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竜星の流れ人  作者: null
一部 二章 抜き身の刀
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腹切り 弐

 全ての食事を運び終えたらしいミルフィが、「どうせ食べるなら、最初から文句言わずに食べなさいよ」と愚痴を垂れる。


 一先ずは焼き魚から食べるとしよう、と燐子は箸を探したのだが、農具の鋤のように先端が分かれた道具と、底の浅い柄杓、玩具のような短刀しか見当たらない。


「おい、箸を忘れているぞ」とミルフィを咎めるも、彼女は不遜な物言いをする燐子を睨みつけて「何よ、それ」と返すだけである。


 一瞬またふざけた冗談を言われていると眉をしかめた彼女だったが、ミルフィが嘘を吐いていないことを察すると同時に盛大なため息を零した。


「…この世界には箸もないのか」


 侍もいなければ箸もない、共通して存在しているものといえば、水と人ぐらいなものなのではないか。


 これ以上、ここの住人に文句を言っても仕方があるまい。


 気を取り直して再び食事にかかろうと考えたのだが、この奇怪な道具の使い方が全く見当もつかず、三人の見様見真似で握ってはみるも、焼き魚をほじくることすら難しい。


 燐子にとっては両手に道具を持って食事に当たること自体が理解しがたかった。


 そもそも、こんな不便な道具でどうやって食べろというのだ。汁物のほうは柄杓で掬えても、焼き魚はどうにもなるまい、と三人に向けて尋ねたところ、彼らは皆一様にして笑い、この汁物が『スープ』、柄杓が『スプーン』で、鋤は『フォーク』に短刀が『ナイフ』だと説明した。


