第23話 タイワンシジミのスパゲッティ
「邪魔するよ!!」
乱暴に戸を開けて入ってきたのは、人間の女性であった。
緑色のマントを身に付け、フードを被り、顔はゴーグルに防塵マスクを身に着けているのでわからない。
ただ胸元が蜂の巣のように膨らんでおり、腰つきも女性らしかった。
店員でツキヨダケのルナは突然の大声にぎょっとなった。すぐに気を取り直すと、客に注文を訪ねる。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
ルナは決まり文句を一気に言うと、別の客が呼んでいるので、そちらへ向かう。
4年近く働いているが、人見知りはなかなか治らない。それでも初期に比べればずいぶんマシになったと、両親は感心していた。
女性は席に座ると、すぐルナを呼び出し、自分だけでなく、仲間も来るので、腹のたまるものをくれと言った。
ルナは厨房に行き、店長であるガトモンテスに訊ねる。それなら本日のおすすめはしじみのスパゲッティにイノブタのフライだと答えた。
しじみは先日、元主人の息子ラタジュニアが行商として売りに来たものがある。
タイワンシジミという淡水のシジミの瓶詰だ。それをトマトやキノコと一緒に混ぜるという。
ちなみにタイワンシジミは三角湖の水田に大量に住んでいるシジミだ。味はせず、泥臭さがあり、食べるのに手間がかかるものである。
住民が商売用に泥を抜き、茹でて瓶詰にした物だ。
女性はそれでいいと答えた。ガトモンテスはすぐに調理に取り掛かる。
「ちょいといいかい、お嬢さん」
ルナは別の客のところへ行こうとしたが、女性に呼び止められた。
彼女は渋々、客の席へ向かう。
「私の名前はオレシニス。薫風旅団の団長さ。あんたの名前は?」
薫風旅団は傭兵集団だ。フエゴ教団は騎士団を各地に配置しているが、すべてを補佐できるわけではない。
傭兵を雇うこともあった。もっとも教団の恩恵を受けられず、死んでも教団は関知しないのが難点である。ケガをしても完治するまで面倒を見てくれないのだ。なので危険の感知が重要になってくるのである。
「……ルナです」
「ルナか。いい名前だね。ところであんたは無愛想だね、客商売をしているんだから、もうすこし笑顔を振りまいた方がいいと思うよ」
「はあ……」
ルナは気のない返事をした。客に絡まれることは珍しくない。ほとんどルナの態度を指摘されることが多かった。
普通は不愛想な店員がいれば、客足は遠のくものだ。それでも繁盛しているのはガトモンテスの腕が良いからである。
さすがの彼女も慣れたものだが、不快感はあった。
「ふむ、どうもあんたは道に迷っているようだね。人生の地図に目的地を記していないんだよ。だから自分がどこに行けばいいのかわからない。今まで人から命じられてばかりいたから、旅の仕方がさっぱりなのさ」
オレシニスに言われて、ルナの顔は曇る。彼女の指摘は、ルナの心情を鋭く突いていたからだ。
ルナは今年で18歳になるが、特に決まった職などない。大抵の女は男と結婚して子供を産み、家庭を守るのが普通だ。
ルナの実家は代々自警団を務めており、父親のカムパネルラは団長である。一番上の兄はフエゴ教団の騎士団に所属しており、将来は父親の跡を継ぐことになっていた。
ところがルナには縁談がない。これは彼女が嫌われているわけではなく、父親のカムパネルラが、ガトモンテスと結ばれることを願っているのである。
ルナの体質は確かに常人とは違う。だが村八分になるほどではない。キノコ系の亜人は世代ごとに異質な人種が生まれることが多く、ルナはそれに当たっていたのだ。
問題は彼女の性格が根暗で奥手だということだ。誰も嫌っていないのに、自己嫌悪に陥っているのである。
カムパネルラはルナがよそ者と結婚しても、いいと思っていた。
彼自身一時、フエゴ教団の騎士団に所属していたからだ。多くの亜人や人間と接しており、寛大なのである。
「目標を作るんだね。そうすれば人生という荒波を乗り越えることができるよ。さしずめガトモンテスの貞操を奪うことをお勧めするね」
「―――!?」
いきなり下ネタを振られ、ルナは真っ赤になった。慌てて控室に引っ込んでしまう。
その内、薫風旅団の面々がやってきて、テーブル席は埋まった。
ガトモンテスとヒアリの亜人ソルが一緒になって、皿に盛られたスパゲッティを持ってくる。
しじみのスパゲッティは、ニンニクやトマト、キノコが入っていた。それらをオリーブオイルで炒め、赤ワインで味付けしている。
しじみは貝から剥かれたため、小粒であった。
それらが山盛りになっており、薫風旅団の面々はすぐに食らいついた。
「ふむ、うまいね。しじみが小さいから食べづらいが、なかなかだ」
オレシニスは舌鼓を打っていた。もっとも味より量なので、他の面々はかきこむように食らっていく。
そのうちソルがイノブタのフライを持ってきた。一皿に二枚載ってある。ソースをかけて食べていた。
「ありがとうございます。ですがうちの店員をからかうのは困りますね」
「それは悪かった。冗談が通じない人とは思わなかったので、あとで謝罪してください」
「ところであなたはなぜ私の名前を知っているのですか?」
ガトモンテスが訊ねた。オレシニスはマスクを外して食している。
ゴーグルは店内でも外さず、その眼はわからない。
「そりゃあ有名ですからね。あなたの名前はよく知れ渡っていますよ」
「まあ、この村ではただ一軒の食堂ですからね。ですがあなたとはどこかで会った気がしてならないのですよ」
「気のせいじゃないですか。私はあなたと出会ったのは今日が初めてですよ」
オレシニスはけらけら笑っている。どこか煙に巻かれた気分になった。
年齢は40代くらいだが、どこか底が読めない。
そもそも彼女の言う通り、気のせいであろう。
「それにしてもおいしいね。ますます腕が上がったんじゃないのかな」
オレシニスは食事を続けている。ガトモンテスは厨房へ引っ込んだが、ふと違和感を覚えた。
初対面なのに、なぜ自分の料理の腕を知っているのだろうか。
オレシニスはゴーグルが湯気で曇ったので、外して布で拭く。その際に目が見えた。
「シンセロ様?」
その眼は見覚えがあった。ただその人とは一度会っただけだし、うろ覚えである。
何よりシンセロとは数年前に亡くなった、フエゴ教団の司祭だ。しかも男であった。
男なのだが、女性と見間違うほどの美しい顔をしていた。本人は気にしており、付け髭で威厳を保とうとしたが、誤魔化せなかった。
ラタジュニアの同期であるアモルの父親であった。アモルは女性に見えるが、男である。
マウンテンゴリラの亜人である母親に似て、怪力という話だ。こちらも夫の後を追うように亡くなったそうだ。
「まあ、他人の空似だな」
ガトモンテスが呟くと、厨房へ引っ込んだ。
オレシニスはソルにお土産用のサンドイッチを注文する。ソルはお辞儀をして店長へ伝えに行った。
その後姿を見送った後、オレシニスは独白した。
「フエルサにも味わってもらいたいね」
タイワンシジミはともかく、シジミのスパゲッティはあります。
お吸い物のように貝ごと入れますが、こちらは剥いてから入れてます。




