人形ガ壊レタ日
ガブリエラは、医者の父親と看護師の母親の間に生まれた1人娘だった。両親が言うには、赤ん坊だった頃からとても育てやすかったらしい。夜泣きもなければ、好き嫌いもない。愛想も良くて、よく笑う。病院には、彼女目的で人が集まるほどだった。
成長してからも変わらず、反抗期もなく、望まれるように育った。魔術の才もあり、学校では常にトップだった。それを鼻にかけず、誰に対しても優しく接した。加えて、思わず2度見してしまうほどに整った容姿。そんな彼女を、「まるで、人形のように愛らしい」と周囲は称した。そして、両親は強く彼女に期待した。
「貴方は、とても優秀ね。絶対に立派なお医者さんになれるわ」
「そうだなぁ。これで、俺の診療所も安泰だなぁ」
「うん、私、立派なお医者さんになるね」
自分がどうしたいのかなど、誰からも聞かれたことがない。聞かれても、答えられなかった。ずっと、両親の描く理想のままに生きてきた。両親の意思が、自分の意思。夢も理想もない。お手本のようないい子。まるで、人形。両親にその自覚はなく、周囲もまた幸せな家庭ともてはやした。朝食は近所の有名な喫茶店で、昼食と夕食は母親の手作り。父親が出張で遠くに行く時以外は、家族で食事をすることは絶対だった。
そんな人形に変化が現れたのは、ほんの些細なことがきっかけだった。
「おらっ、おらっ!」
「キャー! 気持ち悪い! その靴で、あたし達に近付かないでよー!」
当時のガブリエラよりも、少し幼い子供達が何かをして戯れていた。その内の1人が、地面を笑顔で何度も踏みつけ、他の子供達も笑いながら逃げていく。
「へへ、じゃあ、これでもくらえっ!」
「ギャーッ! 最低!」
「ヤバ、キモ~! アハハハ!」
子供達がいなくなった後、彼女は何の気なしにその場所を確認した。すると、そこには――。
「生ゴミと……虫? 蝿、かな?」
異臭を放つ生ゴミと、その周りで無残にも潰された蝿達があった。
(なるほど。あの子達は、蝿を潰して遊んでたんだ。ぺっちゃんこだなぁ……蝿って潰れると、こんな感じなんだ)
しかし、まだ数匹ほど生ゴミの中に蠢く蝿がいた。
(潰す時って、どんな感じがするんだろう? 小さい虫だけど、感触あるのかな?)
それは、初めて彼女の中に芽生えた興味。
(パパ達は、虫も殺さずに逃しなさいって言ってたけど……)
好奇心と言いつけの狭間で、彼女は葛藤していた。その時、1匹の蝿が生ゴミの中から這い出てきた。それを見た彼女は、衝動的に蝿を潰した。
「あっ……あぁ……」
初めて、言いつけを破った。罪悪感と衝撃が、彼女を貫いた。
(何の感触もなかった……潰した感じがしない。でも、死んでる。ぺっちゃんこ。私のせいで。あの子達は、それを楽しんでた……どうして楽しかったんだろう? いっぱい潰したから? あぁ、命の終わりってこんなにも呆気ないの? 他の生き物もそうなの? あの子達も、私も、パパやママも……)
それからというもの、常にその日の光景が付きまとった。何をする時も、潰れた蝿が頭から離れない。
「では、お薬出しておきますね。隣に薬屋がありますから、そこで受け取って下さい」
「えぇ、本当にありがとうございます。助かりました」
(パパは、病気や怪我をした町の人達を治療する。一体、何の為に? 死ぬ時は、あんなにも呆気ないのに。パパが治療する所を見てもつまらない……あの人の怪我が悪くなっていたら、どうなったの? そっちが見たかった)
辛い日々だった。本当の自分と求められる自分の姿のギャップが、あまりにも深かったためだ。誰にも相談できない苦しさから、涙が溢れて止まらない夜もあった。それでも、誰かと共にいる時だけは、これまで通りを貫いた。故に、誰も彼女の異変に気付かなかった。両親でさえも。
溜まりに溜まったストレスは、近くのゴミ捨て場に集うカラスなどの動物に向けられた。魔術痕というものがあることを知っていた彼女は、魔術には頼らず身近にある毒性のありそうな物で欲求を満たした。やがて、それは実験となり、対象は動物から人間へと移行した。積み重ねていく内に、迷いや恐れは小さくなっていったのだ。
