凍る瞳
反射的に目を瞑ってしまうオース。痛みとショックで、体が動かない。
「あ゛あっ!」
「……へ?」
しかし、叫び声を上げたのは――レイだった。目を開けると、彼はオロの剣で串刺しにされていた。
「レ、レイ……?」
彼は、口から血――銀色の物体を流し、儚く微笑む。
「何が起こったの? さっきまで、我の後ろにいたよね? まさか、瞬間移動って奴かい? これはこれは、中々高度な魔術を使う。本当に、後ろの彼がコートを着ているのが霞んで見えるよ」
レイの背後から、再生したばかりの片腕を興味深そうに見据える。
「でも、再生能力だけは高いみたいだね。さっき斬り落とした片腕が、すっかり元通りだ。今の所、評価できるのはそれだけだ。折角だから、生け捕りにして色々調べてみようかな。首とかも落として……その有効性を見てみたいな! そして、当代のために……」
オロは爽やかな笑顔のまま、猟奇的なことを述べる。
「そんなことはさせない。貴方が王を思うように、私は彼を……! この命に代えてでも!」
「な、何言ってんだ。生きて帰らなきゃ、あいつが……!」
「私など捨て駒さ。私にできるのは――」
「ごちゃごちゃと、何言ってるの? 2人まとめて殺す――」
直後、レイの体は崩壊する。いや、レイの体を突き破ってあの銀色の物体が飛び出してきたという方が正しい。レイの破片は、ポロポロと地面に落ちていく。そして、レイだったものはぐんぐんと大きくなっていく。瞬く間に、スライムのような壁となり、オロとオースを隔てる。
「レ、レイ……?」
「ハハハ! こんな魔物は初めてだ。しかも、剣がはまって抜けない……! なるほど、こういう作戦だった訳か! これは、完全にやられてしまったな! 仕方ない!」
壁の向こうから、オロが興奮気味に叫んでいるのが聞こえてきた。
「2体狙って、どちらも取り逃がすなんて当代に顔向けできないからね!」
(このままじゃ、レイが死ぬ? 駄目だ、そんなの。そうだ、あいつ……テウメなら元に戻せる。これを集めれば……!)
周囲に落ちていたレイの破片をできるかぎりかき集め、優しく手で包み込む。そして、テウメに助けを求めようとした時、オースはある事実に気付く。
(……どうすれば戻れる!? このままじゃ、手遅れになる! 何とかして、あいつらを――)
いつも、誰かに連れられて外の世界に出る。歪んだ空間を生じさせる方法を知らぬオースは、焦燥から硬直してしまう。こうしている間にも、オロは少しずつ剣を引き抜いていく。
「レイ、元に戻ってくれっ! 俺はどれだけ斬り刻まれても平気だから……斬られても、今度は走るから……!」
それに対して、言葉の返しはなかった。しかし、壁からぐにゃりと触手のようなものが生えて、オースの体に巻き付く。
「レイ? 何を……っ!?」
触手は一切の迷いなく、オースを遠くに投げ飛ばす。
「レイ……レイィィィィッ!」
地面に叩きつけられ、大切に持っていた破片を手放してしまう。
「独り……」
元人間の同世代で、性別も同じ。立場は違えど、境遇が似ているだけで安心できた。鬱陶しいとかうざったいとか、どっかに行って欲しいと思うことはあっても、永遠に別れたくはなかった。何故なら、オースにとってはたった1人の共感者だったから。形は歪んでいても、オースにとっては初めての友人だったから。
「集めろ、集めろ。何とかして帰って……!」
その時だ。どすどすと足音を立てながら、ゆっくりと何者かが近付いてくるのが聞こえた。もしかしてと期待を込めて振り返ると、不気味なほど白い肌をした兵士が数人立っていた。その手には、剣が握られていて、月明かりで刃が煌めいている。
この時、オースが冷静であったなら、目の前にいるのが死人だと気付けただろう。殺意もなく、ただ握らされているだけだと。けれど、オースは錯乱していた。刃を見るだけで、死を連想してしまうくらいに。
「あ、あぁ……」
(まだ全部集められてない。どうにか、どうにかしねぇと……! あいつらをまとめて消せたら……)
虚ろな目で、兵士は少しずつ距離を詰めていく。その際、兵士達は落ちている破片を踏みつけた。オースにとっての希望、可能性の欠片。劣悪な環境下で、それなりに信頼を置いていた――友人を。
「あ……」
オースの中で、何かが弾け飛んだ。体の奥底から、熱いものが湧き上がってくるのを感じる。
「てめぇぇぇぇらぁあぁああっ! くそ人間共があぁああっ!」
包帯の下で、僅かに残っていた人間部分――焼けただれた皮膚が再生していく。それと同時に、オースの体が炎に包まれる。これまでに貯蓄してきた魔力が、意図せず怒りをきっかけに解放された。そして、邪魔者を排除したいというオースの望みを叶えるために炎となって体にまとわりつく。皮肉なことに、それは村を焼き尽くしたものとよく似ていた。
