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竜星の流れ人  作者: null
三部 八章 そして、約束は破れて
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喪失の一矢

 ミルフィと協力してドラゴンを倒し、王女の助力に向かった燐子は、目の前で抱き締め合っている二人の姿を見て、驚きの声を漏らした。


 とん、と背中にへばりついたミルフィを横目で見やると、顔が真っ赤になっていた。


「奴は倒したのか」と何事もなかったかのようにアストレアが言う。

「当然だ、私と、ミルフィとで倒した。お前がいたときよりも手際が良かったぞ」

「ふん、抜かせ」


 セレーネから体を離し、こちらに向き直ったアストレアは、長い銀髪を振り払って鼻を鳴らした。


(なるほど、男装だったか。道理で私に力負けするわけだ)


 燐子にとって、男装の麗人というのは、そこまでの衝撃ではなかった。もちろん、驚くには驚いたが、日の本でも時折あったことだ。それどころか、自分だって男の真似事をしたことがある。


 身分の高い女は、このような面倒事を強いられることもある。あるいは、そうしたほうが得だと判断せざるを得ないときも。


 アストレアは、美しい女だった。むしろ、男だと勘違いさせられたことが不思議なほどに。


「セレーネ王女、民はどこへ避難されたのですか?」

「え?」彼女は目を丸くした。「あ、いえ、城内です。生き残った騎士団と共に、奥で大人しくしているはずです」


 ということは、騎士団連中は王女を戦場に置き去りにして、安全な場所にこもっていたということか。


「…私の国なら死罪だな」ぼそり、と燐子が言う。


 すると、素早い動きでミルフィが燐子の背中を叩いた。


「何だ」

「何だ、じゃないわよぉ。えー?ねぇ、王子が王女だったってこと?嘘ぉ…」


「そんなことか。知らん。興味もない」にべもなく燐子が告げると、ミルフィは、「信じられない」と顔を歪めた。


「しかも…」チラリ、とミルフィの視線が燐子の顔から二人の方へと向けられる。「な、何か、ただならぬ雰囲気じゃない…、やだぁ、もう…」


 城下町を取り巻いていた火炎が照らしているかのように、ミルフィの頬が真紅に染まる。ずるずるとまた自分の背中に回ったミルフィを見て、燐子は深い溜息を吐く。


「ただならぬ雰囲気、だと…?下らん、品がないぞ。というか、どうしてお前が照れるのだ」

「だ、だってぇ…!」


 埒が明かない。燐子は肩を竦めた。


「無事なのですか、民は」

「あ、ええ…。もちろん、全員というわけには参りませんが」

「…全滅より、遥かにマシでしょう」


 民の避難が終わっている、ということを聞いて、燐子は安堵の息が漏れ出すのを止められなかった。


 あちこちから火の手が上がっている様は、どうしても、あの落城の日を思い出させた。


(私が、誉のために死ぬべきだった日。…いや、すでに私はあの日死んだのかもしれない。)


 燐子はふと、自分が正解に至ったような心地になって考えた。


(きっと、日の本の剣士燐子は、あの炎の中で城と運命を共にしたのだ)


 そうでなければ、今背中に感じている温もりに対して、こんなにも歯がゆい気持ちになることはなかっただろうから。


 気付けば、城の中から、使用人や騎士団たちがこちらの様子を窺っていた。もう外に出ても大丈夫なのか、確認が取りたいのだろう。


 ぽん、とミルフィの腕を軽く叩いて、使用人らの相手をするよう促す。ミルフィはまだ二人のほうを気にしている様子で、顔を赤くしたまま去って行った。


「…驚かないのですね」とセレーネが言う。アストレアについても、似たような表情だった。

「まあ、驚いてはいます。ただ、私の世界では、ありえないことではありませんでしたので」


 迂闊な発言だったかと思ったが、何となく、アストレアはこちらの事情を把握しているような気がしたので、気にしないことにした。


「そ、そうですか…」不思議と、セレーネは顔を赤らめた。「それでも、お、お恥ずかしいです。人目も忘れて、こんな…」


 両手で顔を隠した彼女に、燐子は小首を傾げる。


 ――どうして、貴方が照れているのですか?


