ハードボイルドキリスト教徒異端系
これは、同じようなアイデアで、少し違う話を思いついた、その投げっぱなしのプロット。
総合小説
三人称で、くせのある語り手
脚注を入れる。きちんとわかりやすく。
私小説的な要素もいれるが、政治的な要素も入れる。全部入れる。全部。
日記:ストーカーと戦う話。私小説的な要素。
三人称:政治的な話。デモとか。日本政府からのスパイを見つける話。
おまけ的な最後の話:足羽が女の子だった可能性がある、と匂わせる話、あるいは九頭竜の過去、あるいは未来の話
アリウス学園
私立の単科大学として設立。設立者は宗教法人「予言者の声」。
外国語学部を核として、数学科と哲学科を持つ教養学部が最近できた。エスペラント語が必修。
学費が無料の私立大学という異色な大学。
「予言者の声」は投資によって莫大な利益を得たというが、その秘密は、未来を見通せる予言者の力にあるという。
定期的に予言者の声を伝え、天変地異などを予言してきた。
労働党
「予言者の声」を支持母体とするが、宗教色は一切ない政党。
左派政党。自民党に対する対抗政党として頭角を現しつつある。
足羽:諜報部員。ハードボイルド?なキリスト教徒。繊細。真面目。一匹狼。元新聞部。真面目が降り切れてしまって、狂信者の域に達している。
基本的に菜食主義者、自分の意見を持っているし、言うし、曲げないし。自分の筋を通すタイプ。組織に属さないというよりは属せない。
高校を二年間、不登校のち中退、アリウス学園高等部へと進学。現在高校二年生だが、自動車免許を持っている。記憶の宮殿を使った記憶術の使い手。
タロット占いが趣味。サイコロを振ることもある。
部長:「ぼく」を一人称とする、足羽の上司。
九頭竜:学園長の娘。「ですわ」なんて言っちゃう。部長と同一人物。未来から来た。
信濃:足羽の中学校のときの同級生。性同一性障害。男の体に女の心。中学校のときに、足羽が一緒に女子の制服を着てくれたことを現在も感謝している。風紀部。
小矢部:喫茶部にいる。図書室にもいる。アルコールを出したりする。「ぼく」という。
四万十:風紀部にいる。武闘派。「俺」
従姉:ストーカー被害に悩まされる女の子。どちらかといえば姉御肌。
ストーカー:男
1999年 不登校になっていた頃。従姉のボディーガードをする
2000年 アリウス学園に入学。新聞部での事件
2001年8月
「架空爆弾」の冒頭は、ハードボイルドな主人公の経歴にふさわしい。
序
赤は血の色、共産主義の色。
黒はアナーキズム。
緑はエコロジー、地球の緑。
過去、あるいは現在において、オルタナティヴ――代替的な思想として、メインストリーム、主流派の思想に対峙してきた、あるいは補完してきた思想のシンボルカラー。
赤、黒、緑。
これが、かれらたちの学校のスクールカラーだ。
このアリウス学園が、現代日本の代替教育の砦のひとつであると主張しているためではないか、そういう人もいる。
しかし、実際、赤と黒と緑が、この学校のスクールカラーなのは、そういう理由ではないのかもしれない。
でも、とにかく、赤と黒と緑は、この学校でよく使われている。
中等部から高等部、はてはメインの大学においてまで、制服があるこの学校の制服も、その例にもれない。
赤いブレザー、黒いシャツやブラウスやズボン。スカートはない。
ネクタイやリボンがないかわりに、着用義務のないボロタイが緑色だ。
そろそろ、登場人物紹介をするべきかもしれない。
この物語の主人公は、自分がどこ出身で、何歳で、いったいどういう経歴なのかといった、そういう個人情報は、本当は一切しゃべりたくない。
なんでいやなのかと聞かれても、よくわからない。
君は、ゴキブリがなんできらいなのか聞かれて、答えられるかい?
