1話
『満ちていく月 欠けていく月』の守屋幹夫の過去の景子との恋愛模様を綴ったチェインストーリーです。
守屋の過去の恋愛、職場が異動になった経緯など、本編で出てきた内容を少し掘り下げたお話です。本編及び続編をお読み頂いて、登場人物の少し昔の世界へタイムスリップしてみたい方は、是非どうぞ。
もしかしたら、日の目を見ずに飲み込まれてきた様々な人の色々な感情がいっぱいに膨らんでいる地面の上に、今の私達が立っているのかもしれません。
これは、そんな地下の世界への入口です。
「俺・・・こういうの無理だわ」
幹夫のマグカップを片手に持ったまま、景子は転がったゴミ箱をただ見つめていた。
「・・・ごめんなさい」
その言葉を聞いて、幹夫は更に落胆の溜め息を吐き出した。そして、黙ったまま鞄を持ち上げ玄関で靴を履いた。そんな幹夫に景子は遠慮気味に駆け寄って、後ろから袖を引っ張った。
「待って。行かないで」
「・・・話し合って何とかなる状況じゃないでしょ」
振り返らずに喋る幹夫のトーンは、極めて冷たかった。
「ごめんなさい。でも、待って。違うの・・・」
「何が違うの?違わないでしょ?この部屋で今弁解を聞けるほど、俺出来た人間じゃないよ」
「・・・・・・」
玄関のドアノブに幹夫が手を掛けると、景子がもう一言絞り出した。
「私・・・幹夫の事愛してる。それは今も変わってない」
それを聞いて、幹夫はふっと鼻で笑った。
「・・・その言葉信じろって?そこまで俺、めでたい男じゃないって」
その後、玄関のドアが重たくガチャンと閉まった。それが、幹夫と景子の最後の日となった。
4年前の2月のある日。
幹夫の勤務する立川の施設 希望苑で、今日は月に一度の訪問回診の日だ。近くの提携先の立川記念病院から医師1名と看護師2名が毎月、施設に回診に来る。
「今日は宜しくお願い致します」
幹夫がいつもの様に3名に挨拶をする。50代の内科医の山本は、もう一年近くこの施設を担当していて顔馴染みだ。看護師は、時々入れ替わる。今日は赤縁眼鏡がトレードマークのベテラン看護師石田と初めて見る顔の度会だ。度会は、髪の毛を小さく団子に結い上げていて、前髪がふわっふわっと揺れる顎のほっそりした看護師だ。
「宜しくお願いします」
そう挨拶を返す度会の胸元の名札を見て、幹夫が質問した。
「お名前、何とお読みするんですか?」
すると、目尻を下げた柔和な笑顔が返ってくる。
「わたらい、と言います。読めませんよね」
「珍しいお名前ですね」
「良く言われます。“渡る”っていう漢字なら多少読めるんでしょうけど。ふりがな必要ですね。今度から書いておきます」
それが幹夫と景子の出会いだった。
大抵、回診に来る担当の看護師は決まっている様だ。毎月コロコロ変わったりはしない。3月の回診日にも、先月と同じ3人が、施設に現れる。
「今日も宜しくお願い致します」
いつもの挨拶をすると、幹夫は景子の顔を見てにこっと笑った。
「わたらいさん。ちゃんと、名前覚えてますよ」
「ははは。ありがとうございます。私も、ふりがなちゃんとふってきました」
そう言って首から下げた名札をつまんで見せた。
回診待ちの入居者である86歳の北田ウメが、景子に声を掛ける。
「あら~、あなた“わたらいさん”っていうの。珍しいお名前ね~。親切に読み仮名ふって下さって」
施設内で一番元気で社交的なお婆ちゃんだ。景子も笑顔の度数が上がる。
「そうなんです。良く言われます。皆さんに読んで頂いて、覚えて頂こうと思って、ふりがなふってきました」
「それはいい考えね~。私小さい頃、三重県に居たんだけど、そこに“度会”って所があったわ。あなたもそっちの出身?」
「いえ、私は福島の出身です。父は東北で母は北関東出身なんですけど、もしかしたら、曽お爺ちゃんとか曽お婆ちゃんとか、ご先祖様の中にいるかもしれませんね」
「昔は戦争やら疎開やら、色んな人があちこち移動したからねぇ。きっと繋がってるわね」
「そうですね。今度父に聞いてみます」
北田ウメと大きく書かれた名前を見て、景子がもう少し会話を繋いだ。
「ウメさんは、三重県からいつ東京に来られたんですか?」
「お嫁に行ってすぐだったかねぇ。もうすっかりこっちのが長くなってしまって。あなた、福島の出身って言ったっけ?」
そう言って、ウメはキョロキョロと周りを見回してみる。
「あそこの後藤さん。あの方確か福島だったと思うけど・・・」
そう言って、後藤喜市という79歳の細身のお爺ちゃんに手招きで呼び掛ける。
「ほれ、ほれ、後藤さんよぉ。確か福島出身だったっけねぇ?」
「おう、そうだ」
「このお姉さんね、福島から出てきたんだってさ」
