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魔法の呪文の唱え方

作者: コモン

 部屋に入ると、見知らぬ誰かがベッドの上にいるのに気付いた。俺はぎょっとして声を上げかけるが、相手に動く様子がないからか、なんとか落ち着いてそいつを観察する事ができた。

 飾り気のない白いフードがそいつの頭を、白いマントが肩から先を覆っている。微動だにしないせいで、まるで置物のようだ。肩幅の広さと、伸びた背筋の長さで男だと分かる。

 掛布団の上に胡坐をかいて座っているそいつは、俺に気付いたらしくその顔を上げた。フードの中は薄暗くて顔立ちは分からないが、その目が確かに、俺をじっと見ていた。

「来たか」

 重い響きを含んだ声が、そいつから上がった。再び心臓が跳ね上がるが、話しかけられたとあれば、放ってはおけない。

「……だ、誰だアンタ?ウチの身内か何か?」

「違う。君に忠告しにきた、ただの魔法使いだ」

「……は?」

 俺は耳を疑った。

「は、ではないよ。私は魔法使いだ」

 ……ああ、なるほど。

「ずいぶん手の込んだ居直り強盗だな」

 出来の悪い冗談を真面目な声で言われ、今はむしろ笑いが込み上がりそうだった。わざわざ仰々しい喋り方をしている辺り、芸が細かい。

 しかしそいつは、動じた様子もなく答えた。

「違う。というか君、ずいぶん語彙が古いな。その歳で居直り強盗なんて言葉を知っているとは」

 そいつは学校から帰ってきたばかりの俺をじろじろ見てそう言う。ずいぶん不躾な奴だと思いながら、俺は憮然として応じた。

「読書家なんでな。それより、何でその魔法使いが俺ん家にいるんだ?」

「先ほども言ったが、君に忠告しに来た。今日をもって、君は魔法使いになる」

「いや意味が分からん。なりたいなんて、一度も思った事ないぞ」

「君の意思は関係ない。君の体に宿った魔力が、今日成熟する。そうなれば、君は呪文によって魔法を行使できるようになるのだ。そうなった者を、魔法使いと呼ぶ」

 俺にはこの、魔法使いを自称する奴の言っている事がだんだん分からなくなった。こいつからすれば大事な事を言っているのは声色で分かるが、まるで理解が追い付かない。

 こいつがまだ訳のわからない事を言っているだけの変人でしかない可能性も高かったが、下手に刺激しないよう、話題に乗ってみる。

「……えーと、魔力って、魔法を使う為に要るもの、で、いいのか?」

 文節を切りながら、相手の様子を確認するように尋ねる。魔法使いが肯定するように頷いたのを確認し、俺は続けた。

「そんなモノを持ってる俺って、実は珍しかったりするのか?」

「残念だが違う」

 魔法使いは首を横に振った。

「言っておくが、魔法使いの素養を持つ人間はそこら中にいる。どんな人間でも、量の大小はあれど必ず魔力を持っているからだ。ただし魔法を使いたければ、体に宿る魔力が成熟するのを待たねばならん」

「……つまり、魔法を使うには成熟した魔力が必要、と?」

「話が早くて助かる」

 男は足を伸ばし、ゆっくりとベッドから腰を上げた。立ち上がって初めて分かるが、俺よりも背が高い。訳のわからない事ばかり言う奴がようやく帰ってくれるのかと思うと、俺も胸が軽くなる。

「一応聞くが、魔法使いになる気はあるか?」

 もちろんなる気はない。未だにこいつが、本物の魔法使いだなんて思ってない。

「なったらどうなるんだ?」

「魔法の修行を積んでもらう。嫌ならば、今後一切魔法を使わないでもらいたい」

 俺は思わず眉をひそめた。

「その言い方、矛盾してないか?魔法自体は修行しなくても使えるみたいに言ってるぞ」

「察しが良いな。その通りだ」

 ますます訳が分からなくなった。ただ、単純な驚きはあった。

「え、じゃあ俺、魔法が使えるの?」

「うむ」

「……マジで?」

「本当だ」

 本気で言ってるんだろうか?

「どんなのだよ?やっぱり、火とか出せるとかか?」

「君の想像できる範囲の事なら、大体できるな」

「例えばどんなのだ?」

 俺はこいつを試してみたくなった。こいつの言う事が本当とはまだ思えないが、本当だとしたら、こいつにも魔法が使える事になる。

「いいだろう。あれを見ろ」

 魔法使いは机の上に無造作に積まれた文庫本の山を差した。ちょうどそれらは、魔法使いの手の届かない位置にある。

「あの本の山の、上から三番目の本をここに引き寄せよう」

 魔法使いが手をかざす。魔法使いが呟いた言葉に、俺は耳を疑った。

「『チョベリバ』」

 すると何の冗談か、上から四冊までの本が糸ででも吊られたかのように宙に浮きあがった。更に、浮き上がった本の束から、一番下の本がずりずりとせり出してきた。先ほど魔法使いが指定した本だ。

「これだな」

 魔法使いが手をかざしたまま、俺に尋ねる。俺はほとんど条件反射のように黙って頷いた。魔法使いが見えない糸をたぐるように軽く手を引くと、目当ての本が勢いよく引き寄せられ、魔法使いの手に収まった。魔法使いは俺を見て、言う。

