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9 鼠色

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 いつまでも店の前を掃除しているのは不自然だ。適当な頃合に切り上げて、崇は店の中へと戻った。

 飛ばした鳩には、違う場所へと行くように指令を下した。夜をどこかで過ごし、朝にまた戻ってくるように、と。すぐさまにこの店に戻ってくるところを見られていたら困るからだ。

 須桜の追ったあの男――、竜造と言ったか。不鮮明な音ではあったが、鳩はその名を確かに拾った。

 竜造。それは名にし負う、玻璃の二吼の一の号だ。それがどうして、瑠璃の里にいる。

 須桜と竜造の会話を鮮明に拾えなかった事が悔やまれる。おかげで、ただ漠然とした不安ばかりが、崇の胸を締め付けていた。

 崇は不安と苛立ちをごまかすように、いつも頭に巻いている手ぬぐいを取り払った。跡の残った髪を梳いて、掃除用具を片付ける。

「苛立ちをそんな風に表に出すのは、とても幼い行為ですよ」

「うるせえ。洋に言われたくないんだぜ」

「私の何が幼いと言うのですか、失礼な」

「え、えっと……、喧嘩?」

 崇と洋の顔を見比べていた紗雪が、戸惑いがちに口を挟んだ。崇はしかめていた眉根を指でほぐし、いつものように明るく笑ってみせる。

「洋がうざいのなんて、いつもの事なんだぜ」

「何ですその言い様は、失敬な。あなたは年上に対する礼儀というものをご存知ないのですか」

「ほら、うざい」

「崇!?」

 わざといつものようなふざけたやりとりに持っていけば、紗雪はほっとした様子で顔をほころばせた。その様子に、崇は己の行動を省みる。確かに、事情を知らない紗雪の前で苛立ちを見せたのは、幼い行為だ。

「外、どうだった? 何があったの?」

「物取りみたいっす。壱班が捕まえてたんで、もう安心なんだぜ」

「そう……。須桜は?」

「んー。ちょっと、分からないんだぜ」

 鳩を移動させてからほんのしばらくの後に、崇は店内に戻ってきた。そのため、須桜が今どうしているのかは分からない。しかし、そう何度も出たり入ったりを繰り返すのはためらわれる。

「待っててって言ってたけど……」

 と、紗雪は外を窺う素振りを見せた。窓の外には薄暗がりが広がっている。鼠色に染まり始めた空は、夜の訪れを告げていた。

 紗雪は教本に視線を落としているものの、そわそわと落ち着かない様子だ。帰宅時間を気にしてもあるだろうが、中々に戻らない須桜を心配しているのだろう。

 それは崇も同じだった。須桜は「すぐ戻る」と言ったが、そろそろ「すぐ」と言うには長い時間だ。洋も、気にしていないという顔をしているが、窓の外へと視線を送る回数が増えている。

 交える会話もどこか上辺のものとなってきたその頃だ。誰かが店に近づく気配がして、崇ははっと顔を上げた。控えめな音と共に、戸が開けられる。須桜だ。昏い表情をしていた須桜だったが、紗雪と目が合うなり、ぱっと笑顔に切り替えてみせた。