「ほぉ~。福島のどこだ?」
「会津若松です」
景子が答えると、後藤が急に生気を帯びた顔つきになる。
「鶴ヶ城の!」
「あはははは。懐かしい。そうです、そうです。喜市さんはどちらですか?」
「二本松だ。俺は若い頃からあの辺の良い温泉に沢山浸かってきたから、風呂にはちょっとばかりうるさいんだ」
「え~、そうなんですかぁ」
慣れた様子で話を合わせる景子に、待ち時間を持て余す利用者達が自然と会話に参加してきて、いつの間にか賑やかな団らんの場と化す。
4月の回診の日。いつもの内科医山本とベテラン看護師石田の他にもう一人来た看護師は、景子ではなかった。岩瀬と書かれた名札の上には、看護助手と肩書が付いていた。北田ウメがその岩瀬に声を掛ける。
「ねぇねぇ、今日は度会さん来てないの?」
「はい」
「なんで?今日は病院の方もお休み?」
「さぁ・・・」
会話がすぐに終わってしまう物足りなさに、ウメは診察の番が回ってきた時にもその質問をした。
「今日は度会さん来てないのね」
「そうなんです。今日度会は夜勤なんでね」
石田がそう答える。
「あら~、楽しみにしてたのにぃ。来月は又渡会さんよこしてちょうだいよね。ま、私が生きてたらの話だけどね」
そう言ってはははと陽気に笑ってみせた。
回診が終わったその日の午後、ラウンジでのんびり過ごすウメが、そこを通りかかった幹夫を捕まえる。
「ねぇ、ねぇ。先月来た度会さんって看護婦さん、お喋りも楽しいし、また来月来てもらえる様に、所長さんからも一言頼んどいてちょうだいよ」
「度会さん?あ~、確かに今日はいらっしゃらなかったですもんね」
「そうよぉ。楽しみにしてたのにぃ。話し相手になってくれるし、お喋りしてて楽しいしね。私だけじゃないのよ。皆もわいわい楽しそうだったし。だから、お願いよ。指名しておいてね」
「指名かぁ・・・できるかな」
はははと笑ってかわそうとする幹夫の腕を、ウメが掴んだ。
「私が生きてるのも、そう長くないんだから。その位のお願い聞いてくれてもいいでしょう?」
「またまたぁ。ウメさん、こんなにお元気なんだから、まだまだ長生きしてもらわないと」
「楽しみが減っちゃうと、私もボケちゃうからね~。頼んだわよ、所長さん」
その日事務所でヘルパー長である霧島がウメの話題を持ち出した。
「ウメさん、先月先々月と来た看護師さんの事えらくお気に入りみたいで、来月から又うちに来てくれるように頼んどいてねって言われちゃいました」
するとそれを聞いていた副所長も大きく頷いた。
「あ、それ僕も言われました。『絶対よ!』って」
「相当お話が楽しかったらしいのよね」
「そうらしいですね。でも、楽しかったのウメさんだけじゃないんだって。そこで順番待ちしてた人達が皆楽しそうにしてたって」
「所長、その様子見ました?」
「いや、ちょうどその時、その場にいなかったからなぁ。でも俺もウメさんに頼まれたよ。指名しといてねって」
「どうするんですか?所長」
「いやぁ・・・こちらから看護師の指名なんて出来るのかな・・・。きっと病院側のシフトの都合だってあるだろうしねぇ」
「ですよねぇ」
「でも、聞くだけ聞いてみたらどうですか?『凄く評判が良くって』って・・・」
「・・・そう・・・だねぇ・・・」
そんな会話から暫く経った、幹夫の休みの日の事だった。年に一度巡ってくる母の誕生日プレゼントを物色する為、幹夫は近くのショッピングモールに来ていた。毎年欠かさずプレゼントを贈ってはいるけれど、ネタ切れの幹夫はただモール内を歩くだけで無駄に時間を浪費していた。去年は日傘、一昨年はバッグを贈ったけれど、さて今年はどうしようと婦人服店や雑貨店、インテリアショップを見て回り、足だけがただ疲れる一方で何も良いアイデアが浮かんでは来ない幹夫に疲労感だけが押し寄せる。その時、どこかから幹夫を呼び掛ける声が聞こえる。
「所長さん!」
多分何度か呼ばれていたのかもしれない。ふと幹夫の耳に飛び込んできた声の方を振り返ると、カフェのテラス席から立ちあがっている ゆるくウェーブのかかったロングヘアの女性が一人、幹夫を見て片手を挙げていた。
「所長さん・・・ですよね?」
「あ・・・はい・・・?」
ピンとこないその顔をじっと見つめながら、幹夫は足を止めた。その反応に、すぐ様その女性は名前を名乗った。
「記念病院の度会です。以前回診でそちらの施設にお世話になりました」
「・・・あ~、度会さん?!ごめんなさい、全然気が付かなくて」
「良かったぁ。覚えてて下さってます?」
「もちろんです。いやぁ、でも全然雰囲気が違って・・・すぐに分からなくてすみません」
「いえ」
そう言って目尻を下げた柔和な笑顔を見て、幹夫も思わず人差し指を立てた。
