少しだけ前に
「――っ!?」
オースはびくりと体を揺らして、目を開く。
「夢……か?」
帰村し、ふてくされたオースは部屋に駆け込み、ベットに倒れ込んだ。そして、気が付いたら夢の中だった。
「いつの間にか寝ちまってたのか……嫌な夢見たなぁ」
ベットの上で転がりながら、起きるか起きないかの狭間で揺れ動く。
「ふぁ~あ……」
体は酷く疲れていて、まだ眠りたいと訴える。
(まだ夕方か……やらなきゃならんことはいっぱいあるが……やる気出ねぇ)
現状、この家でまともに動けるのはオースただ1人。オースがやらなければ、仕事はほとんど進まない。変な虫がついていないか、野菜が変な病気になっていないかなど毎日チェックは欠かせないから大変だというのに。
(どうせ、あいつら2人は使い物にならねぇし……俺がやるしかねぇんだが……体が重いぜ。しかも、なんか……くっそ頭が痛いんだが)
心とは裏腹に動きたがらない体。やりたいこと、やらなければならないことがそこにあるのにも関わらず、不思議な現象だった。
「う゛ーん」
(あの夢のせいか? 蝶の魔物が堂々の出演とは、夢見が悪いなぁ。しかも、なんか妙にリアリティあったし……そのせいで、余計だりぃのかなぁ。寝るのも起きるのもしたくねぇ)
こんなにも疲れているのは、今朝あった出来事ではなく、夢で見た内容のせいではないかと感じていた。どちらも十分なストレスではあったが、体がここまで疲弊するようなことではなかった。
「あ゛ー……」
気怠く体を伸ばした時、ふと、ある考えが脳裏をよぎった。
(もし、あの夢が……夢じゃなかったらどうっすっかな)
魔物と獣の尻尾を持つ女性の会話が夢でなければ、一体どんなことが起こるのだろうと。そんな考えを、オースは慌てて振り払う。
(って、何考えてんだ。これじゃ、まるであいつみたいじゃねぇか)
そして、思い出したのは何年も前のこと。10歳になった日の深夜、突然叩き起こされた。
『兄さん、怖い夢を見たんです。すっごく怖い夢! 闇が、村を……世界を包んで……滅びていく夢です。皆、死んでいくんです。夢じゃなかったら……どうしようって思うくらい怖くてっ!』
『あぁ? 夢は夢だろ。くだらねぇ。眠いんだ。どっか行け』
号泣して、どうにかして欲しいと訴えた。どうにかして欲しいと言われても、どうすることもできない。何故なら、それは夢だから。真夜中に叩き起こされ、怒り狂いそうになる自分を抑え、必死に励ましたことは鮮明に覚えている。
(寝てる時に見たんだから、夢じゃなかったら何なんだよ。情けねぇ。あいつのことを考え過ぎて、俺まで影響を受けちまったのかな)
本当に情けなくて、くだらない話だ。子供の頃からずっとそんな調子で、出立する寸前までもそうだった。間違えてもなりたくない姿。一瞬でも似通った思考したことが恥だった。
(これが、夢じゃなかったら……笑えるな。あの魔物が復讐しに来るらしいじゃねぇか。ま、その前に俺がぶっ倒してやるけどな。必ずしとめる。俺もモヤモヤさせたまま、消えた罪はでかい)
夢が夢でなかったとしたら、あの蝶の魔物が村に再び現れる。しかも、今度は明確な敵意を持って。そうなれば、村はひとたまりもないだろう。誰かが生き残っても、大勢が死ぬ未来が何となくでも見える。それでも――。
(夢だろうが、現実だろうが……どうでもいい。俺が倒したという事実さえ作れば、それで……!)
「う~ん……」
何もしない時間が、1番駄目なのだ。また、卑屈な考えが頭をよぎるかもしれない。草いじりでも、薪を割るのでも何でもいい。せめて、何かをすることで気を紛らわせることが必要だった。
(このまま、寝転がり続けても仕方がない。寝るのもしんどい。なら、起きた方がいいか。寝ながら疲れるなんて、馬鹿みたいだし。ここは、勢いをつけて……一気にっ!)
