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弓矢アリ〼

 しばらく光の輪を冠する木々の間を抜けていくと、やがて大きな門へと至る。

 見事な赤煉瓦のそれは、瀟洒な洋館を連想させる。

 リルカが声を掛けるまでもなく、近づいて行けばいかにも鈍重な木の扉が開いた。

 鉄柵のそれにすれば、見栄えも良さそうなのだが、そうでないのは火と鉄を司るトーチャーとの折り合いの悪さ故か。


「ようこそ。庭園騎士団へ」


 リルカが恭しく礼をして、そして門の内側に控えていた黒鎧の群れもまた同じように礼をする。

 黒鎧には良く見ると、緑の紋章が象嵌されている。

 木の葉の意匠のそれはグリーニアという通称の由来か。


「ふわぁ」


 我を手にするリコが声を上げる。

 それはまるで童話の世界。

 妖精郷。

 そう呼ぶに相応しい光景だった。

 この地下世界では他に無いであろう、緑あふれる世界。

 木が、草が、至る所に生え茂り、だが自然そのものというには秩序を感じさせ、まさしく庭園の名にふさわしい。

 どこか暗さを感じさせる松明によるものではなく、魔法によって光に満ちている。

 至る所に光の輪が浮いているのだ。

 それによって、刃に映る緑はそのものが光り輝くよう。

 そしてそこに無数に羽ばたく手の平ほどの大きさの何か。

 光を放ち、ふわふわと浮くように、優雅に泳ぐように、空間を行き交っている。

 妖精じみた何かが無数に漂う。


「あれは?」

「魔法生物ですわ。作物を育てるには、水と光があれば良いという訳ではありませんから」


 例えば受粉させるにも、自然ならば昆虫によって行われる。

 だが、この地下世界では昆虫が生きるには過酷だ。

 その代わりにあの魔法生物が役目を果たしているという。

 蝶のようでもあり、蜂のようでもあり、どこかヒトでもあるような。

 そのどれにも似ているが故に、絶対にそのどれでも有り得ない不可思議な光虫。

 勿論、人の手でも管理は行えるのだが、この地下世界ではその人手すらも有限に過ぎる。

 自動化できるなら、それに越したことは無い。

 ひとつのシステムがある。

 秩序がある。

 それによって、調和があり、まさしくここには自然がある。


「さあ、ここはまだ入り口ですわ。奥へどうぞ」


 言われるままにリコは進む。

 その口は開いたままだった。


「リコ」

「……はぇ?な、なんですか」

「口を閉じよ」

「……開いてないですよ」


 今更だ。

 仮にもやまびこ協会のナンバー2なんだからしっかりしろと告げたい。

 そんなやりとりにか、それともリコにか、リルカが目を細めて笑う。


「ご招待した甲斐がありましたわね」

「さて、リコにとってはそうかもしれないが、我にとってはどうかな?」

「満足頂けませんか?」

「面白き光景とは認めるが、物見遊山に呼んだ訳でもあるまい?」

「あら、どうかしら?」


 ころころと笑い声をあげて、リルカは進む。

 その背を映して考える。

 この女は言った。

 同行者はこの世界の者だと。

 明らかにハイドを信用していなかった。

 異世界の者を。

 そして我はこの世界の物ではない。

 確かに純粋なヒトではないとはいえ、この世界にとっての漂流物。

 そんな我を、なぜこの女は呼んだのか?

 ただ見せびらかすために、そんなはずがある訳が無い。

 いざとなれば我を持つリコを逃がすくらいは出来るはずだとは確信しているが、この女には魅了が効かなかった。

 今はヘルムをしていない。

 手にもしていない。

 ならば効くかもしれないが、やはりこの女は我を視界の中心では捉えない。

 油断はないということだ。

 警戒しているとも言える。

 そんな相手を自らの本拠地に呼ぶ。

 果たしてその目的は?