「そんなもの急には覚えられない」


「ゆっくりでいいんだよ」とエミリオが微笑むのを見たら、それ以上、愚痴は言えなかった。


 それから食事の合間に色々な言葉を教えてもらった。中でも直ぐに覚えたのは『パン』という単語だった。


 理由は単純明快で、このパンと呼ばれる柔らかな食べ物の味が絶品だったからである。


 多少喉が渇くが、それでも味は美味しく香りも良く、その上面倒な道具を使わずに食べられるのが最高である。


 焼き魚から始まり(魚か知らないが)パンを平らげ、その勢いでスープにも手を伸ばすと、これまた絶品。

 野菜の甘さも(これも野菜か知らないが)スープそのものの味もとても濃厚で、あっという間に器の中身は空っぽになってしまった。


 空になった器を名残惜しそうに見つめている燐子に、今までとは打って変わって優しい声色になったミルフィが質問した。


「おかわりいる?」


 燐子には、その変わり身が何だか子ども扱いされているように思えて、ここで素直に従うのは癪だと、ミルフィの提案を蹴った。


「いらぬ」


 折角の善意を鼻先であしらうような真似で返されたミルフィは、明らかにムッとした顔になって、「あぁそう」と呟いて黙々と食事に戻った。


 さすがに失礼だったかもしれない、恐らくこの食事は彼女が作ってくれたものだろう。


 つまらない意地は捨てて、礼には礼で答えるのが品のある人間というものだ。


 ここで感情のままに無礼な態度をとっては、それこそ彼女と変わらない。


 燐子は綺麗に食事を済ませると、「おい」とミルフィに声をかけて、彼女にこちらを向かせると、両手を合わせ、瞳を閉じた。


「美味であった」


「何よ、偉そうに」


 できる限りの感謝を表現したというのに、彼女は憎々し気にそう呟くと、一層荒々しくパンを噛み千切った。


 一言文句をつけてやろうかと思ったが、ミルフィとの仲を取り持つようにエミリオが「照れてるんだよ」と補足したので、一先ずは矛を収めることにした。


 だがその代償として。エミリオの頭が上下に激しく揺さぶられる。


 食器が互いに擦れる音が、うららかな空気の中に響いている。


 三人が仲睦まじく会話をしているのを見て、燐子は父のことを思い出していた。それと同時によぎるのは、自分が本当にやるべきことに関してであった。


 異界の言葉など学んで自分はどういうつもりだ。

 まさか主君の介錯を行ったというのに、自分だけは生き延び、のうのうとこのような辺境で、農民として生きて行こうと考えているのではあるまいか。


 この自然豊かな、食べ物が美味しい地で、新しい人生を歩んでいる自分の姿を夢想しているのではあるまいか。


 侍に関するありとあらゆるものが皆殺しにされたこの世界で、生きて行こうなどと、恥知らずな考えを抱いているのではあるまいか。


 ぎりっと奥歯を噛み締めて、いつの間にか机の端に寄せられていた二本の刀を見てゾッとした。


 一体いつ、自分の正面から退けたのであろうか、そうして、侍の魂よりも飯のほうを優先したのだろうか。


 このままでは不味いというのが良く分かる。


 静けさと穏やかさに骨の髄まで蝕まれる前に、私はあるべきところへと帰らねばならない。


 例えそれが、二度と帰れぬ三途の川の畔であったとしても。


 燐子は小太刀に手を伸ばし、刀身の半分ほどを鞘から抜いて刃紋を見つめた。


 その銀の輝きが、自分に務めを果たせと囁いている気がしてならなかった。


 憑りつかれたような目つきで刀を見つめる燐子に、次第に三人の視線が集まっていく。


 それに気が付いていながらも、燐子は静かに呼吸を繰り返すだけだったのだが、エミリオが彼女の名前を呼んだことで、すぅっと顔を上げた。


「腹を切りたいのだが」


「え、何を言ってるの、燐子さん」


「一席設けろとも、介錯人を立てよとも言わん。ただ、後始末だけ頼まれてはくれないだろうか」エミリオの言葉など無視して続ける。


「燐子さん、どうか落ち着いて、腹を切るとはどういう意味なのかな」


「文字通りだ」


「頭おかしいんじゃないの」と淡々と腹を切ることを望んでいた燐子に、ミルフィが不快感を露わにして告げる。「自分で自分の腹を切るなんて」


 普段の燐子なら絶対に聞き逃さない一言だったのだが、今や割腹のみが唯一の手段だと考え込んでいる彼女の心には、波風一つ立たない。


「理解など求めていない。ただ、私の好きにさせて欲しい」


「イカレた文化ね、エミリオの教育に悪いわ」


「好きに言うがいい。貴様のように気位の低い者に、侍の気高さなど分かりはしない」


「気位?馬鹿じゃないの。腹を切って人に迷惑をかける奴の、どこが気位が高いのよ」


 ミルフィはそう言うと、「だから嫌だったのよ、流れ人を村に入れるなんて」と吐き捨てた。


 私だって、好き好んでこんな場所に来たわけじゃない。押し付けられた運命だ、自分の手で断ち切って何が悪い。


 誇り高い侍と共にあった人生に、勝手についた蛇足のような時間なのだ。お陰で何もかもにケチが付いてしまった。


 仏か、異教徒の神か、どこのどいつが用意した舞台かは知らないが、本当に余計なことをしてくれた。


「どうして死ななきゃならないの?」とエミリオが深刻な顔をして尋ねるので、彼女は侍の誉と誇りについて彼に教えた。


 その過程で父の介錯を行ったことを話し始めた辺りで、エミリオは泣き出してしまう。


 その理由が分からず呆然としていた燐子に、ミルフィが弟のそばに駆け付けながら言う。


「やっぱり異常よ」


「そうなのかもしれない。だが、私からすれば、この世界の方がよっぽど異常だ」


「どんな理由があったって、子どもが父親を斬らなきゃいけないなんて、どう考えてもおかしいじゃない…」


 そこが肝要なのではない、と反論しようとしたが、すっかり子どもに戻って泣きじゃくっているエミリオを見たせいで、毒気を抜かれてしまった。


 延々と涙を流し続けるエミリオを伴って、ミルフィが部屋を出ていく。


 その直前に彼女がこちらを睨んで足を止めた以外は、何も燐子の気には留まらなかった。


 ドリトンと自分の二人だけになった部屋で、もう一度同じことを嘆願したのだが、彼にもうしばらく待ってほしいと頼まれて、燐子は呆気なく引き下がった。


 別に一人で勝手に腹を斬ればいいのだが、それではあまりにも無残で見苦しい。今は大人しく、彼が指先ばかりの理解を示すまでは待つとしよう。


 生暖かい風を体に受けながら、何故だか今日は死ぬべき日ではないと思えた。

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