硝子の聖剣
同じような書き出しで、同じような展開なのだろうか
硝子の聖剣
みなさま、よき倫理を! (The last message from twitter user [@Q_sai_], who killed herself.)
見崎聖
晶子
ハードボイルドもの
【広い意味の推理小説で、自作未発表のもの。縦書き・ 一段組みとし、四百字詰め原稿用紙で350~550枚(コピー不可)。ワープロ原稿の場合は必ず一行30字×40行で作成し、115~185枚。A4判のマス目のない紙に印字して下さい(いずれも超過・不足した場合は失格)】
一人称がまざるけれど、これは犯人当てとは全く関係ありません。
諜報部
年表
高校生、不登校、中退
ストーカー事件で従姉の警護。相手を失明させる。
アリウス学園に入学。アリウス学園探偵部。アリウス学園保健室登校
以下は、ある日記の抜粋である。
物語を始める前に、ちょっとした小話をはさみたい。
読者のみなさんに、ぼくがどんな人間か知ってもらうために、これから、あるひとつのエピソードを話そう。
これはもちろん、ただ単にひとつのエピソードであり、それでぼくのひととなりが完璧にわかる、なんていうつもりはないし、そんなことは不可能だろう。
しかし、エピソードによる説明というものを、ぼくは、辞書的な説明よりも好む。
(つまり、リンゴについて、「バラ科の落葉高木で、赤い実をつけ食用となる」と説明されるよりも、「食べるとおいしい。ニュートンはそれが落ちてくるのを見て万有引力を発見したという逸話が伝わっている」と書かれるほうを好む、ということだ)
さて、そのエピソードについてだが、前提として、ぼくは「優等生」として通っていたということを、押さえておいてほしい。
学級委員長的なポジションについていて、クラスがうるさくしていたら、「みんな静かにしてー」と言うような役割をになっていたような人物だったのだ。
おとなしくって、控えめで、成績が良く、知的で、体力的には大したことがなくて、スポーツが苦手で、本を読むのが好きで、先生の言うことをよく聞くよい子だった、と思われていたとして、それほど的外れでもあるまい。
それは、体育祭の準備期間のときだった。
応援団の先輩のひとりが、まあ、機嫌が悪かったのか、ぼくにもっと大きな声を出せ、と言ったのだ。
ぼくは、精いっぱいやってます、と答えた。
すると、口答えをするな、と言われた。
さて。
ぼくは、基本的に、他人がどんな思想を持っていようが、そんな考えや感情を持つなんてダメだ、とは言わない。
そんな思想を発表するな、とも言わない。それは、相手の自由だ。
なにより、そのような意見を聞くことは、相手を尊重することだと思うので、積極的に相手の意見を聞きたいと思っているからだ。
逆に、自分の意見を封殺されることに対しては、ぼくは非常な怒りを感じる。
名誉やほこりを傷つけられたと思うし、尊厳を侮辱されたと思う。
まともな人間同士のつきあいをされていない、と思う。
そういうわけで、口答えじゃありません、自分の意見を意見を言っただけです、あなたはそういうことを認めないんですか?
と言った。
すると、もうよく覚えていなのだが、なにやら大声でわめきだしたので、
人の意見を聞くことができない人間に、相手の意見を封じる権利なんてないと思うし、実際、本気で何かをしようと思ったら止めることはできないので、あなたはぼくの口を封じることなんてできない。
と、聞こえているのかどうかわからなかったが、それを大声で言った。
その先輩は、できるさ!
と言い放ち、ぼくの腹にパンチをめりこませてきた。
体験がある人はわかるかと思うが、実は、腹に対するパンチというのは、とても痛い。
どれくらい痛いかというと、しばらく動けないほど痛い。
腕をなぐられたり、足をけられたりするのとは全然違う。
そのあと、何かを言っていたようだが、覚えていない。
周りの人たちがざわつきだしたのと、応援団のみんなが遠巻きにしていたのは覚えている。
ぼくは、体をくの字に折り曲げていた。
そういうことがあったので、反省文を書かされることになった。
しかし、納得がいかなかったのは、ぼくも反省文を書かされる、という点だ。
別にこちらは手を出していないのに、反省文を書かされるというのは、おかしい、という話を、生徒指導部の先生とした。
椅子に座っている、めがねをかけたその先生は、喧嘩両成敗だ、と言った。
しかし、こちらは手を出していないので、それは喧嘩ではなく、一方的な暴力じゃあないでしょうか、他の生徒も見てますよ、とおだやかに反論した。
だが、喧嘩は喧嘩なのだ、と先生は言うのだった。ぼくは、どうしても納得できなかった。
どうしても納得できないので、反省文を書きたくありません、といったら、それは許さない、と言った。
どうしても?
