とろけるような甘味を
アップが遅れてしまい、申し訳ございません!
お楽しみください。
ゆったりとした歩調で遠ざかっていくヘリオスの姿を、壁になだれかかって腕組みしたまま見送った燐子は、凪いだ瞳で見送った。
(あの男、気づいていたな)
最後の言葉は、自分に向けて言ったものと考えて間違いないだろう。
同じ竜王祭に出場する者として、一つ宣戦布告といったところか。
王女に確認したところ、別に継承者そのものが竜王祭の代表者になることは問題ないらしい。というか、そちらのほうが一般的とのことだった。
強い者が支配する、というのは単純で分かりやすくて良い。ただ、それだけでは国が滅ぶことも、凛子は知っていた。
確かに力だけは、支配に相応しい実力を所持しているように思えた。とりわけアストレアのほうは、朱夏や自分と比べて遜色ないものを感じる。
決して、楽に勝てる戦いにはなるまい。もちろん、それが最高に楽しみなのだが。
それにしても、と戸口から中に足を踏み入れた燐子は、突如現れた自分に目を丸くしているミルフィをじっと見て臍を噛んだ。
(何が『期待しとくわ』だ。全く…)
そもそもミルフィは、あの男が一応、敵だという認識は持っているのだろうか。
簡単に部屋の中へ招き入れて、のんびりと世間話していた様子だったが、一度は下心をもって接せられていたということを忘れてはいないだろうか。
今にも口をついて出そうな文句を何とか抑え込めはしたが、ミルフィが、ムッとした顔で燐子を見ていたのを考えれば、きっと態度に出ていたのだろう。
目は口ほどに物を言う。この不満感で眼尻が上がっていなかったかと問われれば、否と言うほかない。
さっさと袋の中身を出してしまう。カーテン、器、布巾、ランタン、分かるものはそれぐらいだった。他は名前も知らない小道具ばかりだ。
ヘリオスとミルフィのやり取りを盗み聞きしていた燐子は、つい乱暴な手付きで、買った物を机の上に放り投げた。
だが、自分のそんな幼い行動にも、かえって苛立ちが増すだけである。買い物袋の底に沈む小物だけは、そっとポケットにしまう。
無性に腹が立つ一方で、ミルフィが、久しぶりに真正面から見返してくれることに奇妙な喜びを感じてしまう。
その事実から目を背けるため、もとい、心を落ち着かせるためにベッドの上に正座し、刀を腰から外した。
燐子を訝しんだように見つめるミルフィを、意識の外に追いやる。その作業にかなりの時間を費やしてしまったが、何とか目蓋の裏側に広がる闇に没頭できた。
「ねぇ、何をしてるのよ」
さすがに聞かずにはいられなかったらしく、一週間ぶりに向こうから声をかけてくる。
「瞑想だ」その声で、また意識が急浮上してしまう。「あ、そう」
興味がないなら聞くな、と小言が漏れそうになるも我慢する。
素早く、先程の暗闇に帰る。今度は楽に集中できた。
ミルフィは、燐子が買ってきたカーテンを片手に持って、レールに付け始めた。手早い動きで作業を行っている音を聞きながら、自分の世界に浸る。
しばらくしてから、小屋の扉が叩かれた。遠慮がちに叩かれた音だったものの、戸の向こうから聞こえてくる姦しい声には、無遠慮に等しい騒がしさがあった。
「はーい!」
ノックの音を即座に意識の外へ弾き飛ばした燐子の隣を、ミルフィが返事をしながら通り抜けていく。
「あ!こんにちは!」
戸を開けたミルフィへ、甲高い声が浴びせられる。使用人たちだった。その声に色をつけるのであれば黄色か桃色だ。
「ミルフィ様、今から時間ありますかぁ?」勢いに押されたじろぐ様子のミルフィへ、また違う声が向けられる。「あの、厨房から余ったケーキを貰ったのですけど、良かったら、一緒にどうですか?」
苦笑いを浮かべながらも、ミルフィの興味はすでにケーキのほうへと向けられているらしく、視線は真っ白の甘味に注がれている。
「え、と…ありがとね、でも、今…」とミルフィが室内を振り返った気配を感じる。
自分がいるせいで、少女たちと戯れることも、甘味を楽しむこともできない、ということらしい。
「駄目ですかぁ?」
「駄目ってわけじゃぁ…」
瞳を潤ませ小首を傾げられ、満更でもない様子で後頭部を掻いているミルフィに苛立ちが募る。
ちらり、と自分を窺う視線を横目で確認する。かち合った視線に、弾かれたように顔を互いに背ける。
「どうしようかな…」何か言いたげに呟いたミルフィへ、諦めたように答える。「私は構わん」
きゃあ、と入り口の少女二人が声を上げ、元気な足取りで小屋の中に上がりこんできた。
