落城 壱
非常に見にくかったレイアウトを、一新しております。
ブックマーク、評価をしてくださった皆様方にはご迷惑をかけますが、
今後もよろしくお願いします!
※ブックマーク人数、評価点が初めて二桁、三桁を超えることが出来ました。
他の作者様たちに比べれば、些細なものかも知れませんが、
自分にとっては感謝感激の数値です!
みなさん、本当にありがとうございます。
煌々と燃え上がる焔が、ついに城の背骨ともいえる大きな柱にまで到達し、その全身を舐めるように這った。
四方から聞こえてくる木の弾ける音の中心に、二人の人間が立ち尽くしていたのだが、そのうちの片方が今、崩れ落ちるようにして両膝を煤のついた畳の上に下ろした。
意思を持つかのようにうねり狂う炎と、天へ還る亡霊たちにも似た煙が二人のいる大広間を埋め尽くさんとしている。
焼け落ちた襖の遥か後方に広がる夜空すら、この忌々しい炎が引火してしまったのか、最早星一つ望めず、赤々と燃えるばかりであった。
終わったのだ。何もかもが。
膝をついた女が俯き加減を強くした拍子に、夜緑色の紐で高く結った後ろ髪が、左右に揺れた。
女が腰に佩いていた二本の刀が、肩を震わせるのに連動して音を立てる。
「泣くでない」
陣太鼓のように低く、堂々とした声が女の頭上より響いてくる。
彼女にとっては聞きなれた、身に染みた声だった。
一喝されたわけでもないのに、それだけで全身に力が戻り、先ほどまでの弱気が酷く恥ずかしくなる。
「申し訳ございません、父上」
両足に力を込めて立ち上がり、これ以上恥の上塗りにならないようにと、乱暴な手つきで目元を擦り、涙を拭う。
それから顔を上げて、姿勢を正して男の方を向き直った。
眉の辺りで切り揃えた前髪の下から覗く、二つの黒曜石が炎を反射して輝く。
「私はまだ戦えます」
男が身に着けている、返り血に染まった甲冑が、その勇猛さを象徴しているようで、女はとても誇らしい気持ちになって顎を引いた。
本来の毅然とした表情を取り戻した女の顔を見て、男は満足気に何度も繰り返し頷く。
そのままごつごつとした指先を自らの顔へと伸ばし、鎧と同じように敵兵の血で染まった頬当てを取り外した。
年季の入った皺が刻み込まれた荘厳な顔は、やはり歴戦の勇士としての威厳を放っていて、それだけでまた女は誇りに満ちた気持ちになれた。
私の身にも、この真の侍の血が流れているのだ。
「燐子よ」
そう言って、男は自らの娘の肩に手を置いた。
炎の熱気を吸収した籠手から、じんわりと熱が伝わってくる。
女は――燐子は、敬愛すべき父の次の言葉をただ粛々と待った。
それがどのような言葉でも彼女は誇りを持って従うつもりだった。
死ぬまで戦うことになろうとも、
誇りを胸に腹を切ろうとも。
主君のために生き、誇りと誉のために命を燃やす。
それが侍だ。
そう信じて生きてきた彼女だからこそ、直後自らの父が言い放った言葉が真のものだとは思えなかった。
「もうよい、お前は逃げ落ちよ」
苦々しい面持ちをしてそう告げた男を、燐子は体を硬直させて見つめていたのだが、一際大きく木が弾けた音で我に返った。
「何を言うのですか」
「屈辱は何度も口にはせぬ」
「何故です!」
強く前に一歩踏み出して、侍とは程遠い真似を自分に命じた父へ非難の眼差しを向けた。
それでも男は塵程の後ろめたさもなく、既に決めたことだと言わんばかりに決然とした表情を崩さないままだった。
それが一層燐子の感情をかき乱してしまう。
「まだ体は動きます、刀だって折れてはいません!それでどうして退くことができましょうか!それのどこが侍でしょうか!?」
