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The other side story ~the passed days~  作者: 長谷川るり
8/10

8話

 

『結婚して下さい』

そう言って一年前にはめられた婚約指輪を未だに未練がましく眺めてしまう景子だ。何故なら今日は、去年まで二人で共に迎えてきた付き合い始めた記念日だったからだ。先日銀座で二階堂に時計を預けた日から、自分を縛り上げていた呪縛を解くように、指輪も薬指からは外した。しかし今日は、運転席からこちらを見つめる幹夫の写真の前に置かれたケースの蓋を開けてしまう景子だ。そして去年のあの日、幹夫が忘れていったペアウォッチも、幹夫の元に返ったのか・・・いや、返っていたとしたら、それをどうしたのかが気になってしまう景子だ。そしてそんな景子を、愚かだなと言わんばかりにじっと見つめているのも、写真立ての中の幹夫だった。あれから一日も忘れた事のない景子だったが、今日という日に、再び幹夫も思い出して不愉快な思い出が平穏な彼の日常を掻き乱すのを恐れる景子でもあった。


 立川の希望苑から異動になった新しい職場で、ゼロからの再スタートを心に誓い、毎日を過ごす幹夫だ。朝から何度も目にする今日という日付に、心が平常を保てる様何度も深呼吸をしながらやり過ごした日の夕方、事務所のデスクの上に置かれた幹夫の携帯が鳴った。着信を知らせる画面には“立川記念病院”という懐かしい文字が、幹夫を緊張させる。立川で勤めていた時には提携先の病院だったが、異動した今となっては、縁の薄い関係だ。しかし記念病院といえば、立川の施設での事故の折、利用者が入院していた病院でもあり、景子の勤めていた病院でもある。何をとっても、今となってはあまり明るい思い出の無い病院だ。そんな着信に心を強張らせて、幹夫は電話に出た。

「立川記念病院です。守屋幹夫さんの携帯電話でお間違えないでしょうか?」

「はい・・・」

「先程お母様が、救急車でこちらに運ばれまして・・・」

病院側の説明を聞きながら、幹夫は必死に自分を落ち着ける。電話を終えた幹夫は、その場に居た事務の佐々木に事情を説明した。

「母が救急車で搬送されたそうで、申し訳ないけど、これから行かせてもらいます。又夜には戻ってきますので」

「所長、今日はもうそのままお帰り下さい。こっちは夜勤で副主任もいらっしゃいますし」


 慌てて幹夫が病院に駆け付けた時、母は丁度レントゲン室の前で車いすに座っていた。

「お袋!」

振り向いた母親は、片手を挙げて笑ってみせた。

「ごめん、驚かせて。仕事抜けてきて大丈夫だったの?」

「そんな事より、どうしたの?!」

付き添いの看護師が説明を始めようとすると、母はそれを遮った。

「駅の階段で足滑らせて尻もちついちゃったら、こんな大袈裟な事になっちゃって。歩けるのに、車いすなんかに乗せられちゃってさ」

「念の為、検査をしてます」

そうようやく補足した看護師が、幹夫の顔を見てハッとする。

「あ・・・!希望苑の所長さんですよね?!」

幹夫はその看護師の名札に目をやる。以前回診の時に、希望苑に数回来た事のある当時看護助手だった岩瀬が、懐かしそうににこっと微笑んだ。幹夫が深く頭を下げると、母がそこに割って入る。

「あら、顔見知り?」

「立川に居た時に、回診で来て頂いた看護師さん」

母にそう説明する傍らで、幹夫は岩瀬に一言付け足した。

「今は異動になって、立川には居ないんですけど・・・その節はお世話になりました」

母は二人の顔を見上げてにこにこしている。

「不思議なご縁ですね。世の中ってなんて狭いんでしょう」

その時、レントゲン室の重たい扉が開いて、中からレントゲン技師が母の名前を呼んだ。

「こちらで少々お待ちになってて下さい」

岩瀬が幹夫にそう言って車いすを押して中に入りかける。そこで岩瀬はレントゲン技師にそっと囁いた。

「こちら、希望苑の所長さんと、そのお母様です」

そう紹介され、幹夫の顔を見て思わず、

「あっ・・・」

と声が漏れる。そして幹夫に向けた視線をすっと逸らして頭を下げた。妙な間を感じて戸惑う幹夫が胸元の名札に目をやると、そこには『岡本』と書かれてあった。そしてその岡本は、少々慌てた様に説明を加えた。

