3.プレゼント
居間で音楽を聞きながら、ぼんやりとソファーに座っていた。
勉強にも飽きた。飽きている場合じゃないという理性の声には耳を塞いで、自分の部屋から抜け出してきたのだ。
ちょっと休憩と伸びをしてから、けれどもう1時間はたってしまっている。時計の針は6時を回っているけれど、家にはまだ誰も帰って来ていなかった。
うちの両親は共働きだ。1番上の兄も働いている。だからこの時間、私はいつも1人ですごしている。
小学生の頃から鍵っ子で通してきた。小さい頃は、学校から帰ったらいつも家でアキと一緒に遊んでいた。けれど高学年にもなるとお互いそれぞれの友達と遊ぶようになって、始終一緒じゃなくなった。
中学に入ったら、アキはサッカー部にのめり込んで、帰ってくるのは夜おそくになった。そして今では生徒会で忙しくしている。一方の私はずっと、ただなんとなく、やる気のない帰宅部ですごしてきた。部活でも何でも、何かに熱中するような情熱が、私には欠けていた。
そろそろ勉強に戻ろうか、どうしようか。ぼうっと右手の爪を眺めながら考えていた時、玄関の扉を静かに開ける音がした。
「ただいま」
帰って来たのはアキだった。何も言わないのもおかしいので、おかえり、と私は小さな声で返した。
居間に入ってきたアキは、どさりと椅子に鞄を置くと、大きく息をはいた。
「疲れた。なんか、喉が渇いたな」
そう言って、冷蔵庫を開ける。お茶の入ったペットボトルを手にとって、アキはこちらを振り返った。
「めーこも飲む?」
私が頷くと、アキは食器棚からコップを2つ取り出した。
こうやって自然に気をきかせられると、なんだか返って癪に障る気がする。
「……声、枯れてるね」
「え?」
麦茶を注ぎながら、アキが聞き返した。私は口の端を思い切り下げて、憎たらしく言ってやった。
「喉が枯れるなんて、カラオケはさぞ盛り上がったんでしょうねー。本当、テスト余裕な人はうらやましい」
もちろん、ずっと休憩中だった自分のことは棚上げだ。だって、私とアキじゃ条件が違うのだから。頭の出来という点で。
ああ、とアキは苦笑した。
「俺はそんなに歌わないよ。何かあの空間って、いるだけで無性に喉が渇かない?」
コップを持って、アキがこちらに近づく。ソファーの前の椅子にどかりと座って、それに、とアキは続けた。
「テスト週間だけど、ちょっと遊ぶくらい問題ないだろ。テストなんて、今までやってきたことの確認なんだし。慌てるようなことは何もない」
「あっそう」
私は苦々しく吐き捨てた。頭のいい奴はこれだから、と憎たらしくなる。今までやってきたことの確認、だなんて、一夜漬け派の私に対する挑戦としか思えない。
「テスト週間だっていうのに、楽しい誕生日をすごしやがって。不公平だ」
ぶすくれて、ちくちくした気持ちのまま、私は文句を言った。
八つ当たりだってわかっている。でも、こうも格差を見せつけられると腹立たしいのだ。双子なんだから、そっちだって灰色の誕生日をすごせばいい。
アキはふと笑って、私の不平不満を受け流した。お茶のコップを、なだめるように渡してくる。
「――誕生日、おめでとう」
真面目な口調で言われたので、私はちょっとまごついた。
「……そっちこそ、オメデトウ」
こっちの返事は、嫌味な固い口調になった。思った以上に白々しく聞こえて、私は目をそらした。お互いを祝うなんて、なんだか馬鹿みたいだ。鏡に向かって「おめでとう!」と言うくらい、意味がない。
受け取ったお茶を、やけになってあおった。一気に飲み干してしまって、息をつく。すると目の前に、不意に何かがぶら下げられた。
ちゃり、と音を立てる銀色のチェーンから視線を横にずらすと、アキが笑っていた。穏やかな表情だったので、私は反射的に払いのけようとした手を止めた。