もし答えられないのなら、その気持ちが、彼の、つまり少年の、この物語の主人公の気持ちだ。
彼は、昔から、国語や数学や英語は好きだったが、理科や社会はあまり好きじゃなかった。
抽象的なものが好みで、具体的なものは好みじゃなかった。
のかもしれない。たぶん。
彼は、そういう個人的な話をするのは好まない。
しかし、好きな話もある。神さまの話とか、哲学的な話とか、何が好きで何が嫌いで、なにに喜び、なにに悲しむのか。
そういう話だ。
議論をしたいわけじゃない。理性や正論は暴力的だから、議論はあまりしたくない。
対話は好きだ。ただお互いの気持ちを理解するだけだから。
たとえば、ジャーナリストが危険なところに行ったときに、国に迷惑をかけるなということを言うのは、非倫理的であり、不道徳であると彼は考えるのだが、そのことについてなぜそう考えるのか、しっかりとしゃべるのは好きだ。
そういう話がしたい。
そういう話が、この物語の主人公の好きな話だ。
さて、このお話は、彼がアリウス学園で経験した、ある事件の顛末だ。
別にそこまで抽象度の高い話にはならないと思うが、もしかしたら、そこまで具体性のある思い出話というわけにはいかないかもしれない。これから書くのだから、そんなことはわからない。
世界には、この物語の語り手にとって、きらいなことが多すぎる。
世界には、語り手にとっての悪が多すぎるといっても、そんなに間違いではないかもしれない。
そして、本当は、語り手は、語り手にとってきらいなすべてのことを、この世界から一掃したいのだけれど、そこまでの力が語り手にはない。
世界から悪をなくしたいのに、悪をなくしきることができないと言ってもいいかもしれない。
そもそも、そんなことが道徳的に見て、正しいことなのかどうかもわからない。
ただ、この話は、要するに、悪を滅ぼそうとする少年のお話だ。
第一部「政治の季節」
赤は血の色、共産主義の色。
黒はアナーキズム。
緑はエコロジー、地球の緑。
過去、あるいは現在において、オルタナティヴ――代替的な思想として、メインストリーム、主流派の思想に対峙してきた、あるいは補完してきた思想のシンボルカラー。
赤、黒、緑。
これが、かれらたちの学校のスクールカラーだ。
このアリウス学園が、現代日本の代替教育の砦のひとつであると主張しているためではないか、そういう人もいる。
しかし、実際、赤と黒と緑が、この学校のスクールカラーなのは、そういう理由ではないのかもしれない。
でも、とにかく、赤と黒と緑は、この学校でよく使われている。
中等部から高等部、はてはメインの大学においてまで、制服があるこの学校の制服も、その例にもれない。
赤いブレザー、黒いシャツやブラウスやズボン。スカートはない。
ネクタイやリボンがないかわりに、着用義務のないボロタイが緑色だ。
そろそろ、登場人物紹介をするべきかもしれない。
この物語の主人公は、自分がどこ出身で、何歳で、いったいどういう経歴なのかといった、そういう個人情報は、本当は一切しゃべりたくない。
なんでいやなのかと聞かれても、よくわからない。
君は、ゴキブリがなんできらいなのか聞かれて、答えられるかい?