「骨折などないか、念の為レントゲン撮らせて頂きます」

「宜しくお願いします」

レントゲン室に母が入っている間、廊下の椅子に腰掛けながら、さっきの妙な空気が心に引っ掛かる幹夫だった。立川に居た頃、何度となくこの記念病院には足を運び、入院棟、外来棟の医師看護師は幾人と挨拶を交わしてきたが、この岡本というレントゲン技師の顔も名前も憶えがない。しかし先程の岡本の表情は、まるで幹夫を知っている様なそんな顔つきであり、幹夫は今一度記憶を辿るのだった。

 レントゲン室から出てきた母を迎えた幹夫が 改めて岡本に頭を下げるが、岡本は岩瀬にカルテを渡すと、ぺこっと幹夫に会釈だけ残して レントゲン室へとくるっと背を向けた。そして、車いすを押しながら岩瀬が言った。

「検査はこれで全部終わりましたので、あとはこれから、もう一度診察室で先生からお話を頂きます」

車いすから幹夫を見上げて、母が明るく言った。

「今の先生、あんたと同い年だって。この辺の出身らしいけど、学生時代の同級生だったりして。覚え、ない?」

幹夫の頭の中で、さっきとは別のファイルがペラペラとめくられていく。そして、待っていたエレベーターの扉が開いたと同時に、幹夫は向きを変えた。

「悪い。先行ってて。後で行くから」

岩瀬に軽く一礼して、幹夫はさっきの通路を引き返し、レントゲン室の方へと足を進めた。何も考えないまま体だけが動いてしまった幹夫を、丁度レントゲン室から出てきた岡本が見付けて、またハッとする。

「・・・何か・・・?」

「いえ・・・」

言葉など用意していない幹夫が、必死で質問を準備する。

「以前に・・・ご挨拶させて頂いてました・・・か?」

すると岡本は、幹夫の顔色を探る様に、慎重に首を横に振った。

「いえ・・・」

「あ・・・じゃあ・・・もしかして小学校とか中学の時の・・・」

岡本の反応が消えると、すぐさま幹夫が説明を足した。

「今母から聞いて・・・。この辺のご出身だとか」

「・・・あぁ・・・まぁ・・・」

一向に幹夫の記憶と岡本の記憶が重ならない事で、二人の間に再び妙な空気が流れる。それを察した幹夫が、慌てて笑ってみせた。

「母が急に、『岡本先生あんたと同い年らしいよ』なんて言うもんだから、もしかして・・・と思いまして。すみません、変な事急に」

「いえ・・・」

幹夫の中でモヤモヤが残ったまま、一歩足を引っ込めて、そこで再び踏みとどまった。

「さっき私の顔を見て、知ってる顔に会った時の様な反応をされたので・・・」

すると岡本は、ゆっくりと息を大きく吸って、それまで強張っていた頬を緩めてみせた。

「景子ちゃんの飲み仲間です」

その名前を聞いて、急に幹夫の全身から血の気が引いていくのが分かる。しかし そんな事も知らず、岡本の説明は続いた。

「以前景子ちゃんの家に行った時に、守屋さんのお写真拝見したので・・・それで。私が一方的に顔を知っていただけです。すみません」

急に胸がざわざわと騒ぎ出し、顔の筋肉を自由に操れない程動揺している自分に、幹夫は頭の隅の方で 呆れて大きなため息をついた。


 結局は母は、軽い打ち身だけで骨には何の異常もなくほっとすると、幹夫の中に急にやり場のないイライラが湧いてきて、母に八つ当たりする事でごまかしながら車で帰宅する。幹夫は部屋に入るなり ベッドへと倒れ込んだ。そして暫くして、携帯を手に取って何やらメッセージを打ち込み始める。

