第三章『交わした約束』 6
そして、初めの試合と同じように手を振ってその場を後にする。
入り口を通り、リングへと足を運ぶクサナギ。
観客の熱気は決勝もあってか、一段と熱気が上がる。
リングの上で相手を待つクサナギ。
入り口の隅で覗くカミュとアイリーン達。
そして、反対側の入り口から対戦相手が姿を現す……が。
「おいおい……本気かよ?」
その光景にクサナギは唖然。
入り口から出てきたのは、なんとあの仮面をつけたカミュの友人だった。
手には、本来クサナギと戦う予定だった対戦者の無残な姿があった。
「まさか、いきなりメインディッシュとはな」
幽霊の予想外の行動に予定が狂う。
しかし、これはクサナギにとっては嬉しい誤算だった。
なにしろ覚悟していた無駄な一戦を省けたのだからだ。
幽霊は掴んでいた対戦者を手から離す。
そして、軽やかにリングに舞い降りた。クサナギを葬る為に。
対峙する二人のバケモノ。
「おい、聞こえてるんだろ! カミュの友人さんよ!」
クサナギは幽霊に問いかける。
しかし、何の反応も示さない幽霊。
「こんな馬鹿げた試合を何時まで続ける気だ! お前の本当に戦いたい相手は
もういないんだよ」
そう、彼が本当に戦いたい相手は既にいない。
それでも彼が戦う意味が分からなかった。
幽霊はクサナギの言葉を意に介するようすもなく、戦う構えをとる。
「『フェイ』! 俺だ! カミュだ!」
それを見かねたカミュが大声で叫ぶ。
「残念だけど俺はお前との約束を守れなかった。もうこれ以上戦うのは
やめてくれ! 俺はここにいるんだから!」
しかし、カミュの声すらも聞こえていない様子。
まるで"存在すら知らないかのように"
「どうやら、向こうは何が何でもやりたいらしいな」
避けれるものなら避けたかった。
これから始まるものは試合などという甘いものではない、殺し合いだ。
クサナギも構えをとる。
すこしづつ二人の間の空気が張り詰めていく。
息を整え、相手の出方を見る。
二人のただならぬ気配に観衆も思わず息を呑む。
そして、時が動き出す。
「ハァアアアアア!」
掛け声と共に勢い良く幽霊の方へクサナギが駆ける。
そして、その勢いを殺さずに閃光のような右の拳を顔面めがけて放つ。
しかし、以前観客席で見たときと同じように最小限の動きで幽霊はそれをかわす。
構わずクサナギはボディ、顔面と上下に打ち分けてコンビネーションを放つ。
どちらも回避困難な攻撃。
だが、幽霊の名にふさわしい滑らかな動きでこれをかわす……が、
クサナギはそんな事は分かっていた。
その為ボディ、顔面と避けられた際に相手の腕を掴む。
互いに背中合わせの状態になり、そのまま相手を投げようとするのだが。
「なっ!?」
できない。
相手の片腕を両手で持ち、そのまま背負い投げることが出来ない。
それどころか逆に投げるはずのクサナギの体が浮いている。
そしてそのままあろう事か腕一本で逆に投げられる。
投げられている途中で咄嗟に掴んでいる両手を離す。
だが、離したのはまずかった。
クサナギの体は腕一本で投げられたとは思えぬ程勢い良く真横に飛んでいく。
このままでは観客席に衝突する。
必死に空中で体を捻ることで何とかリング内に着地する事が出来た。
そして、顔を幽霊の方に向けると。
眼前にそびえる幽霊の姿があった。
そして、幽霊の手に力がこもるのが分かる。
以前顔面を貫いたあの凶器だ。
ゆっくりと、今度はクサナギの顔面めがけてあの凶器が炸裂しようとする。
放たれれば最後。
人に為す術は無い。
だが忘れてはならない、彼もまた人の姿をしたバケモノ。
彼の眼は『レギス=エウス=クルス(全てを司る眼)』相手の行動を予測することができる目。
だが、それはあくまで数ある中の一つの能力。
予測ができるのならば、それを回避する方法も分かるのだ!