 そんなふうに尋ねかけたとき、ふと、思い至り、燐子は言葉を飲み込んだ。


(こういうときにすぐ尋ねるから、人の気持ちが分からぬと揶揄されるのだ。少しばかり、自分で考えてみるとするか)


 特に、セレーネは自分に良い意味で遠慮がない。涼しい顔をして毒を吐く彼女に、その絶好の機会を与えてやる必要はない。


 チラリ、と燐子は視線を上げた。相手の表情や態度の変化から、何か読み取れないかと思ったのだ。


 目が合った瞬間、頬を紅潮させていたセレーネが顔を逸らした。続いて、アストレアのほうを見やる。


 すでにこちらを見ていたアストレアと、視線がぶつかる。てっきり、嫌な顔をされると思っていたのだが、彼女はセレーネの横顔を一瞥すると、同じようにほんのりと顔を赤くした。


(ん…?待て、ま、まさか…)


 不意に、ミルフィが言っていた言葉が蘇る。


 ――何か、ただならぬ雰囲気みたいじゃない…。


「セレーネ王女たちは、もしや、こ、恋仲なのですか?」


 反射的に、脳裏に浮かんだ言葉を口に出してしまう。


 ぼん、とさらに頬を赤くした二人につられて、燐子も全身が熱くなる。


「む、昔の話だ。僕には、もう、その資格は――」慌てたような声になったアストレアの声を、無理やりセレーネが遮った。「私は、きちんと言葉にして頂いておりません…」


 パッ、とアストレアが真っ赤になったまま妹の顔を見やった。まじまじと見つめ合う二人は、情熱的な視線を交わしたまま押し黙った。


「さ、左様ですか。それは、失礼しました」


 それ以外、口にできることがなく、燐子は二人に対して背を向けた。


(お、女同士というだけでも、私は慣れんというのに…。よもや、姉妹で恋仲などとは、不埒が過ぎるぞ、この世界は)


 そのとき、燐子の耳に、自分の名前を呼ぶ幼い声が聞こえてきた。


「燐子様!」


 気まずさと気恥ずかしさから背を向けた燐子の視界に、血相を変えて駆け寄って来ていたのは、ララだった。


 ひらひらとした飾りの付いたスカートを揺らしながら、使用人たちの群れの中から飛び出して来る。


 大きな声で、ミルフィとルルがその背中を呼んだ。それでも、彼女は止まらなかった。


 一先ずの安全を確保できたことで、張っていた気が緩んだのであろう。しかしながら、気もそぞろな今の自分を見られるのは、どうにも恥ずかしくて、燐子は顔を逸らした。


「燐子様っ!」再び、彼女が燐子の名前を呼んだ。


 燐子は、ようやくそのときになって、ララの声に切迫した何かが含まれていることに気が付いた。


 弾かれるように顔を上げ、ララのほうを向く。


 息を切らしながら、懸命に走って来るララは、苦しそうな表情で叫んだ。


「危ないっ!」


 バッと反転し、後ろを振り返る。手は自然と太刀に伸び、半分ほど抜刀していた。


 宙に浮いている巨体の姿が視界に飛び込んで来た。赤黒く、禍々しい造形をした竜の姿に、意識の全てを奪われる。


 それが致命的な失態だと悟るのは、数秒後のことだった。


 ドスッ、という鈍い音と、自分の右後方からララが飛び込んで来たのは、ほとんど同時のことであった。


 ララの小さな体がゆっくりと地面に倒れ込む軌道を、燐子の黒曜石の瞳がなぞる。


 音を立てて地面に横倒しになったララの胸には、短く太い矢が突き刺さっていた。クロスボウ、という武器の弾丸なのだと、後で知った。


 白と黒の給仕服の胸元が、真紅に染まっていく。燐子はそれを見ながら、ふと、珈琲の雫を吸い込んで汚れた、セレーネのハンカチのことを思い出していた。


 横たわる、ララの虚ろな瞳に目を落とす。

 活力とあり余る未来に満ちていた少女は、心臓に残酷な一矢を受けて、絶命していた。


 今、少女の全てが奪われたのだ。


 だというのに、燐子は、すぐに視線を正面に向けると、黒い巨躯の上に乗った者たちを睨みつけ、太刀を完全に抜き払った。


 少女の骸を、跨ぎ越えて。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


読んでいて疑問に思った点、もっとこうしたほうが読みやすい、などありましたら

是非、お申し付けください!


評価やブックマーク、感想をくださっている皆さんに力を貰っております。


いつも本当にありがとうございます。


また、そうではない方々も貴重なお時間を使っていただいて、ありがとうございます。

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