ソの筆ハ何ヲ描くノか
「これは、一体どういうことかしら。どういう神経をしているのかしら。私の高尚な芸術を妨害するなんていい度胸ね」
背中越しからでも、シャーロットの怒りが伝わってくる。
「こうしょう? 何それ」
何とも思っていないぞとアピールするため、わざと言葉の意味を尋ねる。
「意味も分からないの? 大した教育を受けてないのね。侵入できたことだけは褒めてあげるけど。目的は何? お金?」
「悪いね。でも、教育を受けてもお前みたいになるんだったら、別に受けなくてもいい。金なんかいらねぇよ。欲しいものなんてねぇ、俺は……お前から奪うだけだ!」
そう言うと、彼女の頬に右腕を押し当てた。
「きゃっ! 熱い!」
「ちょっと炙っただけだろ。お前がやってきた味付けの比にもならねぇ」
火傷は残るかもしれないが、命に関わるようなものではない。瞬殺することが目的ではない。いたぶって、徐々に壊していくことが目的だ。
「ふざけないで! こんなこと、許されると思っているの!?」
「あぁ、思ってるよ。お前になら、な!」
「う゛!」
オースは、力いっぱいに彼女を蹴り飛ばす。呆気なく転がった彼女は、ここでようやくオースの姿を見る。
「貴方……一体何者なの?」
全身を覆い隠すコートと、顔に巻かれた包帯。流石の彼女も、戸惑いを覚える。
「俺は、魔王様に従う者。お前を殺しに来た」
(決まった。こういうのかっこよく言ってみたかったんだよな)
彼女を見下ろしながら、心の中でガッツポーズを決めていた。少しだけ自信を取り戻せた。
「魔王軍……? ここは、前線ではないわよ。どうして、わざわざこの私を殺しに来たのかしら」
「お前が好き勝手やったせいじゃないか? もう少し上手くやってくれていれば、こんなだりぃことをせずに済んだのによ」
「私は、公爵家の女。この国において、好き勝手は許されるわ。そもそも、周りにああだのこうだの言われた記憶はないわ」
「あぁ、そうだろうな。周りで、ああだこうだと言う奴はいねぇだろうな。言いたい奴はいるかもしれねぇけどな」
指摘する度胸があるのなら、とっくに反旗を翻しているだろう。ないからこそ、何も言わずに従い続け、残虐行為の片棒を担いでいる。
「つまり? はっきりと仰ったら? 嫌いなの、やんわりと遠回しに言ってるつもりなのが」
「お前のやっていることは、少しずつ明るみに出てる。そして、こう言われてんだ。『リー家は、魔王軍の協力者だ』ってな。これが、問題なんだな。お前が芸術に磨きをかければかけるほど、魔王様の名に傷が付く。魔王軍としては、当然見逃すことはできない。そして、お前がこれまで魔王軍に擦り付けてきた罪の報いも受けて貰う。だから、殺す」
それを聞いて、彼女は吹き出す。
「ウフフ……フフフフフ! 知ったこっちゃないわね。確かに、私は娘達を多く殺したけれど……だから、何? まぁ、世間様が私を悪と捉えることは理解してあげられるけれどね。でも、それと魔王軍が結び付けられるのは、自分達の責任じゃなくって? 同じようなことをしているから、よりその悪名が轟いているから、そうなってしまうんじゃないの? 私の責任にされても困る」
「なん……だと?」
明らかな侮辱。魔王に心酔するオースには、聞き捨てならないものだった。沸々と怒りが込み上げてくる。
「世間から見れば、魔王軍も私も同じ。仮に崇高であっても、そこに誰も興味なんてないの。ただ、殺しをしているということにだけ興味を引かれるの。まぁ、魔王軍の目的なんて誰も知りたくないし、理解なんて示さないでしょうけどね。そこの、正義気取りの魔王軍の方。言わせて頂くけど、貴方に私を裁く資格なんてこれっぽっちもない! 邪魔はさせない、作品は絶対に完成させる! 無礼者は、ここで散りなさいっ!」
「っ――!?」
彼女の手元が黄緑色に光った途端、オースは壁に叩きつけられた。強風が、体をさらったのだ。
「女だからって舐めないで頂戴よ。これでも、公爵家の血筋なの。低俗な魔物風情に負ける女じゃないわ」
よく見れば、彼女の手には大きな筆が握られていた。
(あれは、筆? あんなのに、俺は吹き飛ばされて……? しかも、なんか黄緑色に光ってねぇか?)