「あ!そうそう。その笑顔。やっと顔が一致しました」
「ははは。良かったです」
「髪の毛下ろされてるからですかね・・・。なんだか、雰囲気が全然違って・・・びっくりしました」
「ははは。仕事柄いつも髪の毛はひっつめちゃってるんで、お休みの日は下ろすようにしてるんです。所長さんも、今日はお休みですか?」
「はい。母親の誕生日プレゼント探しに来たんですけど、いやぁ~なかなか、どれがいいか決まらなくて。度会さんは?お住まい、このお近くなんですか?」
「ええ。割と。所長さんは?」
そう質問しておきながら、景子がハッとする。
「もしお時間大丈夫なら、お茶でも一緒にどうですか?」
景子の座っていたテーブルに幹夫もついて、コーヒーを注文する。
「ちょうど探し疲れてたところだったんで、休憩できて助かりました」
深く焙煎された香しいコーヒーの湯気が立ちのぼるカップに口を付けた幹夫の背骨が、ふっと砕ける。
「所長さんのお名前って・・・守屋さんで、あってましたっけ?」
申し訳なさそうに質問した景子が、その後幹夫が頷くのを見て、急に肩の力が抜けて、再び柔和な笑顔に変わる。
「『所長さん』ってお呼びしてたから、名前に確信が持てなくて・・・。だからさっきも声掛ける時・・・迷いました」
景子の照れ笑いや自然体でいる雰囲気に、幹夫まで少しずつ体の無駄な力が抜けていく。
「お母様へのお誕生日の贈り物、どんな物差し上げるんですか?」
「いやぁ~、何がいいのか全然思い浮かばなくて。毎年頭を悩ませてます」
「お母様、お幸せですね。そんなに考えてもらえるなんて」
「ちなみに、度会さんはどんなのプレゼントします?お母さんに」
すると景子が、急に寂し気に目を伏せた。
「私、母を10年位前に亡くしてるので・・・最近はそういった悩みとは無縁になりました」
それまでの笑顔を、即座に引っ込める幹夫だ。
「ごめんなさい。余計な事、聞いてしまいました」
恐縮する幹夫に、景子が再び笑顔の声を掛ける。
「いえ、気にしないで下さい。でもそういえば、父にはプレゼント上げてないなって、気付きました」
はははははと照れた様に笑う景子に、幹夫も少しかがめた背筋を戻した。
「父には何あげたらいいか分からなくて、仕事始めてからは、一緒に食事に行く位ですかね・・・。確かに、異性の親へのプレゼントって、なかなか難しいかもしれませんね。守屋さんは、お父様へのお誕生日プレゼントは、すぐに決まります?」
そう聞かれ、今度は幹夫がふと目を逸らした。
「うちは、親父いないんで」
途端に景子は口元を手で押さえた。
「ごめんなさい」
「いえ、全然気にしないで下さい」
そう言って、お互い目を合わせて笑った。
「もしご迷惑でなかったら、一緒に選ばせてもらってもいいですか?」
二人でショッピングモール内を見て回りながら、幹夫が言った。
「すみません。こんな事に付き合わせる事になっちゃって」
「いえ~。私にはもう、母親へのプレゼント探しなんて縁のない事になっちゃいましたから、ご一緒出来て嬉しいです」
それから二人は、幹夫の母親の性格やエピソードを話しながら、店を見て回る。そして婦人服店の前で、景子が言った。
「カーディガンなんて、どうですか?お母様、着ます?そういうの」
立ち止まって、思い出してみる幹夫だ。
「季節の変わり目とか、カーディガンって重宝するんですよね。脱ぎ着も楽だし」
「へぇ~、そういうもんですか。でも洋服ってサイズが分からないからな・・・」
「カーディガンなら、ぴったりでなくても平気だから、サイズ分からなくても選びやすいと思います」
カーディガンの並んでいる所で二人は足を止めた。
「デザインが結構色々あるんですね・・・。どれがいいのか、まるで分らないや」
「お好きな色とか、よく着られるお洋服の色とか、分かります?」
レジでラッピングと会計を済ませた幹夫が、店を出て改めて頭を下げた。
「女性物は、やっぱり女性にアドバイスもらうと、具体的で助かります。良い買い物が出来ました。ありがとうございました」
「喜んで頂けるといいですね」
そう言って景子は目尻を下げた。
「この後、何かご予定ありますか?」
幹夫がポケットに手を突っ込むと、中のキーがジャラッと音を立てた。
「いえ、特には」
「もし帰られるなら、ご自宅までお送りしますよ。車で来てるんで」
「あ・・・」
はっきりとしない相槌に、幹夫が付け足す。
「あ、どこか都合のいい場所言って頂いたら、それでも」
幹夫の車が、景子の家までの道を進む。
「守屋さんはお休みの日、あの辺、よく買い物にいらっしゃいます?」
「滅多にショッピングモールなんて行かないです」