この様子から見るに、今日が初めてではなさそうだ。どうせ自分が任務に出ている間などに、ミルフィが彼女らを連れ込んでいるに違いない。
ばたばたと椅子に座った二人に対して、ミルフィは荷物入れに使っている木箱を引き寄せ、その上に座り込んだ。
少女たちも凄い遠慮のなさだ。若さとは、こうも向こう見ずな力を振りかざすものか。
小さな入れ物から四つのケーキが取り出され、机の上に並べられた。自分は、無言のままであくまで関わらないスタンスを貫く。
不思議そうに燐子を見つめる二人だったが、ミルフィが、「気にしなくていいわよ」と告げたことで、本気でこちらの存在に気を遣わなくなった。
「ミルフィ様がこの間教えてくれたようにお掃除したら、あっという間に綺麗になりました!」
「そうでしょ?掃除って、一つやり方を変えるだけで結構効率が良くなるものよ」
「私のほうも、先日は荷物を運ぶのを手伝って頂いて…ありがとうございました」
「ああ、気にしないでよぉ。あんなの、手伝ったうちに入らないんだから」
(…聖人か、貴様は)
思わず突っ込みたくなるような笑顔と台詞で、少女たちの輝く瞳に答えていたミルフィに、鳥肌が立ちそうになる。
まるで、少女たちの望む、『お姉さま像』でも全うしているかのようなミルフィの応対は、そうしてしばらく続いた。
二人とミルフィの他愛のないやり取りを聞いているうちに、ふと、思い出したように最初の少女がほんわりと告げた。
「あのぉ、燐子様もお一つどうですか?」
そう言って一度立ち上がった少女は、恭しく頭を下げた。二人のうち、身長の低いほうの少女だ。
どうしてこうも堅苦しい態度を取るのか、ミルフィと何が違うのか、その問題だけは解決できないままだ。
初めは断ろうと考えた燐子だったが、もう一人の少女と仲睦まじそうに話を続けているミルフィを見て、反射的に「頂こう」と答えてしまう。
こちらの返答に顔をぱっと明るくした少女。ミルフィが甘やかすような態度を取る理由が
何となく分かった気がする。
純粋無垢、いつまでも持っていられない宝物だ。
そう考えたところで、果たして自分にそんな時代があっただろうか、とぼうっと考えた。
燐子の行動を驚いたような目で見ていたミルフィは、スペースの空いている自分の隣に座ってきた燐子を、横目で覗いた。
「燐子様と話せるなんて、夢みたいです!」
「は?」あまりに真っすぐぶつけられた憧れの言葉に、ついのけ反ってしまう。「そ、そうか。別に、私は大した人間ではないのだが…」
「いえいえ、もう本当に格好良いなって!ミルフィ様の話を聞いている間に、ファンになっちゃいました!」
「何?」
「ちょ、ちょっと!」ミルフィが声を荒げて立ち上がったことで、二人の少女が、びくん、と肩を震わせて硬直した。「あ、ご、ごめんね」
罪悪感と焦燥感の板挟みを受けたミルフィは、困ったような顔で、再び腰を元の位置に落ち着かせる。
その顔を、『どういうことだ』と睨みつけた燐子だったが、意図して目を合わせようとしないミルフィは、頬を赤らめ、ぶら下がった照明を見上げるばかりだ。
(そうすると、この少女たちに私の話をしているのか…)
少女たちが、キラキラとした眼差しを自分に向けてくる。
それをやんわりと受け止めながら考えているうちに、何だか、そわそわとした浮遊感に襲われて体が熱くなる。
互いに、際限ない気まずさに苛まれていたミルフィと燐子。二人の気持ちなど想像もできない少女たちは、これは良い機会だ、とさらに盛り上がりを強くした。
「そうだ、ミルフィ様!初めて燐子様の戦いを見たときの話を、またお聞きしたいです!」
「え!?あ、いやぁ…」
唐突に話題を振られたミルフィも戸惑っていたが、燐子のほうも同様だ。
「おい、ミルフィ…」小声で、彼女のほうを見やる。「だ、だってぇ」
凛子とミルフィのやり取りに気付かなかったもう一人の少女が、慌てて駆け込むみたいに言う。
「それより、ミルフィ様が燐子様を助けたときの話が聞きたいです!」
(なんと、そんな話までしているのか)
いたたまれなさから顔に熱を帯びてしまっている燐子が、ミルフィのほうを責めるように睨んだ。彼女も、さすがに申し訳無さそうに首を竦めて応じる。
これ以上は耐えられそうにない、と気を紛らわすためにフォークを手にする。そして、ケーキを小さくカットして口に運ぼうとした刹那、少女の口から漏れ出たエピソードに衝撃を受けた。
「じゃあ、あれがいいです!ミルフィ様と燐子様が、『髪結び』を交わしたお話!」
きゃあ、と一際高い声が上がると同時に、ケーキの欠片がぽとりと机の上に落ちた。
