新たな世界へ
炎に包まれる村を、オースは両親を探して彷徨う。最初は気合で走っていたが、尋常ではない熱さと臭さの中では、それもあっさりと奪われる。
「はぁ、はぁ……げほっげほっ!」
煙が喉にまで入り込んできて、焼けていく感じがする。窒息感と頭痛、目まいにも襲われて、とてもではないが誰かを助けられるような状況ではなかった。
(息苦しい……くそ、家もどこかわからねぇ)
見飽きたはずの景色が、そこにはない。見渡す限りの炎と煙が、感覚を狂わせた。
「人の気配がねぇ……?」
助けを求める声も、苦痛を訴える声も聞こえない。オースは、数分この場に留まっているだけで苦しくて声が勝手に漏れ出してしまうのに。
(もしかして、もう……)
描いた希望が消えていく。それでも、掴み取ろうと歩を進めていたその時、重たい何かがつま先に触れる。がれきかと思い、足元を見た。
「あ、あぁぁ……!」
だが、そこにあったのは真っ黒な――人間だったもの。もはや、それが誰であるのか認識などできなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
希望が、大きな音を立てて崩れていった。そんなオースに、現実は更なる追い打ちを立てる。
「あらぁ……? どうして戻ってきちゃったの。そろそろ迎えに行ってあげようと思っていたのに」
現れたのは、誰かの返り血を浴びて真っ赤に染まった蝶の魔物であった。
「蝶女……やっぱり、生きてやがったんだなぁ!」
「でも、わざわざ戻ってきた甲斐もなかったわねぇ。もう全員殺しちゃったわ」
「てめぇ!」
仕留め損ねた自分への憤り、村を破壊した魔物への怒り、それらが爆発し、弱っていたオースに力を与えた。
(ありえねぇ! でたらめだ、全部全部!)
そして、昂るままに蝶女に殴りかかった。
「触らないでっ!」
「って!」
ところが、蝶女は羽で風を起こし、オースを吹き飛ばす。最後の足掻きも空しく、抵抗できぬまま、落ちた先は燃え盛る家の軒下だった。
「……え?」
オースが落下した衝撃で、脆くなっていた家の屋根が崩れる。
突然のことに、その場からオースは動くことができぬまま、がれきの下敷きになってしまった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
炎に包まれたオースの断末魔が響く。
「あれ? あれ? え? 燃えてる? なんで? 火ってどうやって消すの? 誰か! 誰か、どうにかしてよ!」
殺すつもりではなかった蝶女は、その状況にただただ狼狽する。火が強いことは知っていたが、火が何に弱いかまでは知らなかった。
「う゛う゛う゛う゛う゛!」
オースは、どうにかしようと足掻いた。けれど、重くのしかかるがれきをどけることもできなければ、当然ながら消火することもできなかった。苦痛を訴える動きが、次第に鈍くなっていく。
(熱い熱い熱い熱い熱い熱いっ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬしぬシヌ――)
やがて、オースは動くことはなくなった。
「あらあら、なんてことでしょう。やってはいけないことをやってしまうなんて。私は、貴方を最後まで信じていたのに……」
すると、どこからともなく優雅に白き尾と髪を揺らしながら、1人の女が現れる。だが、その瞳にはいつもの優しさはない。
「あぁ、助けにきてくれたのね!」
様子がいつもと違うことに、動転していた蝶女は気付けなかった。彼女の瞳が、自分を映していないことにも。
「えぇ、助けにきたわ。彼をね」
そう言うと、彼女は燃え盛る火を手で呆気なく払う。そして、指を鳴らした。
「……え?」
瞬きする間もなかっただろう。蝶女の体は、まるで砂のように崩れ、跡形もなく消え去った。
「やってはいけない……そう言ったのに。言いつけを守れない子はもう知りません」
その言葉は、もうこの世界に存在しない蝶女に届くはずもない。
「さて、子の失敗は私が拭わなければなりませんね」
微笑を浮かべると、彼女はオースの額に手を伸ばした。
