銀閃のアストレア
燐子VSアストレア戦の始まりです。
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上空で、破裂音とともに桜色の煙が上がる。花火によく似ているが、美しい花も咲かなければ、舞台は夜空でもない。
この演出に何の意味があるか分からない燐子だったが、それは、向こう側でじっとこちらを見据えている彼も同じなのかもしれない。
小うるさい空には目もくれず、その眼差しは一点、自分に注がれている。
燃え尽き、積み上がった灰のような瞳からは、その意図は読み取れない。
夕焼けが這い寄り、会場の土は茜色で染まっていた。
ライキンスが、王族専用の観覧席から試合を盛り上げるために、大げさな前口上を披露している。だが、燐子もアストレアもおそらく耳には入っていない。それほど、目の前の相手に集中していた。
セレーネは、アストレアの目的が分からないと気にしている様子だった。
そのときは、自分も少しぐらいは気になっていたのだが、今となってはそんなことはもうどうでもいい。
心が踊り、血が滾る。
目の前の相手は、強い。
そうだ、強い奴と立ち会える――この上ない幸福ではないか。
少なくとも、私たちのような剣士にとっては。
そうだろう、と期待を込めて、燐子はアストレアを真っすぐ見つめた。
燐子の黒曜石が大きく収縮し、そのときを待っている。
審判が、試合開始が可能かどうか確認しようと、燐子に寄ってくる。
今や自分とアストレアだけしか存在していなかった空間に、突然現れた邪魔者を、燐子は酷く殺気立った目つきで睨みつけた。
「邪魔だ。失せろ」
困惑する審判だったが、アストレアからも似たような視線を送りつけられ、渋々と後退する。
それから、二人がじっと睨み合いを続けているのを怯えた様子で確認すると、視線を上げてライキンスに許可を求めた。数秒後、彼から許可が下りたのだろう、高々と旗を掲げて合図を放つ準備を整えた。
旗の影が地面でゆらゆらと揺れていた。誰もその影には見向きもせず、息を呑んで開戦の狼煙を待った。
「それでは、竜王祭、決勝戦を始めます!」途中で裏返る声は、審判が大きい緊張の中にいたことを示している。「それでは――始め!」
開始の声と共に、歓声が濁流のように会場をうねった。二人を囲む高い壁に反響し、空に舞い上がる音の波はしばらく続いていた。やがて、誰かから合図でもあったかのように止んだ。
決して自制して声を殺したというわけではない。そうならざるを得なかったのだ。
いつまで経っても、二人が一歩も動かなかったから。
相手の出方を待っている、というわけではなかった。少なくとも燐子は。
「何か、物言いたげに見える」この静けさの中、アストレアと言葉を交わしてみたかった。「斬り合う前に、言葉を交わすのも一興だろう」
「僕は、お前と喋ることなどない」どうやら、彼は違うようだ。
冷たくあしらわれることになったわけだが、燐子はそれで気分を害するということもなく、むしろ、上機嫌に口元を歪める。
「確かに、無粋だったな」白の刀の鍔を親指で押し上げ、ほんの少しだけ空気を吸わせてやる。「始めよう」
鞘の内側を、刀身が嬌声を上げながら滑る。
喜びに身をうねらせたい気持ちは、自分も同じだった。
この短いやり取りで、燐子は確信していた。
彼は、私と同じものだ。
ジルバーのように、一国の将兵としてでもなく。
朱夏のように、歪んだ欲望のためでもなく。
ヘリオスのように、目的を果たすための道具としてでもなく、
彼は、己の分身として技を磨き、研ぎ上げ、ただ振るう――そういう人間に違いない。
あれだけの喧騒が嘘みたいに静まり返っていた。きっと、観客たちもようやく気付いたのだろう。
これから始まるのは、彼らを喜ばせるための見世物でもなければ、下らない欲望のぶつけあいでもない。
この一戦は、私たち剣士にとって、至高のもの。
生きる意味、と言い換えても差し支えのないものとなるのだ。
刀を高く掲げ、八双の構えを取る。
(相手の出方が分からない以上、最も慣れた構えからだ)
対するアストレアも剣を抜いた。燐子のように勿体ぶった、ゆるりとした抜刀ではなく、急くような抜刀であった。
彼は鋭く鳴った鞘滑りの音を打ち消すように、一度剣を斜めに払った。空を裂く音を響かせた後、片手で持った剣の先を斜めに倒し、構えを取った。
特に変わった構えではない。小手調べのつもりか、それとも基本の構えを崩さないスタイルか。
今度こそ、相手の出方を窺う。アストレアのほうも微動だにせず、こちらを見据えている。
