嘘吐き
今回は、セレーネ目線となります。
少しでも楽しんで頂けると、とにかく嬉しいですね。
自分の声は我ながら驚くほど緊張感を帯びており、それを聞いた燐子の反応もまたシリアスな様相であった。
眉間に皺を寄せ、こちらを首だけで振り向いた彼女の黒曜石が収縮する。
こちらが責められているような気持ちになる鋭い目つきに気圧されそうになるが、決してこれは敵意ではないのだと言い聞かせ、真っすぐ見つめ返す。
燐子は異世界人ではあったものの、ドラゴンについて多少の知識があるようだった。説明が省けて助かる。
「燐子さんは、ドラゴンをご存知ですね?」念のため確認すると、彼女は重々しく頷いた。
「ええ、アズールからシュレトールに至る道で、実物を見ました」
「え?本物を見たのですか?」
「はい」
「そ、そうですか…幸運と言いましょうか、なんと言いましょうか…」
まあ、都合が良い。おかげで、その考えを抱くということがいかに危険なことなのかが、きっと、燐子にも伝わっているはずである。
「…しかし、そのようなことができるはずがない」
思わず素の口調に戻ってしまっていた燐子が、小さく謝罪を挟みながら続ける。
「申し訳ございません。ですが、御伽噺でしょう。相手にするだけ無駄かと」
「事の真相は分かりません。ですが、ドラゴンの力を利用しよう、という思想が跋扈した時代があったのは事実です」
燐子が、ハッと目を見開き、深く思考の海に沈み込むように顔を俯かせたまま呟いた。
「…竜の遺産」
その単語が彼女の口から漏れ出たことに驚き、今度はこちらが目をパチパチさせることになった。
(まさか、燐子さんがそこまでが知っているとは)
そういえば、燐子はシュレトールを訪れていたのだ。それならば、鉄竜炉を通して、竜の遺産について知っていてもおかしくはない。
使役する、ということとは違う形にはなるが、その力を利用しようという考えは決して簡単に捉えて良いものではない。
「そのようなことに興味がある男に、これ以上の権限を与えかねないようなことになれば、何が起こるか分かりません」
「確かにそうですね」と呟いた燐子に、身を乗り出すようにして体を近づけ、決然とした口調でセレーネは告げる。
「だから、私は負けたくないのです。ヘリオス兄様にも、アストレア兄様にも」
青い炎をイメージする。
冷静な思考を保ったままで、その抑えきれぬ灼熱を吐露してしまう、そんなイメージだ。
ここ一番というタイミングで放出される熱は、度々人を動かす。これが年がら年中発火しているような種の人間では、望んだような効果は得られない。
いつだって、最高のタイミングを意識する。燐子に関しては少し誤算が多かったが、今のところ上手くいっていると思う。
これからも、燐子の価値観にフィットする理由を提示していければ、彼女は類稀ない力を宿す剣となって、私の目的のために力を貸してくれるだろう。
そろそろか、とセレーネは意識して記憶を手繰り寄せた。
こういうときに思い出すのは、いつだってあの日だ。
真夏の夜を押し潰すような豪雨と、その宵闇を切り裂くように閃いた迅雷。
響く声、振り払われる手。
私の知らない誰かに変わることを決意した、あの人の眼差し。
遠ざかる背中、ぼやける視界。
予定通り、現実でも涙が出てきた。
ぎょっとした燐子の瞳に、随分と器用になったものだと自分でも呆れてしまう。
さっきのだって、燐子が気にしていないだろうと分かりながらも口にした。罪悪感に押し潰されそうな女を演じて。
案の定、彼女は私を責めなかった。
軽蔑してくれて構わない、その言葉は確かに本心だ。
(ごめんなさい。私は、私の目的のためならどんな嘘でも吐くの)
困ったように眉を曲げた燐子を上目遣いに見つめる。彼女とミルフィの様子を見るに、きっと、こういう仕草にも弱い。
こちらの思惑通りに目を背け、言葉に詰まっている様子の燐子だったが、一つため息を吐いてから穏やかな声音で言った。
「泣かないでください。貴方の目的がどうあれ、私はもうお手伝いすると決めております。ですから、ご安心を」
ほら、やっぱり思った通りだ。
彼女は強く、揺るぎない信念の持ち主だが、それの正しい使い方を知らない。
だから、利用されてしまう。私のような嘘吐きに。
当然、燐子の信念を穢すような真似はしない。
そうなれば、あの獰猛な刃は、私に向けて振りかぶられることになるだろうから。
「本当に、ありがとうございます。燐子さん」
この礼は必ずする。出来る限り彼女の望む形で。
金でも、地位や名誉でも、望まれれば、この体だって差し出そう。
それだけの覚悟を決めるのが、王女としての宿命に答えるということだ。
