罪を背負い
それから十数分後、オースはレイを背負い、要塞へと辿り着いた。要塞の周りには、既に魔物が大集結していた。この気味の悪い光景は、人間側の敗北を意味していた。
オース達がその集団の後ろにつくと、その集まりが真っ二つに割れた。そこから、澄まし顔のリュウホウが現れる。
「遅かったようだが……随分と生臭いものだ」
真っ赤に染まったオースを見て、彼は嘲笑を浮かべた。
「うるさい」
振り下ろした剣の重みが、飛び散った血の臭いが、つんざくような絶叫が忘れられない。
(殺した……俺が、何も知らねぇ人間を……)
ここまでの道のりは、あやふやだ。行かなければならないという使命感だけで辿り着いた。それだけ、虐殺行為に手を染めたショックが大きかった。
「ごめんね。あんな風に言ってしまって。でも、全てオースのためだったんだよ。あのままだったら、君は酷い目に遭っていた。なんせ、リュウホウ殿は厳しいから……」
その言葉を聞いて、リュウホウは不快感を滲ませる。
「酷い目? 不敬だぞ、言葉を慎め。戒めだ。治療できる程度で止めているのだから甘いものだ。本当なら、斬り刻んでやっても――」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛っ!」
突然、オースは叫び、レイを乱暴に落とす。
「わっ!?」
叩きつけられた彼は、痛みに顔を歪める。
「あ、あぁ……あぁ」
斬り刻んでやっても――その言葉が、自身の殺生の瞬間を完全に呼び覚ます。
『くそがあああああっ!』
『ぎゃぁぁぁっ!』
首元を狙って勢いよく振り下ろした剣は、兵士の首元に食い込む。血が噴き出し、予期せぬ激痛に襲われた彼は絶叫して悶える。苦しむ姿に、オースは動揺した。
『死ねっ!』
『がっ!?』
『死ねよっ!』
『あ゛あ゛っ!』
理不尽な暴力への恐怖から、血まみれの兵士が痛みに悶える姿への恐怖に変わっていた。
だから、何度も何度も剣を振り下ろし続けた。彼が、血の塊に成り果てるまで。けれども、彼はまだ生きていた。生きようと血の海の中、もがいていた。あまりにも見るに堪えない有り様だった。
『う、うぅ……』
『はぁ……はぁ……』
オースは、肩で息をしながら兵士を見据える。もう、時間の問題だった。彼は、普通の人間だ。ただ、意地と生命力が強かっただけ。
『あ……ぁ……ア、ンナ……』
力なくそう言葉を漏らし、最後の力を振り絞るように遠くに向かって手を伸ばすと、ついに動かなくなった。
もしも、出会ったのがオース達でなかったなら、兵士という職に就いていなければ――あらゆる因果が結びついて、惨たらしい死をもたらされることなどなかったのに。
「女の名前……」
「あぁ?」
兵士の最期の言葉を思い返し、ぽつりとオースは言った。それに対し、リュウホウは顔をしかめる。
「女の名前を言った」
「何の話をしている?」
リュウホウから見れば、全てにおいて脈絡がないのだから当然だ。
「殲滅させた相手のことだよ!」
「あぁ……そんなことか」
彼は、小さく鼻で笑い飛ばす。
「そんなこと……!?」
「当然のことだ。命令は絶対。敵は、根絶やしにしなければならない。敵が敵である限り」
オースを睨みつけ、威圧感を浴びせてくる。
「でも……!」
それでも屈せずに、意見しようとした。が、彼は食い気味に言葉を被せてきた。
「口答えをするな。でも、もしかしたら、だけど……命令においてそんな言葉は不要。黙って従い続けろ。それが気に食わないのなら、命令する立場になればいい。自身で判断させて頂けるほどの信頼を勝ち取ればいい。まぁ……とてもではないが、今の貴様には到底不可能だろう。全てにおいて、中途半端なんだよ。貴様は」
