部屋ヲ出るたメの鍵
「――はぁ」
かれこれ数時間、ようやく少女が動き出す時が来た。あの男性が帰ってきたのだ。じんわりと続く頭痛に耐えながら、観察を続けていた甲斐があったというものだ。
(地下から逃げ出したグレースィット=アルミノワ、か。自分の命まで狙われているのに、わざわざ目立つ行動をするんだ? 情報漏れが魔法陣のことだとしたら、生活範囲とかがバレバレじゃん。地の果てまで追いかけるってあったけど、こりゃ一体……)
室内に用意された魔法陣の上で、男性が煙草を優雅に吸い始める。少女は移動し、窓から彼の様子を観察する。ぷかぷかと浮かんでくる煙が、呑気さを演出する。傍から見て事情を知っていると、非常に滑稽であった。
(いよいよか)
少女が息を吸い込んだ時、オースは始まりを察した。一瞬も見逃さないように、さらに目を凝らす。この瞬間のために、長い長い時頑張った。始まりから終わりを見ることで、確実なものとする。終始誰の指示も受けず、自らの意思で動いて殺害に至っているという事実を得たいから。
『陣発動、簒奪』
呪文を唱えて手を引くと、隠されていた魔法陣が怪しく輝き始める。男性は動かなくなった体と魔法陣に驚愕し、吸っていた何本目かの煙草を落とした。その直後、彼の体から心臓が抜き取られた。
『あ゛あ゛……』
彼は目を見開いたまま倒れ、その後はぴくりとも動かなくなった。血が海のように広がり、魔法陣は消え去った。2度目でも、目を逸らしたくなるような光景だった。
そして、少女は近くにあった石で窓を割った。すると、その場に漂っていた心臓が、彼女めがけて飛び込んでいった。彼女は、大事そうに受け止めると、一目散に走り去った。
『はぁ……はぁ……おじいちゃん! 待っててね……!』
独り言をぶつぶつと呟きながら、少女は走る。彼女は信じている。今度こそ、夜が明けることを。
(これを繰り返して27回目か)
飛び帰ってきた彼女は、肋骨の下に心臓を入れ込んで唱える。
『陣発動、復活』
呪文に反応し、骨に刻まれた魔法陣は赤く輝く。すると、骨はカタカタと音を立てて動き始めた。
(あぁ、でも……多分駄目だろうな)
その予想は的中し、骨は骨のまま。変化はなく、静寂が場を支配した。
『どうして……』
絶望いっぱいに、彼女はがっくりと膝をついた。一連の行動はこれで終わりだと、オースは天を仰ぐ。
(やっぱり、誰とも接触はねぇな。それに、やっぱり誰もこいつに目もくれねぇ。そして、誰も狙ってねぇ。この国は、果てよりも先なのか? それとも……もう迎え撃ったのか。もし、迎え撃ってたとしたら、俺はこいつに勝てるのか? いや、勝たなきゃいけねぇんだけどさ。不意を狙うなり何なりしねぇと、気が付いたら手の内にいるってことになりそうだ)
少女であって、少女でない。化け物であり、魔王軍の名を穢す悪者だ。「おじいちゃん」という存在のために、他人を殺すこともいとわない。愛らしい見た目に騙されてはならない、少女という入れ物を持っているだけ。中身は、残酷でおぞましい化け物だ。ここで消さなければ、魔王軍の風評被害にさらに拍車がかかるのは間違いないだろう。
(これが、初仕事かよ……初めましてお仕事さん、で任せられるようなことじゃねぇわ。マジで怖過ぎる)
室内で情報収集するということもあって、少し舐めていたのかもしれない。道具があるのは、その過程まで。結局は、自らの手で殺さねばならないのだ。いずれは、それも自らの足と目で行わねばならない。もし、途中で悟られるようなことがあれば――オースは、身震いをする。
「はぁ……」
(こいつを殺るとしたら、魔法陣のことも考えねぇといけねぇんだよな。何もかも察されずにできたらいいけど……そう物事は上手くいくはずねぇし。だから、調べるしかない訳だけど……さっきの分はなるべくならやりたくない。人伝いの情報じゃなくて、ちゃんと知りてぇ。間違った知識を身につけたら、俺が酷い目に……! あぁ、だけど、ちゃんとした情報って本じゃねぇと駄目だよなぁ。でも、俺、読み書きとかできね――)
色々と思考を巡らせている途中、オースはある事実に気付いて心の中で驚く。
(ちょっと待て! 俺、表示された情報を散々読んだよな? 文字読めねぇのに、俺読んでたよな? え? あれ? ということは、俺読めるの? 読めるようになったってこと? 魔物細胞の力で? ま~た聞いてねぇよ。あ~、ナチュラルにできるようになり過ぎなんだよな。感動も喜びもねぇわ。まぁ、聞き取れるようになったんだから、読めるようにもなるか。ということは、書いたりもできちまうんだろうな)
試しに、指で「おはよう、おじいちゃん」とランプト語で書いてみることにした。人間時代なら、1文字も書けなかっただろう。
「書けた……」
けれど、今のオースには書けた。息するように、知らないはずの文字をすらすらと。恐らく、聞き取れるようになった時点で、既に言語能力の部分は完成していたのだろう。ちゃんと確認したのが、聞き取りだけだったために自覚がないままに来てしまったのだ。
(おはようって、こんなうにょうにょしてんだなぁ。おじいちゃんは、ちょっとかくかくが多いな。ふ~ん、文字ってこんな感じなのか。変だが、これで都会の人間達はやりとりするって親父が言ってたなぁ)
文字の読み書きができるとわかった今、魔法陣という存在について本で調べようと思った。
ただ、1つ問題がある。この部屋には、本が1冊もないことだ。あるのは、よくわからない置物と日常生活を送るのに必要な家具ぐらい。この部屋から出なければ、やはり魔法陣に関する情報は得られそうにもない。
(もう1回くらいやってみるか……)
オースは立ち上がり、襖を開けようとする。が、がっちりと固まっていて動く気配がない。まるで、壁を引っ張っているようだ。最初もそうだった。だから、諦めて大人しく観察をしていた。
けれど、このままでは魔法陣に関する情報を得られぬまま、その日を迎えてしまう。変化を期待して、少女のように1度駄目でも、再度挑戦する心でやってみたというのに。
「はぁ……何もしなかったら、また怒られる。つか、丸腰であの子供と戦うのは恐ろし過ぎる。どうにかして、ここを出ねぇと……おーーーーい! ここから出してくれー!」
オースは、襖を叩きながら必死で叫ぶ。
「おーい! 誰かぁ~! おーい! おーい! おいおいおいおいお~い!」
ところが、どれだけ叩き叫び続けても襖はうんともすんとも言わないのだった。
「お~い……あ~……」
(どうしろって言うんだよ。あー! もう! なんで、こんなに制限されなきゃなんねぇんだ! 部屋の外に行きたいって思ったら、行かせて……ん? 行きたいと思ったら……っ!?)
『案ずるな。実は来たいと思えば、来れるアットホームな空間じゃ。じゃから、行きたいと思えば良い。そうすれば、自然と来れる。慣れれば、もっと気楽にのぅ。ふっとなって、ほいじゃ』
心の中で漏らした不満のフレーズで、魔王にかけられた似た言葉を思い出した。そして、それは密室脱出の鍵であった。
「そうだ! そうだった……! 行きたいって思ったら行けるんだ。それに、何かあっても魔王様なら俺を守ってくれるだろう。よし」
(魔王様の所へ行きたい!)
その鍵に、最後の希望を賭けて強く念じるのだった。




