意地
今回は、久しぶりの戦闘シーンです。
少しずつでも描写が上達していればいいのですが、
なにぶん、自分では分からないものですね。
何はともあれ、お楽しみ下さい。
頭上で爛々と輝く太陽が、試合会場を余すことなく照らしている。
円状になったリングは周囲を高い外壁に囲まれており、そこに客席がある。客席の中でも最も高い位置に設けられているのが王族用の観覧席だ。だが、そこには今やオブザーバーであるはずのライキンスの姿しかない。
まるで王族気取りだと、ローザは鼻を鳴らす。
ライキンスが試合のルールを説明しているうちに、ぐるりと観客席を見渡す。しばらく探していると燐子の姿が見えた。じっとこちらを見下ろす表情には、もう先程の激情はない。
情けのない女に見えたことだろう。ローザは、自嘲気味に口元を歪める。
(だが私にとっては、彼女の語る精神的な高潔さよりも、姫様が玉座に座ることのできる未来のほうが大事だ。その可能性を高めるためなら、どんなことでもしてみせる)
そう、たとえ…。
「ローザ、逃げずによく来たな」
――かつての主と刃を交えることになっても。
ヘリオスが挑発的な笑みを浮かべたまま、ローザのほうへと歩いて来る。
表情とは裏腹に、そのグレーの瞳は決意に漲っていた。肩には身の丈以上の得物を担いでいる。布に包まれていたが、昔と変わらぬ得物を愛用しているのだろう。
「客席なんか見てよぉ、随分余裕なこって。ライキンスのおっさんがルールの説明してるが、聞かなくても――」
「ルールなど、あってないようなものです」
「ほぉ」
真っすぐ、ヘリオスのほうへと向き直る。
今日ほど鎧が重いと感じたことはなかった。
「相手が気を失うか、降参するまで戦う。それだけです」
「それだけじゃねえぜ」
彼は得物を杖のように使い体重をかけると、片方の口元だけ角度を上げて、下から睨みつけるように低い声で呟いた。
「対戦相手が死んでも、だ。珍しい話じゃねえ、今なら昔のよしみで、尻尾を巻いて逃げるのを許してやるぜ?ローザ」
まるで悪役だ。昔の彼からはあまり想像がつかない姿だが、これは彼を守るための仮面なのだろう。
女を侍らせ、馬鹿を演じているのも、何か理由があるはずだ。
(…だが、そんなものは関係ない)
ローザは普段からしているように、背筋を伸ばすことに意識を傾けた。そうすることで、不思議と自信が湧くものだ。
話し方も気をつける。一言一句、丁寧に落ち着いたアクセントで、なおかつ、低い声音にする。
「断る」イメージしたのは燐子だった。「何?」
「王子のほうこそ、今なら尻尾を巻いて無様に逃げても構いませんよ」
「へっ、言うねえ。一度も俺に勝ったことねえくせに」
「昔の話です」
気づけば、ライキンスの説明が終わり、会場が静まり返っていた。後は、自分たちの用意が整えば試合を始められるのだろう。
飾りだけの審判が、試合の前から剣戟を交わす私たちに近寄り、準備ができたかどうか確認しようとしていた。だが、二人は審判を目だけで制止し、開始の声を待った。
審判が、武器を構えるよう声を上げる。それに応じ、帯刀していた剣を抜き両手で構えてヘリオスを睨みつける。
対する彼は挑発的な笑みを崩さぬまま、構えを取ろうとしない。しかし、審判は試合を始めても構わないと判断し、大きな声で幕を切った。
「始め!」
会場が歓声に包まれる。
このような大舞台に立つことになって、始めは緊張していたのだが、今では笑うぐらい目の前の相手のことしか考えられない。
燐子が教科書どおりと揶揄した構えで、相手との間合いをはかる。一向に構えを取らないヘリオスを見て、舐められているのだと思い、苛立ちのまま言葉を口にした。
「貴方が捨てた頃の私と同じと思ったら、大間違いです」
その一言に、わずかながら彼の顔が歪む。
怒りか、呆れか、驚きか。
ヘリオスがため息を吐き、視線を床に向けた瞬間、一気に間合いを詰める。
地を蹴りつける足に全力を込め、続いて両手に適切な力を注いで振り抜く。
卑怯だ、などと言わないだろう。
自分自身に言い訳じみた言葉を告げていたローザは、直後、思いもよらぬ衝撃を正面から受け、小さな悲鳴と共に大きく後退した。
「くぅ!」
試合が始まった時以上の大きな歓声が会場に木霊した。その響きが、掌から伝わってくる痺れと同調して、力を込めるのが難しくなる。