どうしてもだ。
そういうやりとりは覚えている。
次の瞬間、ぼくはその先生の横っ面を思いっきり張り倒し(ただしメガネが壊れないように気を付けて)、あっけにとられている周りの人たちが、ぼくを止めるということを思い出す前に、その先生にみぞおちに、蹴りをくれてやった。
そして、一緒に来ていた、ぽかんという顔をしている、ぼくをなぐった先輩の腹にパンチを叩きこんだ。
しかし、ぼくは暴力には三倍返しが基本だと思っているので、そのまま、体を離して、あまりうまくないサッカーを思い出しながら(実はスポーツ全般が苦手なのだが)、先輩の股間にむけて、大きく振りかぶった蹴りを叩きこんだ。
本で読んだのだが、ある程度密着状態から撃たないと、うまくきまらないと書いてあったので、離れすぎないように金玉に蹴りをお見舞いするのは難しかった。
ぼくはあまり体力がないが、手加減しすぎても駄目だろうと思ったので、とりあえず、相手が死んでもいいという気持ち(喧嘩をするときはこの気持ちが大事だ)から、少し手加減を加えた気持ち、別にこいつが傷ついたっていいか、という気持ちで蹴りを放った。
そして、うずくまる先輩と、わめくその生徒指導の先生がこちらにつかみかかってくるのを見ながら、ぼくはそのときようやく、他の先生に取り押さえられ、さらにその逆上した生徒指導部の先生も他のだれかに動きを阻まれた。
おかげで、ぼくはその先生に暴力を振るわれることはなかった。
もし、暴力を振るわれていたら、ぼくはその先生をまた攻撃していただろう。
そのとき、だれかが言った言葉を覚えている。
先生のだれかだったと思うのだが、ぼくも興奮していて、正確には覚えていない。
どうしてこんなことをしたんだ、と。
だから、ぼくは答えた。
自分が反省文を書く納得できる理由がないのに、反省文を書かされなくてはならなかったので、反省文を書くのに納得できる十分な理由を作りました。これで心置きなく反省文が書けます。
繰り返すが、ぼくはいわば優等生であり、あまり喧嘩をするようには見えず、どちらかといえばガンジーみたいな人間だと思われていた。
おとなしく、成績優秀で、スポーツが苦手で、人に暴力をふるったりはしない人間。
しかし、それは、暴力をふるう理由がなかったからに過ぎない。
ぼくは、子どものころから背が小さかったし、背が小さいというのは、背が大きい人間とくらべて、なめられて、ちょっかいを出されたりする。
遊びとしてぱしっ、と叩かれたりなんてこと、背が高いやつはあまり経験がないんじゃないだろうか。
ぼくは、遊びであっても、自分を叩いた相手には叩き返したし、そういう風に「反撃する人間であること」をわからせることが、とても大事だと思っていたし、今でも思っている。
暴力も平等であるべきで、相手が自分の右の頬を叩いたときには、相手の右の頬を叩き返すべきだと、ぼくは思っている。
反撃、とは大事なことだ。
反撃すれば、相手が自分を変えることはできない。
勝てなくっても、負けない。
そういうわけだから、ぼくはガンジーみたいな人間だと思われていたけれど、実はマルコムXだったのだ。
それが中学校の二年生のときであり、ぼくはそのとき以来、クラスで「ちょっと怖い人」というポジションを獲得した。
……と思う。
いや、ぼくは「ちょっと怖い人」だと思っているのだが、実は「とんでもなくやばいやつ」とか「わけのわからないタイミングでキレて暴力をふるうやつ」だと思われていたのかもしれない。
他人の気持ちを正確に読み取れるわけではないので、ぼくにはそこのところはよくわからない。
ただ、いじめられるようになったわけではないし、クラス全員から無視されるようになったわけでもない。
結局、なぐったのは先輩と先生であり、同学年の人たちにとっては、少し身近ではない話だったのかもしれない。
あるいは、みんながそれなりに寛容で優しかったのかもしれない。
