選ばれた者
時は遡ること、1週間前――。
「俺の村に手を出すんじゃねぇ!」
「ぎゃぉっ!?」
オースの蹴りが、空飛ぶ魔物の急所を捉えた。魔物は悲鳴を上げ落下し、動かなくなった。オースはその魔物を持ち上げ、小さく鼻で笑う。
「ったく、魔物もしつこいねぇ。これも、魔王様のご命令かよ」
数年ほど前、この世界に突如として現れた魔王。宣戦布告もなく、大量の魔物を数多の国にけしかけた。襲われた国は成すすべなく、軒並み滅びていった。
そして、ついにその毒牙がこの国――神聖ランプト王国に向けられてしまった。出来得る限りの抵抗を続けているものの、滅びるのも時間の問題だった。
「に、兄さん。も、もう倒しましたか?」
すると、震えながら草むらに隠れていたルースがひょっこりと顔を覗かせる。
「俺の蹴りで瞬殺よ」
「ありがとうございます、兄さんが来てくれなかったら……僕……」
「ったく、いつまで経っても帰ってこねぇから、まさかと思ってな。双子の繋がりって奴か? 何となく分かったんだ。で、どうしてわざわざ村の外に?」
気の弱いルースが、1人で村の外に出るなど何か相当に特別な理由がなければありえないことだった。
兵士や自警団は、城下を守ることで手一杯だ。辺境にまで手が回らない。だから、何かあれば村で頑張るしかなかった。たとえ、戦う力がなくとも。
「小さい女の子の泣き声がしたんです。でも……」
ルースは俯き、服の裾を力強く握る。
(こいつにしては珍しい。見捨てずに様子を見に行くなんて。逃げる専門のはずなのに)
逃げ足だけならば、オースにも勝る。
昔、鬼ごっこで最初の鬼役になると誰も捕まえられないが、子供役になると誰にも捕まらないという厄介さを披露したほどだ。
(だが、今回は残念な結果に終わったみたいだな)
「ば~か、それはさっきの魔物だ。子供の泣き声を出して、おびき寄せるんだ。ま、お前にしては頑張ったってことで怒ったりしねぇよ」
魔物にはそれぞれの特性があり、ものによっては人を寄せ付ける為の技を身に着けている。
「魔物……」
ルースは、どこか納得出来ていない様子だった。いつもであれば、すぐに受け入れるというのに。
「俺が兄貴だったことを誇りに思えば、それでいい」
弱くて惨めな弟は庇護対象、身近で欲望を満たしてくれる存在だ。無限に、自身の価値を高めてくれる――いわば、踏み台だった。
(こいつを連れ帰れば、また今日も村で俺の評判が上がる。そして、いずれは評判が評判を呼んで、誰か俺を連れ出してくれる)
世界が脅威に狙われ、魔王に打ち勝てる力を求めている今、そのチャンスは大いにあった。
「よっしゃ、じゃあ帰るか」
彼に背を向けて、意気揚々と1歩踏み出した時だった。
「あの、兄さん。その……魔物の声だったとしても一応、調べてみてくれませんか?」
「は?」
思いもせぬ発言に、踏み出した足がとまる。
「見た気がするんです。女の子が……森の奥に消えて行くのを」
振り返ってみると、彼はじっと遠くの方を見つめていた。恐らく、その視線の先に少女が消えて行ったと言いたいのだろう。それが、オースには気に食わなかった。
「ビビり過ぎて、幻でも見たんじゃねぇの? 今時、小さい子供が1人で森にいるなんて自殺行為だ」
平穏だった世界はもうない。昼も夜も、魔物は我が物顔でそこら中を歩き回っている。大人が1人で出歩くことすら自殺行為と言われるのに、子供が1人で出歩くなどありえるはずもない。
「でも……! 本当に、僕は……」
目に涙を滲ませながら、彼は食い下がる。
「何? 俺の言うことが信じられねぇ訳?」
「そういう訳じゃ……」
「見た気がするとか、一応とか、そんなふわふわした状態で俺に調べてくれとか馬鹿言うな。ほら、行くぞ」
これ以上、話を聞くのは無駄だと判断し、オースは彼の腕を掴む。