「ごめん、遅くなった」

「もう、どうしたのよいきなり。心配したじゃないの、おバカ」

「ごめんってば。壱班の人に話があったの。それが長くなっちゃって。ごめんね」

「もう……っ」

 紗雪は安堵と憤慨の入り混じった顔で、ぷいとそっぽを向く。平然と嘘をつく須桜を、崇は少しばかり空恐ろしく思った。

「ごめんね、何回も待たせて。今度はほんとにすぐだから、もうちょっとだけ待ってて」

 須桜は崇と洋に目配せをした。

「んもー、良いけど……」

 膨れ面の紗雪をその場に残し、三人は紗雪に声の届かない場所まで移動する。腕を組んだ須桜は、厳しい顔つきで二人を見上げた。

「鳩を飛ばしたのは崇よね。どこまで聞いてた?」

「ほとんど全然聞こえなかったんだぜ。けど、竜造って言ってたのは聞こえた」

「竜造? それは、玻璃の二吼の号ではありませんか。どうして瑠璃に……」

 須桜は軽く拳を口元にあてがい、何事かを考え込んでいる様子だ。表情の無いその顔は愛らしさが常よりも際立って見えて、まるで傀儡のように作り物めいて見えた。

「……とにかく注意をしていて。あちらが、何かを仕掛けようとしているのは確実よ。――奪うと、言ったの。それはきっと、二人だって対象に含まれる」

 言って、須桜は唇を噛み締めた。

「それは、今アレが監舎に繋がれている事も関係あるのですか」

「聡いわね」

 ふ、と須桜は苦笑を漏らした。

「とにかく、気をつけて。あたしはあの子が苦しむところを見たくないの。二人に何かがあったら、きっとまた苦しむわ。そんなの、絶対に嫌」

 こちらを見上げる須桜の瞳は強い。

「それじゃあ、あたしは紗雪を送っていくから」

 強い目のまま唇に笑みを浮かべ、須桜は踵を返した。その軌跡を、ひらりと飾り帯が追う。

 そのうちに店の戸が開き、お邪魔しました、という紗雪の声が聞こえた。それにはまたどうぞ、と明るい声で返し、崇は洋に向き直る。洋は眼鏡を指先でツイと押し上げながら、わざとらしく大きなため息をついた。

「全く……。あなたもですが、御影もやはり不思議な生き物です。どうして、アレにそこまで肩入れするのです? 御影はアレの『影』であることですし、まあ分からないでもないですが……。だとしても、私にはこれっぽっちも理解できませんね。したくもありません」

「何でって言われても、オレだってよく分からないんだぜ。んー……、しいて言うなら、人望? 的な?」

「人望? アレに人望などあるものですか。わがままですし考え無しですし、品も無い。嫌味と暴力的解決手段ばかりに長けている。如月の血統としての自覚も有るのやら無いのやら」

 フンと鼻を鳴らす洋に、崇は苦笑した。

 洋の言い分も分からなくもない。特に、わがまま、という事に関して。

 紫呉は弱さを見せたがらない。特に、二影に。そして崇たち、鳥獣隊に。崇が思うに、きっと肉親にもだ。

 その理由は知らない。というよりも、崇には想像するしかできない。信用されていないのかもしれないし、怖いのかもしれないし、単に自尊心の問題なのかもしれない。分からない。見せたがらない以上、確認することもできない。

 けれど崇は思う。もっと頼ってくれても良いのに。もっと苦しさを分けてくれても良いのに。

 わがままに我を貫いて弱さを見せたがらない紫呉も大概ではあるが、それを見せて欲しいと望む崇もまた、わがままだ。

 崇の嘆息が重く響いたその時だ。呑気な声と共に、店の戸が開けられた。

「おーつかれー。今日もあっちぃなあ。何か食わせてー。帰って飯作んの面倒くせー」

 莉功の声だ。莉功は誰もいない店内を探している様子だったが、すぐに二人のいる場へとやってきた。だらしなく薄物を着流した莉功は、襟を掴んで胸元に風を送りながら首を傾げる。