***
オースの意識が覚醒すると、目の前には真っ白な女性が立っていた。獣の耳に尻尾、即座に人ではないというのを察した。
『あ、あぁ……なんだ……』
『初めまして、貴方の意識に干渉しております。よろしくお願いしますね』
彼女の言っていることは、これっぽっちも理解できなかった。
『誰だ……てめぇ。さては、あの蝶女の仲間か』
白いその容姿は、とても高貴で美しかった。まるで、御使いのよう。だが、オースの直感は目の前にいる存在が邪であることを強く告げていた。
『仲間……フフ。そんな安っぽいものになったつもりは、これっぽっちもありません。今までも、これからも』
『……さっさと俺を解放しろ!』
オースは、敵意をむき出しにする。
『あらあら、そんなことを言っていいのでしょうか? ここで、貴方を解放してしまえば、何とかこの場に留まっている意識が消えてなくなってしまいますが』
『は? 何を言って……あれ? さっきまで、俺燃えて……』
脳裏に、絶望がよぎる。燃え盛る村、黒焦げになった遺体、崩れ落ちてくる家、下敷きになった自分自身――。
『えぇ、黒焦げに。これは、不測の事態です。本来ならば、貴方は巻き込まれるはずではなかったのです。こちらとしては、巻き込んでしまった責任を取りたいのです。どうでしょう』
耳をぴくぴくと動かすと、彼女はしゃがみ込んでオースの顔を覗き込む。
『どうでしょう……って何? どういうこと?』
『命が惜しければ魔王様の配下になりませんか? 勇者のお兄様』
『責任取りたいって言った奴の発言じゃねぇなぁ』
ろくでもない提案に、思わずオースは笑ってしまう。
『えぇ、ごめんなさい。オブラートに包むことも当然できますが、素直にお伝えするのも誠意の見せ方かと』
『はぁ……お前も蝶女も世界破壊趣味のある奴の一味だから、平然と俺にそんな提案してくるんだな』
そんな挑発にも動じず、優しい表情を崩さぬままに彼女は言う。
『残念ながら、貴方の体は人間達には治せません。放っておけば、勝手に死ぬでしょう。ですが、魔王様のお力があれば命は助かりますよ。少なくとも、弟に劣ったまま死ぬという醜態は晒さずに済みます』
ルースの名前さえ出せば、この交渉が容易になることを知っていたから余裕があったのだ。
『っ……!?』
彼女の予想通り、オースは酷く動揺し始める。
『よく存じておりますよ。賞賛や羨望の眼差しで、ずっと兄としての威厳を保っていたというのに。突然、それが弟に向けられて。可哀相ですね。選ばれたのが弟だったばっかりに、くすぶる羽目に。しかも、誰にも知られることもなく命の灯が消えようとしています。こんなにも惨めな最期はありませんよ』
更に、追い打ちをかけていく。時空の狭間から、選ばれなかった方をずっと狙っていた。だから、よく理解していた。オースの劣等感、屈辱感も全て。そこを突いたのだ。
『うっせぇっ! 黙って聞いてりゃ、馬鹿にしやがって! てめぇらの下につくなんて、死んでも――』
当然、それが怒りに繋がっていくことも知っていた。彼女は容易にあしらって、さらに揺すった。
『でも、ここで私たちの手を取れば……全て覆すことができますよ。魔王の配下として、勇者と戦い勝利する。それは、屈辱を晴らす結果に繋がると思いませんか? 弟にも天にも』
その誘いが、まともなものでないことはわかった。けれど、どうせこのまま死んでしまうくらいなら、このまま負けてしまうくらいなら、悪に魂でも売って、全てを変えてしまいたい――そんな思いが生まれてしまったのだ。
『興味なんてないでしょう? 貴方を選ばなかった世界に』
そして、彼女は確信めいた表情を浮かべ、オースに手を差し出す。
そう、興味なんてなかった。自分を評価してくれない世界に。今この瞬間も、世界は天はオースのことなんて見向きもしていない。見てくれているのは、魔王達だけ。だから、思わず手を伸ばしてしまった。
(俺は……生きたい。あいつに負けたまま、死にたくなんかないっ!)
『さあ……行きましょう。新たな世界へ――』