男は、その海のような穏やかさと苛烈さを秘めた瞳をゆっくりと瞑り、数秒程経ってからまたゆっくり開くと、おもむろに手を燐子の頭へとやった。
ここへ来て頭でも撫でるつもりなのかと不審に思ったが、間もなく自分の頭髪を縛っていた感覚がなくなって、代わりにうなじに髪の毛が触れたのを感じた。
後頭部で結っていた髪紐が解かれたのだ。
父の行動の意味を考えるよりも先に、目の前で真一文字に結ばれていた唇が重々しく動き、言葉を紡いだ。
「お前が、侍ではないからだ」
「・・・侍では、ないから?」
頭を重量のある鈍器で殴られたかのような錯覚を覚えて、燐子は思わずふらついてしまった。
そして彼女が頭を整理する暇もなく、男は辛辣に言葉を続ける。
「我が家系では、女は侍にはなれない」
自分をずっと苦しめていた言葉を改めて耳にして、燐子はぐっと奥歯を噛み締めたのだが、すぐさま瞳に力を宿すと、「承知しております」と早口で答えた。
そしてその上で、思いの丈をぶつける。
「ですが、そのようなものは所詮上辺だけのこと。身分など、真の侍の姿には一切の影響はありません」
それはずっと、燐子の父が、目の前の男が彼女に教えてきたことだった。そして燐子が常に自らの魂に説いてきた教えでもあった。
男と燐子はしばらくの間睨み合うようにしていたのだが、それは大きな勘違いで、その実は互いの目の奥に映る輝きを覗き込み合っていたのだ。
もちろん二人の目には、何よりもまず直ぐ傍まで迫って来ていた炎の煌めきが反射していたわけだが、それでも確かに、父と娘の目には何かそれ以上に強く輝くものが見えていたことは間違いなかった。
ややあって、男が深く頷いた。
「よかろう、では真の侍とは何だ」
「身分ではなく、魂に宿る誇りを持つ者でございます」
「ほう、ならば侍として、今の状況をどう見る」
男の言葉を耳にすると、燐子はさっと外廊の方を横目で一瞥した。
その長さは時間にして1、2秒程度のもので、直ぐさま彼女は目の前に凛と仁王立ちする男の目を見つめて言った。
「敗色濃厚、然れども討ち死にし、晒し首となっては恥でございます」
この城は大した規模のものではないが、率いる兵は皆洗練された武芸者と名の知れた者たちばかりであったため、敵軍は十二分の兵力を用いてこの城を攻めた。
そして奴らは今、城郭で我らの国が亡国の目に遭うのを、息を潜めて見守っている。
最早、誰一人として燃え尽きんとする火城には足を踏み入れようとはしていなかった。
それも当然である。大将首を得んと欲した者たちは皆例外なく、炎の中に散ったからだ。
出世に目が眩んだ卑しき者たちだったが、仲間たちが目の前で刀の錆になろうと怯まず全力で向かってきた。
父上のような侍の足元にも及ばないが、確かに彼らは武士であった。
燐子は、「父上」と短く呟いてゆっくりと瞬きをする。
それから、灼熱の中でも岩のように表情一つ変えずにいる自らの父親が頷いたのを見計らって、一音、一音丁寧な口調で明瞭に告げた。
「腹を切るべきかと」
「何故だ」と念仏のように低い口調で言う。
「命惜しさに高みの見物を決め込んでいる奴らに、見せつけてやるのです」
男の瞳がギラリと光ったのを確認して、燐子は自分の考えと父の考えが同じだということを悟り、形容し難い感動を胸に抱きながら断言した。
「侍の、誇りと、在り方を」
その言葉はまさに、命への決別とも言い換えても良い代物であった。
そう評するに値する潔さと、爆破寸前の恒星のような輝きに満ちていたのだ。
レイアウトを変更したものを、すぐに更新していく予定です。
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