もし答えられないのなら、その気持ちが、彼の、つまり少年の、この物語の主人公の気持ちだ。
彼は、昔から、国語や数学や英語は好きだったが、理科や社会はあまり好きじゃなかった。
抽象的なものが好みで、具体的なものは好みじゃなかった。
のかもしれない。たぶん。
彼は、そういう個人的な話をするのは好まない。
しかし、好きな話もある。神さまの話とか、哲学的な話とか、何が好きで何が嫌いで、なにに喜び、なにに悲しむのか。
そういう話だ。
議論をしたいわけじゃない。理性や正論は暴力的だから、議論はあまりしたくない。
対話は好きだ。ただお互いの気持ちを理解するだけだから。
たとえば、ジャーナリストが危険なところに行ったときに、国に迷惑をかけるなということを言うのは、非倫理的であり、不道徳であると彼は考えるのだが、そのことについてなぜそう考えるのか、しっかりとしゃべるのは好きだ。
そういう話がしたい。
そういう話が、この物語の主人公の好きな話だ。
さて、このお話は、彼がアリウス学園で経験した、ある事件の顛末だ。
別にそこまで抽象度の高い話にはならないと思うが、もしかしたら、そこまで具体性のある思い出話というわけにはいかないかもしれない。これから書くのだから、そんなことはわからない。
世界には、この物語の語り手にとって、きらいなことが多すぎる。
世界には、語り手にとっての悪が多すぎるといっても、そんなに間違いではないかもしれない。
そして、本当は、語り手は、語り手にとってきらいなすべてのことを、この世界から一掃したいのだけれど、そこまでの力が語り手にはない。
世界から悪をなくしたいのに、悪をなくしきることができないと言ってもいいかもしれない。
そもそも、そんなことが道徳的に見て、正しいことなのかどうかもわからない。
ただ、この話は、要するに、悪を滅ぼそうとする少年のお話だ。
アリウス学園が、黒と赤と緑のイメージカラーの学校だということは、もう話したっけ。
この学園には、部活があって、ぼくは諜報部に属している。
部活といっても、ふつうの部活じゃない。
アリウス学園理事会直轄の組織で、この学園で起こる不祥事を追及する役目を負っている。
とはいえ、秘匿部署なので、ぼくは「なんでも部」という部を隠れ蓑にして、ひっそりと学園生活をいとなんでいた。
ちなみに、部員は、ぼく一名だ。
正確にいえば、部長が一人いるが、顔を見たことがないし、本名も知らない。
厳密にいえば、本当に理事会直轄なのかもよくわからない。
だが、それはぼくにとってはどうでもいい。
たとえばいじめ事件などがあって、それを解決することができたのなら、別に諜報部が、どこに属していようがかまわない。
ぼくには、死んだ姉が二人いる。
流産で死んだ姉と、自殺して死んだ姉だ。
流産。原罪。
お姉ちゃんが死んだ日は、本当にふつうの日だった。
寝てるように見えた。
ぼくのベッドで、おだやかに寝ているように見えた。
そういうことはよくあることだったので、ぼくは気にせずに、学校から帰って、かばんを整理して、そして宿題でもしようかと思って、しばらくぼうっとして、それからふと、何かひらめいたかのように、お姉ちゃんに声をかけた。
そして、もちろん、お姉ちゃんは返事をしなかった。
何度呼んでも返事がないものだから、ぼくはお姉ちゃんに手を触れた。
そこから先は、話したくない。
お姉ちゃんは頭がよかった。
頭がよかったから、きっと自殺したのだと思う。
考えすぎたのだ、きっと。
お母さんは信仰を捨てた。
別に自殺者が地獄に落ちるという話をされたからではない。
夜、目が覚めると、お姉ちゃんから電話が来た。
起きたら、夢だったのかと思うけど、ぼくは本当だと思う。
「ヘレン・バーンズになりたいのに、セント・ジョン・リヴァースに似ている気がする」
「常識? ああ、そいつなら高校生のときに殺したよ。的な人間になりたかったんだ」
「無理が通れば道理がひっこむんだよ」
「ということは、道理が通れば、無理がひっこむ、というわけですね」
「まるで、ガラスで、できた、つるぎみたい」
この前、ぼくが入院している精神科の解放病棟、というか、一階建てのちょっとした建造物の庭に、客がやってきた。
「やあ。元気してる?」
「君は?」
「僕は元気さ」
主人公(足羽)の経歴
