たった一つの方法
ようやく折り返し、といったところの今作品。
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ローザが寝かされている部屋には、何とも形容し難い臭いが立ち込めていた。辺りの様子から、ここは薬の類を集めて置く場所のようだ。
前々から思っていたことだが、こちらの世界は本当に元いた場所よりも、ずっと文明が発展している。よく分からない液体や錠剤が全て薬だと言われて、半信半疑でいた自分だったが、この部屋に来て、それが真実だったのだと今更ながらに思い知った。
「もう試合は終わったの?」ローザの隣で、肩を丸めて座っていたミルフィが問う。「ああ」
勝敗の是非を聞いてこないあたり、こちらの勝利を確信しているようだ。
「…勝ったのか」寝台に敷いてある白い布の下から、くぐもった声が聞こえた。ローザの声だ。「何だ、起きていたのか」
燐子は問いかけには答えず、背後の壁にもたれかかって、逆に問い返す。
体を起こそうとしたローザを大慌てでミルフィが制止して、再びベッドに寝かせる。白い小山が痛みを堪えるように一瞬震えたが、すぐに大人しくなった。
こちらをぼうっと見つめているローザの顔は蒼白で、こめかみの辺りをぐるりと覆うように包帯が巻かれていた。きっと、シーツの下の体は青痣だらけで痛々しいことだろう。
油断すれば無理して体を起こそうとしているローザを、ミルフィが厳しくも温かな調子で諌める。
「駄目よ、まだ安静にしておけって言われたでしょ」
「勝ったのか」ローザがミルフィの忠告も無視して、同じ質問をする。「当然だ」
壁に背を付け、目を伏せたままの姿勢で淡々と答える。すると彼女は、ほっとしたような長息と共に、「そうか、勝ったか」と呟いた。
まさか、負けると思われていたのかと不服に思ったが、そうではないことぐらい、冷静に考えれば分かることだ。
信奉するセレーネが国の支配者となれるように、万全を尽くす。それでも、彼女は気になってしょうがないのだろう。
常に最悪のケースを想像してしまう。そういう人間も少なからずいる。
(ローザは、戦士に向いていない)
燐子は、哀れむように心の中でそう口にした。
目の前のことに自分の全てを注ぎ込めない性質なのだろう。もちろん、それは悪いことではない。人や国を指揮する人間、つまり誰かを動かす側の人間は常にあらゆるものに気を配り、負けたときのことを考え、被害を最小に抑える策を設える必要があるからだ。
だが…、前線の兵士ともなれば話は別だ。
私たちは、ただ目の前の相手を斬り伏せることだけに意識を集中せねばならない。
敗戦の後のことを考える暇と空きスペースが脳内にあるのなら、それら全てを戦いに注ぐべきだ。
そうすることで、私たちは刀と一体になり、持てる技の全てを余すことなく発揮することができるのだから。
「次の試合はどうなった」
「さあな、まだ分からん」
次の試合は、三人のうち一人だけが、一戦少ない数で決勝まで行けるのだと、セレーネが言っていた。
そして、その抽選が今、王族の間で公平の下に行われている。
セレーネが試合終わりにそう告げに来たので、おそらく間違いはあるまい。本当に公平かどうかは別として。
「さあって…いつ分かんのよ」
「私の知ったことか」無関心さを隠すことなく答えると、ミルフィがわざとらしくため息を吐いてきた。「またそういうこと言う。アンタは気を遣うってことを知らないわけ?」
そんなことを言われても困る、と燐子は眉をひそめてミルフィの顔を見返したが、やたらと迫力のある顔で睨み返されてしまった。
「試合順が決まれば、セレーネ王女がここまで伝えに来ると言っていた」
そのことについて、明らかにローザが嫌そうな態度を取ったものの、燐子が、「もう決まったことだ」と冷たく言ってのけると、大人しくシーツに包まった。
そうしているうちに、医務室の扉がノックされた。ミルフィが返事をすると、透き通るような声がドア越しに聞こえてきた。
「私です」ローザが体を起こす。犬のようだと思った。「入ってもいいでしょうか」
ミルフィが、目線だけでローザに確認する。燐子はじっと壁と一体化したかのように動かないままである。
ローザが頷き、「もちろんでございます」と返事をしたことで扉が開く。