 考えても分かるはずが無い。

 なにしろここは異境であり、さらにこの庭園はその異境の中の異境。

 我の過ごしたノーマンズランドではない。


「難儀なことだ」

「また変なこと考えてます?」

「失礼な」


 やがてひとつの東屋が近づく。

 そこには侍女のような姿の女が手にしたティーポッドからカップに液体を注ぐところだった。


「さあ、ひとまずはあちらに」


 リルカとリコが席につくと、侍女は一礼して去る。

 いよいよ我を呼んだ本題か。

 鮮やかな緑が踊るように揺れる。

 心地よい風。

 坑道じみた通路を抜ける乾燥したものとは違う。

 こんなものまで再現されているのかと、思わず笑いたくなった。

 そう、これは再現だ。

 見たことも聞いたこともないもの、感じたことのないものを創造するにしても限界がある。

 これはまるで誰かが感じた心象風景そのままではないか。


「ここは、お前の元いた世界、その再現か?リルカ・カーテンコール?」


 問い掛けにリルカの口元は笑んだまま。

 だが、その目の笑いは消えた。

 空気が変わる。

 リコの表情が引きつった笑いになった。


 ほら、また余計なことして。


 心中の声が聞こえた気がした。


「どうしてそう思われるのですか?」

「そ、そうですよ。庭園騎士団はずっと昔からあるはずですよ?」


 リルカ・カーテンコールという人物がこの地下世界の者たちに広く知られるよりもずっと昔に。

 この女が現れるよりもはるか昔に。


「リコさん」

「は?」

【見て】


 リルカが呼びかけた瞬間、リコの動きが止まった。

 僅かな疑問だけは声になったが、そこまでだった。

 目から意思の光が消える。

 そしてどこかとろんとした目でリルカを見る。


「魅了か」

「ええ。貴方も出来ることですわね」


 リルカは椅子に立てかけられた我へと意識を向ける。


「そうだな。そうか、それでか」

「そう。私に同じ能力があるからといって、それでも貴方相手では分が悪い。貴方は刃であると同時に鏡。そこに映るのは自分自身。これではどんな者でも、それこそ場合によっては神に近しいモノですら、貴方は魅了することが出来る。出来てしまう」