「信じたか?」

 その声は静かだったが、得意げな響きが確かにあった。浮き上がっていた三冊の本が、どすんと音を立てて机の上に落ちた。

 ここは俺の部屋だから、何か仕掛けがあるのだとしたらすぐに分かる。しかし一連の現象に仕掛けの類は一切見つけられず、嫌でも魔法である事を信じざるを得なかった。

「……いやまあ、確かみたいだけどさ」

 俺は先ほどから言いたくてたまらなかった事を魔法使いに尋ねた。

「今の何?」

「どれだ?」

「いや言ってたじゃん。あのー……呪文?」

「そうだ」

「そうだ、ってマジかよ……。俺嫌だぞ、あんな呪文」

 俺は心のどこかで持っていた、魔法や魔法使いに対するイメージが台無しにされた気分だった。それもいかにもな、本物の魔法使いが言ったのだからなおさらだった。

「何かと便利だぞ。『チョベリバ』は」

「やめろ、気が狂う」

 俺は本音でそう言った。

「あれは両手で持てる程度の重さのものを持ち上げる魔法だ。参考までに言うが、雨を降らせる魔法の『シネヨ』、ものを壊す魔法の『ウゼェ』等がある」

「もういいよ聞きたくない。なんで魔法の呪文がそんな俗っぽいんだよ。死語とかチンピラの決まり文句とかばっかりじゃねーか」

「そう、それが問題なのだ。私がここに来た理由もそこにある」

 魔法使いは本をベッドの上に置くと、再び腰を降ろし俺に目を向けた。俺も本題に入るのを察し、椅子に座る。額に浮かんだ汗をぬぐい、魔法使いの言葉を待った。

「魔法の呪文は本来、門外不出だ。しかし、世の中には偶然というものがある。先ほどの呪文に、君も聞き覚えがあるはずだ」

 俺は頷いた。先ほど魔法使いが唱えた呪文は、大昔に流行った、いわゆるギャル語だ。

「世の中に氾濫する乱れた言葉はいくつもあるが、実はそのいくつかは魔法の呪文と同じなのだ。恐ろしい事にな」

 本当に恐ろしい話だ。

「本来なら魔法は対象を指定して使わねば効果が薄いのだが、魔力を持ちながら自覚せずに魔法を使う者が増えてな。そのせいで効果の狂った魔法が社会に良からぬ影響を生む事も少なくない」

「……つまり?」

「今の世は魔法のせいで乱れに乱れる危険があるという事だ。例えば、美的感覚の水準を上げる魔法の『チョベリグ』が若者達に口々に言われていた頃、おかしなメイクが流行ったように、な。なので啓蒙の為、私のような魔法使いが魔力の成熟した人間に注意をして回っている訳だ。今の君に対してしているようにな」

 魔法の修行を積む必要があるのはつまり、対象を指定して魔法が使えるようになる為か。

「じゃあ、ひょっとしてアンタがいちいち仰々しい喋り方しているのは……」

「そういう事だ。仕事柄若い子とよく関わるからな。言葉が移っては敵わん」

 それが分かると、俺は少しだけこいつに同情してしまった。

「大変なんだな」

「大変なのだ」

 そう答えた魔法使いの肩がわずかに落ちた。やはり相当苦労しているらしい。

 魔法使いは両肩を回し、背筋を伸ばし直して俺に尋ねる。

「理解したなら、改めて尋ねよう。魔法使いになる気はあるか?」

「生憎だけど、無いな」

 数分前までなら、誘い方次第でなってもいいと思っていたかも知れない。しかし呪文がひどいせいで、すっかりそんな気は失せていた。

「そうか。なら今後、君から見ていい加減な言葉を使わないように気を付けてほしい。狂った魔法で世が乱れる」

「そうするよ。しかし、マジで嫌な時代だな」

「全くだ。そろそろ私は去ろう。まだ忠告せねばならん相手が、まだまだいる。君は話が早くて、本当に助かったよ」

 俺は安心から、ふう、と一息ついた。ようやく頭のおかしくなりそうな事態から逃れられるかと思うと、胸が軽く感じられた。

「……しっかし、何だか今日は暑いな。気のせいか?」

 俺が汗をぬぐいながらそう言うと、魔法使いがあ、と声を上げた。

「そうそう、先ほどから指摘しようと思っていたが、……『マジ』は気温を上げる魔法だ」

「早く言え!」

 俺が怒鳴るのと、魔法使いが『ナメンナ』と呟いて姿を消すのは、ほぼ同時だった。


 その後、俺があの魔法使いに会う事は二度となかった。あの日以来、俺は言葉を選んで喋る癖が身に付き、歳の割に落ち着きがあると言われるようになった。これは俺にとって少しばかり誇らしい美点となった。

 ただ、街中やテレビでおかしな言葉が流行る度、嫌でもあの魔法使いの事を思い出す。彼の啓蒙はどうもあまり進んでいないらしい。ひょっとしたら、長い不景気も歪んだ魔法のせいじゃないかと思う時がある。


 もしも魔法使いに会う事があったら、素直に彼の言う事を聞いて欲しい。もちろん、魔法使いになる気がなければの話だが。




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