この日のために用意されたらしい、各所が透けている布を使った青いドレスに身を包んだセレーネは、ローザの頭に巻かれた包帯を見ると、一目散に彼女へと近寄った。
「まぁ…、酷い。女の顔に傷を負わすなど、男のすることではありませんね…!」
それから、セレーネは頭の傷の具合を尋ねると、曖昧な応対をするローザを見かね、そのシーツを剥ぎ取った。
「ちょ、ちょっと王女、怪我人なんですよ」ミルフィが咎める。「良いんです。ローザはこうでもしなければ、まともに傷の報告もしないのですから」
親衛隊の鎧を外して寝台に横たわっているローザは、肌着一枚という恰好だったのだが、その肌には予想通り痛々しい青痣があちこち浮かんでいた。あれだけの攻撃に晒されたのだから、無理もない。
セレーネが一際はっきり変色している右腕の痣をそっと撫でた。痛むのか、ローザが小さな呻き声を上げる。
「無理をしすぎよ、ローザ」普段の上品な口調とは違うトーンでローザを労る。
「はい、申し訳ございません、姫様」
「ヘリオス兄様のこと、まだ許していないの?」
「…どうでしょう、分かりません」
「そう…、しょうがないことなのね、きっと」
「姫様、喋り方が昔に戻っていますよ」苦笑いを浮かべたローザが呟く。「いいの、ここには私たちの味方しかいないのだから」
セレーネの言葉を聞いたローザは、目だけを動かして燐子とミルフィを見やると、照れくさそうに口元を綻ばせて頷いた。
仲間か、と燐子は奇妙な心地になって視線を窓の外にやった。
特殊なガラスなのか、向こうの景色はほとんど分からない。後になって知ったが、磨りガラスと言うらしい。
室内は穏やかな空気に満たされていたのだが、それを申し訳無さそうにミルフィが破る。
「えっと…一つ、聞いてもいいかしら」
「どうされました?」セレーネが小首を傾げて聞き返す。「あ、いや、ローザに何だけど…」
ローザは話の矛先を向けられると、まるでそうなることが分かっていたかのように素早く頷き、「ヘリオス王子と私の関係についてだろ?」と口にした。どうやら彼女の読みは当たっていたようで、ミルフィは恥ずかしそうに肯定した。
セレーネを一瞥したローザは、何かしらの形で許可を貰ったらしく、自分とヘリオスについて話を始めた。
元々、ローザの家系は代々王家親衛隊となる血筋であること。
そうして、子どもの頃から王宮で過ごしていたこと。
そこで、セレーネやヘリオスと仲睦まじい関係を築いていたこと。
初めは、ヘリオスの親衛隊だったこと。
そして…五年以上前、突然、ヘリオスに解雇を命じられたこと…。
手短ではあったが、ローザにとって、過去の思い出がいかに大事なものかは伝わってきた。そして、ヘリオスの突然の裏切りがどれだけ彼女の心を踏みにじったのかも。
「それで私は、姫様に拾われた。アイツがハーレムじみたワケの分からないものを作っている最中だった…おおかた、私がそのハーレム形成のために邪魔になったのだろう」
どんな世界であっても、戻らぬ過去を偲ぶ気持ちは同じだ。
私が日の本には二度と戻れぬように、ローザも、純粋に人を信じられた頃には戻れないのだ。
燐子はその話を聞いて、ローザがどれだけの悔しさを感じながらあの一戦に臨んでいたのかを想像した。
自分は謀反に遭ったこともなければ、仕えていた者に裏切られた経験もない。だが、負ける悔しさは充分に知っている。
ローザは、そうした窒息しそうな敗北感の中にいたからこそ、私の試合の結果にこだわったのか。
彼女の悔しさにシンパシーを覚えた瞬間、燐子の中で何かが激しく燃え盛り始めた。
それは決して、使命感や正義感、仲間をボロボロにされた怒りなどといった、陳腐な感情ではなかった。
このような状況下にあっても、燐子は無意識に口元が緩みそうになり、慌てて手で口を覆う。
(久しぶりの感覚だ)
これまた無意識に、片手を刀の柄へと持っていく。カチャリと音を立てる己の分身が、抜き放たれるのを今か今かと待っているようだ。
そう、これは勝利への渇望。
勝たねばならない戦を前にしたときの、どうしようもない心のざわめき。
血が沸騰しそうになるような、叫びだしたくなるような、昂揚感。
こういう一戦のために、私は力と技を研ぎ澄ましているのだ。