『今日、記念病院のレントゲン室で岡本という男に、ご丁寧に『景子ちゃんの飲み仲間です』と挨拶されました』

一体誰に対しての怒りなのか分からないまま、持て余した感情を文字に変えた幹夫は、その文を読み返して独り言を呟いた。

「・・・馬鹿か俺は、今さら」

そして打ち込んだ文字を一文字残らず削除して、携帯を布団に放り投げた。


 何となく重苦しい一日を終えて、ペアウォッチの片割れを腕から外して指輪の箱の隣に並べる景子。そして未だに捨てられない指輪に手を伸ばそうとした時、景子の携帯にメッセージの着信がある。こんな遅い時間に誰だろうと携帯を手に取ると、思いがけない相手からのメッセージだ。幹夫からのメッセージが一件と表示されているその信じられない画面を暫く眺め、恐る恐るそれに触れる景子だ。あの日自分が送ったメッセージで終わっていた画面に、幹夫からの吹き出しが追加されている。しかしそこに文字はなく、無言のメッセージだ。その意味を暫く考える景子。いくら待っても次のメッセージは来ない。景子は思い切って、それに応える事にする。

『久しぶりだね。突然のメール、驚きました。何かあった?』

震える指でそれを送信すると、景子の中で、後悔と祈りが渦巻いた不安がどんどんと大きくなる。そしてそれは時間が経つと共に次第に膨れ上がっていくのだった。ぎゅっと携帯を握りしめた手に入る力が、その緊張を物語っていた。暫くして、既読にはなったものの返信が来ない時間が続いた事で、景子はようやく幹夫の心中を察し、現実を受け入れる事にするのだった。久し振りに景子の部屋に幹夫が来た あの日、突然の破局を迎え、現実を受け入れ様と必死に自分に言い聞かせてきた数か月。思い出の中に現実逃避したくなる自分を時々甘やかしながら、傷を癒やしてきた数か月でもあった。自分の気持ちに区切りを付ける為に、実家の父親に結婚話が無くなった事を報告しに行った日もあった。そして指輪を外し、結婚雑誌を捨てた。ようやく徐々に現実を受け入れられる様になってきた今日この頃の景子に、突如嘘みたいなメッセージが舞い込んで、期待なんかするつもりも、できる筈のない事も充分分かっていた筈なのに、心が勝手に独り歩きしてしまった景子だ。目を瞑って大きく深呼吸をして、もう一度最近の自分へと心と頭をリセットさせる。そして目を開けると、景子は立ち上がって幹夫の写真を抜き取って その他大勢の写真の箱にしまった。


 景子から来たメッセージに目を通して、反射的にすぐに電源を切って放っておいた携帯電話が やはり気になる幹夫だ。次の日の朝、もう一度久し振りの景子からのメッセージを読み返す。そして、重たい指をゆっくり動かした。

『間違いです。失礼しました』

しかし、送信ボタンに指が伸びない。迷った挙句、一旦その文章を消して、再び指が迷う。今までの色んな会話が幹夫の頭の中で飛び交う。

『景子ちゃんはお前にとって、確実に失っちゃいけない人だったんだと思う』

『色々考えるより、たった一個行動を起こす事の方が、何倍も価値があるんだね』

そんな言葉達が幹夫の背中を押す。

『久し振り。元気にしてる?』

そこまで書いて、幹夫の指が止まる。様々な言葉が浮かんでくるが、どれも取ってつけた様で違和感充分だ。

『この間、浜松町の方でちょっとだけ見掛けました。元気そうで何よりです』

打ち込んだ文章を読み返して、大きなため息と共に消す幹夫だ。そのまま目を瞑ったまま何秒かじっと佇んで、幹夫はもう一度指を動かした。

『幸せになって』

ぎこちなく動いた手がそこで止まる。暫くそのまま その文章を眺めてから、送信ボタンに触れずに携帯を鞄にしまった。

 

 結局朝打ち込んだ文章を送信しないまま、仕事場に到着する幹夫だ。朝の巡回や申し送りをいつも通りこなし、日中の業務も終え、あっという間に利用者の夕食が終わる。合間に何度か携帯を手に取る時間もあったが、幹夫は景子へ朝打ち込んだメッセージを送らないままでいた。

