ぬいぐるみは心の距離
誰かに見られていることなど露知らず、オースは苛立ちを隠しながらせっせと働き続けた。
そして、迎えたその日――家を出る前、突然ルースに呼び止められた。
「――兄さん!」
「あ?」
「これ……!」
差し出されたのは、小さな人型のぬいぐるみ。薄い赤髪に赤い瞳が特徴的だ。しかも、にっこりと笑っている。どことなく、ルースに似ていた。
「まさか……これ、お前?」
思わず、オースは眉間にしわを寄せる。
「離れ離れになっちゃうじゃないですか? 本当は嫌ですけど、せめて兄さんが一緒に来てくれたらって思うけど……できない……ので」
「マジかよ、お前」
(気持ちわりぃ……)
心の奥底から引いていた。つまり、これをルースだと思って持っていて欲しいということだろう。
「僕は、兄さんのぬいぐるみを持っておきます」
そう言って、彼はかばんのポケットから濃い赤髪のぬいぐるみを取り出す。
「やめてくれ……女子かよ。いや、女子でもここまでしないかもな……」
「じゃあ、僕と入れ替わりますか?」
「なんでそうなる。馬鹿か、同じことを何度も言わせるな。頭に虫湧いてんのか、いい加減にしろ。というか、それとこれとは話が別だろ」
「はぁ……ですよね、だからこのぬいぐるみがいるんですよ」
彼にとって、2人のぬいぐるみを作ることが妥協案だったらしい。だが、オースはその妙なスキルの活かし方に憤りも忘れて、困惑していた。
「そういうのってよ……なんか、違うと思うだけどよぉ。まぁ、それで満足するならいいわ」
「嫌だったら、別に僕は一緒に来てくれても構わないんですけどね……」
「しつこいっつうの!」
何度も何度も頼み込まれ、苛立ちを思い出したオースは、ぬいぐるみをひったくり足早に立ち去った。
(後で絶対に捨ててやる……)
その後ろ姿を、ルースは寂しそうに見つめていた。
***
なんやかんやあったものの、時間は当然のように過ぎていく。そして、オースは理想の兄としてその場に立つ。心の中にあるどす黒い感情は、ここにいる誰も知らない。
(どうして……)
周囲の全ての視線が、ルースに注がれているのがわかる。誰も、自分に興味を持っていないことも。
(どうして、俺じゃないんだ)
村人達に囲まれるルースを、少し遠くからぼんやりと見守っていた。すると――。
「ほらほら、オース! 兄としてなんか言ってやりな!」
陽気な女性に背中を強く押され、オースは無理矢理前へと押し出される。話をまるで聞いていなかったため、彼女に合わせる形で誤魔化す。
「っ、いってぇな……別に言うことなんて」
門出を彩る言葉を送れと言う。まさに、物語の脇役としての役割――踏み台だ。
「あ、あの兄さん、一緒に来て下さい。いつだって、僕らは手を取り合って歩んできたじゃないですか」
「は? 何言ってんだよ、勇者に選ばれたのはお前だろ」
ルースの頭を撫でれば撫でるほど、どうして選ばれたのが彼なのかがわからなかった。勇ましさなど、微塵もない。足手まといになる未来しか見えなかった。
(手を取り合って? 違う。こいつは、いつも俺の後ろに隠れてめそめそしてた。なんで、こんな奴が選ばれるんだ!)
「もしかしたら、何かの間違いかもしれません。いえ、絶対に間違いです。天は兄さんの顔と、僕の顔を間違えてしまったのです。僕は弱いです。噂を聞くだけで恐ろしい魔王なんて、倒せるはずがないです」
今日までの期間、弱気なことをぼやいたり、相談してくる彼をどれだけ励まし続けただろう。心が死にそうになりながらも、理想の兄として振舞った。
ところが、出発間際になっても何も変わらない。これまでの苦痛が、全て無意味に感じられる。
「だとしたら、天は大間抜けだな。違ったら、いくらでも代わってやるよ。いくらでも……な。こんな所で足踏みするな。そんなお前を……待ってる奴がいるんだから、行ってこい」
「頑張ってくるのですよ……」
「絶対一緒にご飯食べようなぁ……僕らずっと待ってるからなぁ……」
ルースは、残念なくらいに両親の弱い所を受け継いだ。負の塊だ。そんな家族だから、オースは強くあろうとした。
「ったく泣くなよ、情けねぇ。そういう弱っちい所は親に似たよなぁ」
「――あのー! すみません、そろそろ流石に行かないと約束の時間に間に合いませんのでよろしいでしょうかー!」
ぎりぎりまで延ばしてもらった時間。これ以上長引けば、あの騎士の面子を潰してしまうことになる。
「はぁ……じゃあ、行ってきます。でも、多分、勘違いだと思うので帰ってきます」
「急いで下さい! こっちも大変なので!」
「ご、ごめんなさい!」
とぼとぼと歩く彼を、兵士が急かした。すると、慌てて走り出す。別れの言葉を残す余地もなく、馬車に押し込まれる。
「出発させて下さい!」
「あいよ~行きま~す」
瞬く間に消えていく馬車。
これから先、ルースが勇者としての活躍を見せたとする。けれども、当然ながら注目されるのはルースだけ。オースのことなんて記録にも残らない。これまでのことよりも、これからのこと。村でのことなど、誰1人として見向きもしないだろう。
(頑張ってきたのは、この俺なのに……こんなの、あんまりだ!)
周囲が余韻に浸る中、ひっそりとオースはその場を後にする。目の前のことに誰もが囚われている中、オースの動きに気付く者はいなかった。
(やっと、あいつのぼやきを聞く生活も終わった。最後の最後まで、うるさい奴だった。さて、後はこいつを捨てるだけ……)
村の外れに移動したオースは、ぬいぐるみを取り出した。本人よりも、ぬいぐるみのの方がよっぽどいい笑顔である。
(……いつの間にこんな物を作ったんだ。というか、あいつ……自分はこんな常に表情だと思ってんのかな)
残念ながら、いつも困り顔だ。加えて、幸も薄そうで、周りからは体が弱いとも思われている。それくらい、表情も雰囲気も弱々しく暗い。
(これを作るくらいなら、ちょっとは自分を鍛えることをした方がよっぽど有意義な気もするんだがな……まぁ、1週間程度じゃ意味はないか)
何度か行った街の店で並べられていた物よりも、精巧に作られている。だからこそ、ルースのあの弱気な姿が脳裏によぎって不快だった。
(見れば見るほど、精巧だ。きっと、あいつがもしも金持ちだったら……農民にさえ生まれなけりゃ、この才能を生かした職業にも就けたんだろうなぁ。だが……そこが、ウザいっ!)
ぬいぐるみの首元を強く握り締め、大きく振りかぶるフォームで森に向かって投げる。すると、それは綺麗な弧を描いて森の中へと消えて行った。
「あー! すっきりしたぜ!」
本人にはぶつけられなかった感情を、そのぬいぐるみに乗せた。全てが晴れた訳ではなかったが、現時点では満足していた。
「さて、親父とお袋はくっそ落ち込んでるだろうし……励ましのお仕事でもするかねぇ」
(どうせ、俺はいわゆる主人公にはなれねぇんだ。生涯、フォーカスされることなく……死ぬ)
ただ、そんな惨めな己の人生を鼻で笑うしかできなかった。




