表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

爪 紅  -爪染める紅-

 弐章での政宗様。

 開け放たれた室内で、私は運指を違える事無く笛を奏で行く。

与えられた課題曲は今までとは違い、流れの速い長曲。

練習は飽きるほど、家人等は呆れつつも耳を傾け応援してくれた。

終盤がこの曲最大の難所、緊張のため筒を押さえる指に力が篭る。

息を吸い込み緩やかに篠笛に流して音を切った。

低く響いた笛の音を止めて、私は篠笛の歌口を隠す。 


「……上達が御早いですね、姫様。

 全ての音が濁り無く綺麗に出てらっしゃる。

 もう新しい歌に挑戦なされてみては如何でしょう?」

 

 掲げた笛を膝に乗せ、私は師匠たる片倉様に頭を下げた。

一息の肺活量と音量はどう練習しても埋められない。

未だに落ち着かず、吐息と呼吸が忙しなく続く。


「か、片倉様がそう仰ってくださいますのなら……是非」


「その曲は、随分と御練習されたと聞きました。

 日がな一日暇を見つけて吹き続けていたと、政景殿が仰っておりましたよ」

 

 私は、聞かされた話に苦笑いした。

今朝も父上が浮かべた呆れ顔を思い出して。


「片倉様が手本に吹いてく下さいました折り、曲調と音域がとても綺麗で感動したのです。

 音色を真似出来れば嬉しいのですが……。

 納得のいく出来合えとは程遠く、幾度も練習を重ねてしまいました」


「……姫様、音色などは決して真似なさらないで下さい。

 御自身の音色で人に聞かせるのが、奏者としての嗜みであり矜持なのです」

 

 その、自信の音色が不満なのである。

そう片倉様に提訴して理由を説明した。 

私の笛の音は薄く甲高く、落ち着いた深み有る音色が出せない。 

運指や口元を試行錯誤しようが、願う音が出せず悔しい思いをしているのだ。


「個々の音色が千差万別だからこそ、笛の音に趣が生まれるのでございましょう」

 

 宥めるが様に、片倉様が御愛用の名笛“潮風”に唇を寄せた。

同じ曲目で同じ調べ、だが深く静かに広がる心地よい音色。

あきらかに違いが判ってしまう技量の差と音域の幅に、溜息が漏れる。

私は目を閉じて静かに聞き入った。

 

 * *


 しっとりと奏でた音の余韻に浸り、私は吐息を漏らす。

片倉様の左手が歌口を隠して離れるを、気配に捉えながら。 

師と仰ぐ御方の名演に聞惚れ、私は膝に乗せた両手で賛辞を送る。

廊下を背に座す私の背後から、一際大きく打たれた拍手に驚いて振り返った。


「調子狂った先程の笛音は、雛姫だったか。

 俺はてっきり、風邪ひいた小十郎が演奏してるかと思ったぞ?

 心配して足を運んでみれば、理由判して一安心だ……」


 襖に背を預けて拍手を送っていたのは政宗様だった。

炯炯たる眼光、幽玄たる佇まいに纏うのは色気。


「小十郎に笛を習っているのは、聞いていたが……。

 技量が上がっても耳を塞ぎたくなる音では、周囲の失笑を買うだけだろう。

 自分らしい雛姫だけの音で吹くのが一番だと思うが……なぁ?」


 飾り気の無い服装ならば尚に存在感を増す人物。

蒼穹を背後に従える王者の気。

私は据えられた其の眼光に怯え、視線に囚われる。


「政宗様もそう思われましょう。

 姫様は御自身の音色が嫌だと申され、敢えて真似をなさる」


 傾けた体を正し室内へと歩み寄るを目視して、上座を譲る片倉様。

政宗様のしなやかな身のこなし、所作に目を奪われる。

肩膝を立てて優雅に座す御姿。

にやりと笑む政宗様から次いで出された御言葉は意外なもの。


「特別に俺が個人練習に付き合ってやろう。

 有難く思えよ、多忙な小十郎を引き止めるのも大概にしないとな」


「えーぇ、あーはぁ……」


 何とも押し付けがましい言い分だ。

有難迷惑との我が思いを無視し、さも良案と見事に押し切る。

片倉様とて同じ懐中であろうが……。

当主の申し出には異を唱えられぬ。


「……それでは、政宗様の言葉に甘えましょうか。

 私は滞っている政務に早速と戻り仕事を片付けて参ります」


「嗚呼、確り仕事に励めよ」


「では、姫様の演奏宜しく御指導下さいませ」


 畳を滑る衣擦れの音を残し、師が席を立つ。

譲られた席、上座の脇息に腕を突き、肩膝を立てた政宗様。

庭先の蝉も静まり返った部屋に、二人きり。

彼の人の視線を興味を一身に受けるのは、今や私だけとなった。


「……早速?」

 