 一日終えた幹夫が車に乗り込んでエンジンを掛ける。その時、鞄の中でメッセージを着信した音が鳴った。

『明日の朝のパン、買ってきて』

母親からだ。よくある事だ。

『了解』

そうすぐに返信して携帯を鞄にしまう。・・・が、ハンドルに掛けた手をもう一度鞄に伸ばして、幹夫は携帯で昨日景子に送りそびれたままのメッセージにもう一度目を通した。

『幸せになって』

そして・・・大きく息を吸って送信ボタンに触れる一歩手前で、指が硬直する。もう一度胸いっぱいに息を吸い込んで、・・・吐き出しながら、画面に表示された文章全てを消去した。


「景子、最近付き合い悪いよね」

飲み会の誘いを何度か断った景子に、滝美江が電話を掛けてきていた。

「ごめん、ごめん。最近ちょっとバタバタしてて」

「何、何?いよいよ結婚でもするの?」

幹夫と別れた事を話してはいなかった。

「違うってぇ。たまたまね、皆の予定と合わないだけ。その内また行くから」

「じゃ、今回のは来てよ。なんか岡ぽんが皆に話があるんだって。だから、楓も恵里佳も皆都合付けたんだってば」

あれ以来、岡本とは一度も顔を合わせてはいない。正直、まだ皆のいる所で 岡本と今まで通り変わりなく接する事が出来るか自信のない景子だ。女が4人も5人も集まれば、大抵その中に勘の鋭い者がいて、妙に嗅ぎつけたりするものだ。特に看護師というのは、何故かそういう事に長けている者が多い世界でもある。

 景子は首を無理矢理縦に振らされて、飲み会の場所に遅れて合流する。

「遅いよ~、景子」

滝美江をはじめ、皆程々にアルコールで頬を赤らめている。いつもの顔ぶれの中に混じって、知らない顔が一人こちらを見ていた。

「今日から、一人増えたから」

美江が笑いながら言うと、岡本の隣に座っていたその女性がぺこりと頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「あ・・・こちらこそ。初めまして」

良く分からないまま挨拶を済ませる二人を見て、クスクス周りが笑っている。そこでようやく岡本が口を開いた。

「皆にはもう紹介したんだけど、景子ちゃん来たから 改めて紹介するね。今度結婚する事になりました落合由香里さんです。皆とはこれからも長い付き合いになると思うんで、よろしく」

そう紹介されて、由香里はさっきよりも少し深くお辞儀をした。そして景子は、瞳に動揺が現れる前に頭を下げた。

「度会景子です。よろしく」

顔を上げると、その可愛らしい笑顔の由香里の隣で、満足気に頬を緩ませる岡本がいる。あの日、お互いに同じ過ちを犯した筈なのに、景子は恋人と破局を迎え、一方で岡本は結婚へと愛を実らせていた。妙に悲しい気持ちが胸いっぱいに広がってしまった景子の事など知らずに、皆が口々に二人の馴れ初めや由香里の情報を提供してくる。

「4年半付き合ってゴールインだって」

「もう一緒には住んでるんだけど、籍を入れるのは来月なんだって。由香里ちゃんの誕生日が来月だからって」

「式は10月にハワイでやってくるんだってさぁ。皆で招待してよって話してたとこ」

「旅費、全然実費でもいいからさぁ。ね?行きたくない?皆でハワイ」

「それ、二人の結婚に便乗して遊びに行きたいだけでしょ?」

おめでたい話題が一つあるだけで、皆の笑顔の度数がいつもより数段高い。それに合わせるのに必死の景子だ。しらふの自分を早く抜け出す為に、景子は急ピッチでアルコールを体内に流し込む。

浮かれた話題が一段落した頃、美羽が由香里に言った。

「岡ぽんが浮気したら、私達に真っ先に言ってくるんだよ。何時間でも説教してやるから」

あははははと笑っている由香里の隣で、同じ様に呑気に笑う岡本がいる。あの日を境に、景子と岡本の辿った恋人との道の差は何だろう・・・そんな事を考える景子だ。結局、男の浮気と女の浮気の罪深さの違いがあるとしか思えない。バレた人とバレなかった人。もし景子の浮気がバレていなければ、今頃は自分も今日の岡本と同じ様に、結婚を間近に控え、幸せが溢れて止まらなくなっていたのだろうか?そんな事で頭をいっぱいにしていると、美江が由香里に質問をした。