「お前も神が産み、統べる世界の出か」


 リルカと我の魅了では、効果は同じようでも原理が違う。

 誰しもが自らの望みによって、意思によって行動する。

 自らの命じるままに。

 意思ある者はすべからくそうだ。

 我は鏡。

 そこに映る自分自身に命じさせる。

 他者に魅了され、命じられるのではない。

 自分の意志であると強制される。

 いかな神でも、まともに我を、我に映る自分自身と瞳を合わせたなら、神ですらも魅了出来ることもあるだろう。

 なにしろ神自身の魅力によって魅了されるのだから。

 試したことは無い。

 なぜなら神はそんな愚かなことは絶対にしない。


「そう。その通り。私は以前は神と呼ばれていた者。でも実際には神にそうあれと望まれた者」


 虚像としての神。

 偶像。

 それが己であると、刃に映る女は語った。






「それで?我をここに呼んだのは?」

「勿論、聞きたいことがあるからですわ」


 てっきり身の上話でもするのかと想像すれば、リルカはそれ以上は語ることはなかった。

 それどころか自らを見つめるリコに手を伸ばそうとしたので、仕方なしに我から話を振る。

 だが、話を進めるような答えとはまったく違って、リルカは自らの興味を優先するようにリコの頬に手を触れた。


「一応、警告はしておく。我の供に滅多なことはしてくれるなよ」

「あら、怖いですわね」


 この女は我が何であるかを正しく認識しているらしい。

 そしていずこの世界の神と何らかの直接的な関係があったならば、ただのヒトなどではあるまい。

 それでも、我は為すと決めたならば、必ず為す。

 不朽のこの身に誓って必ず果たす。

 その意識が伝わったのか、リルカは手を離した。


「貴方の世界の神はどうなりましたの?」

「その質問だけで、お前の世界の神がどうなったのかも分からんでもないな」


 神はいた。

 だが、結局はいなくなった。

 それだけの話。

 この女は神から望まれて神と呼び慣らわされる者になった。

 だが、今はここにいる。

 神が今もこの女の世界にいるのならば、この女はここにはいない。


「お互い様、という訳だな」

「そう。やっぱりそうですのね」


「神は消えた」

「神はお隠れになられた」


 言葉は違えど、結局は同じだろう。


「それでお前はこちらに、という訳か」

「そう。光の輪に呼ばれて」


 リルカの言葉に近くの木々に冠するように浮かぶそれが意識される。

 こちらの世界に呼び寄せたもの。

 コロナ。


「あれを貴方はどう思いまして?」

「どうと言われてもな」


 こちらに来た当初は考えることも多かったが、最近では完全に放置していた。


「改めて思考するに、ヒトの意思の発現、そのもののようだったか?」


 そう、やはりあれはヒトなのだと思えた。

 だからこそ我は応じたのだ。

 もしも神の声だったならば、また対応は違っていたかもしれない。


「貴方にはそう思えるのですわね」

「お前には違ったのか?」

「私には呪いに思えましたわ」


 決して逃れることのできない呪縛なのだと、リルカは言う。


「目にして、耳にした瞬間にこの身体が凍る思いでしたの。逃れられないと本能的に思わされてしまって」


 どうやら認識に相違があるらしい。

 いや、そうすると、そもそもとも考えられることもある。

 果たして本当に我が潜った光の輪と、リルカが潜った光の輪が果たして同じものなのかと。

 いや、それは詮無いことだ。

 再び光の輪を目にする機会が無い限り、何かを検証することは難しいだろう。


「我も尋ねたい。結局、こちらに神はいるのか?」

「いない。私はそう結論づけていますわ。それも元々いなかった」

「根拠は?」

「モンスターの存在」

「あれか」


 リルカはあれが地上を占拠しているということが、まさしく神の不在だと語る。

 我にとってはそれは正反対の見解だった。

 そう、我は疑い始めている。

 この世界にも神はいるのではないかと。

 あれこそがまさしく神の試練、神の存在証明なのではないかと。

 己の不在を演出する舞台装置に他ならないのではないかと。


「意思ある者は神が造った。神の存在無しに意志ある存在、ヒトは生まれない」


 それは道理に思えた。

 最初に意志ある者がいたのだ。

 それが神なのだ。

 どうして意志ある者が存在しなくて、意志ある者が生まれるものか。


「だが、ここにはヒトがいる」

「ええ、そうですわ。そして私も貴方もここにいる。神はいないにも関わらず」

「……つまり、この世界に元々存在していたヒトなど、ひとりもいなかったと言いたいのか」

「そう。この世界にはモンスターしかいなかった。意志なき存在しかいなかった」


 おおよそ、リルカが何を言いたいのかが分かり始めていた。

 だからといって、鵜呑みに信じるつもりにはなれなかった。


「誰かがこちらに来たのですわ。そして呪いを残した。あの光の輪。それで誰かは自分の境遇と同じ目に合わせるべくヒトを呼び寄せている」

「それこそ神ではないのか?」

「いいえ。断じて違いますわ。神はすべてを自ら造る。どうして誰のものとも知れない世界で、神であることができるのかしら?」


 神とは全能。

 神とはすべて。

 そう、すべてなのだ。

 なのに、既に何者によるでもない世界がどこかにあったとして、そこへと訪れてしまえばそれはすべてではなくなってしまう。

 すなわち、神ではなくなってしまう。

 そう考えれば、こちらに来た誰かは神では有り得ない。

 つまりただのヒトだ。

 リルカはそう言いたいのか。


「お前はどれほどの時をこちらで過ごしているのだ?」


 それはリコが呈した疑問だ。

 この庭園を造ったのはこの女だ。

 それは間違い無い。

 確信出来る。

 かつて神と呼ばれる存在だったというこの女の郷愁だ。


「もう随分昔からですわ。すべてをリセットし、認識を変え、ごまかしてはいますけどね」


 魅了が使え、そして他にも何かは使えるのだろう。

 それくらいは出来そうだ。

 なにしろこの地下世界はかつての世界と違って、住むヒトは有限すぎるのだから。


「ならばお前こそが神になれば良いのではないか?」


 そうだ。

 この女は我と同等くらいには何でも出来そうに思えた。

 だが、尋ねながらも思う。

 そうする気などないのだろうと。

 そうであったならば、すべてが庭園騎士団になっているか、それともモンスターを殺し尽くしてエクソダスを遂げるかだ。

 だが、そうはなっていない。

 リルカは笑った。

 艶やかに。

 まるですべての演技を終えた女優のように。

 カーテンコールはまさに今と言わんばかりだ。


「その言葉はそのままお返ししますわ」


 我が神になれば良い。

 なんならトーチャーどもは既にそう信じている。

 だが、我にはその気は無い。

 確かにそうだ。

 出来るかどうかじゃなく、やりたいかどうかだ。


「なるほどな。我はただのしがない武器屋だ」


 我は神ではなく、ただのヒト。

 そして武器ではなく、武器屋だ。

 自らをそう定義したのだった。


「ああ、それならば良い物がありますのよ」


 そう言って、手を叩く。

 その瞬間にリコの目に生気が戻る。

 そして姿を消していた侍女が不釣り合いに大きなそれを持って現れた。

 弓矢だった。

 それもいやに大きなそれは、先日、リルカが持っていたものと同一に映る。


「あ、あれ?」

「こちらをお渡ししますわ。販売は委託で。5掛けでどうかしら?」

「そんな掛け率で良いのか?」

「いくつか売れるようなら、掛け率は考え直しましょう」

「まあ良いだろう」


 いつの間にか始まった商談にリコが疑問を呈するよりも前に、話は決まっていた。


「さあ、用は済んだ。帰るぞ」

「……もしかして、ノクトさん、私に何かしました?」

「紛う事なき濡れ衣だ」

「それでは、ノクトブランド様、またお会いしましょう」


 艶やかに笑う女を残して、庭園を去る。

 結局、あの女は多くを語ったようで、何も語らなかった。

 それで良いのだろう。

 我もまたあの女には多くを語らない方が良いと思えた。

 取り合えず、武器屋として、扱いが増えたのだ。

 悪い訪問ではなかった。

 そう考えたのだが。


「売れん」

「いや、それはそうだと思いますよ」


 入荷した弓矢はひとつたりとも売れなかった。


「そもそも使えるヒトが少ないんですから」


 狩りをするでもなければ、坑道での戦いに有利になる訳でも無し。

 自明の理だった。


「エルクにいたく執着があるようだな?」

「そうですわね」


女は簡単に認めた。


「お前の説ならば、エルクとて異世界よりの来訪者。それは気にならないのか?」

「ああ、そういう納得の仕方をされましたのね」


ふふふ、と女は笑う。


「ひとつだけ言っておきますわ。私はこの世界を気に入っていますのよ」


会話をする気があるのか?この女は?

剣は思ったものの、声にはしなかった。

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