ぼくは、その事件があったあとも、「優等生」であった。
基本的に、先生の言うことはよく聞いたし(基本的に納得できることしか先生は言わなかったので従っていた)、成績もよかったし、真面目にものごとに取り組んでいた。
その事件の余波や、まわりのクラスメイトに与えた影響について、ぼくは知らない。よくわからない。
その事件については、反省文を書かされただけでなく、停学処分も受けた。
こういうことはもうしません、とは断固として言わなかったし、書かなかったので、停学の時間は伸びたが、最終的には学校側は、ぼくを受け入れた。
停学が終わったあと、いろいろ聞かれたが、それもすぐに終わった。
基本的に、先生をなぐったって本当とか、どうしてそんなことしたの、とかそういうことを聞かれただけだし、それにきちんと答えたら、それ以上、言うことは、ぼくにも、相手にも、何もないようだった。
勉強は別に問題なかった。すぐに授業についていけた。
当然だ。
ぼくはもともと成績がよかったし、中学校でやる問題の多くは、自力で本を読んで理解することができた。
どうしてもわからないところは、ネットで聞いたり、先生に聞いたりもできた。
だから、停学になっている間も、きちんと勉強していたのだ。
親はごちゃごちゃ言っていたが、しかし、そんなことはどうでもよかった。
大事なことは、自分の正義を貫くことだ。
義を見てせざるは勇無きなり。
ぼくにとっては、理不尽な理由で振るわれた暴力に反撃することは正しいことだった。
理不尽な理由で反省文を書かされるときには、それに全力であらがうことが正しいことだった。
ぼくは、相手が暴力を振るわないかぎり、こちらから振るうつもりはまったくなかった。
だが、反撃としての暴力は、これを支持する。
いわば、ガンジーのいう非暴力非服従ではなく、専守防衛、といったところだ。
これで、ぼくの性格が、少しはわかってもらえたことだろう、とぼくは信じる。
もちろん、ぼくの性格の、ある状況下での一面、ということだが。
しかし、この側面が、これからのお話において、ぼくの心理や信念や価値観の理解を、ある程度助けてくれるとぼくは考えているので、このエピソードを紹介したわけだし、これからの話を読むときに、どうかみなさん、このエピソードを覚えておいてもらいたい。
*
この話をどこから始めればいいのかといえば、たぶん、中学校三年生の合唱コンクールからはじめるのが適当だろう。
だいたい、こういうものがいつやるのかはわからないが、うちの学校では、一学期に行われていた。
そして、中学校の三年生の合唱コンクールで、ぼくは自分のクラスの指揮者に選ばれた。
ちなみに、ぼくに指揮経験などない。
要するに、これは、みんなの無責任体制の結果なのだ。
指揮者というものを、だれもやりたくなかった。
ふつう、(高校以上だと、専攻の専門分化が激しいので別かもしれないが)中学校なら、クラスには何人か、音楽に情熱をかたむけているやつがいて、そういう人たちが率先して指揮をやり、合唱コンクールをもりあげようぜ、ということをしてくれる。
しかし、指揮者を決める、そのときのクラスでは、おりあしく、指揮をやってくれそうな人が、熱を出して学校を休んでいた。
そして、吹奏楽部などに所属している、そういうことをやってくれるかもしれない人たちは、クラスにいることにはいたのだが、残念ながら、引っ込み思案というか、あまり率先して切り込んでいこうとはしない人たちだった。
そういうわけで、指揮者の希望については、まったくだれからも手があがらずに、沈黙の中にあった。
こういうときに、他の学校では、どのような対応を取るのか、ぼくは知らない。
先生が、音楽の才能のある人間を指名したりするのかもしれない。
しかし、ぼくのクラスでは、「推薦」を行った。
立候補者はいますか?