「それにしても、意外です」
湿っぽくなった空気を追い払うように、無理やり作り笑いを浮かべた燐子が声を発する。作り笑いといっても、言われなければ、笑顔だとは分からないほど絶望的に下手くそだ。
「何がでしょうか?」ととりあえず聞いておく。
「セレーネ王女は、負けたくないのですね」その言葉の意図が飲み込めず、小首を傾げる。
「え?ええ、まぁ」
「失礼致しました。てっきり私は、守りたいと話されるかと思っておりましたので。ですが、まるで――」顎に手を添えて、言葉を選ぶように小さく唸った彼女が告げる。
「今の王女の言葉は、個人的な勝負にこだわられているように感じました」
すうっ、と血の気が引く。
燐子が意図して今の発言をしたのか、相手に気取られないように横目でその表情を覗き込むが、どうやら他意はなかったようだ。呑気に、スプーンで珈琲をぐるぐるとかき混ぜているばかりである。
表面上は穏やかな笑みの仮面を被っていたセレーネだったが、その下では、自分の迂闊な発言を歯ぎしりしながら呪っていた。
(あぁ、やはり、この人が相手だと調子が狂う…)
ただ、少なくとも、今回の目的は全て達成した。彼女の流星痕について、そして、ライキンスについて伝えること。さらには、彼女との関係を深めること。
最後に適当な話題を、呼び戻したモルドも交えて行うと、セレーネは立ち上がり、スカートの裾を伸ばした。
ちらり、と自分の太腿を覗き見ていた燐子の視線に気が付く。
「あの…」
「え、あ、ええ、いかが致しましたか」
こちらが顔を上げると、さっと燐子が真面目な顔で言った。そんな彼女に、ほんの少し呆れてしまう。
燐子は真面目な顔をして、存外むっつりスケベなところがある。しかも、それを本人が認めていないからタチが悪い。
モルドに軽く手を振り、立ち去る前に挨拶をしようと思ったところで、突如、店の表の通りが騒がしくなった。
「どうしたのでしょう…?」
窓から外を覗くと、表のほうにガラの悪そうな若者たちがたむろしているのが見えた。
男女問わず品のない声で、服装も決して整ってはいない。通りに置かれたものに当たり散らしている彼らは、おそらく貧困街の住民たちだろう。
(あれこそ、この国に蔓延る闇の一部。私が戦うべきものの一つ…)
見える部分だけに気を遣い、取り繕い続けた結果が、こうして腐敗した精神を持つ若者を生んだのだ。
自分たち王族にも責任はあるし、自分が政治を執り行うことになれば、第一に解決すべき課題だ。だが、だからといって決して容認できたものではない。
「最近、ああした若者たちが増えてきています」嘆くような口調でモルドが目を細めて言った。「そうですか…。嘆かわしいことですね」
すると、未だに座ったままの燐子が、「一体、何のためにこのようなことをするのでしょうか」とぽつりと尋ねた。言葉とは裏腹に興味はなさそうだ。
「何でも啓示が何だとかで…」
「啓示?」セレーネが怪訝な顔つきで繰り返す。「ええ、近所の仲間たちは困っていますよ。幸いうちはまだ何も壊されていませんけどねぇ」
ああした人間たちのやることは理解し難い。自分たちの鬱憤を晴らすためなら、理屈とは似ても似つかない戯言を振りかざし、まともな民たちを困らせる。
そうすることで何かが変えられると信じている様は、全くもって、愚かだ。
そうこうしている間にも、すぐそこ、おそらくは隣の店先で、大きな声と共に何かが壊れる音が響いてきていた。
「あぁ、最悪ですね…。騎士団に、この辺りのパトロールを行うように言っておきます」
「はい、助かります」と、モルドが何度も体を折り畳んで頭を下げる。
本当は今すぐにでも出て行って、連中に人としてのモラルを教え込んでやりたいのだが、自分は仮にも王女だ。このような市井で攫われるようなことがあっては、洒落にならない。
いくら燐子がいるとはいえ、下手を打ってこちらが人質にでもなったらどうにもならないだろう。
もちろん、自分も多少なりと武術に通じてはいるものの、さすがに丸腰ではどうにもならない。
大きな物音が鳴る度に肩を竦ませているモルドに、申し訳無さそうな視線を送りながらじっとしていると、不意に座っていた燐子が音もなく立ち上がった。
「その必要はありません」そう口にしながら、腰に佩いた太刀を肘掛けのように扱う。「ここにもう、『騎士』がおります」
「え、あ!ちょっと、待ってください」
まだ何も指示を出していないのに、どうして燐子が動き出したのかが分からず、慌てて声をかける。しかし、彼女は淡白に、「外には出て来ないで下さい」と言い放つと、鐘を鳴らして出入り口のドアを開けて出ていってしまった。
(まぁ、なんて勝手なことを…!)