「お袋が、くそうめぇシチューを作って待ってる。夜になっても、お前が帰ってこないって泣きながら。涙がシチューの隠し味になる前に帰るぞ! 走れ!」
母は、私のことが嫌いになってしまったのではないか、もう2度と帰ってこないのではないかと夕方から泣き続けていた。そんなことはないから、ルースの為に料理を作ってやってくれとそれっぽく父と励ました後、腕っぷしに自信のあるオースが彼を探しに出かけたという訳だ。
「へっ!? 兄さんの足は速過ぎて、僕はつか――」
「疲れたら、たらふく食べられるだろ!」
「あっ、あぁ!?」
のんびり話しながら帰っていては、ミイラ取りがミイラになったと心配されかねない。彼を見つけ出した以上は、さっさと家に帰らなければ自身の評価にも影響が出てしまうと、オースは彼の手を引っ張って走り始めた。
「はぁ、はぁ……もうペコペコだから大丈夫ですよ……」
絶望的なまでに体力のない彼は、1分もしない内に息を切らす。しかし、足を止めたら引きずられてしまうのが目に見えている為に、必死で足を動かしていた。
「もうバテてんのか? 少しは体力つけてみろよ。いつまで、お家担当でいるつもりだ?」
ルースは斧を持てば、バランスを失いあらゆる方面に切りかかるし、鍬を振り下ろせば、1回で腕が悲鳴を上げる。バケツで水の運搬をしようものなら、全てをこぼして無駄にする。じょうろでの水やりは、重さに耐えられず休憩ばかりして時間がかかり過ぎてしまう。故に、家庭での仕事に専念せざるを得なかった。
だが、そのお陰もあってか彼の料理の腕前はプロ顔負けで、洗濯物畳みの速さならば右に出る者はいない。しかも、掃除も得意で、家はいつも清潔に保たれている。
「家の仕事も……はぁ……結構ハードなんだよ……」
彼は、まるで旦那から「こっちは仕事で疲れてんだよ」と言われた時の主婦の顔で反論する。
「はいはい、そうですかっと」
残念ながら、オースに家事についての理解はなかった。将来、結婚するようなことがあれば妻に間違いなく不満を持たれるタイプだった。
***
「はぁ、はぁ……疲れました……」
彼の弱音を無視しながら走り続けていると、ようやく村の入り口が見えてきた。だが、そこにある光景は先ほどまでとは異なっていた。
(よっしゃ、村が見えてきたぜ……って、ん? なんだ、村の入り口に馬車と兵士? なんかあったのか?)
徐々にスピードを緩め、怪訝な様子で2人は村へと入っていく。その際に、入り口にいた兵士達がちらちらとこちらに視線を向けながら、ひそひそと何か言葉を交わした。残念ながら、それは聞き取れなかったが、オースは心の中で密かにガッツポーズをしていた。
(もしかして、もしかしなくてももしかするんじゃね!? 俺がずっと頑張ってきたことがようやく報われるんじゃね!? 村に強い奴がいるって伝わったんじゃね!?)
こんな辺境の、なんの代わり映えもない村に名のある者はいない。何かあるとすれば、率先して魔物退治を行っている自分だと思ったのだ。
心弾ませながら、家のある方へと向かうと人だかりがそこにはあった。予想は、密かに確信へと変わる。
「帰ってきたよ!」
人だかりの中からそう声が響いた瞬間、母が号泣しながら飛び出してきた。そして、オースにすがりつく。
「どうしましょう、どうしたらいいの! あぁ……」
「どうしたらって、そりゃ――」
すると、その人だかりの中から豪華な鎧をまとう男性が姿を現し、オースの後ろを見て高らかに叫んだ。歩く度に揺れる金髪が、妙に鼻についた。
(なんだ、マッシュルームに触覚生やしたみたいな髪型しやがって。金色のマッシュルームか?)
辺境で、年を重ねた者達ばかりに囲まれるオースには理解しがたい髪型であった。
「王の命により参ったよ! ルース=ヴァリエンテ! 我らと共に来てもらおう!」