幻と現実
なんやかんやあったものの、オースは食事を終えて、父と共に畑作業に勤しんでいた。
だが、無理に食べたことで動くのが苦しかった。草むしりをすることで、どうにか気を紛らわせようとしていた。
(うぅ、あんまり動いたら吐きそうだ。ったく、しっかりと歯ごたえのあるパンだったぜ……)
そんなことを考えながら黙々と草を抜いていると、近くで野菜のチェックをしていた父が大声を上げた。
「オース!」
「なんだ!?」
手を止めて、父に視線を向けた。作業中に声をかけられるということは、野菜に何かあったのかもしれないと身構える。
オース1人で確認はしていたが、それなりの広さと量がある畑を把握することは難しい。病気や虫に食われているものがあっても、仕方がない――のだが。
「葉っぱの裏に、卵がついてるんだ。見たことない、独特な柄の……」
あまりにもくだらなくて、拍子抜けしてしまう。もしも、この報告をしてきたのが幼い子供だったら笑ってあげられた。
ところが、それをしてきたのはいい年した大人で、さらに、父親という現実があった。
「あぁ? だったら駆除しろよ」
わざわざ、気を引き締めた時間を返して欲しいくらい。呆れを隠し切れぬ表情で、オースは地面に目を落とす。
「そうなんだ。でも……」
「でも……って、どう考えても駆除だろ」
適当に言葉を返しながら、ひょっこりと顔を覗かせる草を掴んでむしり取る。
「なんだか可哀相で……まだ生まれてもないのに」
(何言ってんだ? こいつ)
「可哀相って、虫相手にそんなこと考え始めたらキリがないぜ。農家にとって、虫は敵なんだよ~って言ったの誰だ?」
畑に関する常識や知識、それを与えてくれたのは紛れもない父だ。生きていくため、害となる生物は殺す。今更否定されても、まるで何も響かなかった。
「それは、そうなんだけど……なんか、そう思うようになっちゃって」
大方、ルースと離れ離れになったことで感傷的になっているのだろう。人は思い悩み過ぎた時、自分の存在意義や世界のあり方など普段見向きもしないことを考える始める。明確な答えなど、そこにはないのに求めていく。
父の場合、それが虫という小さな命だった。生まれてもない卵の中にいる子供から、自身の子供であるルースへと繋がった。
「意味わかんね。この世界は弱肉強食。食うか食われるかなんだよ。情けをかけた方の負け。よくもまぁ、こんな国の状態で頭お花畑みたいなこと言えたな」
魔王という存在が現れてから毎年、魔物による襲撃や環境汚染により、世界では数万人が命を落としていると言われている。国も滅び、行き場も家族も仲間も失うのが当たり前になった。
誰かに優しくし、助け合うことすらも馬鹿な行為だと嘲笑われる時代に、虫を慈しみ始めるなど愚の骨頂以外に表せない。
「アハハ……そうだよねぇ。ごめんごめん。じゃあ、ちゃんと駆除しておくよ……」
息子にきつく言われ、少し気まずそうに笑った。そして、葉っぱの裏についた卵に目を落とし、唇を噛みしめた。
「ったく、頼むぜ」
(畑でくらい、強くあれよ。まったく……)
畑にいる時だけ、父に尊敬の眼差しを向けられた。何故なら、父が育てた野菜はとてつもなく美味だからだ。
世界が平和だった頃、よく町の市場に売りに行った。ヴァリアンテの作る野菜は絶品だと、高級店も買い求めに来るほどだった。もうすっかり、過去の栄光だが。
(ようやく働き始めたと思ったら、今度はこれか。害虫に愛情を抱いて、野菜まで駄目にし始めたらどうすっか。そうなったら、もうマジで父親として見れねぇわ……)
かなり憂鬱な気持ちで、近くにあった草を掴んだ時だった。
「ん?」
ぷにゅりと柔らかいものに触れた。あまり気持ちの良いものではなく、不快感を覚える感触だった。
「なんだ……?」
その正体を掴むべく、手をどけて確認する。すると、草の裏には――黄色と紫色の縞模様の卵がくっついていた。それが、父が見たものと同じであることには気付けなかった。
そして、その卵を見た瞬間に見たこともない映像が駆け巡る。けれど、出てくる場所や人には見覚えがあった。
『いやーっ!』
『魔物が出たぞー!』
暗がりの中、逃げ惑う見知った顔。それを嘲笑うように容赦なく、蝶の魔物達が襲いかかる。人が、人でなくなっていく様が繰り広げられていく。
村は激しく燃え、火の手は逃げ道と視界を奪う。魔物も人も容赦なく飲み込んで、焼き尽くす。
『ぎゃあああっ!』
残酷という言葉は、その状態を形容するためにあるような気がした。
そして、次に現れた映像がオースに強い衝撃を与えた。無数の魔物の中央で、堂々とあの蝶女が立っていた。余裕が、表情に滲んでいた。
『残さず殺してやるわ――』
(やっぱり生きてやがった! すぐに探さないから、こんなことに……!)
不敵な笑みを浮かべるその姿に、身の毛がよだつ。オースは、草むしりをしていたことも忘れて、その映像にすっかり夢中になってしまっていた。
ところが、突然それは消えて、現実へと呼び戻されてしまう。現実と幻の区別がつかなくなりかけていた所で、ある種救いだったのかもしれない。
「眩しっ……!」
日の光が、目には堪えた。さらには、長らく幻を見ていた影響か、頭痛と目まいに襲われた。
「う゛っ……」
(なんだ、今のは……キモイ蝶が村を……)
しゃがみ続けることすらできず、頭を押さえながら地面へと倒れ込む。自分でも何が起こっているのか、どういう状況であるのか理解できていなかった。
「オース?」
倒れ込む音で異変に気付いた父は、慌てて駆け寄る。
「っ……!」
だが、父の顔が視界に入った途端、また幻が目前に広がった。
『やめてくれ、殺さないでくれっ!』
(親父?)
燃え盛る炎の中、蝶女に胸倉を掴まれて、軽々と持ち上げられる父の姿。皮膚はただれ、両目が潰れていて、あまりにも悲惨だった。
『あ、あぁ……そんな……』
(お袋も……)
そんな様子を見て、傷だらけの母は涙を流す。父とは違い、目が見えているからこその絶望。腰が抜けて、その場から動くこともできないみたいだった。
『僕はどうなってもいいから……妻だけは、見逃してくれ!』
『あぁ、これが自己犠牲って奴ね。大丈夫、皆まとめてあの世行きにしてあげるから――』
父の必死の訴えは、魔物には届かなかった。
(俺が、俺が……どうにかしてやらなきゃ。くそ弱いのに、無理しやがって。あ、あれ……なんで、何もできない?)
声も出ないし、体も動かない。ただその光景を、どこからかぼんやりと眺めている。
(なんで思い通りにならない? 夢でも見てるのか? それとも、どうにかなっちまったのか? あれ? 俺、今……何してた……んだっけ……?)
現実と幻の間を短期間で行ったり来たりした影響で、精神と体には強い負荷がかかってしまっていた。びくりとも動かないオースに対し、父が必死に呼びかけを行っていたが、現実の声は届いていなかった。
やがて、幻に囚われたまま、オースは意識を失った。