 御耳汚しとは、此れを意味するのだと思う。

平謝りしたくなる一曲を、御当主様に披露せねばならぬとは……。

酷と言うモノ、当に羞恥の極み。

自然と震える指先、幾度も違えるだろう運指に嫌気がさす。

歌口を左手で隠し吐息と悲哀が漏れた。


 * *

 

「御耳汚しにて、大変お粗末でございました!」


「嗚呼、コレマタ……」

 

 伏せられた眼差しが目元に濃い影を映す。

艶やかな玉藻の如き髪、白く細い項が息を吐いくのを聞き取った。

淡く紅を刷いた口元からは、恥しげな謝罪が継いで漏れる。

自らの音色を耳汚しと謝る姿がひどく健気で愛らしい、俺は苦笑いする。

可憐で儚げな風情に目を奪われて、殆ど聞いてなど居なかったのに。

全てが可憐と華奢な様相の佳人。

心根優しい従妹に俺は陶酔していたのだ。

謝罪を含め、再度の打診をする。


「最初っからもう一回吹いてみな、焦らず丁寧に指を置いて」


「……は、い」


 白くて細い雛姫の腕先。

今度は、確りと篠笛を奏でる指先に視線を寄せる。

震える指先、筒を押さえるそれは軽やかに動く。

高くか細い音域と艶のある音色が部屋に響き渡る。

音を捕らえ耳に拾うが、視線は雛姫の指に集中していた。

紅に染まっている爪先を目敏く見つけて。


「もう止めろ、雛姫。一旦休憩しろ」


「もっ、申訳御座いません!!」


 篠笛を膝に乗せ、頭を下げる雛姫から腕ごと笛を取り上げる。

彼女の紅く色づいた爪先に自らの顔を寄せて呟く。

強引に少しばかり艷めいて。


「男の気を引くために爪紅で染めたか。

 鳳仙花は“私に触れるな”との意を含むのに?」


「……えっ?」


「どんな心算で爪を紅に染めたのか、是非聞きたいものだな」


 白く細い雛姫の指先に俺は唇を寄せた。

震える紅い爪先に口付けを落として、耳元に囁く。


「駒の爪音(馬の蹄音を)を聞かされた、俺の身にも為ってくれ?」


 意味するのは、彼女の愛称“駒”に引っ掛けての嫌味。

忙しなく五月蝿い音だったとの嘲り、戯言と少しばかりの意地悪だ。

雛姫の色白の頬が怒りと羞恥で見事な紅に染まる。

俯いた顔を顎を掴んで上げさせれば、涙目で睨み返された。

成実や小十郎、政景に告口されたのでは堪ったものではない。


「何だ、本気にしたのか?

 案外上手だったと褒めてやろうと思ったのになぁ……残念だ」


 からかいと揶揄半分。

麗しの従妹に、我が目を奪われていた恥しさ半分。

片腕を雛姫の後頭部に回し、己の肩口へと顔を押し付ける。


「何者にも真似できない自分らしさを奏じろ。

 それが一番、オマエらしい雛姫らしい笛の音じゃないか」


 体を強張らせて、朱色の耳朶を披露した雛姫。

羞恥して固まった我が従妹殿の首筋に、吐息を態と漏らしてみた。

此れは面白い反応である。予想外だった。

彼女は意外と初心だと、知る事が出来たのだから。

まあ、成実は舅たる政景が怖くて未だ手が出せなずに居るのだろうと……。


「これは案外、俺にも分が在る勝負事やも知れぬなぁ」


 儚げに座り込む美しい蕾花。

咲けば大輪たる、百花の紅を俺は眺めた。

 “立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”

成実は、雛姫を百合の花に例える。

俺が例えるならば、花王たる牡丹の花だが……。

一寸ばかり、コイツには威厳が足りないな。

 旧・拍手御礼用。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