終りを告げる凶器が放たれる。
しかし、突然幽霊の体が崩れ落ちる。
クサナギは幽霊の凶器よりも早く、相手の足を刈る事でそれを阻止したのだ。
態勢が崩れて放たれた凶器は本来の威力が出るはずも無い。
そして、そんな状態で放てばおのずと隙だらけになる。
膝が崩れた幽霊に対して、クサナギは遠慮なしで顔面に回し蹴りを放つ。
無論、殺す勢いだ。
派手な金属音と共に幽霊の首がくの字に曲がり、5m程横に飛び、勢い良く転がり
倒れこんだ。
その光景に観客は熱狂。
ついにあの幽霊を倒す強者が現れたと、称える様に。
皆が喜ぶ中、一人心配そうに幽霊を見つめるカミュ。
そして、駆け寄ろうとしたその時だった。
「……参ったな、あれでも結構本気だったんだぞ?」
ボソリと苦笑いをしながら呟くクサナギ。
幽霊は何事も無かったかの様にムクリと立ち上がる。
それを見て構えをとるクサナギだったが。
幽霊の顔を見ると、仮面にヒビが入っていた。
そして、それは自然と大きくなり、遂には割れてしまった。
その時、クサナギ達は全てを知った。
「なっ!?」
その姿を見てある者は目を瞑り、またある者は吐き気を促す。
彼の眼は瞳孔が開きっぱなしで、焦点がまるで合ってない。
彼は眼が見えていなかった。
しかし、それはあの仮面の時点である程度分かっていた。
覗き穴と思わしきものが見当たらない為、眼はあまり意味をなしていない。
つまり必要ないと考えられたからだ。
だが……。
「そういうことかよ……俺達の声を聞こえない振りをしていたわけじゃなくて、
まさか本当に"聞こえなかった"とはな」
彼の本来耳がある部分。
そこには怪しげなヘッドフォンらしき機械がついていた。
そしてそこから管のような物が背中に続いており背骨の辺りに挿入されていた。
あまりに異常な光景。
「フェイ! どうして、なんでそこまでして!」
「カミュ、無駄だ」
「クサナギさん!?」
「見れば分かるだろ、あいつは眼はおろか耳も機能してない。あいつが何故
お前と戦わなかったか、なぜ決勝戦の相手しか戦わなかったのかわかっただろ」
「しかし! フェイは一体どうやって戦っているんですか!?」
そう、彼は眼も耳も無い。
あれではここに来る事も、決勝戦と分かる事も無理であろう。
「これはあくまで俺の予想だが、あいつは「触覚」で察知しているんじゃないか?」
「触覚?」
「ああ。動物とかでも居るだろ? 眼も耳も無いのに位置を探ることができるのが
まぁ、それは「触角」だがな」
「そんな事可能なんでしょうか?」
「さあな。だが、あれだけの状態を見ると、よほどあんたと戦いたかったのだろうな
死して尚約束を果たそうとする……か」
そう、彼は死んでいる。
意思が無く、相手が誰であろうと戦い続け、果たせぬ約束を果たす為に。
そして、彼自身も約束が果たせたかどうかも分からない。
ただむさぼり続ける殺人機械
そんな彼を見たクサナギはある決断をカミュに打ち明ける。
「カミュ、俺はあいつを殺すぞ」
「!? なっ! は、話が違います! 彼を救ってくれと私は……」
「救うさ。終りの無い約束からあいつを」
「やめてください! あれは、あれはかけがえの無い……友人なんです」
涙ながらに擦れた声で語るカミュ。
自分でもどうすればいいかわからない。
相手はもう顔がわからない、言葉も聞こえない。
そんな彼を救う方法があるのか?
「覚悟を決めろカミュ。もし本当にあいつを救う気があるのなら、今ここで
呪縛から解き放つべきだ」
クサナギはゴーストに近づいていく。
そして、ゴーストもまた、クサナギに近づいていく。
両者リング中央の所でお互いたちつくす。
「なぁ、ゴースト、アンタにとってこの約束はそこまでするほどのものだったのか?」
「……」
ゴーストはクサナギの質問に答える事はしない。
ただただ、焦点のあっていない目がクサナギを見つめる。
そして、クサナギはため息を一度つくと。
「アンタみたいな奴は嫌いじゃないぜ。……だけどな、そろそろいいだろ?
もうゆっくり休めよ」
そういって構えをとるクサナギ。
再び対峙する二人。
皆、この戦いに息を呑んで見守る。
そう、もはや賭けやショーなどではなく、純粋にこの戦いを見届けたいとここに居る
観客全員がそう思っていた。
そして、二人の拳が再度交わった。