欲望ヲ筆に乗せテ
人気のない真夜中の町を、おぼつかない足取りで歩く男がいた。彼は、とある新聞社で働く名もなき記者である。仕事では一切評価されず、後輩に抜かされてばかり。また、ギャンブルと酒が大好きで、なけなしの財産を無駄に消費する日々を続けている。そのため、家族からは見放されていた。それら全ての原因を、他の誰かや環境のせいにしてばかりいる。いわゆる駄目男だった。
「あ~あ、ったくよぉ……何が取材不足だよ、ヒック。俺より年下のくせに、偉そうに。現場に出てから文句言えってよぉ……」
今日もまた、不満や苛立ちをギャンブルと酒にぶつけた。酔いがすっかり回り、当然家に帰るつもりもない彼は、路地で一寝入りしようと考えていた。いつものように、壁にもたれかかりながら。
「う~、今日はどの辺にすっか……」
暗い路地道を通りながら、ベストポジションを探る。雨風を凌げて、いい具合に隠れやすい場所を。そして、彼は見つけてしまった。路地を抜けた先にある行き止まりを。
「あ……?」
そこには、古ぼけた家が1軒建っていた。けれども、その家のドアはぽっかりと穴が空いていた。
(何があったんだ? こんな不自然に穴ができることってあるのか?)
腐っても記者。片隅にあったジャーナリズムが刺激され、その先へと進んでしまった。その穴の奥を見てみたくて。1歩、また1歩と近付く度に中の様子が鮮明になっていく。中は、ボロボロで荒れていた。
(廃墟? いや、待て……誰かいるぞ)
足音を立てないように近付き、壁に隠れて目を凝らしてみる。
「はっ……」
中にいた人物の正体に気付き、思わず声を上げてしまいそうになったが、咄嗟に口を塞いだ。
(間違いねぇ、あいつは……魔王軍幹部の狐女。テウメって野郎だ)
帝国は、魔王軍の本格的な侵攻を受けてはいないが、周辺諸国からの情報は得ている。加えて、記者という立場から一般人よりは詳しい。今、家の中にいる獣の耳と尾を持った白い女性。美しくて妖艶で――冷酷。どこかの国のとてつもなく強い騎士ですら苦戦を強いられると聞いた。ただの記者である彼には、到底敵うはずもない相手だ。
彼女は、子供を抱えてベットに優しく下ろしていた。話に聞く冷酷さなど、微塵も感じさせない。まるで、母のようだった。一体何が目的なのかはわからない。ただ、この状況は絶好のスクープになることは間違いなかった。
(と、とりあえず、写真! 写真をこっそり撮って、さっさと退散しよう。カメラ、カメ……)
だが、焦りと恐怖と緊張で、手は上手く動かなかった。掴んだはずのカメラは、無情にもその手から転がり落ちていった。静かな夜に、音はよく響いた。
「あら……」
彼女は振り向き、優しく微笑む。そして、ゆっくりと彼に近付いていく。
「や、やべぇ……」
慌てて逃げようとするが、恐怖で足がもつれて、その場に倒れ込む。
「あらあら、大丈夫ですか?」
彼女はしゃがみ込み、手を伸ばす。
「え?」
出会えば殺されるものだと思っていたのに、優しさに触れて困惑した。
「……大丈夫ですよ。皆さん、誤解するんです。出会い頭に、殺されるって。そんなことより、貴方は、記者さんですか?」
「ど、どうしてそれを……」
「カメラを持っていたので、なんとなく。鎌をかけてみました。どうやら、1発目から大当たりみたいですね。そうですか、記者さんですか。こうして会うのも何かの縁……お近付きの印に、取引をしませんか?」
「取引?」
そう言うと、彼女は端末を取り出した。
「この家と周辺であったことについての詳細が、ここにあります。いわゆるメモみたいなものです。良ければ、それを記事にして出してみて下さい」
「記事って……俺が書いた所で、デタラメだって馬鹿にされるだけだ」
