魔王
「魔王……様に!? 会う!? 俺が!?」
会ったことのない魔王に対して、オースは無意識に敬称をつけていた。
「えぇ。今の貴方は、魔王様に会わせても恥ずかしくありませんから」
「え……それって、今までの俺は恥ずかしかったってことか!?」
「魔王様に、中途半端な姿を晒したくはないでしょう? それは、魔王様の配下としての恥ですよ。これは、貴方を守るためのことですよ」
(人間の要素が少しでも残っていたら恥なのか……まぁ、魔物ならそうなのか。混じっていたら、それはもう魔物じゃないのか。魔王様がどんな人なのかは知らないが、リュウホウみたいな奴だったらどうしよう。理不尽な暴力振るってきたら怖いな……だから、機嫌を損ねないように細心の注意を払って会わせないようにしてたとか?)
ショッキングな出来事が積み重なったオースの思考は、ネガティブなものに染まっていた。
「魔王様は……怖いのか?」
「うふふ……それは、貴方自身が決めることですわ。さあ、今すぐに外出の許可を頂きに参りましょう。魔王様も、貴方に会うことを待ち望んでおられますからね」
「マ――」
その時、周りの景色だけが回転し始める。和の空間が、暗闇に飲み込まれていく。その光景を、オースは呆けて眺めるしかできない。
「さあ、魔王様にご挨拶を」
そして、現れたのはぼんやりとした明かりに照らされた暗がりの空間。その奥の玉座で、足を組む者がいた。それを認識した瞬間、オースは反射的に跪いて首を垂れた。心臓が弾け飛ぶのではないかと思うほど、緊張していた。見るのもおこがましい。呼吸をしたら、魔王のいる空間を穢してしまいそうで恐ろしい。
「随分と緊張しておるようじゃの。しかし、呼吸もままならぬほどとは……それでは、細胞に影響を与えてしまうぞ? オース=ヴァリアンテ。そんなに畏怖するでない。さっさと面を上げ、わしに顔を見せよ」
「あ、あぁ……」
魔王にそう声をかけられると、ふっと体が軽くなった。顔を上げると、そこには大男のシルエットがぼんやりと見えた。
「よろしい。さて、1つ問いたいことがあるが……その前に、テウメ」
「なんでしょう? 魔王様」
玉座の隣で佇んでいた彼女は、微笑みを向ける。声をかけられただけなのに、非常に嬉しそうだった。ところが、魔王は容赦なく言う。
「いつまでそこにおるつもりじゃ?」
「え!?」
予期せぬ問いかけに、彼女は目を見開いて驚く。
「折角の対面じゃ、わしはオースと1対1で話をしたいと思うておった」
「で、でも……何があるかわかりませんし。本当なら、魔王様のお傍にずっといたいくらいです。仮にも、彼は勇者の関係者。良からぬ作用がある可能性も――」
「相変わらず、心配性じゃのぉ。わしを思うてくれるのはありがたいんじゃが、今回ばかりは駄目じゃ」
彼女は早口でここにいたい理由を述べるが、魔王は強い口調でそう制した。
「うぅ……承知致しました」
がっくりと耳と尻尾を落として、その場を後にした。
(マジか、初絡みで1対1は……何が起こるんだ!? しかも、俺に聞きたいことがあるって言ってた……思い当たる節しかねぇよ)
顔見知りがいなくなったことで、オースは強い不安感に包まれる。
(ぼっこぼこにする予定で、これは見世物じゃねぇから出ていけとかだったらどうしよう。生き残った俺への罰という可能性も……それくらいのことを、俺はやっちまってんだ)
「はぁ、わしが幼子に見えている訳でもないのに……困ったもんじゃ」
魔王は、呆れ混じりにそう呟いた。
「さて、環境は整った。では、問う」
「あ、あぁ……」
「わしはどのように見える?」
「え? どのように見える? 見えるかって言われても……」
どれだけ見ても、どう見ても、オースには魔王が大男のシルエットがうごめいているだけ。唯一、足を組んでいるということだけはわかった。
「うむうむ、遠慮せず申せ!」
何故だかはわからないが、魔王の声色は弾んでいた。オースの回答を、今か今かと待っているようだった。
「えっと~……」
「どうじゃ? どう見える?」
(一体、この確認に何の目的が。試されてるのか? どう答えるのが正解なんだ? 返答次第で、俺の運命が決まる? いや、魔王様からの罰は甘んじて受け入れるべき……しかし、この場合はどうすれば……)
しばらく葛藤していると、待ちきれなくなった魔王が急かす。
「どうした? 何をそんなに悩んでおる? 余計なことは一切考えるな。わしはただ、オースの見たままを聞きたいのじゃ」
(素直に言えってか……嘘なんてついても、仕方ないよな。魔王様が、そう言ってんだから)
オースは一つ息をつくと、魔王に言った。
「そ、その大男っぽい感じ……」
「大男?」
「えっと、リュウホウに似てるかなっていうか……ぼんやりとしか見えねぇから、そうとしか言えねぇ」
声色も雰囲気も、どことなくリュウホウに近い。何故か、ぼんやりとしか捉えることができないため、これが限界だった。
「ほう! それは、色々と興味深い。これは、改めてテウメと色々と確認しなければならんの」
(色々と確認した上で、ボコボコにされちまうのか?)