急いでドアに近寄り、ほんの少し隙間を空けて外の様子を確認する。
ごろつきは、二十人近く揃っていた。
燐子は、いかにも教養の無さそうな連中の前に立ちはだかり、道のど真ん中に佇んで彼らを見据えていた。
思ったよりも数が多い。貧困街の住人だと勝手に思い込んでいたが、健康そうな体つきからして、もしかすると一般階級の人間なのかもしれない。
手には、明らかに何かを殴って折れ曲がっただろう鉄パイプや木刀などが握られていた。
その中のリーダー格らしい大柄な男が、燐子に向けて大声を上げた。
「おい!何か用か、お嬢ちゃん」すぐさま数人で取り囲むように位置を取る。あまりごろつきらしいやり方には見えなかった。「お姉さんも一緒に遊ぼうぜ」
また違った男が声をかけるが、その下卑た笑みからも、露骨な下心が透けて窺える。だが、燐子は一切何も聞こえていないかのように、ただじっと、自分を取り囲んだ輩を目で追い、ぼそりと何か呟いた。
「あ?」とその声に反応して、男がだらしなく口を開けたままにして言う。
「失せろ」今度は確かに聞こえた。
男たちはそれを聞くと顔を見合わせて笑っていたのだが、決してその目は笑っていなかった。
すると、突然一人の男が声も発さず、片手に握っていた鉄パイプで燐子を殴りつけた。
その光景に、ひゅっ、と息を吸い込んだセレーネだったが、燐子はすんでのところでその一撃を躱して、半歩身を引いていた。男のほうもすぐに体勢を立て直し、後退する。
「訓練されている。ただの野盗ではないようだな」
燐子がそう断言することで、思ったよりもピンチなのかもしれないと、セレーネはゴクリと唾を飲む。
だが、だとしたら、何者なのだろうか。もしかすると、解雇した騎士かもしれない。それとも傭兵崩れのごろつきか。
「だとしたら、何だ」唐突に冷ややかな口調になった大柄の男が問う。
燐子はそれを耳にすると、首を左右に振りながら、これ見よがしにため息を吐き出した。それから、キッ、と強い眼差しで男のほうを睨みつけた。
「貴様らのような連中を見ていると、情けなくて反吐が出そうになる」
「何だと…!お前、一体何様の――」
「喋るな。まだ私の話が終わっていない」
忌々しく吐き捨てた燐子は、相手の怒りの視線を歯牙にもかけず、きょろきょろと目玉だけを彷徨わせて、立て掛けてある短めの物干し竿に手を伸ばし、鼻を鳴らした。
「武芸とは本来、気高い精神の元に生み出されるものだ。だというのに、お前たちときたら…。少しばかりかじった武術を、これ見よがしに私利私欲のために振りかざすとは、不届き千万」
ギラリと光る黒曜石に、どうしてか自分も責められているような気になってしまい、思わず唇を噛んで燐子の動きを見守った。
口々に浴びせられる罵声を無視して、手にした竿をくるくると連続で回転させる。その手慣れた棒捌きに、一瞬、誰もが無言になった。
怒っているのか、と今更ながらに気が付いた。ただ、燐子が何に対して怒っているのかは定かではない。
そもそも、自分の命令無しで動き出したことも未だに解せない。
「来い」すっと両手を肩の高さまで移動させ、竿を天に突き立てた彼女が毅然とした口調で告げる。「お前たちに教えてやろう。本当の武芸、そのあるべき姿を」
その日、私は初めて目にすることとなった。
勇猛な帝国の将として名の知れていたジルバーに、『まともではない』と言わせるほどの力を。
それを振るう、燐子という名の一人の剣士の、本当の姿を。
彼女は、私の知る剣士とはまるで違った。
彼女の体現した力は、破壊のための暴力でもなければ、見世物としての技術でもなかった。
ただ、自らの魂を得物に投影させる、『生き様』と呼ぶに相応しい力。
それを目の当たりにした王女は、遠い未来、燐子のような剣士に対して分かりやすい名称を用いることになる。
そう、『侍』という名を。
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