はははと幹夫の笑いにつられて、景子もはははと助手席で笑った。
「あ!でも、今日のコーヒーは美味しかった。あそこは又一人でも行ってみようと思いました」
「あそこのコーヒー、美味しいですよね。私も好きです。豆も焙煎も種類が豊富で、その時の気分で色々選べるところも気に入ってます」
「度会さんは、一人でも色んな所、よく行かれるんですか?」
「私みたいな仕事してると、なかなか友達と予定合わせるのが難しくて、お休みの日に一人でひょいっと出掛ける方が、気楽な時もあります」
「その点に関して言えば、こっちも同じです。早番遅番夜勤と、勤務時間帯がまちまちですからね」
そこまで話して、幹夫がはっと思い出す。
「そうだ!うちの北田ウメさんって、覚えてます?お婆ちゃん」
「はい。三重県出身の明るいお婆ちゃんですよね?」
「三重県出身なんですか、ウメさん。あ、まぁそのウメさんが、度会さんの事とても気に入られてて、今月の回診にいらっしゃらなかったのをとても残念がっていて、来月は絶対うちに来てもらえるように指名しろって言われちゃって」
「指名?!指名なんて初耳ですけど・・・え~、嬉しいです」
「後藤喜市さんってお爺ちゃんも、度会さんファンの様で・・・」
「あ、福島出身の喜市さんですね」
「詳しいですね」
「待ってる間に、色々出身地のお話したもので。喜市さんとは同郷だったので、お話も弾んじゃって」
「なるほど」
「大した仕事してないで、お爺ちゃんお婆ちゃんとお喋りしただけなのに、そんなに覚えてて下さって、嬉しいです。いや・・・申し訳ない様な・・・有難い様な・・・」
「とにかく評判が良くて・・・ありがとうございました。皆さん、楽しませて頂きました」
ショッピングモールから15分程で、二人を乗せた車は景子のマンションの前に到着する。降りる間際で、景子が聞いた。
「で・・・指名、なさるんですか?」
ギアをパーキングに入れ、幹夫はハンドルから手を離した。
「いや~、指名なんかしていいのかなぁ。病院側の都合だってあるだろうし・・・ねぇ。実際聞いた事あります?」
景子はふふふと笑った。それで察した幹夫は、腕を首の後ろに回して伸びをした。
「ほらね~。ないですよね~。でもね・・・うちの人達、かなりの圧で頼んできましたからねぇ。石田さんに個人的にお話してみようかなぁ」
幹夫の苦肉の策だ。すると、景子が質問する。
「来月の回診って、いつですか?」
「ちょっと待って下さいよ・・・」
言いながら手帳を取り出す幹夫。
「5/12です」
景子も手帳を確認する。
「大丈夫です。その日は朝から出勤してます」
車を降りドアを閉める手前で、景子が笑顔を覗かせた。
「じゃ、来月またお会いできるの、楽しみにしてます」
しかし、5月の回診日、内科医の山本とベテラン看護師石田と一緒に来たのは、度会景子ではなく、4月同様看護助手の岩瀬だった。
回診後、食堂でウメが幹夫を見付けるなり口を尖らせた。
「私のお願い聞いてくれなかったでしょう」
「いやいや、病院には一言言いましたよ、ちゃんと」
「でも来なかったじゃない」
「そうねぇ・・・。都合が悪かったのかな」
事務所に戻った幹夫が無意識に溜め息をついたのを、ヘルパー長の霧島が見付ける。
「どうしたんですか?所長」
「ウメさんに怒られちゃいましたよ。前に来た看護師さん来なかったでしょって」
「あ~、私も言われました。指名なんて、なかなかこちらからは出来ないですものね~」
「いや、言ったんですよ。利用者の方からの評判が良かったから、もし出来たらお願いしたいって」
それを傍で聞いていた副所長も、参加してくる。
「確かに所長、電話してました。かなり言いづらそうでしたけど」
「あら・・・。じゃ、今月はたまたま都合が悪かったのかしらね。来月に期待しましょう」
「いやぁ・・・」
そこで幹夫が首を傾げた。
「その時の反応が、あんまり良くなかったんですよね。お約束は出来ませんって言われたから、ま、駄目だろうなとは思ってましたけど」
「やっぱりね~」
霧島がゆっくりと頷く傍で、副所長が幹夫に深く頭を下げた。
「ご苦労様でした」
立川記念病院の入院棟で夜勤に当たっているベテラン看護師の石田が、ナースステーションに戻ってきた景子に聞いた。
「希望苑の守屋所長と、個人的なお付き合いとか・・・ある?」
「・・・え?」
唐突な質問に、景子の手が止まる。
「どうしたんですか?急に」
「ちょっと気になったものだから。あるなら、正直に話しておいてもらいたいの。あそこには、訪問回診で出入りがあるから」
景子は、カルテを出そうとしていた手を止めた。
「そういうお付き合いは一切ないです」