「――何?」
「プレゼント」
催眠術をかけるかのように、アキは鎖を目の前で振って見せた。
「プレゼントォ?」
驚いて私がそれを掴むと、アキは手を離した。するりと、冷たい細かな鎖が手の甲をすべって落ちる。その先には、緑色の石がついていた。
四角いその石をつまんで、光に透かしてみた。透き通った、瑞々しい緑だ。緑柱石、という言葉がぱっと思い浮かんだ。
「わぁ――」
思わず、見とれる。
美しい緑の石の中には、星くずのような光の粒が散らばっていて、光の角度によってきらきらと瞬いた。満天の星空のようにも、晴れた日の海のきらめきのようにも見える。奥行きのあるその世界に、吸いこまれそうだ。
「これ、どうしたの?」
いつまでも眺めていたい欲求を堪えて、私は視線を石から引き剥がしてアキに向けた。アキは私の顔を見て、どこかほっとしたように少し肩を下げた。
「俺が作ったんだ。季節を考慮して、新緑を閉じ込めました。気に入った?」
「とても」
アキが作った、と聞いて納得した。こんなの、なかなか売っていないだろう。売っていたとしても、宝石と同じくとても高校生に買えるようなものじゃないだろう。
そこで、はっと気づいた。
「――これ、誕生日プレゼント?」
「そうだよ」
あっさり頷かれて、私は困惑した。
「どうして、いきなり?」
今まで、私たちは誕生日プレゼントのやり取りなどしたことはない。兄妹でプレゼント交換なんて、とても不思議で不自然な感じがする。だからこのペンダントは可愛いけれど、戸惑ってしまう。
アキの意図がわからないからだ。
「別に。なんとなく、あげようと思っただけ。18歳だしね」
眉を寄せる私に、アキは肩をすくめた。18歳だからなんとなく、というのはよくわからない理由だ。余計に混乱してしまう。
「でも、私は、何にも用意してないよ」
アキ宛てに預かったプレゼントを思い出しながら、私はちょっと後ろめたい気持ちになった。自分が、ひどい薄情者になった気がした。
「いいよ。俺が勝手にあげようと思っただけだから」
「でも」
私はペンダントを握りしめた。こんなきれいなものを、もらうだけもらって何も返さないなんて、それこそ不公平で不自然だ。私だけじゃない、お互いの誕生日なのに。
「本当に、何もいらないよ」
アキは首を振って、立ち上がった。そのまま、コップを流し台へ持って行く。なんだか拒絶されたように思えて、私は何も言えずにその背中を見つめた。
「金なんてかかってないし、何かもらう方が心苦しい」
そう言うと、アキは振り向いて鞄を取り上げた。この話を、もう終わりにするつもりらしい。釈然としないまま、私はただ、アキを見送るしかなかった。
けれどアキは、居間を出て行きかけた足を、ふと止めた。そうして考え込むそぶりをしながら、ぽつりと言った。
「物はいらない。でも、そうだな。代わりと言ってはなんだけど」
ちらりと振り向いて、アキは笑った。
「――思い出してほしい、かな」
私がぽかんとしている間に、アキは居間を出て行った。どのくらい呆けていたかわからないけど、私はしばらく動けなかった。驚いたのだ――あまり、見ない笑い方だったから。
いつもの明るい、皆を惹きつける笑顔じゃなかった。あんな、苦みを堪えるような顔を、アキもするのだということに驚いた。そんなの、全然似合わない。とても意外だ。
私は隣に転がっていたクッションを抱きしめて、ずぶずぶソファーに沈みこんだ。そのままずり下がって、ついにはこてんと横に寝転がった。その間もずっと、アキの出て行った扉を見つめていた。
手の中のペンダントのチェーンが、さらさらと音を立てる。今日のアキには戸惑わされてばかりだ。
思い出してほしいって、何をだろう。