そんなセリフを、合唱コンクール指揮者、とチョークで書かれた黒板の前に立っている司会者(そのときの学級委員だ。ぼくではない)が聞いた。
沈黙。
下がる目線。
頭が下をむくみんな。
ぼくがそんなことを知っているのは、下を向くのがなんとなく負けな気がして、癪に障ったから、ずっと頭をあげていたからだ。
なにか、自分の限界を不当に下げている気がするから、頭を下げるのがいやだったのだ。
自分はこんなところで頭をさげる人間なのか?という思いがあったので、頭をあげつづけていて、その結果、ぼくはクラスを見渡すことができた。
そのとき、クラスのそれなりに中心にいる人物が、ぼくを指揮者に推薦した。
さきほど、先生と先輩をなぐった話をしたが、それでも、ぼくはそこまで人望をなくしていたわけではなかったし、真面目で責任感のある人間である、と周りから思われていたようなふしがある。
多少エキセントリックなことをしても、それでも、こういう面倒仕事を押し付けるには適任の人材というわけだ。
いや、これは少し、いやらしすぎる言い方かもしれない。
でも、今まで生きてきて、別に望んだわけでもないのに、委員長などに推薦されることが大変多かった自分としては、正直、そういう見方をしてしまう部分がなきにしもあらずだ。
ともかく、このままだと、推薦されているのが一人しかいないので、このままだとぼくに決まってしまう。
ぼくは、ぼくを推薦したその人物を逆推薦した。
人気もあるし、指揮の経験があるのかどうかはわからないが、それなりにやってくれそうな感じがするからだ。
みるからにほっとした感じの司会者が、決選投票をして、そして、ぼくは指揮者になった。
ぼくには、指揮者の才能がなかった。
最初に、ぼくの指揮を練習で見た人は、「ひどい」と思ったそうだ。
そこで、指揮者の経験がある人に放課後、教えてもらうことになった。
発表会当日まで、普通の合唱練習に加えて、放課後の練習。
だけど、なかなかうまくならなかった。
ぼくは、その練習が本当につらかった。
本当につらかった。
もう、耐えられなかった。
だから、本番をさぼった。
ぼくは、人のうわさにうとい。
というか、人のうわさというものに興味がないし、聞いたとしても、あまり信用しない。
だけど、それでも、まわりから、ぼくが無責任なやつだ、と思われていることくらいは、わかる。
なぜ、ぼくがうわさを信用しないのか?
ぼくは、昔、小学校のとき、ある女の子のことを好きなんでしょ?と同級生の女の子に言われたことがある。
そのぼくが思いを寄せているとうわさされている女の子は、ぼくと一度も同じクラスになったことがなかった。
小学校は、そんなに人数がいないので、六年生くらいにもなると、だいたい学年全員の名前がわかるので、その子の名前も知っていた。
しかし、ほとんどしゃべったことがないのだ。
片手で数えるくらい、という表現が、文字通りの意味で使えるくらいしかしゃべったことがないのだ。
そんな女の子のことを、好きだって?
そういううわさがあるって?