一体何が、と状況を把握する前に、ヘリオスの飄々とした声音が歓声を押しのけ鼓膜を震わせる。
「捨てた、ねぇ」
彼の手元に光る、長細い棒。銀色の棍がヘリオスの手首の動きに反応して、三分の一ほどの長さから折れ曲がった。
三節棍だ。
女を取替え引替えし始める前から、ヘリオスが一途に使い込んでいる武器とその武術。
「女々しいこと言うなよ、しょうがねえだろ?俺は王族なんだから」
お調子者を演じている彼からは遠い語調。
低く、諦観に飲まれた声音。
だが、その瞳はやはりギラついて、野心というものを具現した光を放っている。
ジンジンとした痺れが次第に弱まっていく中で、ローザは改めて彼の腕前に感心を覚えていた。
やっぱり、強い。今の一振りは見えなかった。
相手の表情から察するに、まだこんなものではないのだろう。ヘリオスだって、私といた頃とは違うのだ。
人格も、強さも。
再び地を蹴り、間合いを詰める。
長物を相手取るときは、その間合いの内側に入り込むのが初歩的な対処法だ。逆に言うと、そこに飛び込めなければ、待っているのは一方的な嬲り殺し。
軽々と棍の先端が横に薙ぎ払われる。
それを剣の腹で受け止めると同時に、左肩に鈍い痛みが走った。
「あ…!」
痛みに声を上げながらも、本能的に後退し、追撃を避ける準備をする。
ただ、彼にその気はなかったらしく、冷たい目をしたまま肩を押さえているローザを見つめていた。
(しまった、受け止めるのは悪手だった)
剣の腹と棍がぶつかった際に棍の関節が外れ、先の部分が折れ曲がるようにしてローザの肩を打ったのだ。
彼の得意とする、というか三節棍のメリットがここにある。
剣や槍、斧、弓…そうしたものが席巻する武器界隈で、使う者などほとんどいない三節棍。
扱いの習熟に時間がかかり、かつ前述したような武器よりも単純な殺傷力に劣る三節棍だったが、彼はそれを承知の上でここまで磨き上げていた。
その結果、ヘリオスの技術は燐子の口にするところの『必殺の剣技』もとい、『棍技』になっている。
(だが、だからこそ…!)
今度こそ間合いに飛び込むため、勢い良く前進する。しかし、もう一度振り回される棍に阻まれ、すんでのところで攻撃を躱す。
冷や汗をかいて歯を食いしばったローザに対し、ヘリオスは三節棍を真っすぐ伸ばしながらわざとらしく笑った。
「おいおい、今までの威勢はどうした?こんなもんかよ、なぁ、ローザ。俺の間合いに入ることもできねぇ、昔と何も変わってねえ」
「うるさい…!」形ばかりの敬意を保つことも忘れる。「私は、姫様と出会って変わった!お前に捨てられて変わったんだ…!」
「そうかよ」
ヘリオスが振り下ろす三節棍を防ぐことに、全神経を集中させる。
先端が折れ曲がる軌道を描くことを念頭に、ガードするタイミングと位置には気をつける。
こういった対処がすぐにできるのは、昔なじみの自分だからこそだと、ローザは唇を舐めながら思った。
そのまま立て続けに繰り出される技をギリギリで耐えしのぎ、痺れる掌を気合で動かし、次の一手を練る。
このままではジリ貧になる、それは分かっている。
多少の無理をしてでも一気に接近するべきかとも思ったが、失敗すれば取り返しがつかなくなるほど追い込まれる。最悪、その場で袋叩きだ。
一方的な展開に、会場の盛り上がりは少しずつ収まってきたが、それでもなお、高い歓声はやまない。大逆転を期待しているのか、それともただの嗜虐趣味か。
「降参しねえのか?弱っちいんだから、さっさと白旗振れよ、ローザ!」
「私は、お前のように情けのない人間じゃない!」
「てめぇ!」
大振りの一撃が来る。ヘリオスの構えと、怒気で察せられた。
横一文字で振り払われる一閃。
防がなければ直撃するが、防いでもまた二撃目に襲われる。しかし、それが分かっていても、ローザに出来ることは直撃を避けるため、防御することだけだった。
親衛隊に配布される両刃剣、さすがに頑丈だが、私の体はそうではない。
想像していた通りの一撃が、想像以上の威力でローザの胴体を打つ。
鎧越しではあったものの、息ができなくなるほどの衝撃に圧され、体が横倒しに吹き飛んでしまう。剣を手放さなかったのは我ながら上出来だった。
倒れたローザの上から、力任せに三節棍が振り下ろされる。
