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1.添い寝倶楽部にて


1.添い寝倶楽部にて



 ぼくがこの八反丸学園に入ったのは、まったくのところ、自由意志といっていい。

 それは、この社会運動はなやかなるご時世で、学校が闘争の余波で閉鎖の憂き目にあって、ここに疎開してきた、というパターンではなく、自発的に、ここの教育方針に興味をひかれて、やってきた、ということだ。

 ある種のオルタナティブを求める人たちにとって、ここは一種のアルカディアである。

 いや、ここが学業を修める場所であるということからすると、アルカディアではなく、アカデメイアとも形容するのが適切かもしれない。アルカディア的アカデメイア。理想郷的な学園。

 わからない人のために解説をしておくと、アルカディアは理想郷という意味で使われることが多いギリシア語起源の単語だ。

 そして、アカデメイアはプラトンが開いた学園で、東ローマ皇帝ユスティニアヌスに閉鎖されるまで栄えていて、アカデミズムとか、アカデミアなどの語源にもなっている。

 ちなみに、西洋哲学史では、ソクラテス、その弟子プラトン、そのまた弟子のアリストテレスという三人が、一番最初に教えられることが多いが(ソクラテス以前哲学という名前もあるくらいソクラテスはエポックメイキングなのだ)、アリストテレスもプラトンのようにリュケイオンという学園をたてて、これがフランスの高等学院であるリセの語源になっているらしい。

 でも、ぼくは、奴隷を使っていたということで、ギリシア文化を尊敬することはできない。

 奴隷を使わないと存続できない文明に、存在価値はあるだろうか? ぼくの答えは、「いいえ」だ。

 ともかく、ぼくは自分の意志でこの学園に入って来て、「添い寝倶楽部」という部活に入ることになった。

 説明しよう。

 添い寝倶楽部とは、独り身が寂しいだれかのために、部員が添い寝をすることで、心をいやすという倶楽部だ。

 性行為は禁止されている。

 そのため、それを防止するために、なんらかの措置が取られることもある。

 部長は、八反丸葉月。

 この学園の設立者の家系に連なる彼女が、そもそものこの部活の発案者だ。

 ぼくは、そこに招き入れられた部員第一号ということになる。

 まあ、ぼくと八反丸さん以外には、あと一人しか部員はいないのだけれど。



 和風の学舎が、鉄製のフェンスめいたものにかこまれている。

 八反丸学園の外観を述べよ、と言われたら、ぼくはそう答える。

 その外界から身を守るかのような雰囲気と、中の、のどかな世界のギャップが、ぼくはわりと気に入っている。

 ある人は、ここが刑務所みたいだ、というかもしれない。

 ミシェル・フーコーだったか、病院と刑務所と学校の違いが、宇宙人にはわからないだろうと言ったのは。

 でも、ぼくは、この学校が刑務所みたいだとは思わない。

 むしろ、サナトリウムやギムナジウムみたいなものだと思う。

 外界は、面白いところだ。

 でも、同時に危険なところだ。

 だけど、ここは安全だ。

 積極的な意味や意義は何も提供してくれない、ぬるま湯みたいな場所だけれど、こういうところでゆっくり羽をやすめたい人もいる。

 今は春。

 実に風が気持ちよい。

 校舎の中で、ぎこぎこ、ときしむ木の床を、ぼくたちは、はだしで歩き、障子から入ってくる春の風を楽しむ季節になった。

 桜の花びらがちらちらと空気を舞っていて、ああ、冬が終わったんだ、春が来たんだ、という感動が、ぼくの胸に押し寄せる。

 廊下を歩いていても、思わずスキップしたいくらいになってしまう。

 生徒玄関を出て、外の道に出ると、もう我慢ができなくなってしまう。

 人気のない場所で、少しスキップした。

 スキップというのは、そういえば長らくしたことがなかったかも。

 なんだか、最後にしたのは、小学校くらいだった気がする。

 しばらくぶりのせいか、スキップのステップが、じゃっかん乱れて、ちょっと動揺してしまう。

 スキップのできない人間になってしまったのか、自分は!?

