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6 月白

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 須桜と別れた影虎は、莉功の待つ仮眠室へと向かっていた。袂に放り込んだ鍵の束が、歩くたびに耳障りな音を立てる。じゃらじゃらとうるさい金属質なその音が、ひどく疎ましかった。

 辿りついた仮眠室の前、袂から鍵を取り出す。影虎は息も整えぬままに戸を開けた。顔に制帽を乗せ、寝台にだらりと伸びていた莉功が、のろのろとした動作で身を起こす。

「せめてさあ、開ける前に合図しようねえ」

 けだるい声に咎める響きを乗せ、莉功は苦笑する。小さく詫びた影虎の声が、戸の閉まる音に重なった。

 仮眠室には、莉功の姿しかなかった。窓から射しこむ陽光に、埃がきらきらと反射している。昇り始めた太陽に室内は熱され、部屋の片隅の氷柱は雫に濡れそぼっていた。雫受けの盥には既に水溜りが出来ている。

「良かったんすか」

「ん、何が」

 影虎は歩み寄り、欠伸を隠そうともしない莉功の手に鍵の束を渡す。莉功は外していた眼鏡をかけ直しながら、首を傾げて影虎を見上げた。

「見張り。立会人いなかったとか、告げ口されたらどうするんすか」

「んー? んー。まあ、お前さんら一般人じゃないしさあ。言われちゃったとしても、ま、反省文くらいじゃねえの? 知らんけど」

 などと、どうでも良いような顔をして莉功は言う。影虎は嘆息した。仮にも、莉功は部隊長だ。規律を乱した罰を知らないわけがない。

 莉功の言う通り、上に知らせが行ったとしても厳罰を受けるわけではない。それに見張りの彼らが、わざわざ上に告げ口をする利点も特にない。彼らが、類稀なる正義感の持ち主であるならば別の話ではあるが。

「とりあえずその話は置いといてさあ」

 と、何かを隣にどかす仕草をしてから、莉功は手の中の鍵を見やった。

「怒ってる?」

 どこか自嘲の色を滲ませて、莉功は唇を歪めた。

「……馬鹿はあいつだから」

 莉功の判断は正しい。そこにどんな想いがあろうとも、紫呉の血筋がいかに尊かろうとも、規律は規律だ。罰を受けるのは当然の事である。

 しかし馬鹿と言うならば己も馬鹿だ。どこかで影虎は思っていた。紫呉の思うままに、望むままに事は運ぶに違いない、と。加羅を斬るような愚行はしまい、しかし彼と会い、話し、真実を得て、無傷のままに帰ってくると。そんな、根拠の無い手前勝手な希望を抱いていた。

 視線を感じていたが、影虎は知らぬ顔で俯いていた。ふ、と零すようにして莉功は小さく笑う。

「ちなみに、期日的には十日前後かなー、って俺は思ってんだよね。まあ、俺だけで決めれるもんじゃねえけど。他の部隊長っつか、主に彰司とも話し合わんとだし。ま、俺らの裁量次第で伸びたり減ったりなんだけど。って、知ってんだろうけど」

 鍵の束を手の中で玩びながら、莉功は言う。

「影虎くん的にはどうしてほしい?」

 影虎は窓の外を見やった。雲の群がり始めた空は青味よりも白が勝ち、不鮮明な色合いをしていた。見えるはずの無い月の姿を青白い空に探す。昨夜は確か、まだ欠けた月が照っていた。これから満ちようとする、上弦の月。

 影虎は答えを探しあぐねた。己はどうしたいのだろう。どうしてほしいのだろう。

「――でさあ、前に言ってたけど、警戒っていつまですりゃ良いもんなの? 正直もう疲れたーやだー」

 わざとなのだろう、軽い調子で莉功は言って、そのままばたんと仰向けに寝台に倒れた。勢いで転がった制帽を、影虎は拾い上げる。

「動くなら今だ」

 紫呉は今、監舎に繋がれている。となると、こちらとすれば決定的な戦力不足だ。攻め来るなら今だろう。それに何より、今この時期に攻撃加える事は紫呉への精神的な負荷となる。己の行動の所為で身動きが取れない今のこの間に、もしも誰かが傷を負ったら? どうしようもなく彼は己を責めるに違いない。

 奪うと加羅は言ったのだ。その真意は知れない。だが、行動を起こすならば今だ。

「俺ならそうする」

「お前さんが言うと説得力あるねえ」

 からかうように、ちくりと刺すように、莉功は鼻を鳴らす。

 壱班の任において、影虎は吐かせることを得意としている。壱班に限らず弐班としても、草薙の者としても同じだ。捕らえた者から、もしくは目的人物から、情報を引き出す事を(あるいは情報を目的人物に留め置かせる事を)得意としていた。

 無論、暴力的な手法を以てだ。身体的に、精神的に、どうすれば引き出せるのか、どうすれば口を封じられるのか、影虎は熟知している。幼い頃より、己の身体を以てして実地で経験を積んでいる。いかに痛みが、暗闇が、快感が、身体と精神を苛むのかを知っていた。