「何やってんのお前ら。仲悪いくせに内緒話?」

「やめてください。こんな低脳と共有する秘密など、持ち合わせてはおりません」

「オレも、こんな嫌味な奴と内緒話なんてしたくないんだぜ」

「へいへい、分かった分かった。分かったから、何か飯作ってくれよー。簡単なので良いからさー」

 と、莉功は崇の前掛けを掴んで、無理やり厨房へと向かわせる。

「それはそうとして兄さん、先程このあたりで捕り物があったようですが? 行かなくても良いのですか? 職務怠慢なのでは?」

「えー、良いんじゃね? だってさっきの俺の部下じゃねえし。変に口挟んだらややこしい事になんじゃん。つか、さっきまで誰かいた?」

「須桜の姉貴と、青官長の娘さんなんだぜ」

「あー。……須桜ちゃん、何か思いつめてる感じじゃなかった?」

「わりと」

「だろうねえ。……ったく、どいつもこいつも」

 呆れ顔の莉功を尻目に、崇は余り物と冷飯を適当に混ぜて炒め始める。

「ところで、兄さんに一つお聞きしたいのですが。私はいつまでここに身を寄せていれば良いのです? 昔馴染みといえど他人の家、多少ならず居心地の悪さを感じるのですが」

「だって、影虎くんに警戒しとけって言われたんだもん。お前一人だったら頼りねえじゃん」

「須桜の姉貴も言ってたんだぜ。気をつけて、って。……いったい何が起きてるんだぜ」

「さーあねー。俺も聞いてねえよ。何かがあるのは確実だし、それに巻き込みたくねえって思ってくれてんだろうけど、まあ、居心地悪いわなあ」

「……そっすね」

 出来上がった適当な焼き飯を皿に盛り付ければ、莉功は相好を崩し、勝手知ったる何とやらでいそいそと匙を取り出した。

「あー、美味そー。いただきまーす」

 店の一角に場所を移し、莉功は焼き飯をかっ込んだ。

「美味いなー。何か豆腐とか厚揚げとか卵とかちくわとか、適当にぶっこんでたのに。あんがとな。今度何か奢っちゃる」

「それは別に気にしてくれなくても良いんだけど、今度試作品の試食お願いしたいんだぜ」

「おー、食う食う」

 この際だ。家族(と、ついでに洋)の晩飯も作るかと、崇が厨房に足を向けた時だ。店の戸がカラリと開いた。

「あ、すみません。今日はもう店閉めちゃったんですよ」

「そうか、すまない」

 店の戸口に立った男は、欠片も申し訳ないと思っていない声音で言った。

 二十七か、八かほどだろうか。莉功と同じ年頃の男だった。涼やかな青銀の髪のおかげか、男は夏の暑さなどこれぽっちも感じていないように思われる。しかし伏し目がちの空色の目は同時に、暑気にうんざりとしているかのようにも見えた。

 男は首に白の薄絹を巻き、濃紺の薄物をかっちりと身につけている。男自身の持つ彩と併せもって、この暑い最中だというのに男の周囲にだけは、冷涼な空気が流れているように感じられた。

「商品を頂けないだろうか」

「えっと……、今日のはもう、売り切れて……。あ、でも、試作品なら、何個か……」

「ならばそれを頂けないか。不躾ですまない」

「あ、はい。何個ご入用でしょうか?」

「四つ。いや、――六つで」

「はい。少々お待ちください」

 そう言い残し、崇は厨房へと向かった。

 先程紗雪たちにも出した、金魚の泳ぐ羊羹を丁寧に包んでいく。しかし、どうにも手が巧く動かずに、包み紙は不恰好なものとなってしまった。

 緊張をしているのだ。何に、と考え、あの男にだ、と答えに行き着く。何故、と考え、行き着いた答えにこめかみから冷や汗が一筋流れた。

 気配を、感じなかった。戦闘要員として扱うには未熟であるが、崇も一応の戦闘訓練は受けている。気配を察する事くらいは出来る。

 だが、店に近づく男の気配は感じられなかった。

 渇いた唇を舌先で湿し、手のひらの汗を前掛けで拭う。崇は高鳴る心臓を知らぬ顔で、男のもとへと戻った。

 店の入り口に立ったまま、男は店をじっと眺めていた。

「お待たせ致しました」

「無理を言った。すまない」

 売り出そうと思っていた値段での価格を告げる。差し出された銀貨を受け取ろうと手を出した崇は、男の手に目を据えた。

 爪が割れている。傷痕が残っている。戦いに慣れた者の手をしていた。

 顔を上げると、男と視線がかち合った。表情の無い空色の目が、崇を見つめている。

 息を呑んだ崇に、男は言った。

「何もしない」

 崇の緊張を気づかれている。

「……何がです?」

「良い店だな」

 崇の言葉を気にすることなく、男は店をぐるりと見回した。卓に腰掛ける莉功と洋に数瞬の間視線を留め、男は視線をほどいた。

「礼を言う」

 背を向け、男が戸を閉める。

 途端に汗が噴出し、崇はその場に膝をついた。墨の匂いに顔を上げると、洋が矢立から取り出した筆を懐紙に滑らせていた。

「おー、似てる似てる」

「当たり前です」

 ふらりと立ち上がり、兄弟の座る机を崇は後ろから覗き込んだ。机には、洋がたった今描きあげた男の似絵が有る。

「今、鳩に追わせた」

「親父……」

「莉功君、追ってみるか? 得意だろ」

 階上から降りてきた悟が、莉功の肩を強く叩く。

「いやいや、無理。足音殺すのと、気配消すのとはまた別。ってか、気づかれずに追える自信が無いね」

 莉功は自嘲するように鼻を鳴らし、男の出て行った戸口を見やった。

「誰か今の奴の気配に気づいてたか?」

 莉功の問いに、皆が揃って首を振った。

「変だよな。俺たちはあいつの気配に誰も気づいちゃいなかった。なのに、こんだけの緊張を強いられてる」

 と、莉功は汗に濡れた手のひらをこちらに向けて見せる。

「あんだけ隠伏技術に長けてんだ。だったら最初から最後まで、存在を希薄にしたまま立ち去ることも出来たろうにな?」

 崇は口中に溜まった唾液を嚥下し、机の上の似絵を見る。莉功は指先で似絵を数回叩き、珍しく不機嫌も顕に舌を打った。

「警告でもしてくれてんのかね?」

 やだやだ、とひどく気だるげに莉功は息を吐いた。

 店には今も、男の残した緊張が満ちている。


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