「・・・本当ね?」
「はい」
石田は、少ししてから厳しい視線を緩めた。
「あちらから、回診に来るの度会さんでお願いしたいって言ってきたから。個人的な感情があるのかしらと思ってね。確認。ごめんね、気にしないで」
景子の胸が、重たくモヤモヤする。しかし、それに追い打ちをかける様に石田が言った。
「気を付けてね」
その言葉が 景子の胸にどうしても引っ掛かって、話を終えたつもりの石田の後ろ姿に待ったを掛けた。
「『気を付けて』って、どういう意味ですか?」
いつになく尖った顔の景子に対し、石田も負けじといかつい顔になる。
「色んな意味でよ。・・・わかるでしょ?それとも具体的に言った方がいい?」
景子は心の中で一回深呼吸をする。
「お言葉ですが・・・、前回 回診に行かせて頂いた時に、あちらの入居者の方々にまた来てとお声を掛けて頂きました。多分それで、あちらの所長さんから、そういった内容の連絡が来たのではないかと思います」
「・・・・・・」
「決して個人的な感情などではないと・・・」
「そうね」
石田はそう一言だけ言うと、くるっと椅子の向きを変えた。そして再び、くるっと景子の方へ向き直した。
「でもうちは、そういう先方からの指名とか受けてないから」
「はい。知ってます」
「風俗やキャバクラじゃあるまいしね」
再度椅子の向きを変えて、石田は景子に背を向けた。その一方的な空気に立ち向かう勢いを付ける為に、景子は胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「例えが低俗ですね。簡単にそういう事口になさると、品格を疑われますよ」
当然目の吊り上がった石田が、半分口を開きながら景子の方へ向きを変えるや否や、ナースコールがなる。
「はい、どうされました?」
景子がすぐさま対応し、そこで一旦休戦となった。
あれから、景子の心が落ち着かない。石田に あそこまで腹を立てた自分に、自問自答する日が続いていた。浮かんでくる色んな可能性や言い訳に、毎日心が掻き乱されている。そして景子は、時間を見付けては、以前幹夫と偶然会ったショッピングモールのカフェに、頻繁に足を運ぶ様になったのだった。決まって外のテラス席に座り、時間の許す限りそこで時間を過ごす。時には本を読みながら、時には音楽を聴きながら前を行き過ぎる人の中に、幹夫の姿を探す・・・そんないつ来るかわからない偶然に、思いを寄せて。
夜勤明けの朝、休日の昼間、早番を終えた夕方、様々な時間帯にカフェを訪れては、今日も会えなかったと空振りの自分を慰めながら帰る毎日に景子が少し疲れ始めた頃の事。もうこんな馬鹿げた事、一体いつまで続けるんだろうとぼんやり道を眺めていると、目の前を探していた顔が通る。
「守屋さん・・・」
景子の喉から、この間の様な声は出ない。呟きに似た独り言みたいな呼び掛けは、幹夫まで届かずに すぐ近くの道端に落ちて形を消した。何十日も何時間も費やして せっかく見付けた幹夫は、景子の心とは裏腹に、角を曲がって見えなくなった。肩を落とした景子だったが、ふと思い立ち、慌ててテーブルの上の本を鞄にしまう。そうだ。今から追いかけたら間に合うかもしれない。このチャンスを逃したら、次にいつ偶然が訪れるか分からない。そう景子は自分に言い聞かせ、慌ててテーブルの上のコーヒーを手に 立ち上がった。
ガタンッ
椅子を引いた瞬間、後ろを通った人にぶつかりそうになる。
「ごめんなさい!」
そうとっさに謝って顔を上げると、そこにはコーヒーを持った幹夫が立っていた。
「あっ・・・」
「また、会っちゃいましたね」
幹夫が笑って、そう言った。
「あの日以来、来たい来たいと思っててなかなか・・・。今日ようやく実現しました」
幹夫は、今景子が立ち上がったばかりのテーブルを指さした。
「ここ、空きます?」
「あ・・・どうぞ」
鞄とストールとコーヒーで手一杯の景子を見て、幹夫が気を遣う。
「急いでましたよね?ごめんなさい。引き留めて」
「あ、いえ・・・全然」
テーブルにコーヒーを置いて 腰掛ける幹夫の横で 立ち尽くす景子を、幹夫は不思議そうな顔で見上げた。
「・・・どうしました?」
景子は思い切った。
「どなたかと待ち合わせですか?」
すると幹夫は笑って首を横に振った。
「いえいえ。一人です」
「良かったら・・・ご一緒してもいいですか?」
「あっ、もちろん。どうぞどうぞ」
幹夫は隣の椅子を引いた。そして景子が座るのを見届けてから、口を開いた。
「・・・急いでらした様に見えたから、てっきりもう出るんだと思っちゃいました。来たばかりでしたか?」
「いえ・・・」
少し悩んだ挙句、景子は鞄とストールを膝の上に抱えたまま話し始めた。