「そんなことはありません。皆の心の中で、どこか引っかかっている物を取り除けるのですから。証拠も根拠も十分です。真面目に働いている方こそ、わかるはずです。やってみればわかりますよ。どうしますか? やらなければやらなくてもいいですが……他の誰かにやって貰うだけですし。折角のご縁でしたが……」
「……何?」
彼女は、わざとらしく肩をすぼめ、困ったように微笑む。
「この端末には、これからも他の誰もが知る由もない事実と証拠が集められていくでしょう。それを記事にすれば、地位も名誉もお金も自然と手に入るはず。ですが、そのビックチャンスをわざわざ誰かに譲ると言うのなら――」
ビックチャンス、それを聞いた彼の体はもう動いていた。ちらつかされた可能性を掴まずにはいられなくなった。これまで、どれほど望んでも手に入らなかったもの達。いつだって、手をすり抜けていった。お金を積んでも、媚びても、願っても、どうせ無理なのだと諦めていた。
「やる! だから、だから……」
端末を握り、懇願するような視線を向けた。すると、彼女は優しく頭を撫でた。
「意地悪を言ってみただけです。ただ、いくつか条件があります」
「条件……!?」
「そんなに身構えないで。ちょっとしたお約束みたいなものです。これさえ守って下されば……貴方の活躍を約束しましょう。覚悟はできていますね? 魔王軍である私と取引するということが、どれだけ重みがあるかわかっていますか?」
「こ、ここに来て脅しか?」
「それだけ大切なことという意味です。魔王軍が介入していると明らかになると、厄介ですから。まぁ、その場合は……命はないということだけは肝に銘じて下さい」
優しい笑顔を浮かべてはいたが、目の奥は氷のように冷たかった。
(う、裏切らなきゃいいんだよな……言われた通りにやれば、俺は上に行けるんだよな)
「言わば、これはギャンブル。上手くいけば、貴方は全てを手に入れられる。下手を打てば、国家反逆罪となるかも……再度問いましょう。覚悟……できてますよね?」
***
受け取った端末を見ながら、彼は記事の執筆に明け暮れる。酔いも眠気もない。端末から発せられる光を頼りに、壁を机に、ノートに記事を書いていく。そこにあった内容、全てが衝撃的。抱いていた恐怖もどこへやら、これから訪れるであろう未来に期待していた。
(まさか、心臓取りの事件を魔物ではなく、子供が起こしていたとはね。こんな大ニュース、他の記者よりも鋭くて詳細な記事を書けたら……俺の名も上がる! そうすれば、出世も間違いなしだ! クフフフフ……)
魔王軍の仕業だとされていた心臓取りの事件は、グレースと呼ばれる少女の手によるもの。亡くなった人物を蘇らせるために、地道に殺戮を繰り返した。
「クフフフフ……!」
サリーサン帝国は、他の国々とは違い、本格的な侵略行為は水際で防ぐことができているという評価にあった。事実、魔物によって壊滅状態になった都市はない。圧倒的な軍事力と女帝の統率力で成せていることなのだと、多くの帝国民は誇りに思っていた。
それでも、時々魔物騒ぎが起こる。内部に魔物の発生源を作られることがあるからだ。それによる死傷者は、多数いる。今回も、それの類だとされていた。いや、そうしたかったのかもしれない。今、必要とされているのは結束力。人間対人間の構造が出来上がってしまったら最後、魔物に対抗する力が弱まってしまうからだ。警察も国家も、それを恐れていた。
(天は、俺を見放しちゃいなかったんだ! 約束さえ守れば、俺の未来は安泰なんだ!)
出された条件は、3つ。自分の意見や感想は一切書かず、言わないこと。端末に書かれている情報以外を書かないこと。魔王軍と関わりがあると言わないこと。これらを守れば、どのように記事にしてもいいとのことだった。仕事をしている間は、身の安全は保障するとも約束してくれた。
「俺は……金持ちになる!」
己の欲望のままに、彼は誰かの未来を踏みにじる。全ては自分のために。