クリスチャンとして生まれる。小学校から中学校にかけて、宗教に興味を持ち、自分なりにいろいろ調べ、自分なりの信仰を形作る。
中学校を不登校になる。そのまま卒業。不登校の原因は自分でもよくわからない。人生に悩んでいた。
高校浪人中、ボディーガードとして、従姉を護衛。ストーカーを失明させる。
学校のスキャンダル
精神病院の開放病棟に収
以下は、ある日記の抜粋である。
物語を始める前に、ちょっとした小話をはさみたい。
読者のみなさんに、ぼくがどんな人間か知ってもらうために、これから、あるひとつのエピソードを話そう。
これはもちろん、ただ単にひとつのエピソードであり、それでぼくのひととなりが完璧にわかる、なんていうつもりはないし、そんなことは不可能だろう。
しかし、エピソードによる説明というものを、ぼくは、辞書的な説明よりも好む。
(つまり、リンゴについて、「バラ科の落葉高木で、赤い実をつけ食用となる」と説明されるよりも、「食べるとおいしい。ニュートンはそれが落ちてくるのを見て万有引力を発見したという逸話が伝わっている」と書かれるほうを好む、ということだ)
さて、そのエピソードについてだが、前提として、ぼくは「優等生」として通っていたということを、押さえておいてほしい。
学級委員長的なポジションについていて、クラスがうるさくしていたら、「みんな静かにしてー」と言うような役割をになっていたような人物だったのだ。
おとなしくって、控えめで、成績が良く、知的で、体力的には大したことがなくて、スポーツが苦手で、本を読むのが好きで、先生の言うことをよく聞くよい子だった、と思われていたとして、それほど的外れでもあるまい。
それは、体育祭の準備期間のときだった。
応援団の先輩のひとりが、まあ、機嫌が悪かったのか、ぼくにもっと大きな声を出せ、と言ったのだ。
ぼくは、精いっぱいやってます、と答えた。
すると、口答えをするな、と言われた。
さて。
ぼくは、基本的に、他人がどんな思想を持っていようが、そんな考えや感情を持つなんてダメだ、とは言わない。
そんな思想を発表するな、とも言わない。それは、相手の自由だ。
なにより、そのような意見を聞くことは、相手を尊重することだと思うので、積極的に相手の意見を聞きたいと思っているからだ。
逆に、自分の意見を封殺されることに対しては、ぼくは非常な怒りを感じる。
名誉やほこりを傷つけられたと思うし、尊厳を侮辱されたと思う。
まともな人間同士のつきあいをされていない、と思う。
そういうわけで、口答えじゃありません、自分の意見を意見を言っただけです、あなたはそういうことを認めないんですか?
と言った。
すると、もうよく覚えていなのだが、なにやら大声でわめきだしたので、
人の意見を聞くことができない人間に、相手の意見を封じる権利なんてないと思うし、実際、本気で何かをしようと思ったら止めることはできないので、あなたはぼくの口を封じることなんてできない。
と、聞こえているのかどうかわからなかったが、それを大声で言った。
その先輩は、できるさ!
と言い放ち、ぼくの腹にパンチをめりこませてきた。
体験がある人はわかるかと思うが、実は、腹に対するパンチというのは、とても痛い。
どれくらい痛いかというと、しばらく動けないほど痛い。
腕をなぐられたり、足をけられたりするのとは全然違う。
そのあと、何かを言っていたようだが、覚えていない。
周りの人たちがざわつきだしたのと、応援団のみんなが遠巻きにしていたのは覚えている。
ぼくは、体をくの字に折り曲げていた。
そういうことがあったので、反省文を書かされることになった。
しかし、納得がいかなかったのは、ぼくも反省文を書かされる、という点だ。
別にこちらは手を出していないのに、反省文を書かされるというのは、おかしい、という話を、生徒指導部の先生とした。
椅子に座っている、めがねをかけたその先生は、喧嘩両成敗だ、と言った。
しかし、こちらは手を出していないので、それは喧嘩ではなく、一方的な暴力じゃあないでしょうか、他の生徒も見てますよ、とおだやかに反論した。
だが、喧嘩は喧嘩なのだ、と先生は言うのだった。ぼくは、どうしても納得できなかった。
どうしても納得できないので、反省文を書きたくありません、といったら、それは許さない、と言った。
どうしても?