「今、ここで守屋さんをお見掛けして、声掛けたんですけど届かなくて。それで追いかけようとしたところでした」
「あ、そうでしたか。ごめんなさい。全然気が付きませんでした」
「いえ、私もそんな大きな声では呼んでないので・・・」
景子は肩をすぼめた。そして、暫しの沈黙が通り過ぎると、幹夫が景子の顔をじっと見つめた。
「・・・で?何か・・・」
「え?」
「何か僕に用事があったんじゃ・・・」
景子がハッとする。しかし言葉は出ては来ない。そんな様子に、幹夫が先日の話題を引っ張り出す。
「やっぱり指名、通りませんでした」
明るく笑い話にする幹夫だ。
「すみません。せっかく言って頂いたのに」
「度会さんが謝る事ないですよ。分かってましたから、多分駄目だろうなって事は。うちの利用者さん達の声だったので、お伝えするだけはさせて頂かなきゃと思っただけです。ただね・・・ウメさんには怒られましたけど」
「え~?!」
はっはっはっと笑う幹夫に、ほんの僅かだけ、すぼめた景子の肩が起き上がる。
「うちの病院は、何て?」
「指名は受けてないので、ご希望に添えるかお約束はできませんって。そりゃ、そうですよね。当然だと思いました」
「それだけでした?何か失礼な事・・・言われてないですか?」
「失礼な事?・・・いや、特には。・・・どうしてですか?」
さっきまで笑っていた幹夫が真顔に変わる。
「いえ。大丈夫なら、良かったです」
俯く景子に、幹夫が手を止めた。
「何か、言われました?」
「いえいえ。全然そんなんじゃないです」
即座に否定した景子が、かえって痛々しく幹夫の目に映る。
「度会さんにとっては、余計な事しちゃったのかな・・・?」
気を緩めたら思わず涙が滲んできそうで、景子は幹夫のその優しい瞳から目を逸らした。
「私は全然、大丈夫です。問題ないです」
「・・・・・・」
納得していない様子の幹夫に、景子は言葉を続けた。
「看護師って、私もそうですけど、結構気が強い人が多くって。だから、キツく言われてたら申し訳ないと思っただけです」
「・・・そうでしたか・・・」
少しだけ景子が顔を上げると、そこにはまだ幹夫の心配げな瞳がまっすぐに向けられていた。
「看護師も、まだまだ女ばかりの世界なんで、色々面倒な事も・・・あります」
幹夫の顔が更に心配の色を濃くする。それを察した景子は、軽く笑ってみせた。
「私が、気が強いからいけないんでしょうけど」
「度会さんが気が強いなんて・・・意外ですね」
「そうですか?子供の頃から母にも言われてました。『あんたは強情っぱりなんだから』って」
「お母さんが言うなら、間違いないですね」
「ですね。間違いないです」
そして景子は、ようやく目尻を下げて笑った。それを見て安心した幹夫は、コーヒーを一口飲んだ。
「今日は、何にしたんですか?」
景子が聞く。
「マンデリンにしました。度会さんは?」
「モカです」
すると急に思い出した様に、景子が『あっ』と言った。
「お母様のお誕生日プレゼント、どうでした?」
その話題に、幹夫も思い出した様に頷きながら喋り始めた。
「ごめんなさい。お礼が遅くなっちゃって。凄く喜んでました。『あんたがこれ選んだの?』って何回も聞かれましたけど」
そして幹夫がはははと笑う声を追いかける様に、景子もクスクスッと頬を緩めた。
そんな穏やかな会話を紡ぎながら、幹夫のコーヒーが底をつく。
「守屋さん。この後のご予定は?」
「特には何も」
「私、ちょっと行きたい所があって・・・。もしご迷惑でなかったら、付き合って頂けませんか?」
ショッピングモールから歩いてすぐ近くにあるレンタルスペースで開かれている写真展に、幹夫は景子に連れられて入る。
「私、この人の写真がとても好きで。守屋さんは美術館とか絵画展とか・・・そういうの行かれます?」
「自分からはなかなか行かないですけど、見るのは嫌いじゃないです。日常のごちゃごちゃした雑音から隔離されて、自分をゼロにリセットできる気がします」
「写真にも色々あって、癒される作品、自分の奥底に眠ってる感情を揺さぶられる作品、こんなの撮ってみたいって駆り立てられる様な作品。この人の写真は、私にとってはオアシスみたいな感じです。疲れてる自分が潤ってくみたいな・・・」
「度会さんは、ご自分で写真も撮るんですか?」
景子は照れ笑いを挟む。
「昔から撮るのは好きです。全然素人レベルですけど」
写真展から出ると、外はもう陽が落ちて暗くなりかけていた。
「夕飯でも、食べていきませんか?」
