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竜星の流れ人  作者: null
三部 八章 そして、約束は破れて
125/187

凶星の流れ人

 背後から、他の少女の絶叫が聞こえる。

 冷たい、喪失の叫び。そして、それを落ち着けようとする、ミルフィの普段より足の速い言葉たち。


「ローザッ!」


 少し離れたところで、今度はセレーネが叫んだ。足でも挫いているのか、傍らでアストレアが体を支えている。


 黒い竜に背中にいたのは、ヘリオス第二王子とライキンスだった。ヘリオスの腕には、ローザがぐったりとなって抱えられていた。


 戸惑いの中に、どこか決然とした種火を宿した顔のヘリオスに比べ、ライキンスは冷笑を浮かべている。化けの皮が剥がれたのだと、容易に分かった。


「隠れるのをやめたのか、毒蛇め」アストレアの言葉にも、彼は薄く笑って反応した。

「私は初めから隠れてなどいませんよ。アストレア王子こそ、よもや、性別を偽っていたとは思いませんでしたよ」


 それはヘリオスも同じだったのだろう、硬直した表情のまま顎を引いて、アストレアを見つめた。


「忘れていい、死に逝く者には無用な記憶だからな」


 アストレアが、すっと、腰を落として居合の構えを取る。威嚇か、飛び道具を警戒したのだろう。


「それにしても、どこから情報が漏れたのか…。貴方のような鼠に嗅ぎつけられるとは」愉快そうに呟くライキンスの横で、ヘリオスが不安そうに口を開く。「おい、そんなことどうでもいいから、早く撤収しようぜ」


 チラリと、ライキンスは横目でヘリオスを一瞥した。その瞳の中には、冷ややかな嘲りが見えたが、彼はまるで気づいていない様子だった。


「…承知しました。それでは、参りましょうか」


「待ちなさい!話はまだ終わっていませんよ!ローザを返しなさい」と叫ぶセレーネに続け、アストレアが淡々と言う。


「言っておくが、帝国に逃げようとしても無駄だぞ」端正な眉が鋭く細められる。「帝国も、すでにお前たちが帝国領内で行った悪行に気づいている」


「おや、そうですか」


 ライキンスは、飄々とした感じで口元を歪めると、肩を竦めた。


「それで?観念しなさい、とでも言うのですか?王女様。籠の中の鳥は無知ですね、世間知らずで、愚かしいものだ」


 その禍々しさは、毒蛇、とアストレアが形容するのも頷けるものだった。


 正体は分からずとも、彼が影で何かしらの暗躍を果たしていたのが、ありありと肌で感じられる。


 王族三人と、政治に携わっていた竜神教教主ライキンス。


 彼らは、互いに牽制し合うように言葉と視線を行き交わせており、遠くから聞こえてくる破壊の音、そして、ルルの亡骸に縋り付き号泣するララの慟哭も相まって、辺りは騒然としていた。


 そんな中でも、燐子は静かな暗闇の中にいた。


 目蓋の裏側にある闇の水面に、雫がぽつりと落ちる。

 遠く、どこまでも同心円状に広がる波紋が、ただ、燐子の精神を研ぎ澄ました。


 左手の甲が、灼熱を帯びているのを感じた。


 流星痕の力か、と研ぎ澄まされた思考が言っていた。


 駆け出すと同時に、鯉口を切る。あまりにも躊躇いのない動きに、誰もが一瞬だけ反応が遅れた。


 地面すれすれを滞空する黒竜の足元に、迅雷のように駆け寄る。


 誰かが、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。しかし、どこか遠くの世界の出来事のような気もした。


 強靭な後ろ足に飛び乗り、そのまま跳躍する。竜も派手な動きはできないのか、されるがままになって踏み台となっていた。


 すぐにライキンスと同じ目線の高さまで到達する。驚いたような顔で声を上げたヘリオスだったが、武器を構えることより、ローザを取り返されないよう後退することを選んだようだった。