「き、えろ……」
誰に教わった訳でもないが、オースの手は兵士達に伸びていた。オースが触れると、1人また1人と燃え尽きて炭となっていった。全員が炭になり、ようやく体を包んでいた炎が消えた。炎に包まれていたにも関わらず、体は焦げていなかった。
「あ、あぁ……」
魔物細胞には、無限の可能性がある。しかし、これまでに完全に使いこなせる者はいなかった。そもそも適応できない者、適応しても1度変化した形を変えられない者。メリットを生かしきれているとは言えなかった。そんな中、オースは見事に適応し、細胞の形も元に戻すことができた。魔王軍にとって、これは大きな進展であった。
「レイ……集めねぇと……」
魔力を解放した影響で、意識は朦朧としていた。自身の変化にすら気付いていない。オースを動かすのは、レイを元に戻したいという願いだけだった。しかし、破片はもう数えきれる程度にまで減っていた。それでも、どうにかなると妄信的にかき集め続けていた。そんな時、背後から轟音が響いた。反射的に振り返ると、そこにはもう壁はなく、剣を肩に担ぐオロがはっきりと見えた。
「あ~あ、時間かかっちゃった。でも、ラッキーだな。もう片方が、1人で残ってるなんて」
彼は、徐々に歩み寄ってくる。朦朧としていても、本能的に恐怖を感じ取る。おぼつかない足取りで、僅かな破片を持って逃げ去ろうとする。
「……っ!」
その時、空気が震えた。それを感じ取った時、オースの体は石のように固まって動かなくなる。
「やっぱり、君……人間?」
「え……?」
いつの間にか、彼は目の前にまで来ていた。オースの目線に合わせてしゃがみ込み、穏やかな笑顔を崩さずに語りだす。
「我が魔術は、心を活用するんだ。つまり、心のない魔物には効果がない。だが、試しに使ってみたら……君には効果があった。心があるってことだ。極稀に、魔王軍側に付く人もいるって聞くから……その類かな」
オースの顎を持ち上げ、巻きつけられた包帯を撫でまわす。
「まずは、君を持ち帰ってから色々と――」
言いかけている最中、彼は素早く後ろに距離を取った。直後、オースは温もりに包まれる。白く透き通った髪が顔を撫でる。
「私の子供に手を出さないで頂けます?」
(子供……?)
「どこからともなく現れて、我を殺そうとするとは……相変わらず、性格が悪い。彼に夢中になり過ぎてたら、危なかった。それに、君には我が魔術が効かないからなぁ……本当に会いたくない相手だ」
「そっくりそのままお返ししますよ。私も会いたくはありません。ですが、行く度行く度に貴方とばかり鉢合わせるんです」
「これも、運命かな?」
そして、彼は剣を構える。文句は言いながらも、戦う準備は万端のようだ。その姿を見て、彼女は小さく鼻で笑った。
「そんな運命、こっちからお断りですよ。それに、私は貴方と戦うつもりはありません、少なくとも今は」
「それがいるからかい? 都合がいいね」
「えぇ、ですから取引です。ここで、見逃してくれるのなら兵士……他の拠点で回収した貴方の兄弟達をお返ししましょう。残念ながら、全員ではありませんが」
「何?」
その提案を受け、飄々とした彼の表情が変わる。
「いくつか燃えて跡形も残っていないのですが……他の者は、無傷でお返ししましょう。私の操り人形にはしないであげますが、どうでしょう?」
そう言って、彼女は指を鳴らす。すると、大きな白い球体がどこからもなく現れる。中には、小人サイズになった兵士達の遺体が収まっていた。
「小さくはなっていますが、この中から出たら元のサイズに戻ります。どうですか? 不可能なら、今ここで彼らを遊ばせますよ」
「国は我が家、国民は我が家族、兵士は我が兄弟……そんなことはさせない。我が使命に反する。その提案を呑もう」
冷静に見えるが、彼の拳は怒りで血管がはっきりと浮き出ていた。
「感謝致します」
再び指を鳴らすと、球体が割れる。彼女の言葉に嘘はなく、兵士達は元通りのサイズになった。
「それでは、ご機嫌よう」
彼女は小さく微笑むと、オースを抱いて歪みへと姿を消した。
「何が御機嫌ようだ……」
残されたオロは、1人で怒りに打ち震える。
「これだから、心のない魔物は嫌いだ……」
乱雑に積み重ねられた兵士達の前へと移動し、涙を流す。
「あぁ……不甲斐ない。当代に合わせる顔がないよ。また、守れなかった。また……」
先ほどまでとは、まるで別人のように弱々しかった。後悔と静かな怒りが、彼の瞳をさらに凍らせていく――。