そんな時間の流れに、観客の一部が痺れを切らして声を発しようとしたとき、どちらからともなく地を蹴った。
互いの刃が衝突し、高い金属音が辺りに木霊す。
続けざまに剣閃が飛び交い、何度か火花を散らした後、もう一度激しくぶつかり合う。
クールな表情をしていても、瞳だけは、殺気立った獣のような獰猛さを放っている。
鍔迫り合いをしながら、燐子は相手のグレーの目を睨みつけ考えた。
(力はほぼ互角。見た時点で予測できていたが、力押しするようなタイプではない。
初動は、わずかな差だがアストレアのほうが速かった。動きの素早さを競っては、負ける可能性があるようだ)
どちらからともなく、弾かれるようにして距離を取る。それだけで観客は、再び熱を取り戻していた。
燐子からすると、この最初の衝突は意外なものだった。男相手に力負けしなかったこともそうだが、速度で負ける、という経験は今までほとんどなかったからだ。
(力は互角。素早さでは負ける。ならば…)
今度は燐子が先手を打つ。こちらの袈裟斬りへとカウンター気味に放たれる斬り払いを躱し、続く斬り上げも紙一重で避ける。
攻撃後のかすかな隙に一太刀ねじ込もうとするも、剣の腹で防がれる。
身躱し斬りは初めて見るはずだが、この程度では驚きもしないらしい。
さらに、深く速く飛び込む。
それはすなわち、致命傷を受ける可能性が増す、ということでもあった。
アストレアの押し返そうとするような逆袈裟を、これまたすんでのところで回避。ほとんど体を動かしていない、最小限の動きだ。
ひりつくような感覚が脳髄を痺れさせ、『もっと死の芳香を』と叫ぶ悪魔に身を委ね、燐子は回避の精度を限界まで絞っていく。
稲妻のような突きを、首を傾けて避ける。
チリリと首元が熱を感じるが、今回は明らかにアストレアも驚いていた。
好機、と両手で太刀を振りかぶり、コンパクトな動きで振り下ろす。
辛うじて剣先で逸らされたものの、燐子は、後一歩のところであった、という確信を抱く。
素早く後ろ飛びで距離を取った彼に、太刀を構え直しながら向き直る。
鼻を鳴らしてそれを見ていたアストレアは、冷たい口調で言った。
「死なば諸共、か?頭の出来が悪そうな戦い方だな」
「生憎と、私はこれしか知らない」
アストレアはもう一度剣を構えると、こちらの様子を窺うように視線をあちこちに当てていた。一挙手一投足から自分の動きを予測しようという姿勢に、燐子は思わず身震いする。
(まるで狼だ。群れで狩りをしない、一匹狼。それと似た冷酷さと明晰さ、さらに俊敏さを兼ね備えている剣士…)
そして、まだアストレアは本当の牙を見せていない、という確信も燐子は持っていた。
まずはそれを引き出す。こちらは初めから奥の手を見せているのだ、出し渋ってもらっては困る。
アストレアの羽織っているマントが、風で激しくたなびく。燐子のもののように派手な装飾のない、王族らしからぬ、機能性だけを重視したシンプルなマントだ。
その下には軽鎧を装着している。急所だけを装甲で守っている種類の、動きの制限を少ないものだ。
この出で立ちで、装甲の一切を身に着けていない自分よりも速いのだから、恐れ入る。
(少し、やり方を変える)
最上段に構え直す。隙の多い構えであるし、これほどの素早さを持つ相手に直撃が見込めるとは思えないが、警戒してくれればそれでいい。
燐子が構えを変えたのを見て、アストレアは一瞬目を見張った。
その反応がどこか奇妙で、燐子は眉をひそめて不審がったものの、彼が気を取り直したのを確認し、こちらも集中しなおす。
大きく構えたまま、前進する。相手に反撃してくる様子はなかったため、そのまま思い切り振り下ろす。
火花が散る。線香花火みたいな輝きに目を閉じることなく、相手を見据え、押し込もうと両腕に力を込める。
じわじわと、アストレアの剣を構えた手が下がっていく。
腕力は互角な分、打ち込み方の差で力押し出来ているようだ。
苦悶の表情を浮かべるアストレアに、燐子が言う。
「どうした、女に力負けしているぞ」
「うるさい、少し黙っていろ…!」
アストレアが刃を斜めにして、こちらの力を逸らした。もちろん、このまま押し込めるなどと初めから思っていない。
相手の刃の表面を滑るようにして太刀を動かし、相手の剣の下に潜り込ませる。
素早く斬り払う。
わずかな手ごたえ。
鮮血が宙を泳ぐ。
同時に、焼け付くような感覚。
斬ったが、斬られた。
こちらの刃先が相手の肩口を浅く斬ったのに対し、あちらは脇腹を斬ってきた。
サラシを巻いていたおかげで、致命傷を逃れている。ほとんど出血もない。だが、ということは、実質斬り負けているということだ。