「あ、ちょ、ね?その話は、また、ね?」
今や懇願するような口調でその提案を退けようとしたミルフィだったが、結局は、彼女らの勢いに押されて黙り込んだ。
零れ落ちた欠片を拾うこともできずに、燐子は小刻みに手を震わせた。自分の体の制御が効かないことにも焦ったが、全くまとまらない思考のほうに驚きを覚えた。
――少女たちの中では、おそらく私たち二人は、愛し合う恋人になっている。
その証拠に、少女は遠慮がちに微笑みながらも、「やっぱり、お二人は将来も誓いあっていたりするんですかぁ?」と顔を赤らめて尋ねた。
「しょ、将来…?」
ぐらりと世界が揺らぐ錯覚を感じ、今度はいよいよフォークを取りこぼした。カランと、高い音が鳴る。
(純粋無垢な瞳で、何ということを聞くのだ)
すでに恋人かどうかの確認を通り越して、婚約の話まで飛躍してしまっている。
もう誰にもこの勢いを止める術はないのだと、半ば達観したような心地になった燐子は、遠い目をして落ちたフォークを見つめた。
「ちょっと、さすがに駄目じゃない、そんなこと聞いたら」
そう呟く、しっかりとしていそうな使用人のほうも、言葉とは裏腹に、溢れ出る好奇心が抑えきれていない。チラチラと、二人のほうを盗み見るように観察し、その反応を待っていた。
人に褒められるという行為自体は喜ばしいことなのに、自分の知らない場所で勝手に広まった過去の話が主題になると、どうしてこうも居心地の悪さを感じてしまうのか。
自分とは違う焦りを抱いている様子のミルフィだったが、先ほどの質問以降は固まってしまって、動き出す気配がない。
座ったまま突然死んだのだ、と言われても納得ができるほど微動だにしていないのが、何だか滑稽だった。だからといって、自分に笑う余裕があるかと聞かれれば、答えは否である。
(どうして、そんなことまで話しているのだ。あんな話をすれば、誤解は免れないに決まっているではないか)
燐子は、自身の髪色よりも赤くなってしまっているミルフィの顔を見つめ、早く事態を収拾するように念を送った。だが、彼女はじっと下を向いているだけで、何の反応も示さない。
そんなミルフィの様子がお気に召したらしく、二人はまた、きゃっきゃっと笑っている。
そして困ったことに少女らの矛先は、今度は燐子のほうへと向けられてしまった。
「で、どうなんですか?」比較的、大人しかったほうの少女が、ぐいっと詰め寄って聞いてくる。「どう、と言われてもな」
さっ、とその純真な眼差しから顔を逸らし、逃げ道を探すが、もう片方の少女が同じように身を乗り出し、「ミルフィ様が困っていますよ!いいんですか!?」と言ってのけたことで思わず狼狽してしまう。
困っているのは、お前たちのせいだろう…、という言葉が喉まで出かかったが、それを言う気にはなれない。さすがの自分も、十代前半であろう少女たちにムキにはなれない。
状況を打開する術を探すが、ここで適当な嘘を吐くのも二人に悪いし、かといって真実を伝えるのも夢を壊すようで憚られる。あまりに勝手な夢なのだが、その責任は、隣で真っ赤になって固まっている相棒にあるのだから責めようがない。
だが、と燐子は腕組みをして考える仕草を取り、小さく唸り声を上げる。
もしかすると、ミルフィがそうした行動を起こした責任の一端は自分にあるのかもしれない。
一週間以上も喧嘩したままの相手と過ごすことは、かなり精神的負荷がかかるものだ。彼女がどこか他のところでストレス発散や、話し相手を探したとしても何ら不思議ではないだろう。
だとすれば、全てがミルフィの責任だ、と言って押し付けてしまうのは、少しばかり傲慢が過ぎる。
結局、考えに考え抜いた末に出たのは、我ながらゾッとするような言葉だった。
「ま、まあ、私たちは互いに背中を預け合う相棒だからな…」
ここまでで勘弁してほしかったのだが、チラリと確認した二人の少女たちは、まだその続きを語るまで逃しはしないといった目をしていた。まるで猛禽のような目つきだ、と息を呑みながら、仕方がなくその先を口にする。
「そういう上辺だけの関係では、言い表せない、のかも…しれん」
それが聞けたことがよっぽど満足だったらしい少女たちは、手を合わせ、一際甲高い声で嬌声を上げると、さらに根堀葉掘り聞こうと立ち上がって近寄ってきた。
さすがにこれ以上はついて行けそうにもないと思い、ほぼ無理やり少女たちの背中を押して、外へと送り出した。
不満そうな声を上げてはいたものの、たっぷりと話しの種を仕入れ、小屋から遠ざかっていく後ろ姿には、浮足立つ様がありありと刻まれていた。