カーテンコールは艶やかに
この話で終わりって意味ではありませんよw
「ありがとうございー」
スキンヘッドの男が購入したナイフを手に、店の外へと出て行く。
あの男、どれだけナイフを消費しているのだろうか?
もはやすっかり常連ではないか。
店内にひとりの客もいなくなると、トモエはカウンターから出て店の中をくるくると回りながら鼻歌を歌ってうろうろする。
じっとしていられない性質なのだろう。
しばらくすると扉が開いてひとりの少年が中へと入ってくる。
「あー、お疲れ様、でしたか?」
「お疲れさまです、だ」
「おー、そでした。みません」
「おつかれー!」
交代の時間ということだ。
トモエが元気よく挨拶を返して、少年に向かって右手を伸ばす。
少年はとまどうように自身の手を挙げる。
トモエはその手に勢い良く自分の手をぶつけると、そのまま扉から出て行ってしまった。
「相変わらずですね、彼女は」
少年がこちらの言葉ではない、いずこかの世界での言葉で言う。
この少年もまた異世界から呼ばれた者だった。
少年の名前はタンゴという。
大分、言語の習得が進んでいるのだが、まだいささか覚束ない部分があり、研修として我の店に貸し出されていた。
既にその血を少しばかり得ているので、何を言っているのか理解出来る。さっきまでのこちらの言葉でのたどたどしさとは別の流暢な言葉遣いだった。
「元の世界の言葉を使っては意味がないだろう」
「おー、みません。センセイ。頑張ります」
「すみません、な」
なかなかにエコーズでも期待の有望な少年のようで、ハイドとしては出来れば残って欲しいと考えているようだった。
それで我が言葉について教師となることで落ちてしまっている売り上げから、滞りがちなエコーズへの人件費への支払いの代わりとしていた。
既にトモエが暇つぶしに店の掃除をしていたのだが、どうにもそれが適当に過ぎていたので、タンゴが苦笑しながらもう一度掃除を始めた。
言葉の練習として我の方から雑談の話題を振る。
「街では何か変わったことは?」
「あー、なかったでしたか。相変わらずです」
「そうか」
何も無い、という意味ではない。
喧嘩や破壊行為というのはこの街の常だ。
そうしたいざこざというのは無い方が珍しい。
今日は真実何もありませんでした、なんてことがあったりしたら、それこそが変わったことと言って良い。
まあ、モンスターに街まで突破を許したなんてことがなければそれで良い。
そんなことを考えていると、扉が開いた。
そこにいたのは帰ったはずのトモエとハイドだった。
「大変です。ノクトさん、手を貸してください」
いつの間にかリコのそれが感染ったのか、ハイドまでもが我をノクトと呼ぶようになっていた。
特にそれを咎める気は無い。
我には手は無い、などと突っ込むのも野暮だろう。
「どうした?」
ハイドが我に助力を求めることというのは、会話の教師以外ではなかったことだ。
だが、その内容を聞いて、納得した。
この世界で我が出来る特殊なことで、我にしか出来ないことというのは血で理解すること以外にもあった。
それはこの地下世界でも指折りの危険人物の手綱を握れるということだ。
「ミグルイさんが街で暴れてまして、ノクトさん、何とかしてください」
我には表情は無い。
だが、もしもあったならば果たしてどんな表情をしていただろうか。
以前にも訪れたトーチャーの廃工場じみた建物、そこから更にやまびこ協会から遠ざかるようにして行けば、そこにはひとつの広場がある。
それはまるで古代の闘技場を連想させる。
直上には今にも落ちてくるのではないかと錯覚させる地天城。
それが本当に落ちてくることを危惧してなのか、そこには誰も住んではいない。
そこはこう呼ばれている。
バージンフロア。
どこの組織も決して自らのものと出来ないジオフロンティア唯一の土地。
それは複数の組織同士が揉めた時に、大規模な抗争なしにお互いの矛を収めるための裁定所と言っても良かったが、裁定者は当事者自身、その裁定方法は武力こそがすべてのこの地下世界で、それしか有り得ない暴力によってだった。
「あれがグリーニアのリーダーか」
庭園騎士団。
最も危険な武力集団にして、この地下世界ですべての者が生き残るのに必要な食料を供給し続けているという生命線でもある組織。
そのリーダーは女で、しかもその面立ちは意外なことに可憐さを伴っていた。
リルカ・カーテンコール。
真っ黒なドレスを思わせる鎧は、どうしても喪服を連想させる。
カラスを模したようなヘルムを小脇に抱えているせいかもしれない。
この羽ばたくもの無き地下世界では鳥というのはほとんど神話の生物と変わらない。
