外の世界
「っと、っと……」
ひんやりとした空気、かさかさと音を立てて揺れる木々の音。そして、辺りをぼんやりと照らす月明かり。
「お連れしました、リュウホウ殿」
暗闇の中、地面に足が着いた途端にレイは即座に跪く。目前には、リュウホウが仁王立ちをしていた。
(は……? え? なんで?)
「ご苦労だった。これから、敵の要塞に夜襲をしかける。貴様らには、支援をしてもらおう。初陣だ。盤面に出す価値があるかどうか……見物だな」
さも当然のように話が進む中、オースは疑問を投げかける。
「待て、一体……どういうことだ」
ひさしぶりに触れた外気に、オースは戸惑っていたのだ。これまで、あの部屋から出たことすらなかったのに。まさか、突然、外に連れて来られるなんて予想外だった。
「はぁ……貴様、まさか、何も説明せずに連れてきたのか?」
「早急にとのことでしたので。それに……」
レイは素早く立ち上がると、オースの腕を高らかに掲げる。
「オースは、賢いですから。ね? いちいち説明など受けなくても、その場に出れば理解できるよね?」
満面の笑みを浮かべ、顔を覗き込む。
「え? あ……あぁ! 当たり前だろ。今のはあれだ。ちょっとした冗談だ」
そのように聞かれてしまうと、オースの性格的にプライドが勝ってしまった。リュウホウも、オースの性格は理解している。だからこそ、虚勢を張っていることはわかった。だが、ことさら説明する気はなかった。
「ったく、相変わらず言葉足らずな奴……」
「何か?」
「はぁ……いちいち貴様らの無礼な態度について考えていては時間が無駄になってしまうな」
「それは困りましたね」
リュウホウの威圧感にも屈することなく、笑顔を崩さぬまま、レイは言葉を返し続ける。すると、彼が折れてしまった。
「まぁ、いい。ここで成果を出せば、無礼には目を瞑ってやろう。出せれば、な」
彼は鼻で笑うと、くるりと背を向けて闇に消えていく。その姿を見ながら、オースは口を開く。
「レイ、お前……」
「ん?」
「変に煽ってくるんじゃねぇよ!」
そして、素早くレイに向き直り、胸倉を掴んで、怒りを爆発させた。
「煽ったつもりはなかったのだけど……」
彼は、きょとんとした表情で言葉を返す。その態度に、オースはさらに怒る。
「あんな風に言われたら、否定なんてできねぇだろ! 俺は、急に外に連れ出されて困惑してんだよ。ちゃんと何やるかくらい、説明しろ!」
「別に、特別なことは何もしないよ。ただ、指定された場所にいればいい。シンプルだし、説明の必要などないだろう?」
「はぁ? なんだよ、それ。支援でも何でもねぇじゃん」
これから、襲撃支援となれば、前線に立つことはなくても物資の運搬などがあるものだとオースは思っていた。ところが、その場にいるだけとはと拍子抜けして胸倉を離す。
「いやいや、そんなことはないよ。私達の存在が支援なのだから。さて、では行こう」
「どこに?」
オースは、颯爽と歩きだそうとする彼を呼び止める。
「持ち場だよ。私達は、先に要塞の近くに移動しておくんだ。そこに向かいながら、オースが不安ならちゃんと説明するよ。リュウホウ殿も見ていないから、私も伝えやすい」
にこやかな笑みを浮かべながら、彼はぼんやりと見える建物を指差す。どうやら、あそこが要塞らしい。
(要塞の近くに、2人で行くのか。2人で……あいつも見てねぇ……あっ!)
その時、ふとオースにあるアイデアが降りてくる。
「いや……なんで、素直に要塞に行くんだよ。誰も見てねぇなら、逃げるチャンスじゃん。一緒に逃げようぜ、レイ!」
興奮気味に、彼の手を掴む。夜の暗がりで、監視の目もなく、自由に動ける。逃亡には、うってつけの状況だった。しかし――。
「……それは、難しい」
先ほどまで浮かべていた笑顔が、まるで嘘のように冷たい表情だった。
「は? なんで? ビビってんの?」
いつだって、彼はオースに対して肯定的。どんなわがままも、横柄な態度だって笑って受けれてくれる。だから、脱走にも快く手を貸してくれてるものだと信じていた。
1人で逃げるのは不安だが、彼は何かと頼りになる。どうしても、一緒に行きたかった。オースも負けじと睨み続けると、彼は1つ息を吐いて言った。
「……わかった。でも、君はきっと後悔するよ」
「自由に動けるチャンスは、もう二度とねぇかもしれねぇんだ! 怖がってる場合かよ!」
そして、オースは走り出す。レイは、暗い顔でその後を追う。
(便利な体を手に入れた。これなら、あいつにだって勝てる。いや、いっそ俺が正当な勇者だと主張したっていい。どれだけ傷を負っても、治癒するんだ。神秘的なことこの上ない)
これからのプランを考えていると、自然と笑みが零れる。大人しくしていたのは、敵の目があったから。それがなくなったのなら、どうしようが勝手。魔王への忠誠心などない。ルースにさえ勝てれば、手段や信念にはこだわらない。
「オース、どこまで逃げるんだい?」
問いかけに対し、オースは心弾ませながら答えようとしたその瞬間であった。
「あいつがいる所まで。あいつの気配――がっ!?」
首、手首、足首にひんやりとした感覚がまとわりついたかと思えば、きつくきつく締め付けられ、呼吸すらままならなくなる。みしみしと骨の軋む音が、体中から響いた。
「あ゛、あ゛ぁぁ……」
そして、強く引っ張られて、後ろに倒れ込む。すると、その感覚はするりとなくなった。オースは、空気を食べるように吸い込んだ。
「だから、言っただろう。後悔するって。こうなるんだ。一定以上、離れることはできないんだ」
少し離れた位置から、彼は冷静に言う。オースは、何とか言葉を紡ぐ。
「そ……れは、先に……言えっ!」
「体験した方が早いと思ってね」
「なんで、お前は……何ともねぇ、んだ」
彼は、ちっとも苦しそうな様子はない。オースは、それを声色で察し、苛立ちを覚える。
「行動範囲を超えていないからね。私も、そこまで行っていたら締め付けられていただろう。これで、身に染みて理解できたかな。私達には、これ以上先に行く権限はまだ与えられていないみたいだ」
「行動範囲とか……そんなんわかんねぇよ。なんで、お前はわかったんだよ」
進入禁止の線があった訳でも、警告音が鳴り響いた訳でもない。進むために走り続けていたら、突然殺す勢いで引っ張られたのだ。
「慣れ、だよ。私も、最初の頃は苦労した。何度、首をもがれそうになったことか。痛い思いは、もう沢山さ」
その口ぶりから察するに、彼もそれを何度もしたことがあるようだった。その経験から、察知できるようになったということだろう。
「要するに勘かよ……」
「さ、戻ろう。これ以上、痛い思いをするのは嫌だろう? リュウホウ殿を満足させないと」
オースは、苦虫を噛みしめるような表情で景色を見やる。ここから向こう側が、オースの手放したものだ。命の代わりに、自由を失った。自業自得、向こうには行けない。あと1歩が、とても重くて痛くて怖い。
(届かない。ここからじゃ、あいつには……とても)
「オース? どうしたの? 行こう?」
「……あぁ」
オースは立ち上がる。その姿を確認し、レイは目的地に向かって歩き始めた。
(今の俺には……)
そして、その背をゆっくりと追いかけるのだった。




