi より