第1章(5)
中に入ってみると、そこは大きな講堂だった。講堂の真ん中には教壇と教卓があり、その回りを取り囲むように机と椅子が置かれ、ローブを身にまとった生徒らしき人々が数十人ほど座っていた。手元には皆、それぞれの杖を持ち、これから始まる講義を、今か今かと待ち構えているようだった。
「あの、私杖を持っていないのですが……」
魔法学校の講義がどんなものか知らなかったが、ここにいる人々は誰もが杖を持っていた。やはり、杖を使った講義があったりするのだろうとクリスティーナは予測した。
「そうね、まずは杖からね。こちらへ、いらっしゃいクリスティーナさん」
「なぜ、私の名前を」
目を丸くして、女性を見つめると、彼女は笑って答えた。
「先ほどの故郷の想いの中で知りました。私の名前も言っておきますね。私はコーデリアです。生徒達の相談役を引き受けています。特にあなたみたいな新入生をメインに。さっ、こちらへどうぞ」
クリスティーナはコーデリアに連れられ、講堂の端へと誘導させられた。端へ行くと、黒い暗幕かかけられている出入り口があった。その扉を開けて、中に入ると目の前には大きな鏡が置いてあった。人一人分の全身が映るぐらいのその鏡の前で、コーデリアは振り返った。
「魔法に必要な物は、この鏡の中から出てきます」
「鏡なのに、物が出てくるんですか……」
恐る恐るといった様子で、クリスティーナはその鏡の枠を手でつかんだ。よく見ると鏡面は真っ黒でクリスティーナの姿も、その部屋の様子も映しだしてはいなかった。鏡の中は漆黒の闇だけしかなかった。
「あのさっきまでは普通の鏡かと思ったんですけど、この鏡、姿を映さないんですね」
まじまじと鏡を見つめながら、クリスティーナはその漆黒の闇に得たいの知れないものを感じていた。
「鏡であって、鏡じゃないからです。これは姿を映す鏡ではないのです。要はその人の思念です。思念を感じ取る鏡なのです。もともと魔法というものは、思念と祈りから成り立っているもなのです」
コーデリアは、至極当たり前だと言わんばかりに、淡々と語った。
「思念と祈りなんてもの実体がないじゃないですか。そんなものをどうやってこの鏡は映し出すんですか」
訝しげにクリスティーナは、コーデリアに尋ねた。
「映すのではないのです。感じ取るのです。あなたがこの鏡の中に入って感じ取ってもらうのです。そしてあなたが必要としている物を渡してくれるのです」
「鏡の中に入るですって?」
「ええ、入るのです」
「この中にですか……」
クリスティーナは思わずつばを呑み込んだ。中の様子がまったく見えない漆黒の闇に身を投じなければいけないことを考えると震えがきた。
「中には何があるのですか」
「それは人によって違います。その人の思念と祈りが鏡の中の世界を作るのです。いやなら、いいんですよ。でもこの中に入らなければ魔法使いにはなれませんよ」
コーデリアは、にこにこした笑顔のまま、ぴしゃりと冷たい言葉を言い放った。
それは困ると思ったが、クリスティーナは、しばらく黙ってその鏡を見つめていた。
「魔法使いになるには勇気も試されるものなのです」
その言葉を聞いて、一瞬脳裏にルイスのことが浮かんだ。
ルイスにもっともらしいことを言っておきながら、自分は自分でこんなことで臆病になっているなんて、おかしいじゃないか。そう、こんな鏡などどうってことないのだ。そんなことを思うとクリスティーナは、瞳を閉じて深呼吸を一つした。それからゆっくりとまぶたを開けると、コーデリアに言った。
「入ります」
「それはよかった。さっ、ますは片手をゆっくりと入れてごらんなさい」
義務的にコーデリアがそう言うと、クリスティーナは言われたように、鏡の中へと手をすべらせた。
鏡面の漆黒の闇は、水面のように揺れた。ずぶずぶと、片手が鏡面の中へと入っていき、すっかりと腕が見えなくなると、クリスティーナは思わず息を止め、目をつぶって頭と体ごと、えいやっと鏡の中へと入り込んだ。
鏡の中は黒い大気が渦巻いていて、何も前が見えない。息も苦しような気がする。私このままここで死ぬのかしら、そんな嫌な予感を受けながらも、クリスティーナは、必死に叫んだ。
「コーデリアさん、前が見えません」
鏡のそばにいるであろうコーデリアに、とりあえず呼びかけてみた。
「それはあなたの抱いている今現在の気持ちです。もっと心を楽にして、そうしてあなたが魔法を求めていることを伝えるのです。あなたはなぜ魔法使いになりたいのか、その想いを伝えなさい」
遠くの方からコーデリアのそんな声が聞こえてきた。
これが今現在の私の気持ちだというなら、勇気が足りないということね。
クリスティーナは自分の気持ちを落ち着かせようと、瞳を閉じた。そうして魔法使いになりたい理由を真剣にこの鏡に語ろうと、手を組み、祈りを捧げようとした。
故郷の岩に覆われた冷たい大地を思い出そうとしたその時、クリスティーナの心に浮かんだのは、太陽の都で見た頭上高く昇った力強い太陽の光や、そこで育つ、たくましい太陽の実の木々や、美しいバラ、どこまでも続く草原だったりと、彼女が思い浮かべ訴えようとした風景とは全く別のものが去来しては消えていった。
美しい緑、そこに棲む生き物たちの声がクリスティーナの心を誘うような気がした。そして気がつくと、耳元では小川を流れる水の音が聞こえてきた。
クリスティーナは、思わず目を開くと、そこには、明るい日差しを浴びながら、鬱蒼と茂った緑の森が楽しげに輝いていた。森の端の方には、小川が流れ、そのそばには鳥達が水浴びをしていた。
さっきまでの黒い大気など、まるで嘘のように消え去ってしまった。ともすれば、鏡の中にいることも忘れてしまいがちだった。
クリスティーナは鳥達を驚かさないように静かに近づいたが、途中でそれは鳥達じゃないことに気がついた。それは蝶々のような小さな羽根を持った妖精達だった。女の子の妖精と男の子の妖精が、水遊びをしていた。裸足の足で小川の水をはね飛ばしては、遊んでいるのだ。