「先ほどから、すぐに不安そうな雰囲気を漂わせるのぉ。わしがそんなに恐ろしいか? わしは、そんなに悪のように見えるのか?」
「え、えっと、それは、その……」
世界を災いをもたらし、オースの故郷を焼き払ったのは魔王の配下達。こうなるまで、オースは魔王の姿すら見たことがなかった。けれども、噂に聞く数々の所業。配下がこれほどまでのことをやってのけるのだから、魔王は当然それ以上だと思い込んでいた。周囲の人間達も、悪と認識していた。魔物になったとはいえ、そんな存在が恐ろしくないはずがなかった。
「まぁ、そちら側から来たのだからそう見えても仕方はないか。一般人から見れば、わしらが一方的に災いを振りまいておるようにしか思えぬであろうからのぉ」
「え、何か違うのか?」
「最終手段として、致し方なくやっておることじゃ。まぁ、このようなことに手を出しておるからのぅ。悪ではないとは言えぬが」
一般市民の、しかも辺境の村に住んでいたオースには寝耳に水だった。最初から、力をもって侵略行為を繰り返していたのだと信じていたから。
「と、こんな話をするために、オースはわしに会いに来たのではないだろう? 何か、頼みがあると聞いておる。テウメから」
「そういえば、そうだった……」
(いつの間に、そんなやり取りをしてたんだろう。あ、テレパシーって奴かな。リュウホウだけじゃねぇんだ、あれ使えるの)
「言うてみよ。初対面の縁じゃ、心置きなく素直に」
「外に自由に出たいかなみたいな~……感じっすかね」
「出たいかなみたいな感じ……えぇのう! ずっと閉じこもっておっては、気分も晴れぬし成長もない。これから、オースには戦ってもらわねばならぬし。少しでも気合を入れてもらわねばの!」
オースの緩んだ態度を、特に気に留める様子もなく話を続ける。
「しかし、じゃ。その姿を晒すのは、危険じゃ。かといって、コートを脱いで包帯を外しても、元の顔を知っている輩と遭遇する危険性があるからのぅ。何かいい方法は……はっ、そうじゃ!」
「えっ!?」
魔王は少し考えた後、何かを思いついたように叫んだ。その瞬間、オースの目の前に茶髪の男が現れる。だが、生気を感じない。一点だけをずっと見つめている。
「それを使うといい。それは、わしの体をこねて作った人形じゃ。そこそこいい男にしてやった。しかも、大人じゃ。色々と都合がええじゃろうて」
「人形!? これが!? すっげぇ!」
町の男性的なファッションと、見れば見るほど人間にしか見えないその人形に、目を輝かせる。オースから見ても、かっこいいと思える顔立ち。身長も高く、オースの理想像に近かった。思いもせぬプレゼントに、心も弾む。
(俺はこんなプレゼントを貰って、レイは……あぁ)
しかし、喜ぶ心の隣にある傷付いた心が疑問を訴える。嬉しいのに、感情がぶつかり合っていた。友人が無様に死んだばかりで落ち込んでいたはずなのに、喜んでいる自分自身が気味悪くて許せない。ぶつかり合いながら、やがて入り混じっていく。心は、まさに天気雨。
「ふふん。外出する際は、わしの所に来れば、一時的に精神をこれに移してやろう。ただし、このことは他言無用じゃぞ」
どこか遠くに行ってしまいそうだった心を、魔王の声が引き留める。オースは、慌てて返す。
「え? あぁ、つまり、それは――」
「2人だけの秘密じゃ!」
魔王は、勢いよく言った。それに、思わずオースもつられる。
「あ、あざっす! あ、で、でも、この場所に来る方法が俺には――」
「案ずるな。実は来たいと思えば、来れるアットホームな空間じゃ。じゃから、行きたいと思えば良い。そうすれば、自然と来れる。慣れれば、もっと気楽にのぅ。ふっとなって、ほいじゃ」
「リュウホウやテウメが、よく使う瞬間移動的なことか……?」
「あれとは毛色が少し違うかの。願えばどうこうではない。まぁ、しばらくは誰かの手を借りることじゃ」
(そうなのか……お遊びは、魔王様。お仕事は、リュウホウかテウメ。直接は無理……まぁ、どうでもいいや)
不満は一切なかった。与えられるだけで、十分だった。ルースに負けないためには、強さがいる。それは、引きこもって一定の相手とばかり絡んでいても限界がある。しかし、外には人と敵意が溢れている。それに触れることで、成長が促されるという。つまり、強くなれる。与えられたものは、与えられるままにこなす。それが、今のオースのポリシーだ。
「さて、そろそろテウメがしびれをきらし始める頃か。今日は、これまで。秘密は守るのじゃぞ。じゃあの~」
魔王がそう言うと、再び景色が回転して暗闇に飲まれていった。ゆっくりと和の空間が周囲を侵食していった。
そして、オースがいなくなった薄暗い空間で魔王はぼそりと呟く。
「実に良い時間だった。これで、より一層、わしらに傾くじゃろう。まぁ、神聖ランプト王国の王族とレイトヴィーネの村人と危険分子は、何にせよ滅するがのぉ……ハハハ」
不気味な笑い声だけが、その場で響き渡る――。