どうしてもだ。
そういうやりとりは覚えている。
次の瞬間、ぼくはその先生の横っ面を思いっきり張り倒し(ただしメガネが壊れないように気を付けて)、あっけにとられている周りの人たちが、ぼくを止めるということを思い出す前に、その先生にみぞおちに、蹴りをくれてやった。
そして、一緒に来ていた、ぽかんという顔をしている、ぼくをなぐった先輩の腹にパンチを叩きこんだ。
しかし、ぼくは暴力には三倍返しが基本だと思っているので、そのまま、体を離して、あまりうまくないサッカーを思い出しながら(実はスポーツ全般が苦手なのだが)、先輩の股間にむけて、大きく振りかぶった蹴りを叩きこんだ。
本で読んだのだが、ある程度密着状態から撃たないと、うまくきまらないと書いてあったので、離れすぎないように金玉に蹴りをお見舞いするのは難しかった。
ぼくはあまり体力がないが、手加減しすぎても駄目だろうと思ったので、とりあえず、相手が死んでもいいという気持ち(喧嘩をするときはこの気持ちが大事だ)から、少し手加減を加えた気持ち、別にこいつが傷ついたっていいか、という気持ちで蹴りを放った。
そして、うずくまる先輩と、わめくその生徒指導の先生がこちらにつかみかかってくるのを見ながら、ぼくはそのときようやく、他の先生に取り押さえられ、さらにその逆上した生徒指導部の先生も他のだれかに動きを阻まれた。
おかげで、ぼくはその先生に暴力を振るわれることはなかった。
もし、暴力を振るわれていたら、ぼくはその先生をまた攻撃していただろう。
そのとき、だれかが言った言葉を覚えている。
先生のだれかだったと思うのだが、ぼくも興奮していて、正確には覚えていない。
どうしてこんなことをしたんだ、と。
だから、ぼくは答えた。
自分が反省文を書く納得できる理由がないのに、反省文を書かされなくてはならなかったので、反省文を書くのに納得できる十分な理由を作りました。これで心置きなく反省文が書けます。
繰り返すが、ぼくはいわば優等生であり、あまり喧嘩をするようには見えず、どちらかといえばガンジーみたいな人間だと思われていた。
おとなしく、成績優秀で、スポーツが苦手で、人に暴力をふるったりはしない人間。
しかし、それは、暴力をふるう理由がなかったからに過ぎない。
ぼくは、子どものころから背が小さかったし、背が小さいというのは、背が大きい人間とくらべて、なめられて、ちょっかいを出されたりする。
遊びとしてぱしっ、と叩かれたりなんてこと、背が高いやつはあまり経験がないんじゃないだろうか。
ぼくは、遊びであっても、自分を叩いた相手には叩き返したし、そういう風に「反撃する人間であること」をわからせることが、とても大事だと思っていたし、今でも思っている。
暴力も平等であるべきで、相手が自分の右の頬を叩いたときには、相手の右の頬を叩き返すべきだと、ぼくは思っている。
反撃、とは大事なことだ。
反撃すれば、相手が自分を変えることはできない。
勝てなくっても、負けない。
そういうわけだから、ぼくはガンジーみたいな人間だと思われていたけれど、実はマルコムXだったのだ。
それが中学校の二年生のときであり、ぼくはそのとき以来、クラスで「ちょっと怖い人」というポジションを獲得した。
……と思う。
いや、ぼくは「ちょっと怖い人」だと思っているのだが、実は「とんでもなくやばいやつ」とか「わけのわからないタイミングでキレて暴力をふるうやつ」だと思われていたのかもしれない。
他人の気持ちを正確に読み取れるわけではないので、ぼくにはそこのところはよくわからない。
ただ、いじめられるようになったわけではないし、クラス全員から無視されるようになったわけでもない。
結局、なぐったのは先輩と先生であり、同学年の人たちにとっては、少し身近ではない話だったのかもしれない。
あるいは、みんながそれなりに寛容で優しかったのかもしれない。