「4年半も付き合ってる間に、岡ぽん浮気とかしなかった?」

「え~、どうなんでしょうね?本人に聞いて下さい」

すると秋本が眼鏡を触りながら言った。

「間違っても『浮気したよ~』なんて、言う訳ないでしょ」

笑い声に混じって、岡本が即座に口を挟む。

「お前、今そういう事言うと、誤解生むでしょう?まるで俺が浮気した事あるみたいにさぁ」

秋本はあっはっはっと大きな口を開けて笑い飛ばした。

「あ~、悪い悪い」

「お前はいいよ、ここで酒飲んだ勢いで冗談言って笑って忘れてさ。俺家帰ってから、絶対『あれ、何?』ってなるんだってぇ」

すると美羽が真顔で応戦だ。

「別にやましい事なかったら、へっちゃらでしょ?」

「いや、そういう事じゃないんだってぇ。女って急にスイッチ入ると、カマかけてみたり、ふう~ん・・・みたいな態度取ってさぁ。やましくもないのに、妙にご機嫌取ったりして」

「分かるわぁ、それ」

佐倉井がそれに乗っかってくる。

「ご機嫌取ったら取ったで、『後ろめたいからでしょ?』って又疑われてね」

すると今度は美江が、それに立ち向かう。

「そりゃそうでしょ。一点の曇りもなかったら、堂々としてて欲しいわけよ。それを変に女に媚びるから、あら?おかしくない?ってなるんじゃない」

「だって、ピリピリした空気、嫌だもん。なるべくなら、早くその空気変えたいって思っちゃう」

岡本の言葉を隣で聞いていた由香里に、美羽が言った。

「結局、前科があるかないかよね?一回浮気した男は又やる、の法則」

美羽が上手い事言った感をプンプンに匂わせ自己満足している傍らで、景子の胸はぎゅっと締め付けられる様に苦しい。美羽の言葉が、まるで幹夫に言われている様に感じる。酔っ払い達が好き勝手言い合う中で、その波に乗れない景子を美江がからかう。

「景子、そんな真面目な顔で聞くような話じゃないからぁ。あんたも早くそのジョッキ空けちゃいな」

更に美羽が言った。

「景子もそろそろ結婚話出てんだもんね~。自分も彼氏紹介したら、こんな風に餌食にされんじゃないかと思って考えちゃってたんでしょう?」

話題が反れた事をいい事に、岡本もその流れに乗っかる。

「あ!そういえば ついこの間、景子ちゃんの彼氏、病院来てたよ」

「え?!」

色んな驚きがいっぺんに押し寄せて、景子がそう漏らした声も、他の仲間に掻き消される。

「会った事あんの?景子ちゃんの彼氏」

佐倉井の質問だ。もちろん皆が同じ事を思っていたから、その一言で急に静かになる。岡本の答えを待っているのである。

「希望苑の所長だって聞いてたから。レントゲン撮りに来て、付き添ってた看護師が教えてくれた」

看護師に付き添われてレントゲンを撮った・・・その情報に、急に景子の胸がざわつく。

「レントゲンって・・・どこの?」

「あれ?聞いてなかった」

慌ててごまかそうとする景子の答えを待たず、岡本も慌てて付け足した。

「骨折がないか念の為にね。・・・あ!って言っても、彼の方じゃなくてお母さんね」

「おばさんが?!」

景子の声が更に大きくなる。

「階段踏み外したとかで、尻もちついたって。で、念の為レントゲン」

「で?どうだったの?」

「あ~、骨には全く問題なし」

ほっとする景子に、美羽が言った。

「彼氏のお母さんとも円満だったよね?聞いてなかったの?」

「あ・・・大した事なかったからかな・・・」

幹夫と別れた事など、まさか今このタイミングで打ち明ける訳にはいかない。そう必死になる景子の体内に入った少量のアルコールが、いっぺんに蒸発していく様だ。

 その晩、帰宅した景子は、数日前の記念日に幹夫からの無言のメッセージに返信したまま何の音沙汰もない画面をじっと眺めるのだった。



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