第1章(4)
しばらく道なりに歩いていくと、クリスティーナは学校という建造物ではなく、とてつもなく大きな巨木に行き当たった。これまで歩いてくる途中にも木のうろの中を居住にしている木の家はたくさん見かけたが、今目の前にしている巨木は一本の木という大きさではなく、百本ほどの木々を寄せ集めたぐらいの太さを持ち、木の枝も枝というより、城の塔ぐらいの大きさをもち、複雑に入り組んでいた。そしてその木の幹には、人が入れるぐらいの大きさの穴が幾つか空いてあり、穴の中は暗闇に包まれていた。
最初、クリスティーナは、それが魔法学校であるということに全く気づかなかった。むしろその巨木の中にある力強い生命力に圧倒されていた。枝という枝からは生き生きとした緑色の葉が連なり、天まで続くのではと思うほどの高さまでその木は伸びていた。新しい息吹を感じる柔らかい葉の色と、古くからそこにある威厳が備わったその木は命そのものように感じられた。
クリスティーナは、その木から伸びている小さな枝にふと触れた。すると彼女の中で忘れていた記憶が蘇った。大地は冷たく、空には瞬く星が輝きの、凍えるような気温の中、くずれかけた岩山の中で、手をかざし、術をかけては消えいく命を見つめるように星の石を見つめていたことを一瞬思い出した。そして濃い緑色の葉の中からなぜか、冷たい星の石が顔をのぞかせたような気がして、クリスティーナは不思議な感覚に襲われた。
やっぱり、石の中にも命はあるのかしら……。クリスティーナがそう思った時、木のうろの中から女の人が出てきた。フードを被ったその中年の女性は、にっこり微笑んだ。黒髪に黒い目をしたその女性は、木でできた奇妙に曲がった杖を持っていた。
「あなたはこの魔法学校に用があって来た方ね」
「ここが魔法学校なんですか?」
クリスティーナはびっくりして、改めて木を見つめ直した。しかしどう見ても学校には見えない。
「そうね。ここにあるのは大木ですからね。でも私達はこの木の中に住み、魔法を学んでいます。ちゃんと指導者もいますから、間違いなくここは魔法学校ですよ」
「私は、自分の中に魔法の才能があるかどうか見極めたくて来たんです。魔法を教えてもらえるでしょうか」
女性は優しい声で、それでいてぴんと張りつめた透き通った声で言った。
「もちろん、魔法を教えてさしあげましょう。でも魔法を教えたからと言って、だれもが魔法使いになれるわけでもありません。それからただで教えるわけにもいかないんです」
「お金がが多額にかかるんでしょうか」
心配になったクリスティーナの顔はみるみるうちに曇っていた。
「いえいえ、お金というわけではないんです。あなたの中で一番大事なものを差し出してください」
困ったクリスティーナは袋の中から星の石を取り出した。
「これでどうでしょうか」
「これはこれは星の石ですね。確かにこれは希少です。ですが、あなたはもう一つもってられますね」
「もう一つ?」
クリスティーナは困り果てて、小首をかしげた。大事な物ってこの他にもってないけど、何かしら。不思議そうな顔で女性を見ると、女性はにこやかに笑って言った。
「故郷の中で培った技です。あなたを見てると石の中で術をかけた姿が見えます」
「あなたにはそれが見えるんですか」
「ええ、見えますとも」
女性はなんてことないといった顔で言い切った。
「でも、私。今術がかけられないんです」
「いえいえ、そんなはずはないでしょう。今でもあなたはかけられるはずですよ」
「そうでしょうか……」
心の中で動揺が沸き起こった。そんな。故郷を出た時には術はかけられなかったはず。私の力いつのまにか戻ったのかしら。手に頬をあてながら、彼女は真剣に考えた。
「どうしますか。その技と引き替えに魔法をお教えしましょう」
女性は笑みを絶やさず、ゆっくりと優しく声をかけてきた。
「もし、技を手離したら、私は二度と故郷で術をかけられなくなるということですよね」
苦痛に満ちた目で、クリスティーナは女性に問うた。術がなくなったら、自分の居場所は確実になくなる。そこまでして、自分は魔法を手に入れたいのだろうか。女性に問いながらも、彼女は自分の心に問うていた。
「はい、そういうことです。魔法は習うということは、全てを失うぐらい重要なことなのです」
「それと引き替えに私は魔法使いになれるのでしょうか」
「それは本人の努力と才能次第です」
微笑みながらも、女性は妥協をゆるさなそうな鋭い視線をクリスティーナに投げた。
クリスティーナは、悩みに悩んだ。しかしそこでまた出てきたのは故郷の風景だった。冷たい大地に太陽の光が差しこみ、この地のように緑豊かな木々が生い茂る風景を、彼女は思い描いた。魔法の力を手にしたら、故郷の地も変わるかもしれない。その一方で大魔法使いヌアクルに言われた言葉を思い出していた。魔法の力でどうにかしようとしても、駄目なのだろうか。元の生活のように石に術をかける生活の方がいいのだろうか。いろんな想いが彼女の中を駆け巡ったが、現状を変えたい想いが最後には勝った。
「分かりました。技と引き替えに魔法を教えてください」
彼女は意を決して、女性に挑むような調子で言うと、女性は念を押した。
「ほんとにいいんですね」
「ええ、いいです。お願いします」
深々とお辞儀をしたクリスティーナの目には、もう迷いはなかった。
女性はクリスティーナの頭の上に杖をふりかざし、えいやっと振った。そうしておびただしい数の呪文を唱えると、また一振り杖を振った。すると杖から銀色の小さな星のようなものが無数にこぼれ落ちていった。
「今の星のようなものはなんですか」
「あなたの故郷への想いです」
「故郷への想い……」
そう言われるとなんだか心が軽くなったような気がするし、故郷への風景が薄れているような気がする。そう思ったクリスティーナは、心の中でぎくりとした。なんだか大事なものをとられたような気がする。これはいったい……。
「あなたは魔法と契約したのです。ようこそ、魔法学校へ。あなたはきっと良き生徒となるでしょう」
女性はやんわり笑うと、クリスティーナの手をとり、一つの木のうろ中へと招き入れた。