そう、それは象徴だ。
まるで自身が伝説の存在そのものであると誇示するように。
宗教画にある翼人の羽根のような長大な矢籠を背負い、弓を手にしているのは、この地下世界では珍しい。
巨大な魔獣が攻めてくることも珍しくなく、そのような相手には仮に矢に毒を塗っていても絶命に至らしめるのは難しい。余程の猛毒でも矢に塗れる程度では、あまりにも微量だ。
そして弓隊をずらりと並べることが難しい坑道じみた場所が多いので、雨霰と矢を降らせられず、むしろ前衛にばかり当たるリスクの方が遥かに高い。
例えばミグルイのような個人の武勇が遥かに優れている者が多いと弓矢の出番はどうしても少なくなるということだ。
だが、リルカはその圧倒的な武勇を誇るはずのミグルイを前にして、悠然と微笑んでいた。
「カーテンコール、てめえ」
「あら?どうしたのかしら?ミグルイさん?」
既にその場面へと辿り着いた時にはミグルイは例の鎌を構えていた。
表情はいつも以上に獰猛で、その目はまさしく引き絞られている。
そんな相手を前にしても、リルカはヘルムを被り、矢を取ろうとはしていない。
「余裕見せてんじゃねえぞ?あん?」
「常に余裕を。それが私の流儀ですもの。貴方はいつも怒ってばかりね。ミグルイさん、私ね、もしも貴方がもう少しおしとやかさというものを身につけていたならば、私の団に誘っても良いと思ってますのよ」
「ざけんな!誰がてめえの下になんか付くかよ!もう良い。お前のはらわたの色を見せてみろ」
一瞬、ミグルイの身体が膨張したかのように見えた。
次の瞬間にはもうミグルイは飛んでいた。
それはかつて刃に映したモンスターとの戦闘よりも速く。
「オレ様になぁ!!」
その刃は躊躇すること無くリルカへと振るわれていた。
「ハイド」
「なんです?ノクトさん」
リルカはその凶刃を躱していた。
まるで踊るようなステップで。
軽やかに。
「もう無理だろう」
「そうですね」
ハイドは簡単に同意した。
ハイドが見た時にはミグルイが暴れ、リルカは躱し続けていた。
それが繰り返され、そして街はあの時の魔獣よろしく壊され続け、このままじゃと考えて我を呼びにきたようだ。
リルカがここまで誘導したのだろう。
それが達成された時点で、ハイドにとってもひとまずは安心といったところで、ここで暴れる分には別に止めなくてもな、とその常の笑い顔は語っていた。
「大したものだな。グリーニアのリーダーは」
「なにしろ葬列者なんてあだ名されてますからね。この街で一度も負けたことがないとか」
死者を見送る者。
それは生者にしか出来ない。
あの女は戦い続け、そして常に見送る側であり続けている。
モンスターを相手にしても、ヒトを相手にしても。
ミグルイは全身を躍動させ、獣そのものといった風情で襲いかかり続けている。
それに対するリルカはまさしくヒトそのものを体現するかのように、姿勢を正したまま、踊るように身を躱す。
相変わらず矢を気にする素振りすらないままに。
「止めたければハイドがあのまっただ中に我を持って行けば止めてやらないこともないが、どうする?」
「うーん、それはちょっとご免こうむりたいところです」
トモエとタンゴは店番だ。
我が不在の時には一応、ふたりで店番を、というのが我の店のルールだ。
魅了を使うにしても、あの暴風渦巻く中心に行かなくてはならない。
それは見渡してみても、遠目に見るばかりのギャラリーしかいないこの状況では、ハイドくらいにしかできそうにない。
見渡した中にはトーチャーもいれば、庭園騎士団と思しき、同じような喪服じみた鎧を着ている一団の姿もある。
どちらも武器をふたりに向けること無く静観しているということは、手出しする気はなく、また手出し出来るような実力でもないということだ。
「まさしく、やれやれ、だな。そもそも争いの原因はなんだ?誰の被害も無いこの場所で争っているのなら、別に止める理由もなかろう」
争いは起こる。
誰と誰の間にも。
これはもうヒトの歴史に他ならない。
誰も彼もが仲良く、等しく生きられる、それはいかなる危機的状況であったとしても、有り得ない。
それがヒトだ。
あちらもこちらも変わらない。
あちらの歴史と、そして今のこの地下世界から考えてみても、明らかなことだ。
未だヒトはひとつとなっていないのだから。
今でもヒト同士で争っている。
ならば争った方が良いのだ。
優劣を決め、それでどこかで納得した方が、無理に争わないよりもよほど健全で、生きやすい。
「いつものことですよ。たまたまミグルイさんとリルカさんが出くわした。それだけです。ただ、今日はすこぶるミグルイさんの機嫌が良くなかったし、リルカさんにしてもあまり機嫌は良くなかったようです」