ぼくは、その事件があったあとも、「優等生」であった。
基本的に、先生の言うことはよく聞いたし(基本的に納得できることしか先生は言わなかったので従っていた)、成績もよかったし、真面目にものごとに取り組んでいた。
その事件の余波や、まわりのクラスメイトに与えた影響について、ぼくは知らない。よくわからない。
その事件については、反省文を書かされただけでなく、停学処分も受けた。
こういうことはもうしません、とは断固として言わなかったし、書かなかったので、停学の時間は伸びたが、最終的には学校側は、ぼくを受け入れた。
停学が終わったあと、いろいろ聞かれたが、それもすぐに終わった。
基本的に、先生をなぐったって本当とか、どうしてそんなことしたの、とかそういうことを聞かれただけだし、それにきちんと答えたら、それ以上、言うことは、ぼくにも、相手にも、何もないようだった。
勉強は別に問題なかった。すぐに授業についていけた。
当然だ。
ぼくはもともと成績がよかったし、中学校でやる問題の多くは、自力で本を読んで理解することができた。
どうしてもわからないところは、ネットで聞いたり、先生に聞いたりもできた。
だから、停学になっている間も、きちんと勉強していたのだ。
親はごちゃごちゃ言っていたが、しかし、そんなことはどうでもよかった。
大事なことは、自分の正義を貫くことだ。
義を見てせざるは勇無きなり。
ぼくにとっては、理不尽な理由で振るわれた暴力に反撃することは正しいことだった。
理不尽な理由で反省文を書かされるときには、それに全力であらがうことが正しいことだった。
ぼくは、相手が暴力を振るわないかぎり、こちらから振るうつもりはまったくなかった。
だが、反撃としての暴力は、これを支持する。
いわば、ガンジーのいう非暴力非服従ではなく、専守防衛、といったところだ。
これで、ぼくの性格が、少しはわかってもらえたことだろう、とぼくは信じる。
もちろん、ぼくの性格の、ある状況下での一面、ということだが。
しかし、この側面が、これからのお話において、ぼくの心理や信念や価値観の理解を、ある程度助けてくれるとぼくは考えているので、このエピソードを紹介したわけだし、これからの話を読むときに、どうかみなさん、このエピソードを覚えておいてもらいたい。
*
この話をどこから始めればいいのかといえば、たぶん、中学校三年生の合唱コンクールからはじめるのが適当だろう。
だいたい、こういうものがいつやるのかはわからないが、うちの学校では、一学期に行われていた。
そして、中学校の三年生の合唱コンクールで、ぼくは自分のクラスの指揮者に選ばれた。
ちなみに、ぼくに指揮経験などない。
要するに、これは、みんなの無責任体制の結果なのだ。
指揮者というものを、だれもやりたくなかった。
ふつう、(高校以上だと、専攻の専門分化が激しいので別かもしれないが)中学校なら、クラスには何人か、音楽に情熱をかたむけているやつがいて、そういう人たちが率先して指揮をやり、合唱コンクールをもりあげようぜ、ということをしてくれる。
しかし、指揮者を決める、そのときのクラスでは、おりあしく、指揮をやってくれそうな人が、熱を出して学校を休んでいた。
そして、吹奏楽部などに所属している、そういうことをやってくれるかもしれない人たちは、クラスにいることにはいたのだが、残念ながら、引っ込み思案というか、あまり率先して切り込んでいこうとはしない人たちだった。
そういうわけで、指揮者の希望については、まったくだれからも手があがらずに、沈黙の中にあった。
こういうときに、他の学校では、どのような対応を取るのか、ぼくは知らない。
先生が、音楽の才能のある人間を指名したりするのかもしれない。
しかし、ぼくのクラスでは、「推薦」を行った。
立候補者はいますか?
