第9話 アナウサギとキノコの白ワイン煮込み
「よろしいでしょうか」
夕方のオンゴ村にある食堂、山猫亭に客が入ってきた。カウンター席は独身の人間が、テーブル席は友人や家族連れで埋まっていた。
ツキヨダケの亜人ルナは応対するが、相手を見てぎょっとなる。
相手は村長でドクツルタケの亜人ポラーノだったからだ。
猛毒のキノコ故に、男とは思えない美しさにルナは見惚れていた。
「ルナさん、席を案内してちょうだいな」
「はっ、申し訳ありません! 本日は何名様でいらっしゃいますか!?」
ルナはあがっていた。ポラーノは彼女を落ち着かせる。
彼は4本指を立てた。
「四名様ですね!! それでは席にご案内します!!」
ルナはテーブル席に案内した。ポラーノの後ろには3人ほどついてくる。
ベニテングダケの亜人に、サシハリアリの亜人。最後のサムライアリの亜人であった。
4名は案内された席に座る。
「……私は食事などしたくないのだけれど」
ベニテングダケの亜人が不満を漏らした。真っ赤な傘に鍛え上げられた筋肉を惜しげもなく披露している。
真っ白い肌で、胸部には革のビキニを身に着けており、中身は女性であった。
名前はヘンティルといい。ポラーノの娘である。
ベニテングダケは毒キノコだが中毒性は低く、塩に漬けておくと毒が弱まり、食せるという。
そのためか毒キノコでありながら、女性として生を受ける場合もあるのだ。ルナと同じである。
「そんなこと言わないで。せっかくお父様が噂に名高いガトモンテスさんのお店に誘ってくれたのですから」
サシハリアリの亜人の娘が、ヘンティルに言った。
短く刈り上げた髪型に赤黒い肌でヘンティルほどではないが、頑強な体つきである。
ヘンティルの妹、イノセンテだ。
「その通りだ。今日はおまえのために連れてきたようなものだからな」
サムライアリの亜人の女性が答える。どこか固い口調であった。
サムライアリはアリ科の昆虫だ。体長は働きアリで約5ミリほどあり、体は黒褐色で、大あごが鎌状である。
夏の蒸し暑い午後にクロヤマアリの巣を襲い、さなぎを略奪して自分の巣へ運び込み、羽化すると奴隷として使う恐ろしいアリだ。
天照皇国ではよくいる種類だという。
彼女の名前はクラムボンである。
「だけど私はダイエット中なのよ。筋肉を鍛えるのに余計なカロリーを口にしたくないの」
「そんなこと言ってお姉さま。もう三日も何も口にしていないじゃないですか。フエゴ教団の司祭様たちもおっしゃっておりますよ。食事を抜くダイエットは身体を壊すと」
「そんなことはないわ。彼らは私の筋肉の美しさに嫉妬しているのよ。嘘をついて私をぶくぶくと太らせるつもりなのだわ。こうしている間にも筋力トレーニングを続けたくてたまらないわ」
ヘンティルはこの場にいることを嫌がっていた。
ポラーノとクラムボンはダイエットに夢中な娘に手を焼いているようだ。
そこにルナが料理を持ってきた。ポラーノが頼んだものである。
「おまたせしました。アナウサギとキノコの白ワイン煮込みです」
ルナは料理を並べた。他にもパンやスープも並べる。
アナウサギはウサギ科の哺乳類で飼いウサギの原種だ。
体長35~45センチくらいで、少数の群れで地下に複雑な穴を掘って暮らす。
蟲人王国の前身であるヨーロッパやナトゥラレサ大陸の前身である北アフリカに分布していた。
蟲人王国では昆虫食とともに有名な食材である。
アナウサギの肉に、しめじにしいたけ、マイタケと共に煮込まれていた。
イノセンテは目を輝かせて、フォークを突き刺す。ヘンティルは渋々肉を口にした。
アナウサギは白身で脂肪が少なく淡白な味だ。よく煮込まれておりキノコも歯ごたえがある。
「うまいな。うちの料理人にも作らせたことはあるが、これほどの物は口にしたことがあい。さすがはガトモンテスさんだな」
「その通りです。このキノコはうちの村から採れたものですが、これほどうまく調理できる人はガトモンテスさんだけですね」
クラムボンは料理を口にしながら、感心していた。ポラーノも同じ感想のようである。
しかしヘンティルはそれ以上口にしなかった。イノセンテはそれを見とがめる。
「お姉さま、食が進んでおりませんよ。しっかり食べなくては」
「いやよ。もう食べたくないわ。できるなら吐き出したいくらいだわ」
ヘンティルは不貞腐れる。それでも肉を一口食べたのは、両親への建前だろう。
彼女は筋肉を鍛えることに夢中になっている。食事こそが筋肉を育てるというのに、ヘンティルはかたくなに食事を拒否するのだ。
「ヘンティル。あなたは最近悪い友達と付き合っているようだけど、その人の悪影響のせいかしら?」
ポラーノが顔を険しくする。ヘンティルは右から左に聞き流していた。
「コブレのせいじゃないわ。私は自分の意思で食事を断っているのよ。お父様に文句を言われる筋合いはないわ」
そう言ってヘンティルは席を立った。イノセンテは慌てて姉の後を追う。
残された両親は頑固な娘に頭を悩ませているようだ。
ルナはあたふたしているが、厨房から主人の呼ぶ声が聞こえた。
彼女はすぐにそこへいく。ガトモンテスは調理の真っ最中であり、ヒアリの亜人のソルは野菜の皮むきに夢中であった。
「ルナ。フライの盛り合わせができた。お客様のところに持って行ってくれ」
「えっ、でも……」
ルナはポラーノたちの席を見る。
「お客様の事情は踏み込んではならない。俺たちには関係ないからな」
「店長、冷たい」
ソルが呟いた。しかしガトモンテスの表情は変わらない。
「俺は料理を作る者、お客は料理を食べる者。その区別を付けなくてはならんのだよ。下手に関わり合いになれば互いに不幸になる。俺はそれを知っているからな」
ガトモンテスは遠い目をした。ルナとソルはそれを見て店主に何か嫌な思い出があると思った。
クラムボンは宮沢賢治氏の童話、やまなしに出てくる名前です。
なぜサムライアリなのかは、深い意味はないですね。