わたし と は
わたし と は、ふつうの女の子になりたかった人。
可愛かったり、きれいだったりして愛されるような、女の子に。
小さい頃から、“恋”というものに全くといっていいほど興味がなかった。
異性を好きになることも、異性と甘い時間を過ごすということも、考えられなかった。
そのことを話すと、「嘘だ」とか「経験がないから」とか「まだ出会えてないから」と言って一蹴された。
「なんで、この気持ちがわからないんだろう?」
そう、くもりの日のような雲を抱きながら、大人になっていった。
社会人になって2年が経とうとしていた時、学生時代からお世話になっていたHさんと恋愛について話をした。
「人は好きなんだよね?じゃあ、人間愛はあるんだね」
するりと答えられた。
まさにその通りだった。
あまりの衝撃に一人感動し、「そうです!」と大声を上げた。
あの日のあの時間のことは、今後も忘れないシーンとなるだろうと思った。
その後しばらくして、初めて彼氏というものができた。
彼からの告白を受けたとき、一瞬、未来が見えたような感覚があった。
「この人と付き合ったら、わたしはたくさん泣いて、たくさん傷つくことになるだろう」
そんな不安な未来を感じながらも、経験してみたいという興味本位に負けてしまった。
それから約2年ほどの付き合いを経て、別れた。
あの時の予知通り、わたしは酷く傷つき、体内から水分がなくなるほど泣いた。
失恋と呼んでよいものかは迷うが、心の一部が亡くなったのは確かだった。
“恋”のようなものを感じたことは、何度かあった。
付き合っていた人のことは好きだったし、尊敬していた先輩のことはもっと好きだった。
でも結局、わたしには恋愛が向いていなくて、必要のないものだった。
ふつうになりたかった。
ふつうに恋をして、結婚を夢見たりして。
でも、そうはなれなかった。
学生の時、「わたしは将来結婚もしないし、子供も産まないと思う」と母に謝ったことがあった。
母は「わかっていた」と答えた。
何なら「彼氏ができるまで、女の子が好きなのだと思っていた」とも言われた。
それについては肯定も否定もしないまま話を終えた。
けれど思い返すと、なんて親不孝な娘なのだろうと悔やんだ。
こんな娘に育ってしまって心から申し訳ないと、今でも思っている。
わたし は、ふつうにはなれなかった。
けれど、ふつうじゃないわたしだったからこそ、出会えた人や環境があったとも思っている。
もしかすると、この先“恋”をする可能性もあるかもしれない。
そうなったら、そうなったで時。
わたしは、わたしを受け入れて抱きしめよう。
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わたし と 雨 は、窓越しに出会った。
雨は季節を塗り替えてゆく。
部屋の出窓から、毎日空を眺めていた。
右側から太陽が昇って、左側へと落ちていく。
夕暮れから夜へと過ぎる時間は永遠だと信じていた。
夏、夕立が来ると、必ず出窓へと向かった。
稲妻が光る、1,2,3,4,5…ゴロロロ
よし、まだ大丈夫。
空雨は怖いから気を付けてと、幼いころ父に注意を受けたことを思い出す。
雨が吹き込んでくるまで、窓は開けたまま。
湿り気を帯びた風を感じながら、ぼんやりとサイダーを飲む。
雨の日は好きだ。
パツパツと窓にあたる雨の音を聴いていると、自分という存在がふやけてくる。
突如として切なさの記憶みたいなものに襲われて、胸がきゅうと苦しくなったりもする。
そんな時間がきっと心地よいのだろう。
雨に濡れる摩天楼も、またいい。
うっとりと眺めては息を吐く。
水溜まりに車のランプが映る。
トロトロと溶けて、消えていく。
それを見ていたわたしも、徐々に輪郭を失っていく。
すべてが曖昧になる。
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わたし と その人 は、名前のない関係。
その人、と呼ぶにはよそよそしい感じがするので、通称「名前の人」としている。
気が付くと、電話の向こう側にいた。
名前の人と会いうのは、夜が多いからか、暗闇を背負っているイメージがある。
たまに幼い子供のような仕草をしたり、無邪気に笑ったりする時、可愛らしいなと感じる。
名前の人は背が高い。
隣にいると、内側のやわいところがあたたかくなる。
以前、「彼と別れて辛かった心がようやく凪いだ」と連絡をしたことがあった。
すると名前の人から、「ジュディオングは『女は海』と歌っていたね」と返ってきた。
あっけらかんとした名前の人の言葉の前に、ザザーンと別の波が現れた。
わたしは名前の人のことが、人としてとても好きなのだと理解した。
深夜の電話やドライブがお決まりとなった頃、一度、この関係について話したことがあった。
名前の人は「お互いに居心地が良いからじゃない」と、あっさり答えた。
まったくもってその通りだった。
腑に落ちたわたしは、さらに名前の人を好きになった。
一日使った目に染みる外套。
なんでもない話をしては、また夜が明ける。
確信していることは、これは“恋”ではないということ。
わたしたちはカテゴライズされない、名前のない関係なのだ。
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目から取り出してすぐのコンタクトレンズは、体温であたたかい。
ゆらゆら揺れながら、一瞬の夢を見る。
冷えた足を折りたたみ、小さく丸くなる。
わたし と は、めんどうな生き物だ。
そう頭の上で考えながら、とろとろと眠る。