辛うじて剣の腹で受け止めようとはするが、防ぎきれなかった箇所、鎖骨と脇腹に直撃してしまう。
「うぅ!」
鎖骨のほうは折れたかもしれない、などと考えているうちにもう一撃、二撃、加えられる。
息ができないなんて生易しいものではない。
全身の軋む音と苦痛、口の中に広がる血の味に情けのない悲鳴が出そうになるのをぐっと、死ぬ思いで堪える。
響いていた歓声が消えるまで、ローザはそうして耐えていた。しばらくすると声が消え、叩きつけられる三節棍も感触も消えた。
首だけを動かして、ヘリオスの様子を窺う。
「ちっ、気絶したかと思ったが、よく粘るもんだ」
自分の肩を棍で軽く叩いて、感心したように呟く。言葉の通り、残念そうな顔つきだった。
「おい、もう良いだろ。相手になんねえ。さっさと降参しろ」
ヘリオスの言葉に、審判が不安そうにこちらを見つめた。
その眼差しが、まだ続けるのかと問いているのが分かって、無意識のうちに自嘲気味な笑いが零れた。
誰の目から見ても、勝敗は歴然、雌雄は決してしまったわけか。
私を見下ろす太陽すらも、さっさと諦めろと日差しを強くしていた。
確かに、体はまともに動きそうにもない。こうして体を起こすことすら、かなりの苦痛を伴っていた。
やる前から分かっていたことだ。
私は、ヘリオスには勝てない。
燐子がどれだけ軽蔑しても、この考えと、事実は変わりそうにない。
鼠が猫に勝てないように、私と彼の間には天と地ほどの差がある。
ここで私が白旗を振っても、この場にいる観客も、姫様も、誰も私を責めないだろう。
ぐっと、上半身に力を入れる。
続いて、下半身。立ち上がることに成功した。
そんな私を見て、ヘリオスは不服そうに舌を打った。
「馬鹿が…手間かけさせやがる」
周囲が私をどう思おうと、そんなものは関係ない。
粘れ、粘るのだ。
視線を斜め上に向け、燐子がいた場所を見やる。彼女は初めと同じ場所に佇んだまま、じっと私を見ていた。
それだけで、私の戦う意味があるというもの。
燐子の刀とかいう得物も、私の両刃剣も、ほとんど同じリーチだ。
私が負けても、最終的に彼女が勝てれば良い。
燐子がそのための情報を収集できるように、私は粘らなければならなかったのだが…。思っていたよりも力が及んでいないようだ。
受け止めることができても、もう数回。
トドメを刺しに、ヘリオスが前進してくる。
…そうだ、良いことを思いついた。
燐子にとって、最も有意義な情報を得られる方法を。
全身の力を振り絞り、ヘリオスへと直進する。
痛みでまともに動かないと思っていた体が、今日一番の加速をしてみせたことに驚きを感じつつも、勢いを緩めない。
一瞬、彼は意外そうな顔を浮かべたが、苛ついたように顔を歪め、強く棍を薙ぎ払った。
左から向かってくるバーを目で追い、タイミングを見計らう。
心の中でカウントし、すんでのところで横薙ぎをくぐり抜ける。
――身躱し斬り。
驚愕に見開かれたヘリオスの目を見返す。
ざまあみろ、と口元を綻ばせて、片手で持った剣を振るう。
その刹那に、私のこめかみに固い物体が衝突し、ボロ雑巾みたいに体が地面に転がった。
懐に飛び込んでから、私には何が起きたのか分からなかった。だが、観客席から見下ろす燐子からはきちんと見えたはずだ。そう信じたい。
誰かの激しい息遣いが聞こえる、それが自分のものだと気付くのにかなりの時間を要した。
「…残念だったな」
余裕ぶるヘリオスの口調には、確かな焦りが滲んでいる。
もう寝ていても良かったのだが、最後の最後まで、姫様にも、燐子にも、ミルフィにも、国民にも誇れる自分でいたいという意思が、私の体を起き上がらせた。
これだけすれば、燐子だって多少は見直すのではないだろうか。
いや、どうして彼女に見直してもらいたいなどと思うのか。
ぼうっとした感覚の中、顔を真っ赤にしたヘリオスが寄ってくるのが見える。
(私の、勝ちだ)
相手の攻撃を紙一重で躱した先を、燐子に見せられたのだ。十分だろう。
口元に笑みが浮かぶ。ヘリオスには、随分と嫌味な笑みに見えたことだろう。
その笑みを打ち払うためにヘリオスが棍を振りかぶった直後、私の意識は途絶えたのだった。
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