こちらは素肌の上から斬っている、本当なら一撃で決める予定だったのに。
追撃するか、体勢を立て直すか、ほんの一瞬考える。すぐに追撃を選び、一歩踏み込んで斬り上げるも、やはり相手の動きのほうが速く、アストレアは大きく飛び退いて距離を確保していた。
ちょろちょろと、まるで義経のようだ。八艘飛びとまでは言わないが、身軽さは間違いなくそれに比肩する。
どう攻めるかを悩んでいた燐子の間合いの先で、アストレアが相変わらず淡々とした様子で口を開いた。
「おい」不躾な呼びかけ方だ。「お前は、何のためにセレーネに力を貸す?」
「ふ…喋ることなどないのではなかったのか」
「いいから質問に答えろ。お前は何のために戦う」
苛立ったように目くじらを立てるアストレア。彼は構えを解き、こちらの返答を待っていた。
「お前もそれか」ヘリオスにも同じことを尋ねられたのを思い出し、些か白けた気持ちになる。「王女には命を救われた。その借りを返すだけだ」
「セレーネに借りを返したければ、女王などという重責から解放してやるべきではないのか」
「何?」
思いのほか真剣な口調で告げられ、思わず、燐子も構えを解いてしまう。歓声が未だに響いているため、周囲に会話の内容は聞こえないだろう。
「アイツに女王は務まらない。国を治める立場と責任に押し潰されてしまうだけだ」
「どうしてそう思う」燐子が問う。「甘いアイツには無理だ。現女王と同じ破滅を辿る」
「同じ破滅?」
「年老いる前に体を壊し、その隙に、自分が生涯を尽くして築き上げた国を、毒蛇につけ込まれる」
毒蛇、という単語が、ライキンスのことを示しているのだとすぐに気付いた。彼が上を見上げていたからだ。ライキンスも、じっと二人を見下ろしていた。蛇に例えるのは、中々に的確だと思えた。
どうやらアストレアも、今この国で起きようとしていることを知っているらしい。そのうえで、こうして燐子に問いをぶつけている。
理由は不確かだったが、彼がふざけているわけでも、揺さぶりをかけているわけでもないことは間違いない。
だが…。
「そこまで分かっていて、どうして王女と協力しようとしない?お前は、この国がどうなろうと興味はないのか」
アストレアは何も答えない。
「お前こそ、何故戦う。今更この国の君主になろうというのは、何故だ」
「…この国がどうなろうと、僕には関係ない」
「ならば…!」
「だが、セレーネを女王にさせるわけにはいかない。いかないんだ…」
アストレアはそう言うと、おもむろに剣を鞘に納めた。
言葉とはまるで逆の行動に思えたのだが、アストレアが軽く腰を落としたのを見て、燐子は言葉を失う。
左手はしっかりと鞘を掴み、右手は剣の柄を握っているかどうかといった位置で静止している。足はわずかに開かれ、腰はやや落とされているままだ。
「…馬鹿な」無意識に驚きの声が漏れる。
じっと動きを止めているアストレア。表情や醸し出すオーラは、凍てつく冬の湖を彷彿とさせた。
冷え切った瞳で燐子と睨み合っていたアストレアが、ゆっくりと口を開く。
「死んでも、文句を言うなよ」
自信満々と取れる言葉にも、珍しく燐子は反応しなかった。
普段の彼女ならば、眉間に皺を寄せて不快感を露わにするか、鼻を鳴らしてその傲慢さをへし折るべく、太刀を手に飛び込むところだ。
そうしなかった理由は、ひとえに、アストレアの構えに見覚えがあったからだ。
(私の目が正しければ、あれは『居合』だ…)
だが、と燐子はもう一度、しっかりと相手の構えを観察した。
彼は『流れ人』ではない。それは間違いない。仮にもこの国の王族なのだ。ということは、居合によく似た剣術である可能性が高い。
アストレアは武者修行の旅に出ていたのだから、居合や抜刀術と似通った剣術に触れた、という可能性は十分にあり得るだろう。あるいは、様々な剣術、武術を混ぜ合わせた結果という可能性もある。
深く考えることをやめ、体勢を整える。滑らかな動きで前進し、相手の間合いに飛び込もうとする。
直後、体に痺れが走るような感覚を覚えた。
反射的に地面を蹴る足を止め、アストレアのリーチの手前で踏み留まる。
氷のような眼差し、微動だにしない四肢、それにも関わらず惜しみなく放たれる殺気。
一歩踏み込めば、斬られる。
全身の細胞が、そのように警鐘を鳴らしていた。
何の確証もない。だが、私の中の剣士としての直感が言っている。
あれは、本物だ。
斬られる。
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