 以前、どれほど痛みつけようとも口を割らない者がいた。破天の男だった。三十をいくつか過ぎた男だった。爪を剥ごうが、石を抱かせようが、彼は頑なに口を噤んで、決して仲間を売ろうとはしなかった。

 だがどうだ、影虎が彼の妻子の居所を口にした途端に、彼は顔色を変えた。妻子の居住まい、年頃、姿。知る限りの情報を並べ立てれば、彼の身体は見る間に震えだした。

 影虎は他に何も言っていない。犯すとも殺すとも。だが男は懇願した。手を出すな、と。何でもするから、と。

 何でもする。繰り返せば、彼の身体から力が抜けていくのが、よく分かった。捕らえ連れ来た息子の姿を前にして、男は次から次へと情報を吐き出した。全て吐き出しきった後、彼は笑いながら涙を零した。妻はどうしたと問う男にただ無言を返せば、狂ったように懇願した。何でもする、お願いだ、どうかあいつを傷つけないでくれ、俺はどうなったって構わないから。

「で、今回は一緒にいてくれんの?」

 ひょいと伸ばされた手に、影虎は制帽を返す。

「俺、自分で戦うとかちょー嫌なんだけど。面倒くせえ」

「できる限りは」

「おー、そりゃありがてえわ」

 自身が動けない今、近しい人間が傷つけば紫呉は嘆くに決まっている。それは、何としても避けたかった。嘆く姿など見たくない。

 かかる火の粉は振り払う。それが、あの夜紫呉を止めずにいた己の責だ。影としての己の責だ。己の望みだ。

「あ、そうだ。紫呉くんの黒器だけどさ」

 知らず固めていた拳をほどく。

「黒官舎に護送してっから。やーもー、引き剥がすのバチバチしちゃって大変だったぜー」

 莉功は綿の手袋を脱ぎ、手のひらをこちらに向けた。大変だったと言う通り、彼の手のひらには牙月が抵抗した痕が残っている。血は止まっているが、裂傷はまだ生々しく赤かった。

 とは言え、牙月が紫呉から離れるのを嫌がったのは、忠誠に因るものではないだろう。おそらくは、餌場を失うのが嫌だっただけだ。

「――制服に着替えてきます」

 影虎は莉功に背を向けた。背中ごしに莉功の気の抜けた返事を聞きながら、部屋を後にする。

 廊下を歩みながら、影虎は考える。紫呉が保護されたその前後の事。

 少年が倒れている。血にまみれていて、意識も無く、どうやら重傷のようだ。そう、壱班に知らせが入ったと影虎は聞いている。その知らせを受けすぐさま壱班に向かったため、影虎はまだ現場には向かっていない。実際に見る必要がある、と考えている。出来るなら可能な限り早急に。

 玉骨付近で紫呉は保護されたと聞く。影虎が気にかけているのは、紫呉はその場まで己の足で歩み来たのか、という点だ。

 紫呉の傷は深かった。多かった。血も、多く流れただろう。

 ならばその血痕は? 玉骨までの足取りは? 誰かが隠していなければ、まだそのままに残っているはずだ。隠した形跡があるのならば、そうする必要があったという事だ。そしてそうする必要があるという事は、紫呉の足取りを隠したいと思う誰かがいるという事だ。

 紫呉が己の足で玉骨付近まで帰ってきたとは、影虎は考えていない。誰かが関与していると、そう思っている。

 更衣室の戸を閉め、影虎は閉めた戸をじっと眺めた。懐に手をやれば、薄物ごしに固い感触が指先に触れる。

 影虎は鍵をかけ、懐から小刀を取り出した。

 紫呉の懐から漏れ落ちた小刀だ。藍鞘の小刀。辰の浮彫りが泳ぐ、業物だ。紫呉のものではないそれを、影虎は鞘から抜いた。

 紫呉は、この小刀のことを知っているのだろうか。知っているならば、先程口にしただろう。あちらで、小刀を無くして苦しまぎれに得た、というだけならばわざわざ口にすることも無いだろうが、それは違うだろうと思う。紫呉は、己の小刀も持っていた。ならば、わざわざ人から奪う必要は無いだろう。

 だからきっと、紫呉は知らない。この小刀の存在を。知らないという事は、これを誰かが懐に忍ばせたのは、紫呉が意識を手離してからだ。

(誰か、か)

 手の中の小刀をじっと見つめれば、辰の浮彫りと目が合った。

(辰、ね)

 意味ありげじゃねえか。

 笑みに唇を曲げ、影虎は小刀を鞘に納める。そして、目釘を外した。刀身を引き抜き、柄を握る手首を叩く。しかし(なかご)は中々抜けない。強い力で手首を叩けば、ようやくの事で姿を現した。

 は、と影虎は思わず小さく笑った。

 ほんの小さな紙だ。見失うくらいに小さい。忍ばされていたその紙が、ひらりと落ちる。

 拾い上げた紙には、文字が記されていた。


 ――宵待月 丘にて待つ


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