魔物の階段ヲのぼル
歪な空間に戻ってきた2人。しかし、そこはオースにとって見慣れた場所ではなかった。
「よしよし……もう大丈夫ですよ」
部屋と呼ぶに相応しい場所、オースがいつも閉じ込められている淀んだ空間とは雲泥の差。畳の独特な匂いに包まれ、金の屏風には、鶴や木が描かれている。欄間には狐が彫られ、天井にも色とりどりの花が描かれていた。
四角い机の周りには、金色の座布団が置かれている。その内の1つにテウメは座り、オースを膝枕をして頭を撫でる。その和を基調とした空間に、オースは困惑した。
(なんだこの部屋、なんだこの家具、なんだこの匂い……なんだこの状況!?)
生命力の充満する根城に、完全なる魔物の体で戻ってきたオースの体に負ったダメージは一瞬で回復し、意識も覚醒していた。
けれども、心に負った傷は癒えない。我に返ったオースは、すぐさま飛び起き彼女を問い詰める。
「レイ……レイはっ!?」
すると、彼女は悲しそうに微笑み、諭すような口ぶりで言った。
「彼は……もういません。これまでの出来事は、貴方が記憶している全ては現実です」
「ち、違う、戻せる。戻せるだろ!? 俺を蘇らせたように、レイも蘇らせろよ! ほら、これ!」
レイの破片を差し出して、懇願する。その数は、あまりにも少なくて小さい。見せられた彼女は、そっと手を包み込んで言った。
「残酷なことを言うようですが……中身がなければ、いくら外側があっても元には戻せません。彼の中身は、あの騎士によって木端微塵。貴方が蘇ったのは、中身があったからです。それでも、奇跡に等しいくらい。加えて、生存本能と欲求があったから。けれど、もう彼にはなかったでしょう。貴方を逃がすため、自己犠牲という道を選んだのですから……」
突きつけられた現実が、塞がれた逃げ道が、心を追い詰める。
「そんな……俺の……俺のせいだ……」
手から、ひらひらと破片が落ちていく。残ったのは、絶望だけ。
もしも、異変を強く訴えることができていれば、上手く動くことができていれば、自分に実力があれば、彼だけが犠牲になる道はなかったかもしれない。彼だけに、命令違反をさせるようなことはなかったかもしれない。そんなありとあらゆる可能性が、脳内を駆け巡る。
そして、処理しきれなくなったものが涙となって零れ落ちる。すると、その涙を彼女は優しく拭った。
「いいえ、貴方のせいではありません。悪いのは全て平穏をかき乱した、あの騎士でしょう? 貴方達の前に立ちはだかったのは誰? 貴方を痛めつけたのは誰? 彼の体を砕いたのは誰?」
その問いかけで、オースは記憶を辿る。殺意を容赦なく浴びせてきたのは、腕を斬り落としたのは、守るために戦ったレイの体を粉々にしたのは――金髪の騎士オロだと。
「あいつだ……あいつが、オロ何とかが……」
「そう。全て、あの騎士がやったこと。貴方は何1つとして悪くありません。どこに非がありましょう? どこに貴方を責める要素がありましょう? だから、もう泣かないで。貴方の涙を見るのは悲しいですわ」
そして、優しくオースを抱きしめる。これまでなら、拒絶していただろう。気恥ずかしさと鬱陶しさが勝っていたし、そもそも嫌いだったから。けれども、そんな感情は一切湧いてこなかった。むしろ、母に抱かれているかのような安心感に包まれていた。オースの心は、自然と彼女を受け入れ始めていた。
「俺は間違ってない……?」
「当然です」
「そうだ、そうだよな……」
オースの頭を撫でながら、彼女はほくそ笑む。計画が、大きく進んだと。彼女への反抗心が薄らいだのは、オースが完全なる魔物の体になったことと、新たな依存対象を弱った心が探し求めていたからだ。
テウメと魔物は、母と子という関係性で結ばれている。生まれながらにして、魔物は彼女を自然と愛するようにできている。そして、彼女は子である魔物を飴と鞭で慈しむ。魔物の体になったオースも例外ではない。それでも、根本は違うため、性質は多少異なる。けれど、扱いは随分と楽になる。彼女は、これまでの期間を「反抗期」と定義した。人間が、成長の過程で遅かれ早かれ通る道。程度はそれぞれと言うが、オースはそれなりに激しい方に分類しておいた。
当然、自分自身の変化や企みにオースが気付くはずもない。オースにとって、全てが自然のこと。どこにも疑う余地がない。母の言うことは、絶対。愛すべきもの。それが、無意識に刻み込まれているからだ。
「じゃあ、俺は……どうしたらいい? この怒りと悲しみを、どこにぶつければいい? このやりきれなさと喪失感は、どこにいけばなくなる? 俺は……悔しい」
「えぇ、悔しいでしょう。貴方を命令を忠実に守った素晴らしい子だけれど、相手から見ればただ逃亡したコートの男。私も、貴方がそんな評価をされるなんて悲しいです。貴方は、そんな子じゃありません。この世界の誰よりも、貴方には可能性があるのですから。ですから、1つ……これは貴方の価値と成長を高めるための提案です」
「提案?」
オースを優しく引きはがし、目をじっと見つめる。
「もっと強くなりましょう。誰にも負けないくらい。もう2度と、こんな感情を抱かなくて済むように。そうすれば、弟さんにだって負けません」
「あの騎士に申し訳なくなるくらい、あいつは弱ぇよ。そこに並べていい奴じゃない」
目に見えない速度で動き回りながら殺意をまき散らし、魔物を蹴散らし、レイの足止めも呆気なく粉砕した。見た全てが、彼の実力でないこともわかる。今、思い出すだけでも身震いしてしまうくらい。
すると、彼女は再びオースを抱き寄せ、耳元で囁く。
「ご存じないかもしれませんが、弟さんの教育係はオロです」
「何……!?」
「きっと、弟さんは彼にも負けないくらい成長するかもしれません」
その言葉に衝撃を受け、オースは立ち上がる。
「なんで? あいつは! 虫以下だ! 誰よりも弱くて、誰よりも脆い生き物だ! 18歳なのに、うじうじと泣きわめくくらいみっともない奴だ! あんな奴が……あんな奴が! あの殺意ばら撒き野郎と、同じくらいになるはずがないっ!」
ルースは弱い生き物だ。誰かが守ってあげなければ死ぬ。彼が死ねば、家族が壊れる。家庭の安寧のため、ルースを守る役割を担っていたのがオースだ。どんなにウザくても嫌いでも、兄として傍にいた。勇者として祭り上げられたから、手の届かない位置に行っただけ。そこに、実力など伴わない。人間達を安心させるためだけのお飾り。そもそも、あんな性格で成長できるはずもない。成長する度胸もないはず。どうせ、何かを成す前に殺される。そう決めつけていたオースには、受け入れがたいものだった。
「……そうですねぇ。貴方は、あまりにも今の外の世界のことを知らなさ過ぎるのでしょう。これは、私達にも責任があります。学びの機会が必要かもしれませんね」
畳を撫で、見つめながら彼女は言った。何か考えがあるような表情だ。
「学びの機会? 本でも読むのか? 俺は、文字はほとんど読めねぇぞ」
外は、任務以外では出られないものとすっかり刷り込まれていた。もう自由への興味は果てていた。やるべきことさえやっていれば、痛い目には遭わずに済むものだ。
「いえいえ、そんな回りくどいことはしませんよ」
「じゃあ、どうする訳よ?」
そう尋ねると、彼女は顔を上げて言った。
「魔王様に許可を頂きに参りましょう」