 刹那、銀の矢が撃ち出される。


 先程は全く目で追えなかった軌道も、今は危惧するに足らないほど、ゆっくりとしたものに思えた。


 鯉口を切っていた白の太刀をさらに引き出し、半分ほど白刃を煌めかせたところで、刀身が矢を弾いた。


「…その身体能力、もはや、人間かどうかも疑わしい」


 ぼそり、とライキンスがぼやいた。


「私には、この国のことは分からん」


 対する燐子は、何の脈絡もなく会話の口火を切った。その瞳には、どこまでも澄んだ、日の本の剣士としての矜持が宿っている。


「だからこそ、一つ問いたい」


 すっと、太刀を抜く。純白の刀身が、夕焼けと町を焼く灼炎の赤を跳ね返すように、まばゆく輝いた。


 ライキンスは、燐子の言葉の先を促すように微笑を浮かべている。


「お前の目論見を果たすためには、この方法しかなかったのか」

「この方法、というと?」レスポンスの速い回答に、燐子は相手の聡明さを感じた。


「町ごと焼き払う、という方法だ。…全てを巻き込み、灰燼に帰する必要が本当にあったのか」

「無論です。何故なら、貴方が口にする『私の目論見』というのは、この世界の秩序を破壊することにあるからです」


「秩序の破壊だと?」

「ええ、そのためには、国民も、支配者も、領土も、何もかも一度白紙に返してしまわなければならないのですよ」


 おもむろに、ライキンスが右手を上げた。直後、彼の掲げた右手の甲が激しく光を放ち始めた。


「貴様、まさか!」


 歪んだ微笑を浮かべる彼の背後から、羽の付いた怪物が二頭、真っ直ぐ突進して来た。


 夕焼けを切り裂くように飛んで来る怪物に意識を切り替え、霞の構えを取る。


 距離と速度を図り、タイミングよく屈んで避けつつ、体勢を戻すと同時に腹から尻尾にかけて引き裂く。


 続けて、二頭目が来る。今度は躱すことなど考えず、八双に構え直し、タイミングを合わせて脳天に唐竹割りを叩き込む。


 やあ、という気合と共に振り下ろされた剣撃は、頭蓋骨すらも容易く断ち切った。城内に墜落していく怪物にも目をくれず、再び元の構えに戻った。


「お前も、異世界からの来訪者、流れ人か」


 ライキンスは、燐子の問いに対し、ふふ、と小さく笑った後、「いかにも」と不遜な態度で言った。


「私の力は、魔物を操ることのできる力です。貴方のそれとは、一線を画する」

「ふん、自分から手の内を明かすとは…。戦場では早死する行為だぞ」


「はは、面白いですね、燐子さん。ところで、私は貴方に対して、どうしても聞きたいことがあったのです」

「好きに尋ねろ。どうせ、許可をせずともそうするのだろう」カチャリ、と刀を軽く下げる。もちろん、警戒は緩めない。「そして、その話を冥土の土産にしろ」


「…貴方はこの世界に落ちて来て、自分が強大な力を手にしていることを悟ったとき、何を思いましたか?」

「別に何も。ただ、腕試しの邪魔になるかもしれんとは思った」

「はっ、戦闘狂め」


 途端に口調を荒くしたライキンスは、大仰に両手を掲げ、芝居がかったふうに言葉を続けた。


「私は貴方とは違う。もっと、大きなことを為せると思った。そのための力を授かったのだと、私は心を震わせた!」

「大きなこととだと?それは何だ」


「もちろん、支配者になることですよ。考え方や喋り方からして、貴方は古臭い時代から流れついた人間なのでしょう。あるいは、文明レベルの低い土地からね?

 まぁ、だから、そんな野蛮人には理解できなくとも仕方がありません。私のいた時代では、支配体制というのは完全に確立されてしまっていた。分かりますか?

 多くの人間が貧困に苦しまずに済む国が増えた代わりに、支配階級が限定化され、夢のない、つまらない世界になってしまっていた」


 つらつらと語り続けるライキンスは、どこか夢見心地のようだった。


 斬ろうと思えば斬れそうだったが、彼の背後に控えるヘリオスも、気付けば三節棍を手にしていたので、そう簡単にはいかなそうだ。ただやはり、ローザのそばからは離れようとはしなかった。


「ですが、この世界なら、それができるのです。何故なら、それだけの力を得たから。支配者たるに相応しい力を!」


 燐子は、彼の冗長な喋り口に、辟易とした心地になって目を閉じていた。


 頬に当たる風、それから、焼け焦げる煙の臭い。

 場違いにも、色んなことを思い出していた。


 落城の日、異世界の森、カランツの美しい風景。

 切腹しようとしていた私を叱りつけた、ミルフィの怒り顔。

 アズールの清冽な水面、初めて目の当たりにする、セレーネの美しさ。

 自分の本音を認めた、新しい夜。

 シュレトールの業火、殺めた少女。

 自分のものにしたいと思える煌きを放つ、シーツの上のミルフィ。

 閃光のような居合、舞う銀髪、そして、犠牲になった少女。


「ヘリオス王子には、人を魔物に変える手段を探してもらいました。夢のような話でしたが、王族の権利を用いれば、国中の情報を探ることぐらい造作も――」


「もういい。口を開くな」燐子は、彼の言葉を遮った。「構えろ。不意を打ったなどと思われたくはないからな」


 燐子の言葉に、ライキンスは苛立ったふうに顔をしかめた。彼が主役の舞台に横槍を入れたのだ、無理もない。


 だが、数秒もすると、彼は燐子に向けて両手を大きく広げて、薄く嘲笑した。まるで、『いつでもかかってこい』と言わんばかりの態度だった。


 直後、燐子は弾かれるようにして駆け出した。


 決して、挑発に乗ったというわけではない。ただ、いつもどおりに間合いを詰めたに過ぎない。


 すると、突然、ぐるりと世界が反転した。あまりに予想外なことに、何の抵抗もできないまま、燐子は宙に投げ出される。


(何が起こったのだ…!?)