不機嫌が常であるようなミグルイはともかくとして、陶然と笑ってミグルイの顔を見つめているリルカの表情からは不機嫌は感じ取れない。
むしろ上機嫌そうだ。
いや、上機嫌だったからこそ絡んだのかもしれない。
まるで今にも手を伸ばしてミグルイの頬を撫でそうな、そんな表情だ。
「何にせよ、近づきたくはないものだな」
「まったくです」
じゃあ何故、我を呼んだのだか。
そう尋ねなくとも、ハイドの目論みはなんとなく分かる。
要は我を安全装置としたいのだろう。
ミグルイにせよ、リルカにせよ、どちらもこの地下世界では欠くことのできない、絶対に必要な者なのだ。戦力的にも、そしてそれぞれの組織の指導者としても。各人の個人的な思惑とは関係無しに。
そのふたりがいつも以上にぶつかり合っては、もしもということは有り得る。
今はリルカの方が矢を取らないが、それも何かのはずみで変わらないとも限らない。
その時に、絶対的に止められる存在というのをどうやら我だと捉えているらしい。
我にしても、やまびこ協会に借りがなければ放っておくのだが、既に縁は結ばれている。
我もまたヒトであるのならば、縁に縛られるというのも悪くはないと思えた。
それを拒むのならば、深海の底にあるのと何も変わらないのだから。
「血にまみれて死ね!」
「あら、そんな無様な死に方は出来ませんわ。貴方にはお似合いでしょうけど」
「んだと!?」
ミグルイの目つきが一層引き絞られた。
眉間の皺はこれ以上無く深い。
「ああ、なんかやらかす気だな、あれ」
「え?嘘でしょう?」
ハイドが我に問うよりも早く、ミグルイはもうそれを始めていた。
鎌に付いたランタン、その赤い光を撒き散らす炎がランタンそのものを燃やすように、激しく燃え盛る。
同時にミグルイの頭が燃え上がった。
炎に包まれ、表情が見えなくなる。
「ミグルイさん!それは駄目ですって!!」
ハイドが焦りの声を叫んだ時には、ミグルイの顔に、炎そのものとなったそれに表情が浮かんでいた。
狂ったように引き裂かれた口。
虚ろを映したような目。
そんなものが渦巻く黒煙によってあらわとなる。
「あら、またそんな顔して。せっかくの綺麗な顔が台無しね」
ふふふ、と微笑しながらもリルカもずっと手にしたままだったヘルムを被る。
微笑というのは口から漏れた音だけだ。
その目にはもう何の表情も浮かんでいないように見えた。
こっちももう切り替わっているのだ。
トーチャーがなぜ、カボチャのマスクを被っているのか?
それはもう明らかだ。
ミグルイの頭にそれがある。
渦巻く炎のカボチャが。
突き出た角がまるで突き立つ枝のよう。
リルカが矢を手に取った。
その矢じりは握りこぶしほどの大きさがあり、さながら短槍のようなそれを易々とつがえて引き絞る。
「……ぇ……ろ」
ひどく小さなはずの呟きが広場に響く。
その瞬間にはすべてのギャラリーがふたりに背を見せた。
その反応を映さずとも分かる。
危険なのだと。
「ハイド、ふたりとの実力差はどれくらいだ?」
「一合で殺されないくらいには自信がありますけど、二合三合はちょっと」
「十分だな。行け」
「嘘でしょう」
「嘘ではない。守ってやると告げているのだ。行け」
剣を合わせるのは一度で十分だ。
それを乗り越えられるならばそれで我は事を成せる。
「燃えろ!盛れ!何もかも!審判は我!断罪の刃はここに!首を落として己の身体の不幸を見ろ!!」
「勇ましいわね。貴方との友情も楽しかったけど、もう終わり。あなたの葬列には一番に並んであげるわ。そこで笑って見送ってあげる」
ミグルイが刃を振り上げた。
リルカは極限まで弓弦を引き絞ったまま、ぴくりとも動かない。
そして刃は振り下ろされ、矢が放たれた瞬間に。
「ちょっと!怖過ぎですって!」
文句を言いながらも割り入ったハイドが両手に握ったナイフで矢を弾き、刃を止めていた。
「良くやったな」
やはりこの男、ただの笑い症の男ではなかった。
ふたりの間に瞬時に駆け入り、我をその中央に突き立てるとすぐに虚空から取り出したとしか思えない動作でナイフを手元にふたりの攻撃を防いだ。
ふたりが闖入者に対処するよりも早く、ヒトでは認識できない意識の隙間に我は入り込むように。
【見よ】
告げた。
「……ぇ……ろ」
「エロって、言った?」
なぜかヒミコがそこにいて口を挟んでいた。
「言ってない」
明らかに燃えろとかそんな意味だろう、あれは。
お年頃なのか、いやにそこに引っかかるな、と剣は思った。
カーテンコールさん登場。元々は別作品の某ファンタジーな少女を出すつもりだったんですけど、別人に。