 しばらくやっていないことを改めてはじめると、スキップでさえうまくできなくなるのなら、それって悲しいことだ。

 そう思いながら、スキップのリズムを調整して、楽しく笑いながら、ぼくはスキップする。

 制服の上から羽織っているパーカーのぼうしが、ぱさんぱさん、と髪にあたる。

 これからどんどんあったかくなってくるから、パーカーもそろそろ要らないな。

 だんだん、スキップをしているのが恥ずかしくなくなってきて、ぼくはそのまま人がいるところでも、スキップをし続ける。

 ぼくがスキップをしているのを見ると、不思議そうな顔をする人、びっくりする人、無視する人、変なもの見ちゃったって顔をする人、いろいろいるけど、にっこり笑ってくれる人が一番うれしい。

 そうしているうちに、学生理事会の理事会館、というたいそうな名前がついた、こじんまりとした建物が目に入る。

 そのころには、スキップに疲れて、というより飽きて、ぼくはふつうに歩いている。

 ここが目的地。

 西洋風の二階建ての小さな屋敷で、実におしゃれだ。

 外装の白色が、雰囲気を出している。

 ぼくがここに来たのは、部活のためだ。

 添い寝倶楽部は、学生理事会直属の部活である。

 まあ、名前がいかがわしい、と思う人もいるかもしれないので、そうなっているのだろうとは思う。

 いや、八反丸さんのことだから、ただ、別の部活を新しく作るより、学生理事会の下部組織としたほうがめんどくさくなかった、というだけかもしれない。

 大いにありうる。

 とはいえ、学生理事会というものが、強力な権威を持っているというわけではない。

 名前はたいそうなものだが、たぶん、よくある学校の生徒会ほどの権力もない。

 一種のサナトリウム、精神療養所のような場所ではあるので、精神的に不安定な人間を放逐する程度のことはできるけれど……。

 それだって、めったに行使される権力ではない。

 基本的には、この学園は民主的なのだ。

 間接民主制ではなく、直接民主制、という意味で、民主的なのだ。

 だから、ほとんどのことは、自分たちで相談して決める。

 ともかく、現状、学生理事会の下部組織であるこの倶楽部は、この理事会館の中に、部室があるのだ。

 ぼくは、理事会館の中へと入る。

 玄関でサンダルをぬいで、中へと入っていく。はだしに木の感覚が心地よい。

 二階へとあがる階段は、木造。

 春の風が、踊り場の窓から吹いてきて、とても気持ちがいい。

 階段をあがりきり、角を曲がると、扉が並んでいる。

 その中の、添い寝倶楽部、と書かれてあるとびらは閉じられていて、中に人がいる気配がする。

 すうっとふすまを開けると、八反丸さんが、部室にいた。

 ざぶとんの上に座って、上半身をつみあげたざぶとんによしかかっている。

 八反丸葉月。

 それが彼女の名前。

 添い寝倶楽部の部長の名前。

 この八反丸学園の設立者の家系に連なる女の子で、成績優秀、運動は苦手な様子。

「中、入ってこないの?」

 八反丸さんの声に、視線をそちらに向ける。

 きれいな黒髪が、肩のあたりにまで垂れ下がっているのを、ぼくの視線がとらえる。

 その黒い髪は、日の光に輝いて、緑色の反射の波を生み出している。

(本当に黒い髪って、光に反射すると緑色になる部分が出てくると思わない? 緑の黒髪ってそういう意味なんじゃないかと思ってる)

 その髪を、ぐいっとカチューシャで後ろに押しやって、きれいなおでこを、こちらに見せている。

 ぼく、八反丸さんの、このおでこ、好きなんだよなあ。

 カチューシャであらわになった、女の子のおでこって、いいと思う。

 そして、スカートは、ひざが軽く見えるくらいで、この学園の中では、やや長め――なのかな。

 いちおう、この学園は、男女ともに、どちらの制服を着てもいいので、ズボンをはいている女の子もいれば、スカートをはいている男の子もいる。

 冬は寒いから、ズボンをはく女の子も増えるんだけど、そういえば、八反丸さんがズボンをはいているの、見たことないな。

 なんでだろう。お洒落な女の意地?