 重力に引かれながら、目を白黒させて視線を動かす。すると、狙い澄ました一矢が飛んで来ているのが見えた。


「くっ」慌てて太刀を振るが、さすがの燐子も、落下しながらでは上手くいかず、軌道を逸らした矢は、燐子の肩をかすめる。「ちっ!」


 あわや、地面に激突する、といった瞬間、再び左手の紋章が強く輝く。


 燐子は、一瞬の躊躇の後に白の太刀を手放すと、黒の太刀を抜き放った。それから、逆手に持つようにして切っ先を地面に向け、そのまま地表に突き刺す形で着地した。


 凄まじい痺れと衝撃が、下から上に駆け抜ける。ただ、想像していたよりは、ずっと痛みがなかった。


 空を見上げると、ライキンスたちが乗っていた竜の姿が、遠く離れていくところだった。


(しまった、あの竜も魔物の一種だから、操ることができるのか。私としたことが、してやられた)


 歯噛みして遠ざかる影を睨みつけていると、セレーネがよたよたとした足取りで近付いて来た。


「り、燐子さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫ではありません。このままでは、逃げられます」


「そういう意味ではなく、貴方の体が――」

「王女」とセレーネの言葉を遮り、尋ねる。「あちらの方向には、何がありますか?町があるのではありませんか?」


 セレーネは困惑したような顔つきになった後、燐子の勢いに押されて、言葉を詰まらせた。そんな妹のフォローをするかのように、アストレアが代わりに答える。


「何もない。強いて言うなら、海に…港か」

「港…。海の先には何がある」

「しばらく飛べば、帝国だ」


 帝国に逃げ込むのか?いや、アストレアが言っていたことから察するに、帝国もライキンスたちの被害を受けている様子だった。


 それに、彼が口にしていたことが真実だとするならば、ライキンスはこの世界――つまりは、帝国も王国もひっくるめて、混沌に落とし込むことが狙いのはずだ。


(ならば、何処へ行く?何処かの島を拠点にしているのか?それとも、帝国所領に隠れ家があるのか?)


 考えを巡らせながら、途中、放り出した太刀を回収しに行く。拾い上げたとき、どうしようもない罪悪感を覚えるも、納刀している燐子の背にかけられたアストレアの言葉に、ハッとさせられる。


「おそらく、信者を伴って海路に出るのだろう。その先は分からないが、大事な兵隊を置いて行くことはしないはずだ」


「信者、ですか?」セレーネが小首を傾げる。「ああ、近頃、城下町を荒らしていた連中だ。いくらか叩き潰して問い詰めたが、末端の兵隊は何も知らされてはいなかったがな」


(もしや、あのときの連中か)


 セレーネと共に訪れた喫茶店の帰りに出くわした、数名の輩たちを思い出す。


「追わねば」と燐子が低い声で言う。「追うだと?向こうは飛んでいるんだぞ」

「信者の船に乗り込む。末端の兵士であれば、口も簡単に割るだろう」


 そう言い切った燐子は、セレーネに港までの道を聞いた。覚束ない口調で説明する彼女だったが、段々と不安の色を濃くして、最後に加えた。


「ろ、ローザは、どうなるのでしょう」

「分かりませんが、おそらく、心配はいりません。私がライキンスと対峙しているときでも、ヘリオスは彼女を取り返されまいと必死でしたから」


 相手の言葉を切るように、体の向きを変える。正門があるほう、つまりは、港の方角だ。


(ライキンス、お前のような人間を、この美しい世界の支配者になどさせない。破壊と虐殺によって支配をもたらそうとするお前は、その器ではないのだ…!)


 今の燐子の頭の中には、先程自分の脳裏を駆け巡った記憶と同じものが蘇っていた。そうしたものを汚そうとする、あるいは、壊そうとする者のことを、燐子は到底許せないと思っていた。


 しかし、義憤に突き動かされて、足を前に運ぼうとした燐子に、力強い、彼女以上の激憤に駆られた声が叩きつけられた。


「燐子ッ!」


 その声は、燐子が今の今まで忘れてしまっていた、相棒――ミルフィの怒りの声だった。

明日も定時の更新を予定しています。


絶えず更新していますので、毎日見る暇などないよ!という方は、

週末にまとめて読んで頂けたらな…なんて考えてしまいます。


時間という対価に見合うだけのクオリティを生み出せるように、日々精進して参ります。


よろしければ、ブックマークや感想、評価など頂けると、励みになります…。

当然、目を通して頂けるだけでも十分ですよ!

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