幹夫が誘うと、景子の表情がまた一段明るくなる。ショッピングモール内のとんかつ屋で食事を済ませた二人の距離が、ほんの少しだけ縮まっていた。前回と同じ様に、幹夫の車で景子を家まで送る。車内の時計を見て、幹夫が声を上げた。
「あっという間にこんな時間になっちゃって、すみませんでした」
助手席で何かを指折り数える景子を、幹夫は不思議そうに眺めた。
「何数えてます?」
はははと照れ笑いをする景子の声が弾んでいる。
「守屋さんとバッタリ会ってから、もう4時間半も一緒に居たんだなぁと思って。なんだか楽しくてあっという間だったから」
景子のマンションの前で車が停まると、助手席でシートベルトを外す手がもたつく。
「あの・・・食後のコーヒーでも、いかがですか?」
「・・・・・・」
固まっているのか、運転席の幹夫が言葉を探す。
「そんな・・・お気遣いなく」
「ご迷惑でなかったら・・・是非」
「・・・・・・」
再び幹夫の口が止まる。その沈黙に耐えかねて、景子が笑い声で張り詰めた空気を抜いた。
「しつこいですね、私。ごめんなさい」
「いやいや。こんな時間に一人暮らしの女性の家に上がるのは・・・ちょっと抵抗があります」
景子がはははと軽やかな笑い声を上げた。
「真面目ですね。でも・・・イメージ通りですけど」
返す言葉に困っている幹夫に、景子が顔を向けた。
「見てもらいたい物があります。一時間だけ・・・いえ、コーヒー1杯だけ、付き合って下さい」
景子の部屋に遠慮がちに上がる幹夫は、当然落ち着かない。そんな幹夫をクスッと笑いながら、景子はコーヒーの準備をする。コーヒーマシンにカップをセットすると、景子は一つ箱を持ってきて、幹夫の前に差し出した。
「私が今まで撮った写真です。見てみて下さい」
蓋を開けると、中からは何百枚という写真が出てくる。四季折々の風景を撮影したもの、植物を接眼レンズで撮ったもの、お年寄りや障害を持った方達の弾ける様な笑顔。様々な写真がその中には詰まっていた。真剣な面持ちでその写真達を一枚一枚丁寧に見つめる幹夫の前に、コーヒーの湯気が立ち上る。
「どうですか?」
「凄いですね・・・」
「正直な感想、聞かせてもらいたくて」
「趣味で撮ってるっていうから、もっと・・・なんていうか、単純な物だと思ってました。専門的な事はもちろん分からないけど・・・やっぱり写真って、その人の目線だから・・・人柄が出ますね」
景子が、今度はパソコンの画面を幹夫に向けた。
「ここ最近の物は、全部こっちに保存してあって」
真剣な眼差しの幹夫に、景子が向かい側で照れて笑った。
「実はこれ、人に見せるの初めてなんです」
「え?!」
と驚く幹夫の手が一瞬止まる。
「もったいないですよ~。何かコンクールとか、出せばいいのに。そうすれば、専門家からのアドバイスとか、評価とか、次への参考になるんじゃないですか?」
「自信がなくて・・・。基礎とか何にも勉強してないし」
「そんなの関係ないですよ。見た人に何が伝わるかじゃないですか。・・・なんて、何にも知らない素人が勝手な事言っちゃってますけど」
「なんだか、そう言って頂けると、少し自信が湧いてきます」
「そうですよ。もっと自信持った方がいいですよ」
「私、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれません。ずるいですね・・・」
俯いてコーヒーを一口飲む景子を見て、幹夫もコーヒーに口を付けた。
「そういう事、ありますよ」
それから、幹夫がマグカップ一杯のコーヒーを飲み終わるまで、黙々と写真を眺める時間が流れる。カップが空になった事に気付かず手に取った幹夫を見て、景子が立ち上がった。
「おかわり、入れてきます」
しかし幹夫は時計を見た。
「いえ。もう、帰ります」
パソコンと写真の箱を閉じて、幹夫は笑顔を向けた。
「貴重な物見せて頂いて、ありがとうございました」
玄関で靴を履く幹夫の後ろ姿に、景子が少し小さな声を掛けた。
「連絡先・・・交換してもらえませんか?」
「もちろん」
そう言って、幹夫はポケットから携帯を取り出した。
その晩遅く、景子から幹夫にメッセージが届く。
『今日は色々付き合って頂いて、ありがとうございました』
『こちらこそ。今日の偶然で、度会さんから良い刺激をもらいました』
『今度は守屋さんのお薦めの場所、案内してもらいたいです』
守屋はそこで一旦躊躇する。暫く考えた挙句、一言送信した。
『是非』
その一言から、毎日メッセージのやり取りが始まった。時には、
『おはようございます。今日は梅雨の晴れ間、いいお天気ですね』
とか、
『今日は仕事が早番だったので、以前から気になっていた 近所に最近出来たカフェに入ってみました。コーヒーも美味しかったけど、そこのチーズケーキがとっても美味しくて、得した気持ちになりました。今度、守屋さんをご案内したいです』
