宵と酒
「ふぅ……」
一仕事終えたリュウホウは、一息吐いて、椅子に腰を下ろす。
(痛むな……ふん)
頬には、まだじんわりと痛みが残っている。
「ふっ……」
彼は微笑を浮かべ、1人の時間を楽しんでいた。仕事終わりには、決まって酒をたしなむ。鬱屈とした日々を忘れられる、優雅な一時だ。
(さて、今日はどの酒を……)
「――お疲れでしょう? どうぞ、お酒です」
彼が悩んでいると、背後から腕が伸びてきて、机に瓶に入ったお酒を置いた。
「はぁ……なんだ」
「あら、ご協力への感謝の気持ちですわ。お酒、大好きでしょう? 私、知っておりますのよ」
水を差された不快感を露わに振り向くと、テウメが両手にコップを持って、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あれだけのことをさせておきながら、礼はたった1瓶か。安く見られたものだな」
大瓶に、酒はなみなみに入っている。度数も強く、この世界では高級酒に区分されていたものだった。酒好きにはたまらない一品であるはずだが、彼には物足りなかった。ブランド力に不満はないが、量に不満があるのだ。
「飲み過ぎは、お体に悪いのですよ。これでも、多過ぎるくらいです」
彼女はわざとらしく、頬を膨らませる。リュウホウは鬱陶しそうにため息をついた。すると、彼女はにやりと不敵な笑みを浮かべて言う。
「そんなに飲みたいのでしたら……貴方も、魔物になってみますか? 魔物になれば、お酒なんて飲み放題ですよ」
魔物の体は、何かに特化することができる。再生に特化した体、変化に特化した体、俊敏性に特化した体……望むのならば、どうにだってできる。どれだけ度数の高い酒を飲んでも、体に影響が及ばないようにするなどお茶の子さいさいだ。
ただ、1つだけ問題がある。魔物細胞が、体に馴染むか馴染まないかの問題だ。オースのように上手くいけばいい。けれど、大抵は知能を持たない化け物になってしまう。そうなってしまうと、処分するしかなくなる。経験を積む為には、事例を知るほかない。被験者になってくれれば……というささやかな視線を送った。
「結構だ。我は、飲みたくて飲んでいるのではない。酔いたくて、飲んでいるだけだ。放っておいてくれ」
だが、返ってきたのは面白みのない言葉。彼ほどの強靭な体の持ち主は早々いない。当然、人間が主体のこの世界には尚更。一目見た時から、彼には是非とも被験者になって欲しいと思っていた。
「魔物になっても酔えますよ?」
「そんなものに成り下がるつもりはない! そんなくだらぬことを言いに来たのなら、さっさと消えろ! 目障りだ!」
一応食い下がってみたものの、やはり返事は変わらない。それどころか、今にも殴ってきそうな勢いだった。
オースという一定の成功者を間近で見せても、気持ちは変わらなかった。それほど、彼の中のこだわりが強いということだろう。どうして、自分自身の力にこだわるのか彼女には理解できなかった。
「先ほどのは冗談ですわ。くだらないことは、ここまで。これから先は、お仕事のお話をしましょう」
これ以上、この話を続けるのは得策ではないと判断した。素材として見ることは、今は諦めることにした。残念ながら、この計画は1人で進めきることはできない。彼女が作った子供達に任せることも難しい。リュウホウという、それなりの実力者でなければ頼れなかったのだ。
彼女は、気持ちを切り替える意味も込めて、手を1度叩く。そして、先ほどまでの朗らかな雰囲気はどこへやら真面目な顔で向かいの席に座った。
「これから、アレには魔王様の配下としての価値を高めさせる必要があります。これまでのことは、全て種をまいたに過ぎません。本番は、次からです」
そう言って、彼女はリュウホウの前にコップを差し出す。
「随分と手間暇かけて育てるものだ。これほどまでする意味があればいいのだが」
その様子を見て察し、彼は酒瓶の蓋を力でこじ開ける。吹き飛んだ蓋が、音を立てて床の上を転がっていく。
「意味はこれから生まれます。それは、私と……貴方の力量次第。魔王様の目に狂いはありません」
2つのコップに、彼はなみなみに酒を注ぎ込む。彼女は、それを見て眉間にしわを寄せる。彼女は、少しずつ嗜むことが美しいと感じていた。それに、こんなに入れられてしまったら零れてしまう。自身のルールを破られ、不快感を覚えたのだ。
だが、彼はコップに意識を向けていたために、その表情の変化に気付けなかった。
「ふん……相変わらずの狂信っぷりだな。まぁ、我の力量には何ら問題ない。必ずや、その期待に応えて見せよう。何かあるとすれば、貴様の方だろう」
彼は、自信たっぷりにそう答えた。そして、コップを1つ差し出す。
「随分と自信がおありのようですが、その根拠を説明頂けます? 根拠のない自信など、無意味ですから」
差し出されたコップを手に、そう尋ねた。彼女は、少し苛ついていた。まるで、自分に一切の問題がないかのように語ったからだ。
「何を見ていた? アレの動きは格段に変化していただろう」
「でも、それは……ねぇ?」
思わず、彼女は笑ってしまう。彼の力など微々たるもの。それを、誇らしげに語る姿が滑稽に映ったのだ。
オースが意欲を持って取り組めるようになったのは、あれほどの動きを取得したのは、レイナルとの関わりがあったから。ただ煽り、ねじ伏せていたことを功績と誇るのは如何なものかと感じた。
「単調な動きでも勝てるようにしてやった。真似ただけの動きでも、達成感を得られるように配慮してやったのは誰だと思っている? あれでは、人間の動きがそれなりに高まっただけ。素人だった頃と比べれば、マシになっただけの話。我らの手を焼かせる神聖騎士の奴らには、遠く及ぶまい」
神聖騎士――それは、神聖ランプト王国にて、功績を残した者に与えられる役職。現役の騎士は、3人。リュウホウ達は、その内の2人と何度か戦ったことがある。
神聖騎士の名は、伊達ではなかった。交戦しても、追い詰められてしまう。人間とは思えぬ太刀筋と動き、侮ることのできない相手。2人共、いずれも撤退せざるを得なかった。実戦経験皆無のオースでは、囮にもならないことは明らかだった。
「してやった……ですか。それにしては、随分と楽しんでいらしたようですがね。まぁ、いいでしょう。終わったことを、色々と言っても仕方ありませんし。アレは、貴方の思うように扱ってください」
苦い思い出を蒸し返され、反論する気力も彼女は失った。少しだけ文句を言った後、適当に次の仕事について伝えた。
「シンプルな命令でよろしいことだ」
リュウホウは小さく笑うと、豪快に酒を飲み干した。喉が焼けるような感覚すら心地良く、味も全体に染み渡る。大量にあった酒が、一瞬で消えてしまった。
「どうやら、これまでは貴方の功績が大きいとのことでしたので。複雑なことは、私にお任せ下さい。うふふ……お互い、使命を全うしましょうね?」
テウメは、コップを強く握り締める。その瞬間、コップが粉々に砕け散った。表情こそは朗らかだったのだが、内心はまるでマグマのように煮え立っていたのだ。
それを、彼は気にする様子もなく、もう1杯とコップに酒を注ぎ込むのだった。