いったい、だれがそんなことを言ったのか知らないが、本当にびっくりした。
火のない所に煙は立たない、というが、どう考えても、その子とぼくの間に、「火」があったことなんてない。
それ以来、ぼくは、うわさというものを、まったく信用していない。
本当に、まったく、だ。
だれかがなになにらしいよ。
そんなことの、何を信じられるというのだろう。
しかし、現実には、そういうことを信じている人間も、何人かいるらしくて、それがなんとも残念である。
そういえば、入学当初のころ。
はじめての試験で、それなりにいい成績をおさめたあと――具体的にいうと、学年で十本の指に入ったあと――家で、「必勝」の鉢巻きをして、勉強している、といううわさが流れたことがあった。
同級生の女の子から、本当か、ということを聞かれて、爆笑しそうになったが、苦い笑いしかでなかった。
そんなことを言う人間の品性にも、嫌な笑いが出た。
そんなことを信じる人間の知性にも、嫌な笑いが出た。
馬鹿じゃないのか、こいつらは。
そう、思ったし、もしかしたら、そういう自分の中の嫌な気持ちにも、嫌な笑いが出たのかもしれない。
そういうわけで、苦い笑いをしながら、ぼくはその噂を否定した。
否定したけれど、そういう噂が出てくるくらいには、ぼくの第一印象は、真面目ながり勉くんらしい。
それでも、やっぱり先生や先輩をなぐって停学になったことのある人間が、合唱コンクールをさぼったくらいでびっくりされるというのは、なんだか自分には不思議な感じがする。
でも、ぼくの感性では不思議だ、変だ、おかしい、と思うことが、他の人の感性にとっては、別に不思議なことではなく、むしろ自然だ、ということは、ありうる話だ。
だって、ぼくの感性と、他人の感性は、違うのだから。
みんなから口をきいてもらえなくなるいじめ、は受けなかった。
そこまで露骨なことをしたら、何をされるかわかったもんじゃない、と思っていたのかもしれない。
ただ、遠巻きに彼らは眺めるだけである。
大衆。
従順な羊にも似たそれは、実のところ、豚に似ていた。
大衆は豚だ。
彼らはきっと、先生に命令されたら、自殺だってするに違いないし、まわりのみんなが崖から飛び降りたら、自分の自由意志を捨てて崖から飛び降りるだろう。
彼らは死んでいる。
心臓が動いているだけにすぎない。
だれからも特に話しかけられることがなくなっても、ぼくは問題なかった。
ぼくには、本があった。
そして、信仰があった。
この頃には、もう気づいていたことだったが、ぼくの家庭は、キリスト教系の新興宗教に入信していた。
ぼくも、洗礼を受けたが、ぼく自身の信仰は、家庭の求めるものとは違っていた。
しかし、その信仰は、日本の多数派の信仰(彼らはよくそれを「無宗教」と呼ぶが、実際には無宗教ではないようにぼくには見えた)とも違っていた。
ぼくは神さまを信じていた。
しかし、この世界を創った神さまは悪い神さまだと思っていた。
そして、最後に、よい神さまがやってきて、ぼくを、ぼくたちを、助けてくれるのだ、と思っていた。
そのあと、ぼくは不登校になった。
不登校になったことについて、遠い他人は、遠慮するように何も言わなかった。
近しい家族は、理由を聞いてきた。
ぼくも、理由を知りたかった。
しかし、わからなかった。
ただ、体が、行くことを拒否した。
そういう感じだった。
母のすすめで、数年後に、アリウス学園高等部にぼくは再進学することになる。
あそこは、キリスト教系宗教団体が設立母体ではあるものの、母がかつて属していた組織とは別だ。
むしろ、敵対関係にさえあったのではないかと推測する。
それでも、私立なのに学費が無料であるというのは、当時話題になったし、宗教団体には予言者がいて、それで投資などで成功しているのだ、という話もあった。
いや、噂なんてものではなくなってきていた。
1990年あたりから、天変地異を予言しだしてからというもの、さまざまな予言をしている。
天変地異に関しては、100パーセント当てている。
人災に関しては、そうでもない。
それはおそらく、対策を取るからだろう。
噂では、オウム真理教がサリンをまく前に一斉検挙されたのは、予言のおかげだという噂があった。
ぼくはそういう奇跡みたいなものは信じていないが、たとえ本当であっても、あんなことが起こらなくてよかったと思う。
これから書くのは、ぼくが、不登校時代、まだアリウス学園に入る前に、従姉のボディーガードをしていた時の話だ。
ある日、母から、言われた。
母の姉の娘が(つまり従姉が)、ストーカーにまとわりつかれているようだけれど、ぼくにボディーガードをしてもらえないか、と。
「ひさしぶり、だね」
従姉が、ぼくに声をかけてきた。
「おひさしぶり、です」
「やだな、敬語なんていいのに」
からから、と笑って、従姉は手を振る。
ぼくと違って、従姉は明るい。
でも、だからといって、なにもかもにも、のんびりと対応できるわけでもない。
特に、彼女がストーカーにつきまとわれている、というようなときには。
「なんなんだろうね、もう」
うんざり、といった顔で、彼女は言った。
ストーカー被害で、人が殺されました、というニュースを見たことがある。
それは、ごくごく一部の話を、おおげさに言っているだけなんじゃないか、と思うけれど、それでも、視聴者に恐怖を与えている。