そして、彼はオースを蹴り飛ばそうと足を振り上げる。反応が間に合わず、真正面から受け止めるしかないと、目を瞑って覚悟を決めた時だ。レイの冷静な声が、その足を止めさせた。
「リュウホウ殿、あまりオースを責めないで頂きたい。全てにおいて、この私に責任があるのです。結局、彼に頼ってしまった。彼に、背負わせ過ぎてしまった。私は、この口しか動かせない状態です。彼が、手を血に染めるには早過ぎたことは真実です。彼の心の負担は計り知れません。どうか、ご容赦を」
見ると、レイは顔だけを必死に上げて、何とも哀れな姿で懇願していた。
「甘ったるいことを……」
リュウホウは、不快感を滲ませる。
「何にせよ、彼は命令を遂行しました。罰を与える必要はないかと。それより、ただちにご自身の出された命令に基づいた行動をすべきでは?」
指摘するようなその言い方に、オースは思わず身震いしてしまう。
「はっ……何もできぬ輩が小賢しい」
だが、リュウホウはそう不満を漏らすだけで、彼に対して罰を浴びせるようなことはなかった。
(なんで、レイは……リュウホウと普通に言い合いができるんだ? 怖くないのか? どうして、リュウホウもリュウホウで引き下がる?)
オースであれば、容赦なく攻撃を浴びせられていただろう。先ほど、意見しただけで蹴られそうになったばかりだ。
「全隊、これより作戦の実行を。兵士は1匹も生かすな。もし、一般人がいるのなら、捕縛し我の前に連れて参れ」
1つ咳払いをした後、集う魔物達にリュウホウは命じた。
「何をするつもりだ?」
人間は、皆殺しにするつもりなのだとばかり思っていた。この戦いの場に、どれほどの一般人がいるのかは不明だが、その意図を聞きたかった。
「ここは要塞。敵にとっての要。どうやら、今回は騎士はいなかったようだが……後ほど、異変に気付いてやってくるだろう。その時、生き残りがいれば情報が洩れてしまうだろう。兵士には、それなりの戦う力がある。一般人に、恐れるほどの力はない。命乞いをするのなら、我らは命を奪ったりはしない」
(……騎士か)
ルースを迎えに来た男のことを思い出す。脅しで、殺されそうな気迫があった。飄々としていたが、奥底にある信念のようなものも感じた。本能的に叶わぬことを理解してしまうほどだった。
「武器は、こちらが回収する。人間達の利になりそうな素材も同様だ。武器があれば、それを再度活用するだろう。食料や武器の素材があれば、敵の延命にも繋がる。少しでも抵抗する気を奪うため。これは、必須だ」
魔王軍側は、別に食料にも武器の素材にも困っていない。ただ、人間側を疲弊させたいだけ。降伏しやすい環境を生み出すためであった。
「俺もそれをしねぇといけねぇのか?」
「何を言っている? 当然だ。貴様の体は、血にまみれているだけ。作業する上で、何も困らない。この男のようになっていたのであれば、話は別だがな」
リュウホウは、地面に倒れ伏すレイを指差して言った。
(だよなぁ……あぁ)
許されないとわかっていても、聞きたかった。今すぐにでも帰って、現実を忘れたい気分だった。ずっと、虐殺の感覚が体に残っている。
「ハハハ……」
指差されたレイは、困ったように笑った。それを見て、リュウホウはさらに表情を険しくする。
「笑っている場合か。何も面白くない。笑えるようなことなど一つもなかった。後で、その腐った根性を叩きのめす」
「おっかないですねぇ……」
「ふん。無様に地面に倒れ伏されていても迷惑だ。消えろ」
リュウホウがそう言うと、レイのいる地面に黒い穴が現れる。まるで、沼のよう。それは、空間の歪み。魔王達の拠点に繋がっている。
レイは、その歪みの沼にゆっくりと落ちていく。そして、穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「じゃあね、オース。頑張って――」