『是非お願いします。チーズケーキ、大好物なんで』
そうやって二人は心を通い合わせ、いつの間にか想い合う様になっていった。
連絡先を交換して以来初めて二人が待ち合わせをしたのは、もう夏の気配を感じ始める様になった頃の事だった。千葉県のマザー牧場にある一面桃色の花畑で、二人は感嘆の声を上げ、景子はしきりにシャッターを切った。抜ける様な青空の下、非日常的な景色と、時々丘を渡っていく爽やかな風に心も洗われて、二人の気持ちはどんどんと高揚していった。帰りの車の中で、今日残した写真達を確認する景子を、運転席から微笑ましく眺める幹夫だ。
「納得いく写真、撮れました?」
にこっと顔を上げて、景子は言った。
「一個、撮り忘れました」
そう言って、景子はカメラを幹夫に向けた。
「いや~、こんなとこ撮っても・・・」
ケラケラと、景子は笑い声を転がせた。
「いい顔、撮れましたよ」
「やめてよ~。削除しといて下さいね」
「ほんと良く撮れてるから、部屋に飾っておきます」
「またまた~。冗談よして下さい」
「冗談じゃないですよ~。見ます?」
赤信号で止まっている間に、助手席の景子がさっき撮った幹夫の写真を見せる。
「うわっ!結構なドアップですね」
「私から見えてる景色です」
「・・・そう言われると・・・なんか照れます」
幹夫が照れ隠しにふっと笑うと、景子も画面の中の幹夫を眺めながら言った。
「レンズ越しに近付いたから、私もドキッとしちゃいました」
はははと語尾に被せる様に景子が笑ったから、ほんの一瞬は空気が和む。しかしそれも束の間の事。すぐに妙な沈黙が漂う。その間を縫う様にラジオからメロディーが零れる。そしてそれをすくい上げる様に、そのメロディーに乗せて景子が鼻歌を歌った。流れていた曲が終わってDJが話し始めると、景子が幹夫に質問した。
「守屋さんって、お一人暮らしですか?」
「いえ。母と二人で住んでます」
「ご実家?」
「はい。弟は今、家出て一人暮らししてるんで」
「ご実家なら、身の回りの事、何も不自由ないですね」
「まぁそれは・・・。ただお袋は血圧が高いから、一人にするのに気が引けて、実家に残ってるって状態です」
「優しいんですね」
幹夫は、助手席をチラッと見た。
「本当にそう思ってます?友達には、マザコンだと思われて婚期が遅くなるって言われてますけど」
あははははと景子は笑い飛ばした。
「マザコンかどうかは、話してたら分かります」
薄っすら安堵の表情を浮かべた幹夫に、景子が聞く。
「婚期が遅くなるって・・・結婚考えてる方がいるんですか?」
今度は幹夫があははははと声高らかに笑った。
「いません、いません。多分・・・モテないよって意味で言ったんだと思います」
「モテなくないでしょう?優しいし・・・怒らなさそうだし・・・こっちが言って欲しい事サラッと言ってくれるし。喜ばせ上手な男性は、モテると思います」
「モテないですよ~。まず第一、出会いもないですしね」
「あ!じゃあ、惚れっぽかったりします?たまに出会った女性を、すぐ好きになっちゃったり」
「そういうのもないから、女性と縁遠くなっちゃうんでしょうねぇ」
テンポが良かった会話が そこで少しペースダウンしたのは、景子がそれまで運転席に向けていた体を戻して俯いたからだ。
「度会さんは、今お付き合いされてる方、いらっしゃるんですか?」
「いえ。いません。いたら・・・こんな風に男性と二人で出掛けたりしません」
「あ・・・そうですね。ごめんなさい」
幹夫がそこで謝ったのは、景子が珍しく悲しそうな声を出したからだ。そして一旦途切れた会話を再び繋いだのは、景子だった。
「守屋さんって、女性に勘違いされやすい人だと思います」
「・・・・・・」
「決して悪気がないところが、守屋さんらしいのかもしれないけど」
「・・・・・・」
幹夫は相応しい言葉が見当たらなくて、ハンドルを両手で握った。
景子のマンションの前で車を停めると、幹夫はギアをパーキングに入れてハンドルから手を離した。
「何の感情もなかったら、今日 度会さんの事誘ってません」
景子はゆっくりと幹夫の方を向く。
「正直・・・もう少し、度会さんの事知ってみたいって思ってます」
「・・・嬉しいです」
景子がふっと又柔和な笑みを見せたから、幹夫もそれにつられて頬がほころぶ。
「度会さんとのこの関係を、大事にしていきたいと思ってます」
「・・・私もです」
「すぐには、どうってまだ言えないですけど・・・又一緒に出掛けてもらえたらと思います」
その日から 二人が付き合い始める迄に、そう時間はかからなかった。