「よっこい――」
オースは、1度体を真っ直ぐに伸ばす。そして、天井に足の裏を向け、勢いよく起き上がった。
「せっと!」
心が、ようやく体に勝った瞬間だった。
「うーっ!」
ベットから降り、勝利の伸びをする。少し体が軽くなったような気がした。
「できる。俺は凄いんだから。さて、畑仕事でもしますかねぇ。その後は薪割りか? 明日は、マジでやらねぇといけねぇんだから、忙しいぜ」
村で1番若くて、畑仕事も肉体労働もこなせるし、魔物だって倒せる。適度に顔も良くて、それなりに体を鍛えている。そうやって、周りの誰よりも凄いのだと言い聞かせる。
そして、それはそのように自分自身を慰めなければならないほど追い詰められているとも言えた。
(とりあえず、まずは畑の様子でも見に行ってみるかね……)
かけてあった作業着に着替え、部屋のある2階から1階へと足早に降りる。両親と顔を合わせたくないという思いがあったからだ。ところが、降りた所でばったりと出会ってしまった。
「お袋……」
「オース、今日は魔物退治に行っていたのでしょう。凄い勢いで部屋に駆け込んで、それからぐっすりと眠って……随分と疲れたのでしょう? 無理はしないで、今日は休んで……」
気遣う母の手には、お盆があった。その上には、ひさしぶりに美味しそうだと感じられるスープとサンドイッチが乗せられていた。
「休む? はっ、馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺がやらなきゃ、まともに動かねぇだろ。親父があんなんじゃ、使い物にならねぇよ」
村の中で、魔物討伐の見送りに顔を出せなかったのは両親だけだ。朝の時点でそうだったのだから、どうせ無理だと思っていた。
すると、それを否定するように、母は真っ直ぐに見据えて言った。
「オースに言われて、私達も考えたんです。このままではいけないと。間違いばかり願って、ルースとの別れを認められませんでした。でも、ここに立ち止まっていてはならないと気付いたのです。もうあの人だって、動く気満々ですよ」
浮かべた優しい笑顔に、昨日までの曇りはなかった。日常が一変する前の、いつも通りの母の笑顔だった。
「――誰か! 僕の作業着知らないかぁ~い!」
遠くから、父が騒々しく物を探す音と声が聞こえた。どうやら、本当に働く気満々の様子だった。
「知りませんよーっ! ちゃんと自分で片付けないからですよーっ!」
忙しない日常が、少しだけ戻ってきた。まったく同じものではないけれど、止まっていた家族の時が進もうとしていた。
「あ~そう。心に響いたなら何よりだわ。でも、結構。親父1人じゃ、回せねぇんだから。俺の仕事がちょっと減るだけのことだし。料理は後から食べるから、部屋に置いといて」
お腹はそんなに空いていない。動いた後になら、食べられるかもしれないと考えたのだ。ところが――。
「温かいうちに食べてくれないのですね……ひさしぶりに、ちゃんと作れたのに」
料理は作りたての温かいうちが1番美味しいと、母はそう思っていた。だから、今すぐに食べてもらえないと知って表情が曇る。このまま、雨も降り出しそうだった。
「くっ……」
(ずるいぞ……よくわからんが、心が痛むんだよ)
「いいんです。また、温めればいいですからね。えぇ、気にしないで。頑張ってきてね……」
母はがっくりと肩を落として、キッチンへと戻ろうとした。
「待てっ! わかった。今、食ってやるから! はん、またくそまず料理出されるようになったらたまらんからな! ったく!」
軽蔑していても、愛はある。姿は見たくないが、いなくなって欲しい訳ではない。だから、屈折した言葉で伝えた。
「うふふ、ありがとう」
太陽のような輝かしい笑顔に――ずるい、シンプルにそう思った。




