第17話 バレンシア風パエリア
「すみません、よろしいでしょうか?」
早朝の山猫亭の裏口から、声をかけられた。掃除の最中であるツキヨダケのルナは後ろを振り向くと、そこにはトノサマガエルの亜人の男が立っている。
どっしりとした体格で、腹部は妊婦のようにでっぷりとふくらんでいた。
身に付けているのは麻の袖なしジャケットに、白いふんどし、下駄を履いている。
背中には背負子があり、米俵を三つほどあった。
「あの、どちらさまでしょうか?」
「ああ、ぼくはこの店の主人の知り合いです。トノサマガエルのカイロと言えばわかりますよ」
「はぁ、では呼びに行きますね」
そう言ってルナは店の中に入る。そして仕込みをしていたガトモンテスに声をかけると、彼はすぐに外へ出た。
「おお、カイロじゃないか。ひさしぶりだな」
ガトモンテスはトノサマガエルを見て、懐かしそうにほほえんだ。そして互いに握手をする。
どうやらふたりは旧知の仲のようであった。
「懐かしいな。まあ、別れてまだ4年しか経っていないけどな」
「そうだね。ぼくらは20歳になって、それぞれの道を歩んだよね。君は食堂を経営し、ぼくは米作りに精を出す。フランドンは別の村で支店長になっているけど」
「手紙は来ているよ。小さい村だけど、猛毒の山に近いからキングヘッドと顔見知りだから、軋轢はないって話だ」
「ぼくも一度行ったけど、おだやかな村だったね。人間の村だけど、よそ者を極端に嫌っていないし、過ごしやすいところだったね」
ふたりは他愛ない会話を続けていた。ルナは掃除をしながら、ちらちらと覗いている。
後輩のヒアリの亜人のソルは、ちょいちょいとルナの服を引っ張る。仕事をしろと暗に示しているのだ。
ルナは露骨に不機嫌な顔になるが、ソルはまったく気にしていない。
「……そういえばあいつのこと覚えているか? ロコのことを」
カイロが不意に口に挟む。表情が少し沈んでおり、明るい話題ではなさそうだ。
「ああ、聞いた。まさか、死んでいたとはな……」
「しかも送られてから、数日後という話だよ。フランドンが手紙で教えてくれなかったら、一生気付かなかっただろうね」
「あいつが自分で首を括るなんてな。そんなに環境が悪かったのだろうか」
「それは違うね。フランドンの手紙でもあったでしょう、自分の思い通りにならなかったから、正気を失ったとのことだよ」
「悲しいことだが、あいつは普通の世界では生きられなかったんだろうな。目に映る物は常人と違っているから、頭がおかしくなったんだろう」
ふたりは顔を見合わせると、ためいきをついた。ロコという人は彼らの知人のようであるが、つい最近までその死を知らなかったようである。
もっとも彼らにとって、ロコはあまり親しい仲ではないようである。それでも死亡していたことに衝撃を受けていたようだ。
死を隠されたというより、報告する価値がないと思われていたのだろう。
「それはそうと、今日はきみのために米を持ってきたんだ。見てみてよ」
カイロは背負子から米俵を一袋置いた。大人がふたりでやっと持ち上げられそうな米俵を、カイロは軽々と女が水の入ったバケツを持ち上げるようであった。
ガトモンテスは米俵をかき分けると、米が詰まっていた。さらさらと砂のように零れ落ちる。
「こいつはいい米だな。どこの産地だ?」
「黒蛇河の上流にある村だよ。あそこの米は粘りがあって、味が染みやすいんだ」
ちなみにオルデン大陸では米は陸稲で、田植えをするところは少ない。
畑で作る米と思っていただければ、よいのだ。
「あそこはガリレオ要塞に近い場所と聞くが、大丈夫なのか?」
「問題ないよ。だって向こうはこちらがちょっかいをかけなければ、手を出すことはないからね」
話は進み、ガトモンテスは米をもらい、それが使えるなら、以後はカイロと契約を取ることになった。
ふたりはラタ商会で商業奴隷として同じ時間を過ごしたのだ。その時のよしみでカイロは米の売り込みに来たのである。
☆
「ほら、こいつはバレンシア風パエリアだぞ」
ガトモンテスはもらった米を使い、パエリアを作った。パエリア専用の鍋を使ったのである。
「ばれんしあって、なんだ?」
ソルが訊ねた。聞いたことのない言葉であった。ルナも首を傾げており、あまり知られていないのだろう。
「かつてレスレクシオン共和国が、スペインと呼ばれていた時代に、バレンシア地方というのがあったんだ。今回作ったパエリアはそこをイメージしたものなのだよ」
「レスレクシオンて、なんだ?」
ソルが再び質問する。一般人は自分の住んでいる国名もよく知らないのだ。
フエゴ教団が布教し、大きな顔をしているからフエゴ国と勘違いしている人もいる。
ソルはその一般人代表と言えるだろう。
「まあ、いいさ。それよりも食べてみてくれ。こいつはアナウサギの肉に、インドクジャクの肉、さらにはアフリカマイマイも入った山の幸満載なんだ。刻んだ玉ねぎに、インゲン豆にパプリカやトマトも入っていて、味付けは塩とサフランだけだ。素材の味を生かしたものになっているんだ」
ちなみにアナウサギやインドクジャク、アフリカマイマイはフレイ商会から買ったものだ。調理用に加工してある。
ガトモンテスはパエリア鍋を差し出す。そのまま器には載せず、食べるのだ。
ルナとソルはスプーンを手に取り、米をすくう。
それを一気に口に入れた。
「おいしい」
ソルは食べて、にっこりと笑った。それからもしゃもしゃと頬張っていく。
肉類はフレイ商会が食べやすいように柔らかくしており、アフリカマイマイもぬめりをきちんととってあるので、歯ごたえが良かった。
「鳥のお肉、やわらかい。ソルの村では、肉硬かった」
「インドクジャクの肉は硬くて臭みがあるからね。下処理をしないとそのままでは食べられないんだよ。昔はニワトリの数が少ないので、代用品として食べていたけど、今でも書こうは続けられているね」
「どうして?」
「下手に放置すると増えるからさ。インドクジャクは鳴き声がうるさくて、雑食なんだ。フエゴ教団が布教した後でも、狩猟を禁止にしないのは、ある程度、数を減らすことを目的としているのだよ」
オルデン大陸には数百万種類の外来種がいる。すでに在来種は消え去っていた。
キノコ戦争のときに、牛や豚、ニワトリなどが死に絶えた。その数を増やすために外来種を使って、たんぱく質を得ていたのである。
それを行ったのは知恵を持つビッグヘッド、キングヘッドと空飛ぶミカエルヘッドであった。
海の方はネプチューンヘッドが担当している。
レスレクシオン共和国ではビッグヘッドの真実を知る者は少ない。亜人の村は大抵知っているが、人間の村だと一部を除いて知る者はない。
むしろビッグヘッドを憎んでいるのがほとんどだった。
はるか西側にあるヒコ王国ではネプチューンヘッドは国民に慕われている。
「どんな生き物でも丁寧に処理をすれば、きちんと食べられるのさ。手間はかかるけどね」
ガトモンテスは空になったパエリア鍋を見て、つぶやいた。