「な、ん……なんだ、それは……」
オースの中で、筆は絵を描く物という認識。だが、魔力がそこから流れてくるのをひしひしと感じる。
「あら? 見たことないのかな~? いいわよ、私優しいから教えてあげる」
これまで、リュウホウとの戦いの中で何度も叩きつけられてきた。その度に負う傷は、持ち前の回復力でどうにかなっていた。砕けた骨も、裂けた肉も一瞬で元通りだった。なのに、たかが1回、魔術で叩きつけられただけで、こんなに時間がかかろうとは。いつになれば、体が本調子になるのかわからない。
(ヤバい。凄く嫌な予感がする。でも、体が痺れて上手く動かねぇ。骨も折れてるし、血もまだ出てる感じだし……回復力も下がってる?)
「これは、杖。魔術の発動を補助する道具。筆を模した杖で、イメージをそのまま描き出せる」
そして、毛先を今度は緑色に光らせる。すると、どこからともなく植物が現れ、壁で悶えるオースの四肢を捕らえようと伸びてくる。
(薔薇の……茎!? くっそぶっといのに、蔓みたいにくねくね動きやがる! こんなものっ!)
まとわりつく茎を、炎をまとい薙ぎ払う。
「杖の長所は、個人それぞれの欠点を補える柔軟性。短所は、壊れてしまったらそれで終わりな所。でも、最近の杖は凄いのよ。そんな欠点あったんだってくらい、耐久性に優れているの」
「聞いてもねぇのに、つらつらと言いやがって! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
ようやく怪我が癒え、痺れも落ち着いた所で、オースは壁から離れることができた。しかし、それでも薔薇は追ってくる。その棘だらけの茎で捕らえようと。
「あらあら、壁に叩きつけてあげたのに、もうすっかり元通り。美しくないわ。ここで使い勝手が良かったら、魔物も検討の余地に入れてあげる。どうやら、魔物の血も赤みたいだし」
「それは……聞き捨てならねぇな。魔物をそんなことに使われたら、あいつも怒る」
(こいつは、魔物のこと全然知らねぇんだ。まぁ、そういうもんか……この国は、比較的穏やかみたいだし、こいつは守られてるみたいだし。普通に生きてりゃ、血の色なんてわかんねぇよな)
「あいつ? 誰かしらね。興味ないけど」
毛先が緑色に光ったまま、中央部分が灰色に輝き出す。今度はわかる。足元で魔力が激しく動いているのを察知できたからだ。
「あぶ!」
石の床から現れるのは、岩。間違えても突き刺さらないようにと逃げる足元から、次から次へと現れる。加えて、薔薇も拘束しようと追いかけてくる。
(体は全然本調子じゃねぇが、動ける! 俺は、魔王様のためにここに立っている! この変人を抹殺するんだ!)
「さっきいい具合に直撃したのは、不意を突けたからかしら? しばらく触ってなかったから、腕が落ちちゃったのかもしれないわね。ねぇ、戦いがいがない? 私じゃ物足りない? その赤い血は、この程度ではたぎらないかしら?」
すると、そんなオースを見て、突然落ち込んだ様子で攻撃の速度を緩める。
「はぁ? 何をごちゃごちゃと……」
「だって! 貴方が余裕綽々に逃げ回るから。私は、苦痛が見たいの! 苦痛が、絶望が血を彩るのに! でも、それができないのは実力で劣る私に問題があるのかもと思って。私が手玉に取らなければ、上手に味付けができないのに! どうして、私は肝心な所で……」
彼女の涙から、大粒の涙が溢れ出す。
(情緒どうなってんだよ。笑ってたと思ったら泣き出したぞ! つか、ヤバイのは俺の方なのに! 十分、この俺を手玉に取ってるよ。こっちは、時間がねぇってのに! これじゃ、やり返す余裕がない!)
そんな時、リュウホウに打ち勝つために、レイに言われた言葉を思い出す。
『焦っちゃ駄目だ。急いては事を仕損じるよ。大事なことに気付けなくなる。動きをよく見るんだ、動きを。まずは、観察だよ』
(そうだ、観察! こういう時こそ、相手の動きをよく見るんだ。攻略の基本は相手を知ること!)
基本に立ち返り、薔薇と岩から逃げながら、彼女の行動を観察する。隙を突き、癖を見抜くために。
「うぅ……うぅ! 惨め、惨めだわ。貴方が動き回っているのを見ると、さっきまでの自分を思い出して恥ずかしい! 早くその足をもぎ取って、息の根を止めてあげる! そして、その血を見せて!」
泣き叫びながら、再び攻撃の速度を上げる。
「うん、キモい! 勿論、お断りだ!」
彼女の情緒のように乱れる魔術を避けながら、オースはその時を待つのだった。