ある日の夜中、彼女はノートに実験結果をまとめていた。両親ですら寝ている時間に起き、集中する。何の勉強よりも捗った。貴重なありのままでいられる時間。しかし、突如としてそれは奪われる。
「――ギャビー。こんな時間まで起きているなんて、どうしたんだい?」
「っ!? あ、あぁ、パパ……」
気が付けば、隣には心配そうな表情で顔を覗き込む父親がいた。
「ノックをしたんだけど、返事がなかったから……とりあえず、無事で良かった」
「明日、大事なテストがあるから……」
「そうかい。だけど、夜中に勉強するのは良くないよ。朝早く起きて勉強した方がいい。ちなみに、テストの範囲は……」
父親が、ノートを見ようと顔を近付ける。
「――っ、見ないで!」
咄嗟に、彼女はノートを閉じた。
「え?」
今までにない反応に、父親は唖然としていた。その姿を見て、心臓が止まりそうになった。してしまったことは、もう取り消せない。彼女は、謝るしかできなかった。
「えっと、あ……字が汚いから恥ずかしいの。ごめんなさい……」
「あぁ、いやいや! パパの方こそ、勉強中に悪かったね。ギャビーも、もう大人になろうとしてるんだもんね……じゃあ、パパはトイレに行って寝るよ。おやすみ、もう寝るんだよ?」
「うん、お、おやすみ……」
父親が出て行った後、彼女は頭を抱えて震えた。
(見られたかもしれない、このノートにまとめた実験結果。それに、言い付けを破って夜ふかしをしてるのがバレちゃった。このままだと、全部無駄になる。悪いことをしないように、毎日監視されるかも……嫌、そんなの嫌! こうなったら、こうなったら……パパの人生を終わらせる! もうそうするしかないんだ!)
初めて、父親を拒絶した15の冬。短絡的な考えで、彼女は殺害を決意した。
もし、家族を終わらせるならと何度も考えたシュミレーションの内の1つを試すことにした。家の中で殺すのは、リスクがあり過ぎる。なので、毎朝通う喫茶店で実行に移した。
(パパ……どんな風に苦しむのかな)
人体に効果があるとわかっている毒を、目を盗んで父親のコーヒーに混ぜた。即効性があるものではなかったが、それを摂取した数時間後、激しい嘔吐を繰り返した。知人の病院に行ったものの容態は悪化する一方で、翌日に死亡した。嘔吐物などを調べた所、毒物が発見され、警察も動いた。
しかし、防犯カメラもなければ、目撃証言もない。一見純朴な少女が、犯人とは見抜けず解決には至らなかった。いつもの喫茶店で、いつもの食事。何も変わらない中で、どこに変化があったのだろうかと。
「あ、あぁ……貴方、どうしてこんなことに。一体、誰が……」
「ママ……」
旦那を失ったことで、母親はすっかり弱ってしまった。働ける状態ではなくなり、病気がちになった。理想の娘らしく看病したが、病状は悪化するばかりで翌々年には死亡した。僅かな期間で、孤独になってしまったガブリエラ。町中が、彼女を憐れみ同情した。
「貴方、これからどうするの?」
友達が、心配そうに尋ねた。
「看護の道に行くわ」
「え? でも……」
その友達は驚いていた。てっきり医者になるものだと思っていたからだ。両親が亡くなってしまったとはいえ、財産には余裕がある。医術について学ぶ余力は十二分にあるはずだった。学力にも、魔力にも申し分はない。
それに対し、ガブリエラは笑顔で答える。
「やりたいことがわかったの。私は、なるべく、患者さんの近くにいたい。体調の変化に気付いてあげたいの。パパやママの夢を叶えられないのは申し訳ないけど」
実験を行うには、看護師という仕事は最適だった。医者になると診療や治療がメインになり、患者と関わる時間は減ってしまう。そんな本音があることを、友達が気付くはずもない。ましてや、動物も人も躊躇なく殺す化け物であるなどと。
「そっか……そうなんだね。1人で行くの?」
「そう、家を借りる。近所に親戚の人がいる所だけどね」
「寂しくなるな。皆、貴方のこと好きだから」
「私も、皆が大好きよ」
目を潤ませる友達を、そっと抱き締めた。
「落ち着いたら、会いに来てくれる?」
「そうだね……うん」
「約束よ」
「うん、約束」
しかし、その約束は結局果たされることはなかった。帰りを待ち侘びていた者達の手元には、残虐な犯罪に手を染めるガブリエラの写真だけがあった。