 そのわりには、スカートの丈が長すぎるような気がする。

 女の意地というか、スカートがお洒落だと思って、冬でもスカートをはく女の子は、もっと短いスカートをしている気がする。

 それはともかく。

 八反丸さんの全身から立ち上るオーラは、まじめでお上品な生徒会役員、といった風で、少しつりあがった目が、どことなく冷たい印象を与える。

 でも、見た目ほど冷たくはない、とぼくは思う。

 いちおう、何度もじかに接しているのだけど、第一印象を大きく裏切る、というほどではないが、やっぱり第一印象はあてにならないな、と思うくらいには、全体の雰囲気から見て取れる第一印象と、付き合ってからのイメージは別だ。

 それでも、なんだか八反丸さんとは、いまだに微妙な距離を感じる。

「ああ、入るよ」

 中に入ると、ふすまを閉める。

 春の空気が、ふんわりと部屋の中を満たしている。

「パーカー、暑くない?」

「パーカー?」

 とつぜん、八反丸さんが声をかけてきて、ぼくはちょっとだけびっくりする。

 思いもかけず声をかけられると、何でもない質問も、よくわからなくなってしまう。

「ああ、これか」

 ぼくは、前をあけっぱなしにしてあるパーカーのすそをつまんで、ひらひらとふる。

「うーん、まだ大丈夫かな。まだ寒い時もあるし、暑いときは、脱げばいいしね」

 実際、パーカーは軽いから、あんまり邪魔じゃないし。

「そう。いいわね」

「そういう八反丸さんは、どうなの?」

「え?」

 一瞬、動きをとめて、こちらを少し見る。

 何を言われているかよくわからない、という顔だ。

 確かに、連想で話しているから、言葉が足りなかったと思う。ぼくはこういうところがある。

 つまり、頭でしっかり考えてから話すんじゃなくて、連想や思い付きを、そのまま口にするのだ。

 そのため、補足の言葉がないと、意味がわからない、ということがある。

「あ、いや、冬でもスカートだからさ。寒くないのかなーって、ふと思ったんだ。さっき、暑くないか、って体感温度の話をしてたから」

「ああ、そういうこと。それにしても、よく見てるのね。少しおどろいたわ」

 それは、非難する音は全然こもっていなくて、「意外だった」という純粋な驚きの音色をまとっている言葉だった。

 本当に、自分がそういう風に見られていたとは思わなかったらしい。

「寒いといえば、寒いわね」

「ふーん、じゃあ、ズボンはいたら?」

「そうね」

 そこで、八反丸さんは、一瞬ことばを切る。

「でも、スカートは、女らしいから」

 ぼくは首をかしげる。

 八反丸さんから、そういう言葉が出るとは思わなかったな。

 傍若無人だとは思わないが、人目を気にするタイプには見えない。

 むしろ、我が道を往く、ゴーイングマイウェイ、己の信念に従い道を進むタイプに見える。

 でも、ぼくから見た他人は、ぼくから見た他人のイメージだ。

 実態と違うところがあったって、おかしくない。

 でも、一言だけ、言っておきたいことがあった。

「別に、女らしくなくてもいいんじゃない? 無理してるなら、体に悪いよ」

「そうね」

 また、さっきと同じ言葉を言った。

 でも、なぜか今度の言葉は、さきほどよりも、なにかしらの感情がこもっているように思えた。

「あなたなら、きっとそういうと思ったわ」

 ぼくはいったい、八反丸さんから、どういう人間だと思われているんだ。

 そういうことを考えた。

 たぶん、八反丸さんから、どういう風に見られているんだろうって考えたのは、それがはじめてだった。

 でも、これは、自分が他人からどう見られているのかが、気になる、という意味じゃない。

 どういう意味か、より正確にいうなら。

 八反丸さんが、どんな視点で、どんな視線で、世界を見ているのか、に興味を持ったのは、それがはじめてだった。

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