体を壁から離し、「少し風に当たってくる」と伝える。
それを聞いたセレーネは一瞬だけ目を丸くしてから、慌てた様子で声を発した。
「燐子さん、申し訳ありませんが…」
「試合か?」何か言いたそうにしている瞳から察する。
「はい、申し訳ありません。楽をさせてあげられませんでした」
「構わない。それに――」
続く言葉を放つ前に、ふと思い留まる。確証はないが、これを口にするとミルフィあたりから叱られる気がしたのだ。
「それに?」とミルフィが目を細めて問う。まるで心の中を見透かされているような気がして、誰にも分からない程度に口元が歪む。
「何でもない」
「ふぅん…」わざとらしく言葉尻を伸ばした彼女に「何だ」と逆に尋ねる。
「別にぃ、燐子のことだから『そっちのほうが面白い』とか言うかと思っただけ」
図星を突かれて口を閉ざす。やはり、言わなくて正解だったようだ。
セレーネは、燐子とミルフィのやり取りが一段落したのを見計らうと、大きく息を吸って本題に戻った。
「次の試合の相手は、ヘリオス兄様です」
「そうか」個人的にはアストレアでもどちらでも良かったので、淡白な返事になる。「そうか…って、燐子さぁ、もっとこう…」
「前も言っただろう。私のやることに変わりはない」
未だ、不満そうな顔をしているミルフィだったが、彼女が何か声を発する前にセレーネが口を開く。
「時間になったら使いの者を呼びに行かせますから、あまり会場から離れないでくださいね」
「結構です。子どもではないので自分で時を見て向かいます」
「おい、折角の姫様のご厚意を――」ローザの言葉を遮るようにセレーネが言う。「良いのです。確かに、気を遣いすぎました」
二人の声を背にしたまま医務室を出る。途中までミルフィがついて来ようとしていたのだが、出来るだけ丁寧にそれを断った。
大事な一戦の前だ。なるべく集中を高めた状態で臨みたい。
ヘリオスは強敵だ。ただ、ジルバーや朱夏と比肩するほどの腕前かと言われると、間違いなく否であろう。
分かっている。決して油断出来る相手ではないし、仮に力量差があったとしても、勝負に絶対はない。
会場から出ることはなく、誰も来ない適当な場所を見繕った燐子は、次の戦いに思考を巡らせていた。
その口元には、見る者が見れば分かる笑みが顔を覗かせている。
異世界の棒術に、どれだけ日の本の剣技が通じるのか。
父という侍が叩き込んだ戦術の全てを、試したい。
違う、そうではないな…。
――…私は、私という一振りの刀が、どれだけのものを斬れるのかを試したいのだ。
戦うことばかりを考えるように出来ている燐子の頭に、ふと、『同じだね』という少女の声が聞こえた。
幻聴だと分かっていても、燐子は石畳の隙間を八つ当たりするように睨みつけずにはいられなかった。
『私たちは同じ穴の狢だよ。自分にとって大事なもののためなら、他人を犠牲にしようが巻き添えにしようが構わない』
あのときと違って、そうではないと言い切ることのできない自分に気付いて、燐子はゆっくりと目蓋を下ろした。
燐子は、朱夏をこの手で殺めてからずっと、自分のやったことが正しかったのかという迷いに苛まれていた。
殺しに来た者は殺す。
日の本の剣技を、悪事を成すために使う者は、私が日の本の剣士として斬る。
…それで、良かったのだろうか。
だが、殺さなければ殺される。
自分も、罪のない戦う術を持たぬ者たちも。
しかし、領地も、民も、侍の娘としての大義もない今の自分には、殺しても良い理由などないのではないか。
視線を上げて、廊下の奥のほうを行き交う人の波に目を向ける。自分の口から零れたため息が酷く情けなく思える。
考えてもしょうがないことが、世の中には沢山ある。
それに、今回は殺し合いの場ではないのだ。実際、誰も死人は出ていない。まあ、殺しかけたのだが。
どのみち私は、この方法しか知らない。
私は、女として嫁ぐことよりも、侍の娘として刀を取ることを選んだ人間だ。
目の前の障害や迷いは、斬って捨てることでしか…、解決できないのだ。
もしかすると自分は、ろくでもない人間なのかもしれないなと、燐子は自嘲気味に音もなく笑った。
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