そんなセリフを、合唱コンクール指揮者、とチョークで書かれた黒板の前に立っている司会者(そのときの学級委員だ。ぼくではない)が聞いた。
沈黙。
下がる目線。
頭が下をむくみんな。
ぼくがそんなことを知っているのは、下を向くのがなんとなく負けな気がして、癪に障ったから、ずっと頭をあげていたからだ。
なにか、自分の限界を不当に下げている気がするから、頭を下げるのがいやだったのだ。
自分はこんなところで頭をさげる人間なのか?という思いがあったので、頭をあげつづけていて、その結果、ぼくはクラスを見渡すことができた。
そのとき、クラスのそれなりに中心にいる人物が、ぼくを指揮者に推薦した。
さきほど、先生と先輩をなぐった話をしたが、それでも、ぼくはそこまで人望をなくしていたわけではなかったし、真面目で責任感のある人間である、と周りから思われていたようなふしがある。
多少エキセントリックなことをしても、それでも、こういう面倒仕事を押し付けるには適任の人材というわけだ。
いや、これは少し、いやらしすぎる言い方かもしれない。
でも、今まで生きてきて、別に望んだわけでもないのに、委員長などに推薦されることが大変多かった自分としては、正直、そういう見方をしてしまう部分がなきにしもあらずだ。
ともかく、このままだと、推薦されているのが一人しかいないので、このままだとぼくに決まってしまう。
ぼくは、ぼくを推薦したその人物を逆推薦した。
人気もあるし、指揮の経験があるのかどうかはわからないが、それなりにやってくれそうな感じがするからだ。
みるからにほっとした感じの司会者が、決選投票をして、そして、ぼくは指揮者になった。
ぼくには、指揮者の才能がなかった。
最初に、ぼくの指揮を練習で見た人は、「ひどい」と思ったそうだ。
そこで、指揮者の経験がある人に放課後、教えてもらうことになった。
発表会当日まで、普通の合唱練習に加えて、放課後の練習。
だけど、なかなかうまくならなかった。
ぼくは、その練習が本当につらかった。
本当につらかった。
もう、耐えられなかった。
だから、本番をさぼった。
ぼくは、人のうわさにうとい。
というか、人のうわさというものに興味がないし、聞いたとしても、あまり信用しない。
だけど、それでも、まわりから、ぼくが無責任なやつだ、と思われていることくらいは、わかる。
なぜ、ぼくがうわさを信用しないのか?
ぼくは、昔、小学校のとき、ある女の子のことを好きなんでしょ?と同級生の女の子に言われたことがある。
そのぼくが思いを寄せているとうわさされている女の子は、ぼくと一度も同じクラスになったことがなかった。
小学校は、そんなに人数がいないので、六年生くらいにもなると、だいたい学年全員の名前がわかるので、その子の名前も知っていた。
しかし、ほとんどしゃべったことがないのだ。
片手で数えるくらい、という表現が、文字通りの意味で使えるくらいしかしゃべったことがないのだ。
そんな女の子のことを、好きだって?
そういううわさがあるって?
いったい、だれがそんなことを言ったのか知らないが、本当にびっくりした。
火のない所に煙は立たない、というが、どう考えても、その子とぼくの間に、「火」があったことなんてない。
それ以来、ぼくは、うわさというものを、まったく信用していない。
本当に、まったく、だ。
だれかがなになにらしいよ。
そんなことの、何を信じられるというのだろう。
しかし、現実には、そういうことを信じている人間も、何人かいるらしくて、それがなんとも残念である。
そういえば、入学当初のころ。
はじめての試験で、それなりにいい成績をおさめたあと――具体的にいうと、学年で十本の指に入ったあと――家で、「必勝」の鉢巻きをして、勉強している、といううわさが流れたことがあった。
同級生の女の子から、本当か、ということを聞かれて、爆笑しそうになったが、苦い笑いしかでなかった。
そんなことを言う人間の品性にも、嫌な笑いが出た。
そんなことを信じる人間の知性にも、嫌な笑いが出た。
馬鹿じゃないのか、こいつらは。
