ボロボロの体
「お、おい……!」
既に、オースの声はレイには届いていなかった。意識を全て、要塞に向けていたからだ。他のことに気を取られてはならない。人間から、殺さない程度に生命力を奪うことが仕事だから。これ以上の失敗は許されない。
(これが、あのレイかよ……?)
その気迫に、オースはたじろぐ。
「……っ! う、ぅう……!」
じわじわと流れ込んでくる生命力の影響か、彼は苦痛に満ちた表情を浮かべる。それを、オースは想像することしかできない。
(どんな感じなんだ? 生命力が流れ込んでくるのって……)
記憶の中にある、嫌な経験を思い返す。
(服着たまま、水の中に入ると来るぞわぞわって奴か? あれ、気持ち悪いんだよな。でも、痛いって感じじゃねぇか……)
最初に思いついたのは、川で溺れたルースを助けようとした時のこと。寒いし、体は重いし、服はべっとりと体につく。実に、嫌な経験だった。
だが、表情を見るとそれではなさそうだった。ならばと、別の記憶を探る。
(素足で尖った物を踏んづけた挙句、滑って頭をぶつけて……痛かったなぁ)
幼い頃、靴を履くのが嫌だと駄々をこね、部屋の中を走り回った。結果、ルースが置きっぱなしにしていた木彫りの人形を踏みつけ、その拍子に滑って転んで頭を打った。痛みと共に、今でもしっかりと覚えている。
(でも、そのレベルの顔じゃねぇんだよな。ずっと苦しそうで、ずっと痛そうだ。あぁ、魔術とかマジで知らねぇからクソみたいな想像しかできねぇ。理解しきれてないから怖過ぎる。つか、そもそも生命力って何だよ。そのフワフワとした言葉は。もっと、知らねぇ奴にもわかるように説明するくらいの努力はしろよ。それくらいやってから、能力を使えよ!)
レイの額には汗が浮かび、顔色がどんどん悪くなっていく。聞いていなかった事態に、ただただ焦ることしかできない。わからないから腹が立つ、教えてくれなかったことにもストレスを感じる。この無力感が、本当に苦痛だった。
(こんなおっかないものを、レイが暴走しだすまで、ただ傍観してろって……)
「はぁ……はぁ……」
ついに、彼は肩で呼吸し始める。
(ヤバくね? でも、暴走って感じじゃねぇ……下手に触って、俺までおかしくなったら元も子もねぇ?)
このまま放っておいた方がいいのか、それとも構うべきなのかと葛藤する。しかし、そうしている間にも、彼の状態は悪化の一途を辿る。
「ア、アァ……」
ついに、彼の口から、銀色の液体が零れ落ちた。
「何!? え、え……ヤバくね?」
それでも、彼は術の発動を止める気配はない。少しずつ量が増え、あっという間に銀色の水たまりが完成する。さらに、彼の顔にひびが生じ始めた。
「いぃぃぃっ!?」
そのひびは深くなり、顔の破片が一部ぱらぱらと落ちていく。覗くのは肉でも骨でもなく、見慣れぬ銀色に光るスライム状の何か。あまりの以上さに、オースは後退りする。
すると――。
「生命力……まダ、ある」
魔術を使い始めて、彼はようやく言葉を発した。だが、何か様子がおかしい。目は虚ろで、声にも心を感じない。まるで、人形のよう。
(もしかして、これが制御できねぇ暴走状態ってか!?)
「欲しイ……魔王様ノ為に……」
怪しげな笑みを浮かべると、さらにひびが深くなる。そして、落下して覗く銀色の部分が増えていく。
「生キる、生きる、生キル、イキル……!」
様子がおかしくなってから、さらにそのスピードが高まっているのがわかる。どういう訳かはさっぱりだが、こういう時のためにオースが連れて来られたのだ。何かがあれば、後でリュウホウにとんでもない目に遭わされてしまう。責任を問われるのは勘弁だった。
それに、このままではレイが怪物になってしまうような気がした。人間という皮が綺麗さっぱりなくなって、レイがいなくなってしまうような気がした。
(俺が助けてやらねぇと……こっちも酷い目に遭っちまうしな!)
