思いを拳に乗せて
リュウホウが現れると察知し、オースはすぐにその場から離れた。
「――っと!」
「ほう、避けたか」
首を掴み損ねた手を鳴らしながら、オースの方へ向き直る。
(すげぇ、マジかよ、俺!)
興奮して胸が高鳴る。まさか、避けられるようになっているなんてと自分自身の成長に驚いた。
「無様に殴られているだけだった貴様が。何やら、様子が違うな」
リュウホウは怪訝な様子で、じろじろと眺める。
「これまでの俺とは違う。くそジジィめ。もう俺は倒れない! 倒される前に、俺がてめぇを殴る!」
オースは覚悟を決め、握りしめた拳を強く前に突き出す。
「ほぉ、それは楽しみだ。近頃、貴様を殴るのも惰性でな。それだけ言うのだから、余程でなければ許さぬぞ?」
彼はにやりと笑うと、鋭い眼光でオースを睨みつける。全身の毛穴が開くような感覚を覚えた。
(なんて気迫だ……やべぇ、これだけ調子いいこと言ってんのに不安になってきた。違う! こんなの俺じゃねぇ。俺じゃ……)
巨漢の男に凄まれ、動じないはずがない。不安に飲み込まれてしまいそうになった時、脳裏にレイの言葉が蘇る。
『――大丈夫、オースはもう1人じゃない。共に乗り越えよう』
素直にありがとうと言えなかった、もどかしい言葉。けれど、確かな支えとなってオースの心にある。今、この場に立っているのはオースただ1人なのに、隣にレイがいるような心地であった。
(そうだ、俺は1人じゃない。これまでの苦痛に耐え抜いた日々を思い出せ。レイと切磋琢磨した日々を思い返せ。この一瞬で、全て決まるんだ。変えられる、変えてやる! こんな屈辱にまみれた日々なんて!)
情けなく怯えていた日々と決別するための戦い。チャンスが、すぐ目の前にまで迫っている。気持ちで負けていてはいけないと、己を奮い立たせる。
これまでずっと引いてきた。ならば、どこかで押さねばならないだろう。それが、今この瞬間だった。
「ならば、試させてもらおう!」
彼は構え、臨戦態勢に入る。そして、一呼吸置くと、姿を眩ませた。いや、眩ませたという言葉は適切ではない。実の所、ただオースの目では素早い動きが捉えきれなかっただけなのだ。
(来るっ! 絶対に当たるな! 当たったら、死ぬと思え! 命懸けで、攻撃をよけろ!)
それでも、レイとの特訓で築いてきたものがある。だから、視覚で捉えることはできなくとも、感覚としては見えていた。自分がどのように狙われるかわかっているからこそ、冷静に判断できた。
「ほう、我の動きを読むとは。これまでとは、まるで別人だな。一体全体、何が起こったというのか」
感心しながらも、彼は絶え間なく殴りを浴びせ続ける。そして、それらを徹底してオースはかわし続ける。
「まぁ、どれほどまでに腕を上げたのか見てやろう。これまでとは、違う目をしているからな。構ってやる価値もあるというものだ」
彼の拳は空を切っているというのに、その威力が伝わってくる。普段味わっていたものとは、まるで違うことがわかる。興奮気味な彼の心が、攻撃に表れているのだ。
「がっかりさせてくれるなよ。我の興味を奪ったのだからな」
そして、興奮すると彼は饒舌になることが伺えた。この間、オースは一切口を挟んでいない。
(うるせぇな、こいつ。1人でべらべらと喋りやがって)
必死にやっているのに、彼があまりに喋りかけてくるものだから苛立ちを覚え始めていた。
しかし、そんな時――戦いの風景が蘇る。
(あぁ、でも……レイもこんな感じか)
レイは戦っている時、とにかくうるさかった。それだけで、集中力が途切れてしまうことがあった。よくよく考えれば、レイの方が鬱陶しかった。
次第に、適当にあしらうようになった。気にしたら負けだと気付いた。適度に流し、時折無視をする。
(流せばいいのか)
集中できなくなるから黙っているように忠告しても、彼は絶対に喋った。それは、リュウホウがそうだからということだったのかもしれない。
(あいつ、こういう所までちゃんと考えてやってたのか? いやいや、まさかな。偶然だよな? あいつ、うるせぇ奴だし。もし、そうじゃなかったとしたらキモっ。マジキモいわ)
「……ふっ」
そんな所まで、訓練してくれていたのだと思うと自然に笑みが零れてしまう。
「何がおかしい?」
オースの笑みが気に食わなかったのか、リュウホウが眉間にしわを寄せた。
「てめぇには言わねぇよ」
「そうか、それは残念だ」
それだけ返すと、オースは再び感覚を頼りに攻撃を避け続ける。
「……はぁっ!」
彼の動きを、一瞬だけ捉えることができた。オースは、咄嗟に身を翻して見事にかわしてみせた。
オースを仕留め損ねた拳は、壁を貫いていた。ぽろりぽろりと壁の破片が落ちる。
(ひぇぇっ!)
「ふん」
会心の一撃を見舞わせるつもりだった彼は、残念そうに鼻を鳴らす。
(あぁ、恐ろしい。こんなん死ぬ! 治るけども。でも、痛いのは勘弁だぜ! 絶対に当たりたくねぇ!)
自分が、その攻撃を受けた訳ではない。ただ、見るだけでも痛かった。それを食らった自分の姿が容易に想像できる。腹部に、ぽっかり穴が空いていてもおかしくない。
(でも、さっきのは大振りだった。あれは、予兆が見えやすい。次、またこれが来る時を狙おう。それまでは、徹底して避け続ける!)
大振りの攻撃の時は力を込めなければならないのか、彼の速度が落ちる。予兆さえ見逃さなければ、今のオースにはかわせる程度であった。
「……無駄な足掻きを!」
彼は拳を引っこ抜き、再びオースへと襲い掛かる。
「無抵抗でも嫌で、反抗されるもの嫌なんだから、もうどうしたらいいかわかんねぇなぁ!?」
それら全てを受け流しながら、オースは反論する。
「中途半端なものが嫌いなだけだ!」
「はっ、中途半端じゃねぇってことはわからせてやる!」
オースは、痛みと屈辱に耐えながらずっと見てきた。リュウホウの動きを、何よりもずっと。彼より、彼の動きを理解している。それが、中途半端と扱われるのは許せなかった。
本当に中途半端だったなら、もうとっくにオースは倒れているだろう。無様に攻撃をくらい、暴言を浴びるだけだっただろう。
「急にそんなことができるものか!」
「急じゃねぇ! 俺はずっと――」
「無駄口を叩くその口ごと、ひねりつぶしてくれよう!」
(……来る!)
1度
彼の動きが、目視できるようになる。つまり、もう1度あの大きな攻撃が来るということだ。
「この時を待ってたんだ!」
「な……に!?」
ずっと逃げてばかりだったオースが、隙を狙って攻撃に転じる。これまでのこともあり、そんな芸当はできないと高をくくっていた彼はただ愕然とする。
そして、オースの拳はついに――リュウホウの頬を完璧に捉えたのだった。
「中途半端じゃねぇ。俺は、完璧にてめぇの動きを覚えた! そして、今こうやって……てめぇの頬をぶん殴ってやったんだ!」
「ふふ……ハハハハハッ!」
それを聞き、彼は豪快に笑い始める。
「愉快、愉快だ! 良いだろう、これだけのことができた貴様の未来に期待してやっても。使役してやろう――」
この場において、負けたのは紛れもなく彼だ。それなのに、敗北感を微塵も滲ませることなく、尊大にそう言い残して姿を消した。