そう、思ったし、もしかしたら、そういう自分の中の嫌な気持ちにも、嫌な笑いが出たのかもしれない。
そういうわけで、苦い笑いをしながら、ぼくはその噂を否定した。
否定したけれど、そういう噂が出てくるくらいには、ぼくの第一印象は、真面目ながり勉くんらしい。
それでも、やっぱり先生や先輩をなぐって停学になったことのある人間が、合唱コンクールをさぼったくらいでびっくりされるというのは、なんだか自分には不思議な感じがする。
でも、ぼくの感性では不思議だ、変だ、おかしい、と思うことが、他の人の感性にとっては、別に不思議なことではなく、むしろ自然だ、ということは、ありうる話だ。
だって、ぼくの感性と、他人の感性は、違うのだから。
みんなから口をきいてもらえなくなるいじめ、は受けなかった。
そこまで露骨なことをしたら、何をされるかわかったもんじゃない、と思っていたのかもしれない。
ただ、遠巻きに彼らは眺めるだけである。
大衆。
従順な羊にも似たそれは、実のところ、豚に似ていた。
大衆は豚だ。
彼らはきっと、先生に命令されたら、自殺だってするに違いないし、まわりのみんなが崖から飛び降りたら、自分の自由意志を捨てて崖から飛び降りるだろう。
彼らは死んでいる。
心臓が動いているだけにすぎない。
だれからも特に話しかけられることがなくなっても、ぼくは問題なかった。
ぼくには、本があった。
そして、信仰があった。
この頃には、もう気づいていたことだったが、ぼくの家庭は、キリスト教系の新興宗教に入信していた。
ぼくも、洗礼を受けたが、ぼく自身の信仰は、家庭の求めるものとは違っていた。
しかし、その信仰は、日本の多数派の信仰(彼らはよくそれを「無宗教」と呼ぶが、実際には無宗教ではないようにぼくには見えた)とも違っていた。
ぼくは神さまを信じていた。
しかし、この世界を創った神さまは悪い神さまだと思っていた。
そして、最後に、よい神さまがやってきて、ぼくを、ぼくたちを、助けてくれるのだ、と思っていた。
そのあと、ぼくは不登校になった。
不登校になったことについて、遠い他人は、遠慮するように何も言わなかった。
近しい家族は、理由を聞いてきた。
ぼくも、理由を知りたかった。
しかし、わからなかった。
ただ、体が、行くことを拒否した。
そういう感じだった。
母のすすめで、数年後に、アリウス学園高等部にぼくは再進学することになる。
あそこは、キリスト教系宗教団体が設立母体ではあるものの、母がかつて属していた組織とは別だ。
むしろ、敵対関係にさえあったのではないかと推測する。
それでも、私立なのに学費が無料であるというのは、当時話題になったし、宗教団体には予言者がいて、それで投資などで成功しているのだ、という話もあった。
いや、噂なんてものではなくなってきていた。
1990年あたりから、天変地異を予言しだしてからというもの、さまざまな予言をしている。
天変地異に関しては、100パーセント当てている。
人災に関しては、そうでもない。
それはおそらく、対策を取るからだろう。
噂では、オウム真理教がサリンをまく前に一斉検挙されたのは、予言のおかげだという噂があった。
ぼくはそういう奇跡みたいなものは信じていないが、たとえ本当であっても、あんなことが起こらなくてよかったと思う。
これから書くのは、ぼくが、不登校時代、まだアリウス学園に入る前に、従姉のボディーガードをしていた時の話だ。
ある日、母から、言われた。
母の姉の娘が(つまり従姉が)、ストーカーにまとわりつかれているようだけれど、ぼくにボディーガードをしてもらえないか、と。
「ひさしぶり、だね」
従姉が、ぼくに声をかけてきた。
「おひさしぶり、です」
「やだな、敬語なんていいのに」
からから、と笑って、従姉は手を振る。
ぼくと違って、従姉は明るい。
でも、だからといって、なにもかもにも、のんびりと対応できるわけでもない。
特に、彼女がストーカーにつきまとわれている、というようなときには。
「なんなんだろうね、もう」
うんざり、といった顔で、彼女は言った。
これは、おそらく書き終えることができないので、このプロットの鎮魂のためにアップロードする。