どうなるかわからないリスクよりも、明らかになっているリスクの方が怖い。だから、助けてやるのだ。自分が他人のために動くなんてありえないし、恥ずかしい。決して、唯一無二の友達だからという訳ではない。
「戻ってこいっ! レイ! お前の溜め込んだ生命力、俺によこせっ!」
頭をまっさらにして、暴走するレイに突進する。そして、力強く彼の手を握った。その瞬間、体に何かが流れ込んでくる。その感覚は、これまで一度も経験したことのないものだった。
「な、んだ……これ」
体の奥を突かれるような痛み、自分ではない何かが体内を埋め尽くしていくような気持ち悪さ、胸を締め付けられて息苦しさを覚える。
(こんなに苦しいのか、そんな仕事を今までずっと1人で……)
「ああぁぁっ!」
「ぎゃああああ!」
遠くでは、断末魔が響き続ける。誰も報われない。誰も彼も苦しい。これが、争いの本質。敗者は明日を生きられない。未来を描けない。思い描いた夢は叶わない。
「オース……?」
「レイっ!」
過剰に取り込み過ぎた生命力から解放されたことで、レイはようやく自我を取り戻す。力を失い、崩れ落ちそうになった彼をオースは抱き留める。
「あぁ……そうか、やはり私は駄目だったのだね。ありがとう、オース」
オースの腕の中で、彼は儚い笑みを浮かべる。崩壊は収まったようで、異質なものの面積は増えたりはしなかった。
「感謝するのは当然のことだが、勘違いするなよ。お前のためにやったんじゃない。俺のためにやったんだ。ったく、手間かけさせやがってよ」
その様子を見て、オースはほっと胸を撫で下ろす。だが、彼を心配していたなどと思われるのが嫌で、ぞんざいな態度を取った。
「ごめんね。でも、やっぱりオースは凄いなぁ」
「え?」
「私の体は、ご覧の通り……ボロボロだろう?」
ひび割れた腕を見て、悲しそうに彼は言った。
「あぁ、急に体にひびが入ってぱらぱらと崩れ落ちた。そんで、顔面から銀色の変な奴がちらちら覗いてんぞ」
腕や首元はまだひび割れ程度だったが、顔部分は3分の1程度が銀色になっていた。
「私の貯蓄できる生命力の限界値を超えたんだ。私という器には、抱えきれなかった。また、奪い過ぎてしまったんだ」
「えぇ、結局? 暴走してんのかしてねぇのかよくわかんなくてさ。おかしなこと言い始めてから、止めたんだけど……」
「いや、問題はないだろう。吸い取り過ぎたことは間違いないが、味方に影響を及ぼすほどではなかったみたいだ。何かあれば、私達はとっくに元の空間に強制移動させられているだろうから」
止めるタイミングは、遅かったかもしれないが、遅過ぎたという訳ではなかったようだ。
「はぁ……良かった。てか、お前はその体どうすんの?」
無意識的に、本音が漏れた。が、そのことにオース自身気付かなかった。
「テウメ殿に修理してもらうんだ」
「ふ~ん、大変だな」
レイの自然治癒は時間がかかるのか、それともこのタイプの怪我は治癒できないものなのか、どちらにしても大変そうだった。
「オースには、何ともなくて良かったよ。わかるかな? 君は、私が奪った分の生命力をほとんど自分のものにしたんだよ」
「へ!?」
治癒できないことを特別嘆く様子もなく、すぐにオースについて語り始める。すっかり、いつも通りのレイだった。
「だから、私の体の崩壊も落ち着いたし、自分を取り戻せた。流石だ、凄いなぁ」
「でも、気持ち悪かったり、痛かったりしたぞ」
外面にこそ異変はないが、内面は一気に異変が襲い掛かって地獄だった。
「そういうものだよ。でも、君の限界値は超えなかったんだ。崩壊も暴走も起こらなかった。つまり、君は……素晴らしい素質の持ち主だ」
「素質? なんの?」
「魔術師さ。魔力の源は、生命力。それだけの量を確保してなお、無傷なんだ。これは、テウメ殿に報告した方がいい。オース、君は強くなれるんだよ!」




